第106話 秋の天皇賞 表彰式他

 天皇賞の表彰式を行うウィナーズサークルでは、内と外で漂っている空気が明らかに違った。


 牝馬でありながら、天皇賞春秋制覇を為したミナミベレディーを一目見ようと、多くのファンが表彰式に熱い眼差しを送る。そんなファン達とは違い関係者達の表情は、レース後のミナミベレディーの状態が良くない事を聞いて、喜びよりも心配する気持ちの方が強い。


 普段であれば偉業達成に大騒ぎする桜花ですら、今日は大人しい。秋の天皇賞優勝レイを身に纏ったミナミベレディーが、無事に目の前に現れるのを、今か今かと待ちわびている。


 そんな様々な思いを受けているはずのミナミベレディーは、今正にレース後の疲れと必死に戦っていた。


 う~、早く横になりたいよ~。


 体を綺麗に洗って貰って、脚の状態などを競馬場にいる獣医さんに診て貰って、その後にスッとする軟膏みたいなのを塗って貰ったんです。でも、体の怠さは未だに思いっきり残っているんですよ。


 兎に角、ゴロンと横になりたいっていう欲求と頑張って戦っています。


 今日は、桜花ちゃんが来ているんです。レースに勝てたから、桜花ちゃんの喜ぶ顔が見られるかな?


 それだけが今の私の原動力です。そうで無ければ、さっさと横になって寝ていたと思います。


「トッコ、大丈夫? どこか痛い所は無い?」


「ブフフフン」(わ~い、桜花ちゃんだ~)


 表彰式の会場に来ると、桜花ちゃんがお洒落なワンピースを身につけて待っていました。高校はもう卒業したので、それで制服じゃ無いのですね。ただ、何と言いますか、もう少し日焼けを気にした方が良いよ?


 桜花ちゃんは、こんがり焼けて小麦色になっていますね。牧場のお手伝いとかもあるし、仕方が無いのかな?


「ブルルルン」(頑張ったんだよ!)


 桜花ちゃんが久しぶりに来てくれたのだから、やっぱり頑張らないとですよね。


 褒めて褒めてと、鼻先を桜花ちゃんに擦り付けました。


「トッコ、頑張ったね。おめでとう、無事で良かった」


 普段はギャーギャー抗議してくるはずの桜花ちゃんですが、今日は嬉しそうな表情で? 私の鼻先を撫でてくれます。


「ブルルルン」(桜花ちゃん、大人になったね)


 普段は飛び跳ねて喜ぶ桜花ちゃんですが、今日はお澄ましさんですね。私は、久しぶりに大好きな桜花ちゃんに会えて、何時もの様に嬉しくて尻尾がブンブンと回っていますよ。


 そして、桜花ちゃんが鼻先を撫でてくれると、思わず目を細めちゃいます。


「本当に、今日は頑張ったね。トッコは凄いね」


「ブヒヒヒヒン」(わ~~い、褒められた!)


 私が喜ぶと、桜花ちゃんが首に両手を捲きつけて、抱き着いてきます。


 そのまま私の首にお顔を埋めて、小さな声で囁きました。


「居なくなっちゃうかと思ったんだからね。無理しちゃ駄目だよ」


「ブフフン」(うん、気をつける)


 そう言いながら、今日はちょっと無理しちゃったかなと思うんです。


 あまり無理をして、怪我しちゃったら意味ないもんね。でも、桜花ちゃんがせっかく来てくれたんだから、今日は勝ちたかったの。


 桜花ちゃんが、顔を離したところで見ると、何となく目元があれなので、ベロンとお顔を舐めてあげました。


「ちょ、トッコ! まだ表彰式があるのに~~!」


「ブヒヒヒン」(桜花ちゃんは元気なのが良いのよ)


