第94話 オールカマー 実況とその後の騒動 後編

 その後の経過とすると、私や他の騎手の人達が問い詰めても、日比野騎手はのらりくらりとした発言をするだけで、そのまま騎手控室から出て行こうとする。


 それを押し留めようとする騎手達が、出入り口に立ち塞がって険悪な雰囲気を作っていた。


 日比野騎手は、栗東所属のフリー騎手だ。ただ、栗東に所属している騎手は他にもこの場に居るのが、日比野騎手を批判する者は居ても、擁護するような発言をする者は居ない。


 香織としては、美浦の騎手のみならず、栗東の騎手までもが此処まで怒ってくれている事に思わず感激する。


 もし、ここで抗議するのが私一人だったら、さっさと帰られていたかもしれない。


 そう香織が思ってしまう程に、日比野騎手は迷惑そうな表情を浮かべるだけで、悪い事をしたという様子が全くない。ふてくされた様子で、強引に騎手控室から出て行こうとしていた。


 そして、次第に一触即発のような雰囲気を漂わせる中、競馬協会の人と、馬見調教師が慌てた様子で現れる。恐らく馬見調教師が抗議を行い、協会の方としても看過出来ないと判断したのだろう。


「そこまでです! あとは競馬協会が引き継ぎます」


「落ち着いてください。ここからは協会に任せましょう」


 競馬協会の人達が、日比野騎手へと視線を向け声を掛ける。


「日比野騎手、これから聞き取りをさせて頂きますので、ご同行をお願いします」


「・・・・・・判った」


 周りへと視線をめぐらし、このまま此処にいるのも拙いと思ったのか、日比野騎手は素直に同行を承諾する。そして、協会員に連れられて騎手控室から出て行く日比野騎手に、他の騎手から声が飛ぶ。


