トッコとヒヨリの秋のGⅠ戦線

第99話 トッコとフィナーレ、そして武藤調教師の試練?

 気が付けば秋も深まり、今朝早くヒヨリは秋華賞へと向かったそうです。


 栗東トレーニングセンターに寄るなら、タンポポチャさんに会えるのになぁ。そんな事を思いながら、でもヒヨリにはその話はしない方が良い気がして、私は黙ってお見送りをしましたよ? 昨日で一緒の調教は終わりでしたが。


「ブフフフフフン」(ヒヨリは神経質だから、大丈夫かなぁ)


 内弁慶というのでしょうか? 結構強気のお嬢様に見えて、実際はそうでも無いのですよね。


 御蔭で、今回も鈴村さんが録音機を持って来て、私の色々なパターンの嘶きを録音していきました。でも、あれって意味あるのでしょうか? 前に録音した嘶きで十分だと思うのですが、どうなんでしょう?


「ブルルルン」(それでヒヨリが頑張れるなら、いいのかな)


 私はヒヨリのお姉ちゃんなのですから、協力できる事なら協力しますよ。


 ただ、鈴村さんがどんどんと、ある意味遠い所へと旅立って行ってるようで心配になります。


 ベレディー、もっと情熱的に! って言われたのですが、情熱的な馬ってどんな馬なのでしょうか?


 鈴村さんが求めている路線が、判らなくなってきている今日この頃です。


「ベレディー、サクラフィナーレが待ちわびているぞ」


 実は、厩務員のおじさんが騎乗して、トコトコと練習コースへ向かっている所だったりします。


 私も、もうじきレースがありますし、同じ日には、なんと! フィナーレも初レースに出走する予定? だから当日はフィナーレと一緒に競馬場へ向かうみたいです。


 まあ、フィナーレは判っていないみたいだけどね。


 そんな私がコースの入口へと辿り着くと、フィナーレがそれこそ全身から嬉しさを溢れさせているみたいに歓迎してくれます。


「キュヒヒヒン」


「ブフフフン」(お姉ちゃんですよ~)


 何となくですが、姉というより母親と思われていそうで怖いですね。まだピチピチのつもりですよ?


 ただ、頭をスリスリしてくるので、私も同じようにしてあげます。


「しかし、ここの姉妹達は本当に仲が良いな。競走馬でここまで仲が良いのも珍しい」


「まあ、血縁ではないですが。仲が良い馬同士はいますよね。それでも珍しいのは確かですが」


「ミナミベレディーを頂点として、タンポポチャ、サクラヒヨリ、サクラフィナーレと3頭ですね。そう考えると、馬から見てミナミベレディーは美人なのかな? それとも、親しみやすい感じなのかな?」


「ブヒヒヒン」(勿論美人なんですよ)


 やはり、そこはしっかりと主張しておかないとですよね。


「キュフフフン」


 ほら、フィナーレもそうだそうだと同意してますよ!


「ブルルルン」(フィナーレも良い子ですよ)


「キュヒヒン」


 フィナーレと、これだけゆっくりと一緒にいるのは久しぶりかな? でも、もうじきフィナーレもデビューなので頑張りどころかも。


「ブヒヒヒヒン」(良いですか、スタートが大事なのですよ?)


「キュヒヒヒン」


 私の言葉に返事はくれるのですが、スリスリと甘えてくるばかりです。この子はヒヨリ以上の甘えん坊さんですね。


◆◆◆


 武藤調教師は、馬運車で運ばれてきたサクラヒヨリの体調を、馬房でミナミベレディーの嘶きを流しながら確認していた。今日は、午後から栗東トレーニングセンターで馬なりで走らせたあと、明日の京都でのレースに備える予定だ。


「うん、長距離移動してきた疲れは無さそうだな」


 馬運車でも、所々でミナミベレディーの心を落ち着かせる嘶きというものを流していた。


 実際のところ、どうなんだと思わないでもないが、効果が出ているように見えるために止めるのにも抵抗があった。


「鈴村騎手が、新たなパターンも追加で作ってきましたと言ったときには、本当に勘弁してくれと思ったんだがな。だが、ヒヨリはご機嫌だよなあ」


「キュフフフン」


 武藤調教師の言葉にも、返事を返してくれる程には、サクラヒヨリは落ち着いている。


「しかし、これはミナミベレディーの嘶きなんだよな。馬見調教師には迷惑かけてないよな?」


 鈴村騎手の奇行に慣れていると信じたいが、実際に馬見調教師とこの事で話し合ったことも、愚痴を言い合ったこともない。同じ美浦に所属し交流は多少なりともあるが、昨年まではそこまで親しい関係でもなかった。


