第92話 トッコのオールカマー

 気が付けば既にレースの当日です。


 朝早く馬運車に乗せられて、中山競馬場へと運ばれてきました。ここは、先日ヒヨリが走ったのと同じ競馬場ですね。ヒヨリにあやかって是非とも私も勝利を得たいものです。


「ブフフフン」(馬房はどこも一緒だなあ)


 レースまでの間は馬房で休憩します。休憩といっても、これからレースを走る前に故障がないかとかのチェックもされるし、リボンなんかでオメカシして貰えたりするの。リボンをしてくれている間は結構ワクワクしますね。レースでの楽しみといったらこれくらいかな?


 オメカシが終わると、検量されたり、尿検査もされたりと、私は女の子ですよ? もう少し気を使っても良いよねって思います。でも、オリンピックとかでもドーピング検査ってあったから、ましてや賭け事ですから仕方ないのかなと諦めてます。


 それに、知らないうちに変な薬を投与されるのも、それはそれで怖いですからね! そんなに速くお馬さんを走らせたいのなら、目の前にニンジンとか、リンゴをぶら下げれば良いのにね? 私なら絶対に走る気がするよ! 出来たらリンゴさんが希望です!


 頭の中でリンゴを食べる自分を想像していたら、お腹が空いてきちゃいました。レース当日だから、ご飯が少なかったの! お腹いっぱいに食べたら速く走れないのは何となく判るけど、お腹すいたなぁ。


 この寝藁、食べちゃだめかな?


 床に敷き詰められている寝藁をみて、何となくそんな事を思います。さすがに汚そうですから、本当に食べたりしませんよ!


 早く帰ってリンゴが食べたいなぁ。


 そんな事を思っていたら、ようやくレースの時間になったみたいです。


 厩務員のおじさんが、引き綱を持って私のところへとやってきました。


「ブフフフン」(早く走って、さっさと帰ろうね)


「ん? べレディーどうした? 何となく気合が感じられない気がするなあ」


「ブヒヒヒン」(お腹がすいたの~、昨日ご飯減らしすぎよ?)


「何となくご機嫌斜めっぽいな。う~ん、レース直前でこれは困ったな」


 そう良いながらも厩務員のおじさんは、引き綱をつけてパドックへと案内してくれます。


「ブヒヒヒン」(今日は牡馬も一緒なんだね。何か嫌だなぁ)


 パドックへと入った途端に、明らかに牡馬達から視線を感じます。


 流石に立ち止まってガン見してくる馬はいませんが、チラチラ見て来る馬はいっぱいいます。


「ブヒヒン!」(こっち見ないで!)


 あ、また威嚇しちゃいました。


 今度は愛想を振りまいて、メロメロにしてレースどころじゃない状態にしてやるつもりだったのです。でも、駄目ですね。性分に合わないみたいなのです。


「とま~~~れ~~~」


 とまれの合図とともに、パドックに鈴村さんがやってきました。


「あれ? もしかしてべレディー集中出来てない?」


 私の鼻先を撫でながら、鈴村さんがそんな事を言います。


「ブフフン」(集中してますよ?)


 普段と特に何か変わった事も無いですし、レースだってちゃんと判ってるし、集中も出来ているつもりです。


「そうなんだよね。ちょっと気になるけど、怪我とかでは無さそうだから」


 引き綱を引く係りのおじさんも、パドックに入る所で二人に増えました。そんなおじさん達は、やっぱり私の事が気になるみたい?


「放牧明けですからね。今ひとつ気合が乗ってませんね」


「う~ん、でも調子が悪いという訳じゃありませんから、この子も走り出すと気合が入ると思います」


 鈴村さんがそんな事をおじさん達に言うのですが、改めてそんなに私の雰囲気悪いの? 自分だと判らないのですね。でも、そう言われると不味いですね。せっかくヒヨリが先日レースに勝ったんだから、姉としても何とか勝って面目を保ちたいのです。


「ブフフフン!」(ヒヨリの為にも、がんばる!)