「おい、謝罪の一言もないのかよ! 態とか、そうでないにしても一言鈴村騎手に謝罪しても良いんじゃないのか?」


 しかし、その言葉に一切反応する事無く、日比野騎手は立ち去るのだった。


 その後ろ姿を複雑な思いで見ている香織と騎手達であったが、その後、一転して誰もが鈴村騎手へと声を掛けて行く。


「鈴村騎手、今回は難儀だったな。まあこれ以上は、俺達は出しゃばれんからなあ。ただ、何かあったら言ってくれ」


「事故が無くて良かったわ。しっかし、今回思ったが、中央も地方もこういうのは変わらんなあ」


「しっかし、下手な妨害やったな。あれじゃあ、誰だって妨害だって判るって」


「ほんとだよな。でもさ、鈴村騎手も良くあんなコース取りしたわ。後ろから見てて、おいおいって吃驚したわ。しかも、それで勝っちまうしな」


「それそれ、やっぱ中央のGⅠ馬は違うなって思った」


 地方競馬から来ていた東浦騎手と、佐賀騎手の二人が顔を見合わせて苦笑いをしていた。


 そして、徐に鈴村騎手を見て、近づいて来て挨拶をして来る。


「いやぁ、鈴村騎手ですよね! はじめまして。名古屋競馬場所属の東浦って言います。女性初のGⅠ騎手、凄いですねぇ。良ければ握手してください」


「え? え? は、はあ」


 東浦騎手が挨拶とともに手を差し出してくる。


 香織は、戸惑いながらも握手をする為に手を出そうとすると、美浦所属の他の騎手が割り込んで来た。


「いやあ、東浦騎手、お久しぶりです。前にユニコーンステークスでご挨拶した長崎です。先日以来ですね」


「あ、長崎騎手。いま俺は鈴村騎手と会話を」


「東浦騎手、紹介しますよ。同じ美浦所属の志賀騎手で、先日の・・・・・・」


 香織は、美浦所属の騎手達が、次々と東浦騎手に挨拶に行くのをみて驚いていた。


 もしかして、地方競馬で有名な騎手なのかな? 地方所属の騎手ってあまり知らないから勉強しないと。


 そんな事を思っていると、共にオールカマーを出走した騎手達が声をかけて来た為に、そちらへと意識が移る。


「しっかし、まさかミナミベレディーに差されるとは思わなかったよ。ゴールして抜かれた馬を見て吃驚したね」


「それそれ、オーガブラザーがミナミベレディーに追い付くどころか、最後の坂で差が広がったのには驚いたね」


 2着にはオリバーナイト、3着になったのはオーガブラザー。前残りで頑張っていたカゴシマホマレは、結局の所はハナ差の4着となっていた。


「私もそこは吃驚しているんです。スタートで出遅れたのは初めてだったので」


 香織は、ついつい素直にそう発言してしまう。すると、周りにいた騎手達が黙り込んで、じっと香織を見る。


「え? な、なんでしょう?」


「いや、そっか。出遅れたのか」


「なるほど、そうだったのか」


「え? え?」


 みんなの反応に動揺する香織だったが、馬見調教師がこれまた苦笑を浮かべながら声を掛ける。


「さて、鈴村騎手、そろそろ表彰式も始まるだろう。急いで移動しようか」


「あ、はい! そうでした」


 慌てて表彰式へと向かう鈴村騎手と馬見調教師だったが、ウィナーズサークルまでの短い道中で、馬見調教師が先程の騎手達がした反応の理由を教える。


「さっきのはね、ミナミベレディーはやはり最初から先行策だったと教えてあげたようなものだね。本番前に中団からの差しを試したのか、それとも出遅れたのか、彼らも興味があったんだと思うよ」


「あ! そうすると、言わない方が良かったんですね」


「まあね。でも言ったとしても、それ程問題はないよ」


 馬見調教師はそう言ってくれはするが、ミナミベレディーがどういうレースをするか最初から判っているのと、判っていないのではやっぱり違いはあると思う。そう考えると、先程した自分の発言は、思いっきり失言だと思った。


「すいません、今後は気をつけます」


「いや、今日は本当に良くやってくれた。ネクロミアに対しても、良く対応してくれた。負けても仕方が無いと思ったのだが、嬉しい誤算もあったし、まあ良しとしようか」


「あれは、ミナミベレディーも気にしてる様子だったんです。やたらと日比野騎手が此方を振り返るので、変だなって」


「うん、まあこれ以降は競馬協会に任せよう。しかし、今は映像に残るし、何を考えたのかね。ネクロミアの関係者はこれから大騒ぎだろう。ただ、人馬共に無事でよかった」


 そう告げる馬見調教師だが、競馬協会の人と一緒にやって来たという事は、恐らくレースを見てすぐに抗議に行ってくれたのだろう。


 その後、表彰式では大南辺さんからも労いの言葉を貰い、よくミナミベレディーを守ってくれたと感謝された。


「いやあ、人馬共に怪我など無く終われてよかったよ。ネクロミアの馬主である神足さんは、顔を真っ青にしてたね。すぐに謝罪に来てくれたんだが、日比野騎手とは見習いの頃からの付き合いらしい。しかし、ネクロミアは重賞はまだ勝ってないが、重賞でも掲示板にはちょこちょこと載っている馬だし、期待していたそうだが、期待も何もかも台無しにしたな」


 表彰式では、大南辺さんが思いっきり怒りを抑えていました。聞いている限りにおいて、馬主の神足氏が今回の騒動に関与しているような雰囲気はなさそう。ただ、ネクロミアに関わった馬主や調教師、全ての人の期待を蔑ろにして、日比野騎手は何がしたかったのだろう。


「ネクロミアは5歳だ。まだ重賞勝利は無いが、それこそ、何処か重賞を勝って欲しい。それを期待出来る馬だったらしい。この先も、怪我が無い限り走らせるつもりでいたそうだが、ダークなイメージが付くと困ると顔を青くしていたね」


 その後、オールカマーの表彰式を終えると、ネクロノミヤを預託されている西澤厩舎の調教助手が謝罪にやって来た。本来は西澤調教師自身がやって来るところだが、現在競馬協会からの聞き取りを受けている為に来れず、調教助手がまずは謝罪に訪れたとの事だった。