 やっぱり、元気に騒いでいる桜花ちゃんが一番ですよね。


◆◆◆


 馬主席でも、スタンド席においても、ミナミベレディーがゴールを駆け抜けた瞬間、怒号のような歓声が上がった。この場に居た人達すべてが、歴史的な瞬間に立ち会ったのだ。


「おおおお! 差した! 差し返した! 差し切ったぞ! 牝馬で、同一年度の天皇賞春秋制覇だ! 凄い、凄いぞ!」


 馬主席で観戦していた大南辺は、全身で感動を顕わにしていた。


「ありがとう。これ程の馬の馬主に、馬主になれるなぞ・・・・・・」


 思わず呟いた言葉は、その後の続きが出てこない。大南辺は、ただただ上を向き涙を堪えるのだ。


「大南辺さん、おめでとうございます。まさに競馬史に刻まれる偉業ですわね」


「あ、十勝川さん。ありがとうございます。これは、お見苦しい所をお見せしました」


 そんな大南辺に、声を掛けて来たのは十勝川だった。十勝川が所有するトカチマジックを、最後には抜き返しての勝利。その為、若干バツが悪い思いはあるが大南辺は素直にお礼を言う。


「最後の直線、ミナミベレディーの末脚には、思わず背筋が寒くなりました。本当に凄い馬ですわね」


「その、何と言いますか。馬見調教師が言うには、ベレディーは少し限界を超えて走ろうとする馬なんだそうです。その為、私としては嬉しい反面、ちょっと心配なんですが。何と言っても、初めて私にGⅠ勝利を齎してくれた馬ですから」


 大南辺は心配と言いながらも、全身から嬉しさを滲ませている。


「本当に素敵なお馬さんですわ。北川さんともお話を進めていますけど、ぜひ次世代へと引き継いでほしいと思いました。提携の件、更にお話を深めたいですわ」


「ありがとうございます。桜川さんも興味を示されていましたし、私もベレディーに恩返しをしないとなので、ご協力いただけるのは非常に嬉しい。

 あと、そう言えば花崎さんも一口噛みたいと、あそこのタンポポチャ号はミナミベレディーと仲が良いですから、出来れば一緒の牧場でと考えているみたいです」


「あら? でも、タンポポチャ号の生産牧場は」


 タンポポチャの生産牧場は、日本を代表する牧場の一つだった。その牧場ではなく北川牧場、または十勝川ファームに関連する牧場へとなると、色々と面倒そうではある。


「タンポポチャ号の契約では、引退後の事は記載されていないそうですが。ただ、ここまで実績を残していると確かに厄介そうです」


 そう言って苦笑をする大南辺ではあるが、あくまでも馬主である彼はその先の面倒さが今一つ判っていない。


「タンポポチャ号の事は、もう少し後でも良いですわね。まずはミナミベレディーの事に集中致しましょう」


 そう言って苦笑する十勝川であったが、そこで今日の5Rにミナミベレディーの全妹、サクラフィナーレが出走していた事を思い出した。


「そういえば、5Rの新馬戦でサクラフィナーレが勝利を収められましたね。桜川さんにお会いできるかと思ったのですが、お見かけ出来なくて」


「ああ、確かご子息の学校の行事で来れないと、凄く残念そうでした」


 そう言って笑う大南辺だが、まさか十勝川がミナミベレディーの全妹、しかも、まだ新馬を気にしていたとは思わなかった。


「桜川さんから、中々デビューできないとお聞きしていて、5Rにお名前があったので注目していたのですよ」


 サクラフィナーレは、先行策からの粘り勝ちで無事に勝利を収めていた。


「ええ、私も注目してました。聞いていたのと違い、しっかり粘り勝ちしていましたから、やはりベレディー達に似た走りで期待が持てそうです」


 大南辺も自身の持ち馬ではないながら、同じサクラハキレイ産駒という事で勝利を素直に喜んでいた。そんな大南辺を、十勝川は朗らかに見ながら話題を変える。


「そういえば、奥様は同伴されて見えませんの?」


「ええ、勝てば歴史的な瞬間だからと誘ったのですが、他の集まりがあるとかで振られまして」


 そう言って苦笑する大南辺に、あの奥さんなら、そんな事もあるわねと思う十勝川だった。


◆◆◆


「いやぁ、負けた、負けた。あの馬は凄いな」


 騎手控室に帰って来た立川騎手は、同じく戻って来た鷹騎手に声を掛ける。


「いやあ、こっちもベストの騎乗を心掛けたつもりですが、相手にもならなかったですね」


 鷹騎手としては、キタノシンセイの能力から言っても、厳しいレースになる事は判っていた。そこで、レース全体をコントロールする為に先頭に立ち、スローペースに持ち込むつもりでいた。


