第111話 エリザベス女王杯 直後

 花崎は、ちょっと驚いたような表情を浮かべてモニターを見つめていた。


 レースは水物と言われてはいるが、今回のエリザベス女王杯、タンポポチャがまさか負けるとは欠片も考えていなかったのだ。


 そのタンポポチャが、まさかの2着となり、改めて競馬の難しさを感じていた。


 プリンセスフラウを所有している盛田氏へと視線を向けると、盛田氏は御夫婦で喜んでいる姿が見える。幾度となくGⅠを出走したプリンセスフラウが、漸くここでGⅠの初タイトルを獲得した。その喜びはどれ程の物かと思うと花崎も自然と口元に笑みが浮かぶ。


「盛田さん、プリンセスフラウ優勝おめでとうございます。スタミナ、末脚、素晴らしい馬ですね」


 花崎が声を掛けると、盛田氏は少し驚いた表情を浮かべた後、満面の笑顔でお礼を言う。


「ありがとうございます。プリンセスフラウにとって、初のGⅠタイトルです。本当に良い馬なのでとても、とても嬉しいです」


「来年は更に飛躍しそうですね」


「さて、上位互換のような馬もおりますから」


 盛田氏はそう言いながらも笑顔で花崎と周りに会釈をし、表彰式へと向かっていった。


「あれ程まで喜ばれると、此方も嬉しくなる。しかし、まあ、鷹騎手に嫌味でも言いに行くかな」


 花崎は苦笑を浮かべながら、鷹騎手へ会う為に自分も移動するのだった。


◆◆◆


 鷹騎手は、騎手控室へと戻りながらレースを振り返っていた。


 確かにプリンセスフラウが逃げを打った。しかし、位置取りも、最後の直線での展開も、そのすべては計算通りだと言える。プリンセスフラウが確かに最後に粘りを見せたし、末脚鋭くゴールを駆け抜けたが、それすらも計算しての騎乗だった。


「タンポポの末脚が、今までと違ったか?」


 今回のレースを騎乗していて思ったのは、タンポポチャの勝利への執念が、明らかに弱かったという事だろうか。


 最後の直線でサクラヒヨリを追い抜き、更に前を走るプリンセスフラウを捉える為、再度手綱を扱いて追い立てた鷹騎手だったが、普段であれば前の馬を捉える為に更にスパートをするタンポポチャに、更なる加速をする様子が見られなかった。


「・・・・・・まさかなぁ」


 タンポポチャにとって、今回のレースは最初から不本意だったのかもしれない。ミナミベレディーに会えると喜んでいたところ、到着したのは京都競馬場。勿論、ミナミベレディーはいない。この段階で、明らかにご機嫌を損ねていた。


 そして、レースの時に居たのは、ミナミベレディーの全妹サクラヒヨリであり、ミナミベレディーを巡ってのライバルだ。ここでタンポポチャの目的はレースに勝つ事ではなく、サクラヒヨリに勝つ事に変わったのか。


「馬鹿な事を考えているなぁ」


 実際には、先日のスプリンターズステークスの影響が出ているのかもしれない。何せ、走る距離が大きく変わるのだ。馬にとって、予めどれだけの距離を走るのかなど判るはずがない。芝1200mの次のレースが芝2200mというのは、いささか無理があったのかもしれない。


「何せ、今年に入って最初の大阪杯以降、1600m以上のレースはしていないからな」


 何処かで、せめて2000mを走らせておけば、結果は違ったものになったのかもしれない。それを今言っても、やり直しが出来るわけでは無い。


 騎手控室傍のロビーで、鷹騎手はタンポポチャの馬主である花崎と、磯貝調教師の出迎えを受ける。


「今日のレースは申し訳ありません。言い訳になりますが、最後の直線で思いの外にタンポポチャが伸びませんでした。あくまでも想像ですが、馬自体が芝2200mのレースと、判っていなかったように見えました」


「う~ん。確かにレースを見た感じでは、最後の直線で何時ものような伸びが無かったな」


 磯貝調教師も映像で見ていた限りにおいてだが、同様の印象を抱いていた。


「そうですか。流石に芝1200mから2200mへは、無理がありましたか。せっかく鷹騎手を揶揄って、無念な気持ちを解消しようと思ったのですが。それでは出来ませんね」


 マイルチャンピオンシップへ出走するという選択肢もあった中で、エリザベス女王杯を選択したのは花崎であった。もっとも、それであっても2着に入ったのだから存在感を示せたとはいえるが、結局の所タンポポチャはマイラーだという認識を強めただけかもしれない。


「タンポポチャの様子はどうだい?」


「まあレース後ですから、疲れが出るのは明日以降かなと」


 鷹騎手の回答に、花崎は磯貝調教師を見る。磯貝調教師も頷く事で、花崎も納得する。


「タンポポチャの状態によっては、最後に有馬記念に出してみても良いかと思うがどう思う?」


「本気ですか? 勝率は決して高く無いと思いますが」


 距離が長ければ長い程に強いミナミベレディーがいる。そして、今日のエリザベス女王杯を勝ったプリンセスフラウも、そもそも、強豪牡馬もいる。大阪杯でのレースを思い出した鷹騎手は、思わず微妙な表情を浮かべる。


