第84話 トッコと妹ちゃんと姪っ子ちゃん
療養中に聞いた厩務員さん達の会話の中で、お馬さんでも入れる温泉の話が出ました。
「キュフフフン」(温泉いいなぁ、ゆっくりしたいなぁ)
馬房に来た調教師のおじさんに、思いっきり上目遣いでお願いしてみました。声色も思いっきり甘えモードです。
※トッコは寝藁で寝転んでいます。
「ん? よしよし、元気が出て来たな。だいぶ体重が回復して来たし、今日は飼葉も少し増やしておくか」
「キュフフン」(違うの~温泉なの~)
調教師のおじさんにおねだりしているんですが、全然言葉が通じません。
むぅ、露天風呂とかって行った事が無いんですよね。お馬さんが入る事が出来る温泉って、お猿さんが来る温泉とかあんな感じでしょうか? でも、お馬さんが入ったらお湯がドバーって出ちゃいません? そうなると、沸かしてたら大変だから天然かけ流しの可能性が大ですよね!
天然温泉に思いを馳せて、何度か温泉に行きたいよって訴えかけました。ですが、残念ながら私の願いは届かずに予定通りに北川牧場へ移動する事となりました。
「ブフフフン」(桜花ちゃんに会えるから別にいいもん!)
天然温泉への熱い思いを、桜花ちゃんに出会える気持ちで何とか抑え込みます。
ちなみに、今日は一緒に北川牧場へと帰る妹と事前の面会だそうです。久しぶりの御対面かな?
でも、お母さんが怖くて妹ちゃんとは殆ど交流出来てないんですよね。牧場で一緒に遊んだヒカリお姉さんの子供は、聞いた限りでは栗東の方にいるそうです。
「ブフフフン」(引綱でのお散歩ですね)
私がお散歩コースへと向かうと、ヒヨリのところのおじさんがお馬さんを引いて待っていました。
「ブルルルン」(妹ちゃんかな?)
私がトコトコ歩いていくと、ちょっと妹ちゃんが警戒しているような気配がします。お耳がちょっとペタンってなっていますね。
「お手数をお掛けしますな。サクラハキレイの産駒サクラフィナーレです」
「何となくベレディーが来た頃に似ていますね。確かにまだ幼い感じですね」
おじさん達が話をしています。
私はすぐに近づくことなく、妹ちゃんが少し落ち着くのを待ちます。何となく繊細な感じ? ヒヨリはどちらかと言うと勝気な感じだから妹でも全然違うなぁ。お馬さんでも色々ですね。
「キュヒュン」
「ブフフフン」(お姉さんですよ~)
怯えさせないようにゆっくりと近付いて、お互いにお鼻を合わせてフンフンしてご挨拶です。その後、何となく落ち着いた雰囲気を見せる妹ちゃんに、首の辺りをハムハムしてあげます。
「ほう、フィナーレは緊張しているようだがグルーミングを受け入れたなら大丈夫そうだ」
「やはり馬でも姉妹という事で、馴染みやすいとかあるのですかね? まあ普段のベレディーはおっとりしていますから、余程警戒されない限り大丈夫かと思っていましたが」
「母馬とミナミベレディーの匂いが似ているのかもしれませんね。北川牧場ではヒヨリが母馬にべったりだそうですよ」
なんと! ヒヨリはお母さんと一緒にのんびり出来ているようです。寂しがり屋なので、お母さんが受け入れてくれたのであれば一安心ですね。
一通りハムハムして、途中から妹ちゃんもハムハムして来て、ご挨拶が終わったので一緒にお散歩です。
歩き出すと、私の後にトコトコついてくる感じで一緒に並んでお散歩しました。
段々と私やうちの調教師のおじさんにも慣れて来たようで、最後の方は楽しそうに歩いていました。この様子だと、明日の移動での心配は無さそうですね。
牧場でもヒヨリがお母さんと仲良くしているみたいですし、妹ちゃんと変に争ったりは無さそうかな? 一抹の不安はあるのですが、とにかく明日は久しぶりに北川牧場へと向かうのです。
「ブルルルン」(途中で温泉に寄っても良いのよ?)
