第102話 秋華賞後のあれこれ

「うわ! うわわ! あ、ヒヨリが勝った!」


 週末に、何時もの様に実家へと戻って秋華賞を見ていた桜花は、レース途中のアクシデントで思わず驚いて声をだした。その後、サクラヒヨリが先頭でゴールし秋華賞を勝利したのだが、流石の桜花もここで喜びを爆発する事は無かった。


「うわぁ、ヒヨリが勝ったのは嬉しいけど、何か後味が悪いね」


「そうね。ままある事とは言っても、馬が故障するのは辛いわね」


 桜花と恵美子が、レースを見ながら会話をしている。ちなみに、父は結果だけを教えてくれれば良いと、今は畜舎で仕事をしている。


「でも、これでヒヨリが牝馬2冠だね。この後、エリザベス女王杯へ出走するんでしょ?」


「そう聞いているわ。でも、これで最優秀3歳牝馬はヒヨリになるのかしら?」


 そう言う恵美子であるが、その表情には困惑しかない。


「トッコも最優秀4歳牝馬は確定してるような物だし、天皇賞次第では年度代表馬も有り得るよ?」


「そうねぇ、生産者としては誇らしい事なんでしょうけど、後の事を考えれば困ったわ」


 十勝川ファームとの提携を含め、色々と話が進んでいる所ではある。そのお陰で、最近は横槍も少なくなって来てはいるが、それでも、未だに見知らぬ人物からの電話は掛かって来ていた。


「ヒヨリもこれで繁殖入りは間違いないでしょうし、種牡馬次第では高値になるわね。もっとも、4歳以降の古馬混合レースでの結果も影響するでしょうけど」


「う~ん。でも、トッコみたいに走るかな? トッコって牡馬を気にしているようでいて、実際は気にしてないよね。でも、ヒヨリはどうかなあ? 4歳以降はちょっと心配だよね。でも、せっかくだから秋華賞は行きたかったなぁ」


「時間的に厳しかったのでしょ? 桜川さんがご招待しても良いと言ってくれたから、お母さんは反対しなかったわよ」


「そうなんだけど~」


 大学1年生とは言え、後期になると実習が増えて来る。桜花の進学した畜産科学科も同様で、特に近代的な設備を導入した、牧場へ訪問見学などが行われていた。実習も毎週という訳ではないのだが、単位の為に泣く泣く秋華賞に行くのを断念したのだった。


「トッコの秋の天皇賞は、絶対に行くからね!」


 桜花としては、重要なのはサクラヒヨリよりもミナミベレディーだった。


 桜花にとってのミナミベレディーは、まさに別格の馬なのだ。牧場にいる時から不思議と懐いてくれて、それ以降も自分が会いに行くと大喜びしてくれる。更には北川牧場初のGⅠ馬であり、自分の名前の由来である桜花賞を初めて勝ってくれた馬だ。


「そんなに心配しなくても、ちゃんとお母さんも一緒に行く予定を立てているわよ。大南辺さんがご招待してくれるって言っていただけて、お財布にも優しいし。既に飛行機の切符は郵送してくれたそうよ」


 飛行機の切符って・・・・・・。


 母の言葉に思わず吹き出しそうになる桜花だったが、ここで母のご機嫌を損ねる訳にはいかないと、必死に笑いを堪える。


「ん~~~。でも、トッコに会えるの楽しみ。早く会いたいなぁ」


 ミナミベレディーと会える事を、桜花は純粋に喜ぶのだった。


 それに対し、流石は北川家の財務大臣。交通費と宿泊費は大南辺持ちであるが、それ以外に発生する費用の想定に余念がない。ただ東京に行って、レースを見て、そのまま帰るなど出来る訳も無いのだ。


「お土産代も、馬鹿にならないのよねぇ」


 もっとも、今回は勝ち負けになるのは確実と言われている為、招待されなくても桜花を連れて行ってあげる気ではいた。


 ただ、大南辺から連絡が来て、ぜひ観戦に来て欲しいと招待を受けた。最初は遠慮しながらも、恵美子はしっかりとご招待を受け入れる。大南辺としても、経費として精算するので負担が大きいという訳では無い。何と言っても、それ以上にミナミベレディーが稼いでくれているのだ。


 ちなみに、夫である峰尾は留守番と決まっていた。


◆◆◆


 どうやら、ヒヨリが無事に秋華賞を勝利したようです。


 京都から帰って来たヒヨリは、特に疲れた様子を見せる事も無く、なんと翌日には一緒にお散歩が出来るくらいに元気でした。実際どういうレースだったのかは判らないのですが、ヒヨリが無事で安心しました。


「ブフフフン」(レース後だから無理しちゃ駄目よ?)


「キュフフン」


 ヒヨリは甘えん坊だから、私とお散歩したいが為に無理するかもしれません。


 その為、私も注意してヒヨリの様子を見ているのですが、今の所おかしな挙動は見られませんね。


「ブヒヒヒヒン」(痛い所は無い?)