 そう考えれば、この一年に満たない間に出来た縁は、中々に濃いものがあると思う武藤調教師だった。


「失礼、宜しいかしら? 武藤調教師さん」


 サクラヒヨリの残りの世話を調教助手達に任せ、いったん馬房を出たところで唐突に声を掛けられる。


 そして、声を掛けてきた人物へと視線を向け、思わず目を見張った。


「これは、十勝川さん」


 武藤調教師は、もちろん十勝川の事は見知っていた。ただ、自身は調教師としてそれ程には有名ではない。それ故になぜ十勝川が声を掛けてきたのか、それは恐らくだがサクラヒヨリが理由だろう。


「あら、私をご存知でした? ありがとうございます」


 そう言って微笑を浮かべる十勝川だが、その視線は先程からサクラヒヨリの馬房へと注がれている。


「トカチマジックを含め、何度もGⅠ馬を生産され、ましてやオーナーブリーダーでもある十勝川さんを知らない競馬関係者がいたら驚きですよ」


「あら、そう言っていただけると嬉しいわ」


 十勝川は、そう言って上品に笑う。


 ただ、わざわざ自分を訪ねてきたという事は、何かを探りに来たと思うべきだろうか?


 たしか、北川牧場とは提携を結んだという。ミナミベレディーが繁殖へと回った際は、十勝川ファームに預けられるのではとの噂もある。


 それ故に、ミナミベレディーやサクラヒヨリに害をなすとは考えにくい。それであっても、いくら十勝川とはいえオーナーの許可なくサクラヒヨリと会わせるわけには行かない。


 武藤調教師は、警戒しながら十勝川がわざわざ自身の馬房を訪れた理由を尋ねる。


「秋華賞を前にお忙しい中ごめんなさい。うちの馬が日曜日に出走するので、お隣の馬房にいるの。そしたら、馬の嘶きがエンドレスで聞こえて来たものですから、ちょっと不思議に思ってしまって」


 そうコロコロと笑いながら十勝川が指差す馬房には、まだ2歳と思われる牡馬が、窓から頭を出して隣の馬房を気にしている様子が見えた。


「うちの今年のデビュー馬で、期待はしているんですけどね。まだ若いから仕方がないのですけど、レースが近いことに気がついたのか神経質になってたんです。

 それが隣から馬の嘶きが聞こえてきた途端に、あらあら不思議と落ち着いてきて、つい好奇心で見に来てしまったの。ごめんなさいね」


 十勝川の言葉に、武藤調教師の顔が思いっきり引き攣る。


 今まで武藤調教師が、ミナミベレディーの嘶きを再生しサクラヒヨリに聞かせている様子を知っている人物はそれなりにいる。ただ、敢えてその事を武藤調教師に直接尋ねた人物は、幸いに今まで一人もいなかった。


 調教助手に尋ねた者は何人かいるのだが、調教助手達は録音機を持ち込んできたのも、再生するように指示したのも鈴村騎手であり、詳しい理由はしらないと回答していた。


 実際のところ、間違った事は一つも言っていない。


「お騒がせしてしまいましたか。すぐに止めるように指示しましょう」


 内心では、そう簡単に再生を止めてしまうとサクラヒヨリのご機嫌に響くので、出来れば避けたいところではある。ただ、周りから苦情等が寄せられるとなると話は変わってくる。


「あら? ごめんなさい。誤解させてしまったわね。どちらかと言うと、お礼を言いに来たんですわ。まだ幼い馬ですから、落ち着けるまでに体力を消耗させてしまったらレースに響きますもの。それどころか、宜しければあの馬の嘶きの音源をコピーして、私どもにも譲っていただけないかと思いまして。もちろん金銭などもお支払いしますわ」


 十勝川の提案に、ますます困る武藤調教師だった。


「いえ、あの馬の嘶きは、サクラヒヨリの主戦である鈴村騎手の指示でして。私も詳しい理由までは聞いていないんですよ。ましてや録音機も含め彼女の私物なので、私が何かをお話できる立場にないので」


「あら? そうなんです? それは残念だわ。鈴村騎手は昨日の夜から、お篭りされていますわね」


 騎手はレース前日の夜までに、騎手の宿泊施設に入らないとならない。そして、鈴村騎手は土曜日にも乗り鞍があり、すでに昨日の夜から京都競馬場に入っていた。


「明日、鈴村騎手に会った際に、それとなく伝えておきますよ」


 武藤調教師の言葉に、十勝川はお礼を言って立ち去るのだった。

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