第91話 オールカマー前のトッコ

 サクラヒヨリが、紫苑ステークスを無事に勝って帰って来ました。


 私の時はお隣のお馬さんがぶつかって来たので何となく心配していたのですが、幸いな事に特にアクシデントも無く勝つことが出来たそうです。


 それと、レースが終わった後なのに結構元気なんですよね。レースからまだ二日というのに、引綱運動とは言え私と一緒にお散歩できるんですから驚きです。


「ブフフフフン」(ヒヨリ、良かったね!)


「キュヒヒン」


「ブルルルルン」(これでお肉にされなくなると良いね)


「キュヒュン」


 まだヒヨリは大きなレースは桜花賞だけですから、油断は出来ませんよね? でも、このまま私と同じレースで勝てると良いよね。私が去年に出走したレースを、これから走るんですよね? タンポポチャさんみたいなお馬さんが居なければ、何とかなるのかな?


 そんなヒヨリはとりあえず置いといて、私は春に走った持久走と同じレースが目標らしいのです。また持久走を走らないといけないのかと、今から思いっきり気持ちが落ち込んでたりします。


 またもや持久走かと思ったら、ほんとに気分がどよ~んとして、食べるご飯の量もちょっとだけ減っちゃったくらいです。


「ミナミベレディーは、来週末のオールカマーに出走するんですよね。手応えはどうです?」


 ヒヨリの引綱を持ったおじさんが、私の居る厩舎のおじさんに聞いています。


 今度のレースはオールカマーですか? 聞いたことの無い言葉ですね。


 レースの名前なんだと思いますが、英語なんでしょうか? 多少の単語くらいは覚えているのですが、記憶にない言葉ですね。どういう意味なのでしょう?


「ブヒヒヒン」(オールカマーってなあに?)


「ん? ベレディーどうした?」


 おじさんが私の首を優しく撫でてくれますが、やはり言葉が通じないので教えて貰えません。


 判らないと逆に気になっちゃいますよね。


 オールカマー、普通に考えたら、全ての釜? それとも鎌? でも、カマだけ日本語は変ですよね? 


 ただ、日本人って結構造語もつくっちゃうし、もしかして有りなのかな? そこが気になってお散歩が疎かになりそうです。


 でも、ヒヨリをちゃんと気にしてあげていないと、突然カプッってされますから。


 そう思ってちゃんと私はヒヨリと会話を続けますよ。


「手応えですか、もともと大きく体調を崩すのはレース後ですから。今の所は絶好調ですね。不安を上げるとすると、放牧後のレースは何故か勝ててないんですよね」


 私達は私達で会話をしていると、厩務員のおじさんが気になる事を言いました。でも、ちょっと言われて考えてみたら、確かに勝ててない? あれ? そうだね、今言われて初めて気が付きました。


「ブフフフン」(不思議ですね、何故でしょう?)


 短期放牧も含めて、放牧と名の付くものから帰って来てのレースだと、何故か勝ててないですね?


 タンポポチャさんに負けたのは2レースくらいかな? それ以外は何かアクシデントがあったりです? あ、でも今年の春に走った金鯱さんは、囲まれて負けましたね。 


「ブルルルン」(お祓いに行こ?)


 きっと、何か悪い物に取り憑かれている気がしてきますよ? ほら、そもそもお馬さんに生まれ変わるのは仕方が無いとして、人間の意識があるなんておかしいですからね!


「ん? ベレディー、どうした?」


「ブフフフフン」(お祓いしての良いと思うの)


 でも、此処でふと頭を過ったのは、若しかするとお馬さんに取り憑いてるのって私とか? お祓いすると祓われちゃう?


「ブヒヒヒヒン」(お祓いは止めましょう!)


 何か危なそうなので、危険な事は避けましょうね。きっと気のせいですよ? 次は頑張りますよ?


 厩務員のおじさんに何か宥められながら、私とヒヨリはお散歩継続です。

 ヒヨリは、まだレースを走って間がないので、この後の調教は私一人になりました。


 その後は、一人でコースを走ったり、ヒヨリとコースを走ったりしてました。でも、気が付けばあっという間に今週末がレースだそうです。


 今度のレースは阪神や京都じゃないそうなので、事前に移動する事も無く比較的のんびりしてます。その代わり、栗東へ行かないのでタンポポチャさんとも会えてないですね。久しく会えていないので、ちょっと寂しいです。


「ブフフフン」(タンポポチャさん、お元気でしょうか?)


