第86話 北川牧場放牧中の3頭+1?
北川牧場に帰ってきて、そろそろ一月くらいになるのでしょうか? 毎日、ヒヨリや妹ちゃん改め、フィナーレちゃんと一緒に牧場を駆け回っています。特にあの懐かしい丘を行ったりきたりするのです。
私やヒヨリにとってはお遊びの範疇ですが、フィナーレちゃんにとっては大変なようです。軽く走る私達について来ようにも、どうしても走り方が丘を登るのに適していないので遅れちゃいます。
「ブフフフン」(そうですよ、もっと小刻みに走るんですよ)
最近は、良くこの様にヒヨリと私の二人でフィナーレちゃんを追い立てます。
ここ数日で、漸くフィナーレちゃんも坂を上るときには走り方を変える必要があるって覚えてくれました。まだまだ私達からするとぎこちない走り方ですが、このまま毎日繰り返せば身につくかな?
ただ、私と一緒で直ぐにコズミになっちゃうので、休ませながら、様子を見ながら走らせています。
「ブヒヒヒヒン」(頑張らないとお肉にされますよ~)
鈴村さんではないですが、夜はよくみんなにお話をしてあげます。
如何に頑張らないと悲惨な運命が訪れるのか、そこは真剣に語りますよ。伝わっているかは判りませんが、それでもフィナーレちゃんは結構ちゃんと聞いてくれます。
ヒヨリですか? あの子は私が話し始めたら、さっさとお母さんのところへ行っちゃいますね。結構お母さんに甘えまくりで、ちょっと悔しいです。
「ブフフフン」(フィナーレちゃん、ハムハムしてあげるね)
「キュフフン」
フィナーレちゃんの首から背中にかけて、優しくグルーミングしてあげます。
フィナーレちゃんも気持ちよさそうに目を細めていました。
そんな私達の周りを、なぜか遠巻きにチョコチョコしている甥っ子君。そう、ヒカリお姉さんが生んだ幼駒君なのですが、なぜか私達の周りをウロウロするんですよね。
「ブフフン」(何かありますか?)
私が顔を上げて甥っ子君を見るのですが、そうすると慌てた様にヒカリお姉さんの方へと逃げていくのです。なんなんでしょう?
「キュフフン」
「ブヒヒヒン」(はいはい、まってね)
私は中断していたグルーミングをまた始めてあげます。
桜花ちゃんは週末のお休みには必ず帰ってきてくれます。帰って来ると、私の引き綱をもって一緒にお散歩します。
「でね、学校の実習はまだ座学が殆どなんだけど、こないだは近くの牧場へ見学に行ったんだよね」
桜花ちゃんは学校での出来事を、お散歩しながらしてくれます。
ただ、最新の牧場、それも酪農家のお話をされてもですよね? それと、私が思っていた花の女子大生とは何かぜんぜん違いませんか? お洒落は? キャッキャウフフは? 話している相手はお馬さんなんだから、隠さなくて良いのですよと思っていたんですが、隠すも何も本当に何にもなさそうです。
「ブフフフン」(最新の搾乳機をそんなに熱く語られてもですね・・・・・・)
流石の私も困惑が隠せませんよ?
そして、気がつけばあっという間に時は流れちゃって、なぜか私とヒヨリ、フィナーレちゃんの3頭揃って美浦トレーニングセンターへ帰る日になりました。
最初はヒヨリだけ先に帰るとか言ってたのですが、ヒヨリだけ1頭先に帰したらその後の調教に影響が出そうだという判断をしたみたい? そこで、私の様子を見に来ていた調教師のおじさんが、どうせならと3頭一緒に帰すことを決めたみたいです。
「ブヒヒヒヒン」(もう少しのんびりしてたかったな)
何と言いますか、今回の放牧はですね、ヒヨリとフィナーレが居たおかげで絶えずど駆けっこする事になっていました。全然のんびりと出来なかったので、休めた気がしませんよ。
おかげで今回はすらっとしたスタイルのままなので、帰ってからのダイエットなどを心配する事無く帰れますけどね!