「私も賛成は出来ませんな。無理に有馬記念を走らせる、意味が見出せません。タンポポチャを有馬記念に走らせたとして、勝てる見込みより故障する見込みの方が高いですね」


「ふむ。ミナミベレディーが出走するからかね?」


「ええ、タンポポチャはミナミベレディーと同じレースであれば、全力以上の力を出して勝とうとするでしょう。ただ、芝2500mはミナミベレディーの土俵です。勝つためには必ず無理をしないとなりません。そのリスクが判らない、花崎さんじゃないと思いますが」


 磯貝調教師は、睨みつけるような眼差しを花崎へと送る。適正距離外の芝1200mを走らせるのとは訳が違うのだ。


「それでもだよ。見てみたいと思わないか? タンポポチャとミナミベレディーのレースを。今年で引退させる方針をかえるつもりはない。タンポポチャ最後のレースを、どう彩るかだよ。まあ、エリザベス女王杯を勝っていれば、有馬記念を走らそうとは思わなかったと思うがね」


 花崎の言葉に、思いっきり顔を引き攣らせる二人だったが、結局はタンポポチャのこの後の状態次第という事になり、結論は見送られる事になった。


「鷹騎手、真面目に悪いと思うんだが、ミナミベレディーの音源、何とかしてくれ」


 花崎と別れた後、冗談めいた様子を一切感じさせない真剣な声で、改めて磯貝調教師は鷹騎手へと頼むのだった。


◆◆◆


「今回は、相手が強かったな」


 武藤調教師は、エリザベス女王杯の結果を見据え苦笑を浮かべる。


 ミナミベレディー、タンポポチャ、プリンセスフラウ、近年、GⅠでは牝馬が目覚ましい活躍をしている。


 その中で、マスメディアで言われ始めたのが、ミナミベレディー、タンポポチャ世代。中長距離を得意とするミナミベレディー、中短距離を得意とするタンポポチャ、牡馬すら圧倒する2頭の最強牝馬と、同時代に生まれたが故の悲劇。


 もし、2頭が居なければGⅠを勝利したであろう。そう言われた馬達の中に、今回エリザベス女王杯を勝利した、プリンセスフラウも名を連ねている。


「しかしなあ。ミナミベレディー不在のエリザベス女王杯、しかも、ミナミベレディーと同じレース展開。きっと、評価としては半減するんだろうな」


 ミナミベレディーが出走していての勝利であれば違うのだろうが、もっともミナミベレディーの評価がすでに突き抜けている故に、そこまで悪いイメージは抱かれないかもしれないが。


「サクラヒヨリは、これで放牧だな。さて、次走をどうするかだが」


 武藤調教師がそこまで悲観していないのは、このエリザベス女王杯でサクラヒヨリが3歳牝馬で最先着したからに他ならない。もっとも、4歳になってタンポポチャは引退していたとしても、サクラヒヨリの適正距離にはミナミベレディーと、プリンセスフラウという2頭の強大なライバルがいるのだ。


「3歳で2冠を獲れていて、本当に良かったよなぁ」


 思わずそんな本音が零れるが、ある意味致し方ないと思われる。


「まずは春の大阪杯か。牡馬混合戦だが、あとは来年のエリザベス女王杯か? 他はどうだ?」


 思わず自分が居る場所を忘れ、サクラヒヨリの次走を悩み始める武藤調教師だった。


◆◆◆


「・・・・・・プリンセスフラウが勝ったか」


 エリザベス女王杯をテレビで観戦していた太田調教師は、プリンセスフラウが先頭で駆け抜けるのを見ながら、複雑な表情を浮かべていた。


「同じプリンセスでも、あちらはGⅠ馬になったな。出来ればあやかりたいものだが。あとはサクラヒヨリが3着か、3歳牝馬としてはこのメンバーで善戦したほうだな」


 太田調教師は、最後の直線で必死に粘るサクラヒヨリを見ていた。


 タンポポチャの末脚に引けを取らない走りを見せるサクラヒヨリを見て、思わず自身の調教しているプリンセスミカミへと意識が向かう。


「血統的にどうなんだと思うのだが、これだけ実績を残していればな」


 調教の質なのだろうか? ただ、坂路を含め、近年この栗東トレーニングセンターに所属している馬の方が、重賞勝ちの比率は高い。


 自身が管理する、プリンセスミカミも悪い馬ではない。


 不思議と坂路を嫌がらない為、トモの発達も悪くは無い。それでも、ここから余程豹変しない限り、GⅠを勝てはしないだろう。それでも、2歳の時にはパッとしなかったサクラヒヨリが、3歳で花開いた事を考えれば、期待できるのだろうか?


「GⅢなら、何処か勝てそうなんだが」


 今流行っている冗談などでは無く、太田の経験がそう告げている。


「しかし、血統的に先行馬なんだろうが、プリミカは最後の粘りがないな。やはり、気性の問題なんだろうが」


 聞ける範囲で調べた限りでは、サクラハキレイの産駒は皆、気性は大人しいとの事だった。どちらかと言えば大らかな気性の馬が多く、GⅢを獲ったサクラハヒカリも、ミユキガンバレも競り合いは苦手だったという。


「なんとか、白菊賞に間に合いそうではあるが・・・・・・」


 調教自体は間に合いそうではあるが、今一つ馬に覇気が感じられない。その為、太田調教師は、出走させるかどうかを悩んでいた。

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