「キュフフン」


「ブルルルン」(ヒヨリは元気だね)


「キュヒヒン」


 ヒヨリと一緒にお散歩をしているのですが、私もレースが近くなってきたようです。昨日から、鈴村さんがノートパソコンを手に私の馬房へやって来ます。これが始まると、そろそろレースなんだなあって気分になります。


 お散歩が終わり、ヒヨリをハムハムした後には、コースを使って私単独の調教が始まります。


「キュフフフン」


「ブヒヒヒン」(また明日ですよ。良い子にしてるんですよ)


 別れ際には、ヒヨリがちょっと寂しそうにしていますが、さすがにレース直後のヒヨリと一緒に調教は無理ですね。フィナーレでは、逆にちょっと運動量が足りないそうですが。


 私は、今日も坂路を中心に走ります。ただ、坂路って疲れるんですよね。特に一人で走っていると、より疲れを感じてしまいます。


「うん、ベレディーも悪くないね。来週の追い切りは、ヒヨリと出来るかな?」


「ブフフフン」(持久走じゃないもんね)


 鈴村さんから、昨年の秋の天皇賞の映像を見せてもらうまでは、ちょっと疑っていたんですよね。でも、昨日見た映像の実況で、秋の天皇賞、芝2000mってちゃんと言っていました。


 御蔭で、ほんのり残っていた不安も綺麗に無くなって、気分も体調も絶好調ですよ。今の所、天気予報では晴れる予定なんです。これで不安要素はまったくありません。


 ただ、せっかくのレースなのですが、タンポポチャさんとはお会いできないみたいです。


 レース自体が東京競馬場で行われるので、栗東にいるタンポポチャさんには会えないです。タンポポチャさんは、昨年と同じエリザベス女王杯に出走するそうです。桜花賞の時と一緒で、ヒヨリがエリザベス女王杯には出走するので私は違うレースを走るみたい。


「ブルルルルン」(ヒヨリとタンポポチャさんが、一緒に走るのね)


 う~ん、どっちを応援すれば良いのか悩みますね。姉妹としてはヒヨリを応援しないとなんですが、親友としてはタンポポチャさんですし、悩みどころなのです。


 とにかく、今は自分のレースに集中しましょう。勝つたびに、馬肉にされる運命から離れるのは間違いないのですから。


◆◆◆


「どうだい? ベレディーの感じは」


「まずまずという所ですね。若干まだ太残りがありますが、来週でしっかり調整します」


 馬見調教師が調教助手の蠣崎に尋ねると、そんな返事が返って来た。


「ふむ。やはりサクラフィナーレと一緒に行った調教では、少し軽かったか」


「まあレース後のベレディーは調子も今ひとつでしたから。もっとも、ベレディーは何時もこんな感じでしょう」


「ベレディーは、食べるのが好きだからな」


 特に、大南辺からは定期的にリンゴが箱で送られてくる。


 運動量は決して少なくは無いのだが、何かと間食も多いミナミベレディーだった。


「そう言えば、タートルラビットは手術を受けたそうだな」


 先日の秋華賞で、故障による競争中止となったタートルラビット。幸い騎手が異常を察知したのが早かった為に、即安楽死となる事は無かった。ただ、その後の検査によって左第1指節種子骨の骨折と判断され、ボルトによる固定手術が行われた。


「しかし、競走馬としては引退でしょうね」


「そうだな、まあ安楽死にならなかっただけ運が良かったよ」


 タートルラビット自身の実績はまだ無い。それでも、外国産馬の良血と言う事で、繁殖牝馬となる事が出来るのは幸いだろう。


「そうそう、鈴村騎手からの要望なんだが、ベレディーの前でタートルラビットの話は絶対にしないでくれ。あの馬は敏いからな、周りの空気を感じて変に神経質になられても、体調を崩されても困る」


「まあ、それは構いませんが。考えすぎじゃないですか?」


「馬は感情に敏感だからな。神経質にさせても良い事は無いだろう」


 馬見調教師の言葉に、蠣崎はそれもそうかと同意するのだった。


「まあタートルラビットは、これからが大変だな。怪我が治ったとしても産駒で元を取らないと、中々の値段で落札したそうだし追加で治療費も発生しているんだ。何とか産駒が活躍して欲しいな。現役時代に実績が無くとも、その産駒が走った例など数えきれない程あるからな」


「そう考えると、ミナミベレディーの産駒が走るか不安がありますね」


 思わずと言った様子で、蠣崎調教助手が零した言葉は本音だろう。ただ、自分達は生産者ではない故に、任されている馬に何とか成績を残してやれるように、日々努力する事しか出来ない。


「そういえばな。武藤調教師から聞いたのだが、十勝川さんが例のサクラヒヨリに使用している録音機に興味を持ったそうだ。鈴村騎手に直接尋ねるような事を言っていたそうだし、場合によっては此処を訪ねてくるかもしれん。注意しておいてくれ」


「はあ。注意って、もしかしてあれの事ですか?」


「あれの事しかあるまい。馬見厩舎では、馬の前で出走レースの解説をしてました。そんな噂が流れて見ろ! 笑い者になるだけじゃ済まんぞ」


 そう言って顔を歪める馬見調教師だが、蠣崎調教助手は内心首を傾げる。


 それで実際に勝てているのだから、良いんじゃないのか? まあ、真似されても・・・・・・困るのか?


 中々に複雑な気持ちではあるのだが、そんな事を口に出すような蠣崎調教助手では勿論無かった。

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