第96話 トッコとヒヨリと十勝川さん
今日は、タンポポチャさんが美浦トレーニングセンターへとやって来る日です。
昨日からワクワクして、何となく筋肉痛も和らいだかも? まだ、ちょっとギシギシする感じがあるんですが、タンポポチャさんと一緒にお散歩してたら治る気がします。
「ブフフフン」(午後のお散歩の時かなぁ)
私もそうですけど、馬運車に乗せられて移動した後は、色々と獣医さんに検査とかされます。
移動中に、何処かぶつけて怪我をしていないかとか調べて貰うのです。その為に、私はだいたい移動した日は、午後の引綱でのお散歩くらいしかしません。
中には長距離の移動が苦手で、思いっきり体調を崩すお馬さんもいるみたいです。でも、私なんかは栗東へ行くと、タンポポチャさんに会えるから楽しみなんですけどね。
「ブルルルルン」(タンポポチャさんも、私に会えるのを楽しみにしてくれてるかな)
ここ最近は、お互いに一緒のレースが無いんです。その代わり事前に一緒にお散歩したり、コースを走ったり出来るので、それが楽しみかな。少しでも楽しみがあると、長距離移動も苦にならないですよね。
午前中のお散歩は、やっぱりヒヨリとご一緒する事になりました。
先週に走ったレース前からですから、ヒヨリに会うのは3日ぶりかな? そのせいなのか、ヒヨリはしきりに頭をスリスリしてきます。
「ブヒヒヒン」(お散歩終わったら、ハムハムしてあげるからね)
「キュヒヒヒヒン」
うん、思いっきり嬉しそうなので、私も同じように嬉しくなっちゃいますね。
「ミナミベレディーのコズミも、酷くなさそうで良かったです。先日のレースを見て、うちの武藤もちょっと心配していました」
「ああ、ありがとうございます。最後の直線ではベレディーも無理してくれたので、何とか勝てたのは良いのですが。肝心の本番に影響が出ないか、それを心配しましたよ」
厩務員のおじさん達が、そんな会話をしています。
で、思いっきり忘れていたんですけど、筋肉痛が酷いふりをしていたんでした! 次のレースは、またも持久走みたいなんです。ハッキリ言って走りたくないんです!
ちょっと、どよ~んとした気分になっていたら、ヒヨリの所の厩務員さんが聞き捨てならない発言をしました。
「秋の天皇賞ですか。芝2000mだと、トカチマジックを含め強力なライバルが犇めいていますね。中々に厳しそうですが」
・・・・・・ん? 芝2000mですか? あれ? 天皇賞って芝3200mですよね?
私のレースの話が、もしかしたらヒヨリの次走の話になっています?
「ブルルルン」(ねえ、もしかして、次って持久走じゃ無いの?)
そこの所をしっかり確認したくて、厩務員さんに尋ねました。
「ん? ベレディーどうした?」
「ブルルルン」(次のレースって芝2000mなの?)
「よしよし、ベレディーは良い子だな」
私の質問は、相変わらず言葉が通じないのです。
「ああ、ベレディーはスタートが良いですから、展開にあまり左右されない強みがありますよ。もっとも、各陣営もベレディー対策を色々と考えていると思いますが。まあ、先日のような方法は遠慮したいですけどね」
厩務員さんは、私の質問に回答をくれる事無く、またお互いに会話を始めちゃいます。
う~~、今のお話は、すっごく重要なのよ?
私がそう思いながら厩務員さんを見ていたら、ヒヨリが頭をごっつんこしてきます。
「キュヒヒヒン」
私が引き続きピコピコお耳を動かして、おじさん達の会話を聞いていたためでしょう。横を歩いていたヒヨリが思いっきりご機嫌斜め? うん、多分ですが、私の意識が自分に向かっていない事に気が付いて拗ね始めているようです。
「ブフフフン」(ヒヨリの事はちゃんと気にしてますよ?)