「う~ん、大丈夫かな?」


 鈴村さんが騎乗して、私の首をトントンとしてくれます。


 ただ、いつもは私が鈴村さんを心配する立場なのに、何か今日は逆転しちゃってる気がします。


「ブルルルン」(鈴村さん落ち着いてるね)


「大丈夫そうかな? ベレディー、次の天皇賞の為にもここは頑張ろうね」


「ブフフフフン」(持久走は出たくないの~)


 まだレース前なのに、何かどっと疲れが出ちゃった気がします。


 引き綱を外されて本場馬へと入りました。そして、いつもの様にゲートの前で、集まってグルグル回りながら枠入りを待ちます。その間にも鈴村さんが首をポンポンと叩いてくれました。


「大丈夫だよ。頑張ろうね」


「ブヒュン」(うん、頑張る~)


 そう言いながらも、何となく気合が入らないのです。きっと、持久走の事を言われたからだと思うんです。


「さあ行くよ」


 今日は5番で奇数番号なので、早目にゲートへと入りました。


 私は、特に狭いゲートの中でも気にしないのですが、未だに苦手なのか蹄でカツカツしているお馬さんがいます。何となくそのお馬さんの様子を眺めていたら、鈴村さんが何かを言いました。


 ん? 何か言った?


 そう思ったとき、目の前でゲートが大きな音を立てて開きました。


「え? ベレディー!」


 突然のゲートの音でビックリして飛び出したのは良いのですが、明らかにいつもと違い、出遅れギリギリのスタート?


 思いっきりゲートの中で集中力が途切れてて、鈴村さんの何時もの言葉すら聞き流しちゃったんです。


「ベレディー、まだ大丈夫! 出遅れって言うほどじゃないよ! 上り坂だからピッチ走法で!」


 鈴村さんに言われるままに、走り方をタンポポチャさん走法に切り替えて走ります。ただ、枠順で5番という事もあって、外側から前へと進む馬などもいて、思いっきり中団での位置取りになっちゃいました。


「このまま2コーナーまで緩やかなカーブが続くよ。向こう正面も緩やかな下りで速度は落ちないから、後半の粘り勝負だからね。4コーナーから一気にロングスパートを掛けるけど、最後の最後に急な坂があるから」


 事前に厩舎でレースの説明を何度も聞いていました。そのお陰でコースは何となくなら判ります。ただ、想定では先行しているはずの私が、今はだいたい8番か9番目くらいにいます。


 1コーナーへと入る前に、少しでも先頭に近づきたいのですが、前のお馬さんが邪魔で進めません。


「ここは我慢でコーナーに入ったら馬群は伸びるから、そしたら向こう正面の直線に入るまで出来るだけ前に行こうね」


 何時も以上に鈴村さんの説明が多いですね。多分、私の所為で予定が狂ったので、鈴村さんも必死にレース展開をイメージしているんだと思います。


 こうなった場合にどうすれば勝てるのか、それが私では思いつかないんです。だから、鈴村騎手の指示に素直に従って頑張ります!


「この坂を上ったらコーナーに入るからね。2コーナーから緩やかな下りになっていくから、そこで息を入れるよ。よし、ベレディー、ストライド走法!」


 坂を上りきった所で、指示通りに走り方を変えます。そして、ここの段階でなんとか前から5番目くらいの位置になりました。


「この直線は無理しないで、しっかり息を入れてね。4コーナーからスパートに入るけど、場合によっては3コーナーからになるかもだから」


 うん、ここは事前の作戦でも言われていました。でも、周りが簡単にロングスパートを許すとは思えないですし、ましてやこの位置取りだと素直に前に行けそうに無さそう。


 さっきから、前のお馬さんに騎乗している騎手がチラチラこちらの様子を見ていますよね。ロングスパートを警戒しているのかな? でも、何か気になります。


 おそらく警戒されているんでしょうけど、ちょっと嫌な感じがします。


 向こう正面の直線では、緩やかな下り坂になりました。その為、何となくスピードが速くなります。


 ただ、その割には誰も大きな動きが見られないのは、やはりこの後の直線の所為なのかな? 息をつくにしても、スピードが速い為に何となく休めている感じがしないです。


 そして、緩やかに3コーナーへと入っていくと、そこで後方から蹄の音がだんだんと大きくなってきました。


「もう前に出て来た?」


 ただ、5番手と今までにない位置にいる為に、進もうにも前を走る馬達が邪魔で、そこそこの速度では3コーナーに入っても前に進めません。それでも、何とか5番手まで位置を上げはしましたけど、何時ものようなロングスパートが出来ていないのです。