馬運車に乗せられながら、何となく思い出した温泉ですが、帰りもやっぱり寄ることもなく帰ってきちゃいました。
一度は温泉かけ流しを堪能したいなぁ。
◆◆◆
武藤調教師は、サクラヒヨリとサクラフィナーレの状態を見るために北川牧場へとやって来ていた。
すると、驚いたことに牧場への私道へ向かう所には、しっかりとゲートが出来ていた。更には以前には無かった看板までも設置されている。
「此処からは私有地のため、許可無く立ち入りは禁止か」
その文言の下には無断侵入の際の罰則も書かれており、牧場への連絡先も記入されている。
そして、ゲートを過ぎると直ぐに牧場の建物が見えてくるが、その手前には小さな小屋が出来ている。私の車を見つけた為だろう、警備員の格好をした年配の男性が小屋から出てくるのが見えた。
「おや、大西さん、ご無沙汰ですね。馬の様子を見に来ました」
「ああ、聞いております。あちらへ車をお停めください。事務所には連絡しましたので」
「ありがとうございます。それにしても、小屋まで作ったんですね」
「ええ、待機場所が無いと何かと不便で。助かりましたよ」
先日、サクラフィナーレを北川牧場へ連れて来るときにも、武藤調教師は警備員の大西とは顔を合わせていた。その為に簡単な挨拶だけで、すんなりと中へと通してくれる。
そして、北川牧場の事務所へと挨拶をした後に、さっそくサクラヒヨリとサクラフィナーレを見に行く。すると、実に仲よさそうに4頭の馬が牧場内を走り回っているのが見える。
「ん? あの小さいのは今年の幼駒かな?」
ミナミベレディーとサクラヒヨリ、その2頭に比べ一回り小さなサクラフィナーレ、そのサクラフィナーレと比べても更に二回りは小さい子馬は、前を走る3頭の後ろをチョコチョコと追い掛けているのが実に微笑ましい。
「しかし、本格的な調教だなこれは」
先頭を走るのはミナミベレディー、その後ろにサクラフィナーレ、そのすぐ後ろをサクラヒヨリが追い立てるように走っている。前後の2頭は余裕の様子だが、間のサクラフィナーレには何となく必死さが感じられた。
「あれは体力もだが、メンタルも鍛えられるなぁ。それにしても、ヒヨリはフィナーレとあんなに仲がよかったか?」
同じ厩舎であるから幾度も顔を合わせている。ただ、一度もサクラヒヨリがサクラフィナーレを気にした所を見た事はなかった。ミナミベレディーと一緒だからこそ、気にかけるようになったのだろうか。
「ヒヨリ~! フィナーレ!」
2頭は自分たちを呼ぶ声に反応し、立ち止まってチラリと此方を向く。
武藤調教師は2頭にわかる様に再度呼びかけ、大きく手を振った。2頭とも武藤調教師を眺めていたが、直ぐに離れたところで立ち止まっていたミナミベレディーを追いかける。そして、再度追いかけっこが始まってしまった。
「こ、これはくるな・・・・・・」
がっくりと項垂れて柵に寄りかかる武藤調教師だが、次第に馬の蹄の音が近づいて来た為に、期待をこめて顔を上げた。
「・・・・・・うん、ヒカリ、久しぶりだな」
目の前には、以前自分が世話をしていたサクラハヒカリがやって来て、思いっきり何かくれという表情で顔を突き出していたのだった。
その後、持って来ていた氷砂糖を一つサクラハヒカリへと与え、久しぶりにサクラハヒカリを撫でながら3頭プラス1が気の済むまで走るのを眺めていた。そして、その走りを見ながら、やはりフィナーレをミナミベレディーと放牧に出して良かったと思った。
「明らかに走り方がしっかりしてきたな。丘への走り方もミナミベレディーやヒヨリに似てきている。やはり自然界では親や周囲の馬から走り方を学ぶのだろうか?」
だが、そうしたら調教師ってなんなんだ? 馬のほうが調教というか指導が上手いなど存在意義が崩れないか?
色々な葛藤を抱えていると、傍らに居るヒカリが自分からちょっと離れる。
「どうした?」
思考に嵌っていた武藤調教師が顔を上げると、先ほどまで走り回っていた幼駒がヒカリの母乳を飲みに来ていたようだった。
「ん? 今年のヒカリの子馬は確か牡馬だったよな」
そう思って見ると、目の前にいる馬は確かに牡馬である。
サクラハキレイ産駒の牡馬は走らない。これは調教師達の間でもある意味有名な話だ。もっとも、何頭かオープンクラスにはなっているが、ようは重賞を取れていないということである。
そのような繁殖牝馬は多いのだが、産駒牝馬での活躍がある為に、いつの間にかこう言われていた。
「ほう、見た感じは悪くは無いな」
まだ生まれたばかりの幼駒である。その為、まだまだ判断は難しいが、それでも今頃の幼駒とすれば悪くないどころか良い感じに思えた。
そして、先ほどまでの様子を思い浮かべる。
「そうか、あの3頭を追いかけていたからか」
恐らくだが、遊びの延長であの3頭を追いかけ始めたのだろう。ただ、その行動が自然と体を鍛えることに寄与したのだ。この頃の幼駒は母馬から離れないために運動量はそれ程多くは無い。
「これは、牡馬とはいえ、そこそこいけるかも?」
母馬の母乳を必死に飲んでいる子馬を見ながら、武藤調教師はこの出会いに感謝し、急いで牧場事務所へと戻るのだった。もちろん、このヒカリの産駒を自分の厩舎に預けてほしいと頼むために。
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