北川牧場への帰り道の途中にあるそうなんですよね~温泉。ゆったり温泉に浸かって、美味しいリンゴを食べながら景色を楽しむとか、良さそうなんだけどなぁ。
◆◆◆
栗東にある太田厩舎を経営する太田調教師は、サクラハヒカリ産駒であるプリンセスミカミの調教状況を確認する為に、北海道にある育成牧場まで脚を運んでいた。そこでプリンセスミカミの仕上がり具合を見ながら出走させる新馬戦の日程に悩んでいる。
「サクラハヒカリ産駒で重賞勝ちはいないんだが、サクラハキレイとカミカゼムテキの産駒評価が爆上がりだからなあ」
もっとも、プリンセスミカミを所有する三上氏は、そこの所は良く判ってくれている。その為、笑いながら焦らずにじっくり行こうと言ってくれたのだが。
「予想以上に仕上がりが早いよな。いくらか予定を早められそうなんだが」
「それでも、馬体的にも、精神的にもまだまだひ弱な所はありますよ。ただ、全体的なバランスは悪く無いですね。坂路も嫌がりませんから、サクラハキレイの血統として考えると、トモの張りも悪くありませんね。意外に中団からの差しは行けると思います」
「そこは父馬ドレッドサインの血かな」
サクラハキレイ産駒の特徴でもある末脚の弱さを改善させる意図もあり、マイルチャンピオンシップを勝ったドレッドサインを種付けて生まれたのがプリンセスミカミだった。
「牝馬としては芝1600mを走れなければ厳しいですからね。まあ、思いっきりお嬢の叔母に例外はいますが」
そう言って笑う調教助手を軽く睨みながら、目の前を駆け抜けるプリンセスミカミを見る。
「悪くは無いなぁ。ただ、これと言った強みも今ひとつ感じられないんだが」
「気性は素直なんですが、やや他の馬に委縮する所がありますね。ただ、2歳としては今の所、順調だと思いますが。ただ、叔母の2頭があそこ迄活躍しているのって、騎乗スタイルも関係しますかね?」
ミナミベレディーは最初から、そしてサクラヒヨリは途中からではあるが鞭を使用していない。
恐らく鞭を使うと走る気を無くすなどの癖があるのだろう。ただ、鞭を使用しなくなってサクラヒヨリは重賞を制覇していた。結果的に見て間違った選択ではなかったという事だ。
「調教していてどうだ? やはり鞭を嫌うか?」
「まあ嫌わない馬なんて稀でしょう。ただ、それで走る気を無くすという事は無いですね」
「ふむ。ちなみに、手鞭で走ると思うか?」
「試してみましたが、今ひとつでした」
調教助手の言葉に、太田は少し考える。しかし、考えたからと言って違いが判る訳でもない。その為、すぐに考えるのを止める。
「あとは、騎手をどうするか。もっとも、その前にデビュー戦を何時にするかだが、8月に札幌で走らせるか」
「8月第3週あたりですかね。芝の1500mあたりを考えるなら、2000まで候補に入れても良いと思いますが」
「2000かあ、ただ8月に思い切って走らせるなら芝1500mだろうな。牡馬混合にはなるが、ゲートさえ失敗しなければ問題無いだろう」
プリンセスミカミはどちらかと言うと精神面でまだ幼さを残すが、晩成と言われるサクラハヒカリ産駒としては非常に仕上がりは早い。流石に6月デビューは論外だったが、今の感じでは8月中頃であれば問題なくデビュー出来そうだった。
「それこそ、GⅢくらいなら期待したい所だがな」
そう言って笑う太田調教師だが、これはミナミベレディー、サクラヒヨリの評価がGⅢなら獲るだろうという言葉から来ている。ここ最近、競馬界の一部で流行っているジョークだった。
「そうですね、これで精神面さえ鍛えられれば。美浦にいるミナミベレディーの全妹はどうやら年内のデビューは難しそうですし、伝え聞いた所ではあちらの評価は結構厳しいみたいです」
ミナミベレディーの全妹と言う事で、競馬関係者の注目は当たり前ではあるがサクラフィナーレにも注がれている。ただ、その調教の様子を見た関係者達は、口を揃えて良くてオープンまでとの評価だったと聞く。
「まあ仕上がりが遅れるのは、サクラハキレイ産駒においては普通の事だからな。ここ2年がちょっとおかしかっただけだ。もっとも、もしプリンセスミカミで桜花賞を獲れたら、それこそサクラハキレイの血統は引く手あまたになるぞ?」
「そうなって欲しい物ですね。うちもここ数年GⅠ勝利から遠ざかっていますから」
太田厩舎では、過去に3回預託馬でGⅠを勝利していた。ただし、その3勝の内訳がヴィクトリアマイル、スプリンターズステークス、フェブラリーステークスと別々の馬での勝利である。3歳クラシックなどにおいては、残念ながら掲示板にすら載った事は無かった。
「まあプリンセスミカミで桜花賞はともかく、どこかの重賞くらいは獲らせてやりたいが」
「そうですね。まあ今だとオープンまで行けば繁殖には回れそうですが」
ミナミベレディーやサクラヒヨリが活躍した御蔭も有り、サクラハキレイの産駒達には注目が集まっている。零細血統の牝馬であるからこそ、今の競馬界で生き残れる可能性が増えた。ただ、それであっても重賞勝ちしているのとしていないのでは大きく違うのだ。
「繰り返すが、あとは騎手だよな。誰に頼むか」
「そうですねぇ、悩みますね」
悩む二人の視線の先では、上機嫌にコースを走るプリンセスミカミの姿があった。
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