「キュヒヒン」
「ブルルルン」(本当よ? ヒヨリは良い子だね)
私は必死にヒヨリを宥めます。
「う~ん、サクラヒヨリは甘えん坊ですね。北川牧場で放牧されていた時も、ベレディーと母馬のサクラハキレイの2頭に甘えまくりだったとか」
「ええ、もっともサクラフィナーレも一緒でしたが、サクラフィナーレはどちらかと言うとミナミベレディーに懐いていたようです。まあ2頭の御蔭でサクラフィナーレの新馬戦も見えてきました」
「ほう、何時頃に?」
「天皇賞と同じ日の、第5レース、芝1800Mで登録しました。という事で、ぜひ競馬場への馬運車は、ミナミベレディーとご一緒させていただきたいです。後程、うちの武藤も馬見調教師にお願いにあがると思います」
「なるほど、初のレースですからね。まあベレディーは気にしないでしょうから問題無いと思いますが、馬見には私からも伝えておきます。ところで鞍上は、誰にお願いされたんです?」
「最初は鈴村騎手も考えたんです。何と言っても、ミナミベレディーとサクラヒヨリで実績がありますから。ただ、長内騎手がうちの武藤に嘆願しまして、サクラヒヨリの調教も頑張ってくれているので、まずは長内騎手にお願いする事になりました」
「長内騎手は頑張っていますよね。そう考えれば良い選択でしょう」
「そうである事を祈ってますよ」
私はヒヨリとお散歩しながら、ついつい厩務員さん達の会話に気をとられちゃいます。
「ブルルルン」(そっかフィナーレのレース決まったんだ)
「キュフン」
ん? 何かヒヨリのお返事が変? でも、何と言ったのか判らないんですよね。
「ブヒヒヒン」(ヒヨリももうじきレースだよね。頑張ってね)
「キュヒヒヒン」
うん、ヒヨリは元気いっぱいですね。
◆◆◆
「本当に凄い馬ねぇ、あれだけの不利を受けて勝っちゃうなんて。天皇賞で、うちのマジックは勝てるのかしら?」
十勝川は、ミナミベレディーのオールカマーにおけるレース映像を見ながら頬に手を当て首を傾げる。
トカチマジックは栗東に所属している為、本来は京都大賞典への出走が有力視されていた。しかし、移動を苦にしないトカチマジックである為、比較的有力馬の参戦がないオールカマーにするか、毎日王冠にするかで陣営は悩んでいた。そして、早々とミナミベレディーがオールカマーへの出走を表明した為に、トカチマジックは毎日王冠を選択する事となった。
「栗東の馬達と競わないのは良いのですが、やはり移動が心配ですね」
「それでも、ミナミベレディーと競わせるよりは良いわよ? 京都大賞典は京都大賞典でファイアスピリットが出走でしょ? 安全を見るなら毎日王冠しかないわ」
牧場長の浜田の言葉に、十勝川は笑顔で答える。
「それにしても、酷いわねこれ」
十勝川が指摘するのは、馬主や調教師達の間で話題になっているネクロミアと日比野騎手によるミナミベレディー妨害事件の事だ。
改めてレース映像を見て、その稚拙さが際立っている。そして、それ以上に十勝川を怒らせているのが、下手をすればミナミベレディーの命が失われていたかもしれないと言う事だった。
「それで、回状は回ったのね?」
「はい、他からも回っているようですが、一応うちからも出しておきました」
中規模生産牧場である十勝川ファームであるが、歴史はそこそこに古く、調教師などとの繋がりも強い。
その為、今回のケースを受けて十勝川ファームでは、事件の全容が解明されるまでは日比野騎手の騎乗をさせないように、関係のある調教師へと書面を回していた。
「北川牧場との関係構築は順調、大南辺さんとも良好。このまま順調に、何とかミナミベレディーとサクラヒヨリごと取り込みたいわねぇ。せめて、産駒を優先して買えるようになりたいわ」
「今年、サクラハヒカリ他のキレイ産駒牝馬達に、うちの種牡馬で種付けする事が出来ました。生まれた子供達が走ってくれると良いですね。そうすれば、ミナミベレディーの種付けで悩まなくて良いですから」
「そうね、上手くいってくれるといいわね」
十勝川の思惑としては、馬自体を購入するなどでは無く、種付けにおける主導的立場を築きたいのだった。
ミナミベレディー達の産駒が走ってくれれば、それだけで自身が所有する種牡馬の価値が上がる。併せて、見どころのありそうな産駒牝馬を購入する事が出来ればなお良い。
十勝川も、ミナミベレディーが齎してくれるかもしれない将来に対し夢を持っているのだ。
「それにしても、よくこの血統で走ったわね。姉妹揃って桜花賞を勝っているし、私もレースは見たけど運で勝てた訳でもないわ。姉妹揃って器用に走り方を変えるし、血統じゃなくて調教の仕方なのかしら?」
ミナミベレディー自体の評判は、アルテミスステークスを勝利した頃から集めていた。そして、当初の関係者や、他の調教師達の意見は揃って4歳以降の成長次第。それでも、GⅢなら勝てるかな? くらいの評価であった。
「それにしても、器用なのよね。やっぱり調教なのかしら? 一度馬見厩舎に行ってみた方がいいわよね?」
十勝川は、春の天皇賞を走るミナミベレディーの映像を見ながら、そう決断するのだった。
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