「この度は、申し訳ありませんでした。競馬協会には全面的に協力をして原因を解明していきます。また、後日改めて西澤が謝罪にお邪魔させていただきます」


 そう言って頭を下げる調教助手も、特に何か問題のありそうな人物では無さそうに見える。


 香織は、後の事を馬見調教師に任せて、ミナミベレディーと共に美浦へと戻る準備をするのだった。


◆◆◆


 競馬協会では、緊急会議が行われていた。


「今日のレース映像は、皆さん一通り御覧になったと思います。また、パトロールカメラの映像でも、当該騎手が明らかに故意に、馬を外へと膨らまそうとする手綱捌きが確認できます」


 映像は、幾度となく繰り返し確認された。


 そして、レースに出走していた騎手達が主張する通り、ミナミベレディーが4コーナーから前に出るタイミングで、通常では考えられない手綱捌きをするのが確認できた。また、最後の直線でミナミベレディーが大きく遅れた事を確認した日比野騎手が、小さく拳を握りしめている様子も確認できた。


「テレビを見ていた視聴者からも、抗議の電話が殺到している。早期に事態の収拾を図らないといかん」


「それで? 肝心の日比野騎手は何と言っているんだ?」


「ミナミベレディーのロングスパートを封じようとしていた事は認めました。ただ、最後のコーナーでの挙動は故意ではなく、内に居ると思ったミナミベレディーが外でスパートを掛けていた為に、動揺し手綱捌きを誤ったとの事です」


 映像で確認した所、確かに内に居ると思ったミナミベレディーを見失い、外からスパートを掛けて来たミナミベレディーに驚いた様子が映っている。しかし、その後の手綱捌きは、決して故意では無かったとの言葉を信じる事など出来ない。


「どう見ても、馬を大きく外へ振ろうとしていますね」


「ミナミベレディーがコーナーに沿ってスパートをしていたなら、確実に接触していたな」


「それどころか、落馬や転倒などしていれば後続も巻き込まれた可能性が高い。大事故になっていたかもしれないんです。これは許される事ではない」


 複数の馬が巻き込まれての事故など、とてもではないが考えたくない事案だ。ましてや、今回巻き込まれかけた馬は、牝馬でありながら天皇賞春秋制覇をする可能性の高いミナミベレディーだ。


 競馬協会としては、競馬人気の復活も狙って、秋の天皇賞に向けて大々的にコマーシャルまで打つ予定をしている。併せて、桜花賞を姉妹揃って制覇、奇跡の血統などとテレビ番組が組まれている最中だ。この勢いを弱めたくはない。


「出来れば大事にしたくないのだが、せっかくミナミベレディーやサクラヒヨリ、タンポポチャなどの御蔭で、少しずつではあるが競馬人気も回復してきている。今此処で競馬に悪いイメージをつけたくない」


「ネクロミアの馬主である神足氏から聞き取った感じでは、おそらくですが、神足氏の関与は無さそうです。ハッキリ言って神足氏のメリットがあまりに無さすぎます」


「確かになあ。推測でものを言ってはいかんのだろうが、過去の事例でいくと金が絡んでいるんだろう。今回は、圧倒的な1番人気になったミナミベレディーが飛べば、それこそ馬券の金額も凄いことになる。闇賭博などであればそれこそな」


「有賀さん、想像でものを言われては困りますよ」


「とにかく、我々の中で決められる処分としては、最大で騎手免許無期限停止か」


「さて、幸いにして今回は鈴村騎手の好判断で事故にはなりませんでした。事故になっていないので、そうなると厳しすぎるのでは?」


「ここで軽くしては、第二、第三の同様の事件が起きかねん」


「それはそれとして、警察には依頼する方向で?」


「致し方あるまい。我々には捜査権などないからな。金の動きを追うなど出来ない」


「まったく、余計なことをしてくれる」


 会議室に集まった面々は、基本方針を定めながらも、上へとお伺いを立てる為の資料作成に入るのだった。

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