「今回は、予想外の展開過ぎたな。まさか、オーガブラザーが頭をとりに行くとは。もっとも、あの馬もミナミベレディーの頭を押さえに行ったんだろうが」


 立川騎手も、鷹騎手も、ミナミベレディーを好きに走らせれば一発はあると思っていた。もっとも、立川騎手としては高速レース大歓迎でいたし、逆に鷹騎手としては、スローペースを望んでいた。


 結局の所は、先行馬の騎手達はスローペースを、追い込み馬の騎手達はハイペースを願ったのだ。


 そこで頭を押さえに行った馬が2頭、ブラックスパロウとオーガブラザーだった。


 一頭であれば、ミナミベレディーもすんなりと先頭を譲ったのではないだろうか? そう思う立川騎手だった。


「金鯱での負けが、ここで祟ったんだろうなあ。囲まれる事を極度に恐れた結果だな。ただよ、あれでミナミベレディーは負けたなと思ったんだが、まさか差し返すとはな」


「ですね。ロンメルも吃驚したと思いますよ? どう考えても余力が残っているはず無いですからね」


 二人は共にミナミベレディーの後ろから、レースの決着を見ていたのだ。


「しかし、ありゃあ拙い走りだ。あんな走りを、馬にさせちゃあ駄目なんだよ。あれは馬の寿命を削ってる」


 今までの口調を一転させ、立川騎手は真剣な表情で鷹騎手に告げる。


 鷹騎手も、苦笑というには苦みの強い表情を浮かべた。


「恐らくは、鈴村騎手もその事を理解していると思いますよ。検量室に来た時の表情は、とても歴史に残る快挙を達成した騎手の表情ではありませんでしたから」


「まあな。あの嬢ちゃんも、もうちっと成長しないとだな。馬に助けられすぎだ」


 レースは水物であり、ましてや今日のレースを勝利した騎手に、負けた騎手が何かを言うのは烏滸がましいのかもしれない。ただ、立川騎手も、鷹騎手も、共に今日のレースは明らかに騎手の騎乗ミスであると思っていた。


「そういやあ、話は変わるが。日比野は、騎手を辞めたそうだな」


 立川騎手がミナミベレディー絡みで、ふと先日の騒動を思い出した。


「みたいですね。私は伝え聞きですが、筋の良くない所から借金があったみたいです。あとは、やはり鈴村騎手への嫉妬や、妬みもあったみたいですが。ただ、最後まで故意とは認めなかったそうです」


「まあ、認めちまったらってとこだろうが、馬鹿なやつだな」


 溜息を吐く立川騎手であるが、騒動を起こす前から日比野騎手は引退を考えていた様だとも聞いている。それであっても、やって良い事と悪い事が有るのだ。


「まあ勝てなきゃどうしようもない世界だしな。同じような立場だったお嬢ちゃんが光を浴びて、魔が差したってのもあるんだろう。だが、下手すりゃ死亡も有り得たんだ。許される事じゃない」


「ですね。ただ、協会はこれ以上追いかけるつもりは無さそうですが」


 鷹騎手の言葉に、立川騎手は顔を顰める。


「それじゃあ駄目なんだがなぁ。後に続くような奴が出ないように、きっちり白黒つけないとな。まあ、こっちでも協会には注意しておく」


「そうですね。私の方からも意見を述べておきますよ」


「ああ、頼むわ。あんな事がまた起きたら、それこそ競馬が廃れちまう」


 一騎手としてもだが、立川騎手自身も伊達に長く競馬業界で生き抜いて来てはいない。様々な伝手を当たり前に持っているし、競馬界への思いも強い。そして、それは鷹騎手とて同様だった。

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