 そういえば、レースが終わって数日しか過ぎていないのに、ヒヨリは私と一緒にコースを走っています。ヒヨリって凄くないですか? 私だったら絶対に無理ですよね。


◆◆◆


「いやぁ、オーナーも無茶を言うよなぁ」


 栗東にある磯貝厩舎では、磯貝調教師が鷹騎手を前に愚痴を零していた。


「まあタンポポチャなら、勝てる可能性は高いと思いますが?」


「しかしなぁ、芝の1200mなんざ、タンポポチャは走った事も無いぞ?」


 ミナミベレディーの宝塚記念勝利を受け、磯貝厩舎ではタンポポチャの秋のレースを検討していた。


 そして、オーナーの決断により思い切って中山競馬場で行われる芝1200m、GⅠスプリンターズステークスへの出走を決断した。今回のこの決断は、競馬協会の意向とまったく反対の選択である。


「安田記念も勝ちましたし、スプリンターズステークスも勝てば最優秀短距離馬のタイトルは獲れるでしょう。スプリンターズステークスで勝てなければマイルチャンピオンへ進んでも良いですし、逆に獲れれば当初からのエリザベス女王杯へ出走しても良いですよね」


「確かにな。まあ、流石にエリザベスとマイル両方と言われなかっただけましだが」


 そう言って苦笑する磯貝調教師だが、そんな事をオーナーが言う訳が無い事は知っていた。


 オーナーである花崎は、すでに年内一杯でのタンポポチャの引退、及び繁殖入りを宣言している。そして、タンポポチャから生まれて来る産駒達に大きな期待を抱いている。


「まあ、すでに最初の種牡馬は決めているそうですから、もっともどの馬にするかは教えてくれませんがね」


 そう言って鷹騎手も苦笑を浮かべる。それこそタンポポチャの産駒であるなら、ぜひ騎乗させて貰いたいと思っている。もっとも、親が優秀だからと言って、産駒が活躍するかは不透明ではあるのだが。


「スプリンターズステークスは中山競馬場だからな。また早めに美浦トレセンへ移動して、ミナミベレディーと会わせてやればレース自体も勝てるだろうよ」


「まさかっと言えない所が怖いですねぇ」


 実際の所、レースが近くなってきた事を感じ取ったタンポポチャが、何やらソワソワしている様に感じられる。


 恐らくだが、ミナミベレディーに会えるかもしれないとの期待があるのかもしれない。そんな馬鹿な話が厩舎内で話されるほどにタンポポチャとミナミベレディーの仲は良い。


「そういえば、花崎さんが北川牧場と十勝川ファームの提携に興味を持っているって聞きましたが」


「う~ん、正確にはミナミベレディーの引退後の去就だな。あれだけタンポポチャと仲が良いんだ、一緒に繁殖に回れば良い効果が得られないかと、そんな事を話してたな」


 先日、タンポポチャの所有者である花崎氏と会食をした際、実際にそんな話が出た。どうやら、大手のクラブがミナミベレディーに興味を持ったようで、酔った時にクラブに取られるくらいならと、そんな事を零していたのだ。


「まあ、あの馬は晩成タイプですし、間違いなく5歳の間は走らせるでしょう。6歳は微妙ですね? どうなのかな? 全妹のサクラヒヨリと思いっきりタイプが被りますしね」


「そうだな、先日の紫苑ステークスの勝ち方を見ると、エリザベス女王杯でも油断は出来ないな」


 サクラヒヨリはミナミベレディーと違い、1レース毎に大きく体調を崩す事も無い。その為、秋華賞の後は確実にエリザベス女王杯へと出走してくるだろう。そして、タンポポチャがエリザベス女王杯に出走すれば勝ち負けを競う事となる。


「何となくですが、サクラヒヨリの適距離は芝1800mから2200mくらいな気がしますね。恐らく芝の3000m以上は厳しそうですよ」


 先日のレースを見て思ったのだが、やはりミナミベレディー程には器用にレースで走り方を変化させていない。あの馬は別格に特殊なのだと思う事にするが、それ故に春の天皇賞では圧勝したのだ。


「来年の春の天皇賞も、ミナミベレディーの連覇が濃厚だな」


「まあ、長距離になればなるほど有利っぽいですからね、あの馬は」


 ミナミベレディーが出走するレースでは、ライバル馬に騎乗する可能性が高い鷹騎手は、思わず苦笑を浮かべる。


「ただな、芝2000mから2500mとなると、まだまだ隙はある。展開次第だな。鷹騎手だって負ける気は無いんだろ?」


「当たり前ですよ。負けて良いと思って騎乗した事なんかありませんからね。まあ、とにかく目の前のスプリンターズステークスでタンポポチャを勝たせる事に全力を注ぎます」


 鷹騎手はそう告げると、タンポポチャの様子を見に馬房へと向かうのだった。

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