「前2頭は明らかに態と並走してるね。こっちがスパートするのを警戒して、外の馬とか少し間を空けてるよね」


 ですよね。しかも、その内の一頭のお馬さん。その騎手が明らかに私の事をチラチラ見ています。もうじき4コーナーになるので、前に追い付く為にもう少し前に出たいです。


 ただ、普通に前に出るには、皆さん速度がちょっと速い?


「直線の入口で、外に膨らむ覚悟で一気に前に出るよ。騎手が振り返って、その後、前を向き直ったらスパートするから」


 鈴村さんが私にこの後の展開を話してくれますけど、普通の馬は多分判らないと思うんだけどなぁ。


 そんな、不思議ちゃん化した鈴村さんが、前の馬に騎乗する騎手の動きを見て私の首をトントンと叩きました。


 再度此方を振り返るまでに、一気に近づいて横を抜けないといけませんよね。ハッキリ言って、すっごく嫌な感じがしますし。だから私は、ここでタンポポチャさんの走りを使いました。


「・・・・・・」


 鈴村さんも敢えて無言です。ただ、私の足音は当たり前に聞こえると思いますけどね。


 その為、私が横へと膨らんだ段階で相手の騎手は後ろを振り返ります。ただ、振り返った方向が内側だった為、外を抜けようとしている私を見失っていて、慌てて外側から並びかける私の方を見ました。


 その為に、状況を把握するのにワンテンポ遅れたみたいです。


 その騎手は、慌てて乗っているお馬さんを私達の方へと膨らませようとしました。でも、私は速度を上げて直線中央付近に出る様にカーブを走り抜けています。そのお陰で、膨らんだお馬さんにぶつからずに済みました。


「やっぱり! あとで絶対に抗議してやる!」


 鞍上で鈴村騎手が怒りを込めて叫びました。


 う~ん、やっぱりぶつけようとしたよね。最後に、すっごく変な手綱さばきしたもんね。


 ただ、ここで私は加速したせいで、思いっきり大回りになっちゃいました。その為、距離的には大きくロスしているので、ロングスパートになっているのか微妙です?


「ストライドに戻して! 最後の坂でもう一回ピッチ走法に!」


 直線に入って鈴村さんから指示が出ます。


 ただ、あのムカつく騎手の横を走る感じなので、更に前を走るお馬さんを捉えるのは、ちょっと厳しそうかな? と思っていたら、何かあのムカつく騎手が小さくガッツポーズみたいなのをしたのが見えました。


 お馬さんの眼は、視野が広いので見えちゃったんです。


 え? なにあれ! 自分勝てないんだよ? それなのにガッツポーズ? 私を勝たせない為だけなの? 意味わかんない!


 何かすっごくムカついて来たよ! 自分が勝つ為ならともかく、そうじゃ無くて邪魔するなんて!


 意地でも勝ってやる~~~!


 坂の手前でタンポポチャさんの走りに変えます。坂だし、加速力はタンポポチャさんの走りが一番です。


 後ろ脚に力を入れて、思いっきり脚を引き付けて蹴り出します。


 坂に入ってからは小刻みに、しっかりと地面を踏みしめて、前へ前へと跳ねるように! タンポポチャさんのスパートを思い出しながら駆け上がりました。


「あと少し! ベレディー、頑張って!」


 此処まで、勝つ事を意識して走ったのはいつ以来でしょう。


 最後のゴール板を駆け抜けた時、何とか先頭の馬を頭一つくらい躱せたと思います?


「頑張ったね! 凄いよ! やったね!」


 鈴村さんも褒めてくれました。


 私は思いっきり後からゴールして来たあの騎手を見ます。その騎手は、俯いて此方を見ようともしませんでした。


「ブヒヒヒン」(ざまあみろですよ!)

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