第78話 宝塚記念 前編

 タンポポチャさんを送り出して、次は姪っ子が来るのかなと楽しみにしていたんですが、残念ながら今月末に出走するレースに向けての追い込みで会えませんでした。


 そういえば、タンポポチャさんは無事に安田記念を勝ったみたいです。グレードが落ちたらハンディが増えるそうですし、牡馬もいるしで簡単では無かったと思うのですが、勝てて良かったです。


 ついでに、金鯱賞で私が負けたトカチマジックさんが2着だったそうです。うん、タンポポチャさんがかたき討ちをしてくれたと思いましょう。


 話は戻って姪っ子ちゃんとの面会ですが、デビュー前の2歳馬と4歳になったレース追い込み時期の私とでは、そもそも練習量が違うので見送りになったみたいです。


 もしかするとレース後に北川牧場で放牧された時に会えるかもしれませんね。でも、デビュー前だと北川牧場での放牧は無いのかな?


 そこら辺は良く判らないのですが、最近はまた鈴村さんと映像を見てのお勉強が復活しました。


「ブフフフン」(婚活はいいの?)


「ん? ベレディーどうしたの?」


 鈴村さんと一緒に映像を見ていて、そういえば平日の夜に私とこんな風に映像を見ていて良いのだろうかと疑問に思います。土日はだいたいレースで競馬場に缶詰らしいので、そうなると鈴村さんの出会いの機会は平日しか無いと思うのです。


 競馬ってシーズンオフが無いんですよね? そう考えると、騎手の人ってお休みどうしているのでしょう? もしかすると結構ブラックなのかな?


 鈴村さんだって、普段空いている平日は私の調教に付き合ってくれますし、夜は一緒に映像でお勉強。土日は競馬場で籠ってレースですか。


 うん、結婚は厳しそうですね。


 私の憐れみの眼差しを受けながらも、鈴村さんはせっせと過去の宝塚記念の映像を再生します。


「こうしてみると、重馬場は滅多にないわね。稍重と良が半分半分かな? 今年がどうなるかはまだわからないけど、良馬場になって欲しいね」


「ブヒヒーン」(良馬場が良いよね)


 流石に天候までは何ともなりません。どうせなら競馬場も野球場みたいにドームとかにすれば良いんじゃないかな?


 レースが来週末に迫っているんですが、鈴村さんから聞く限りでは天気予報は曇りのち雨みたいです。ただ、長期予報でその雨が前後にズレるのは良くある事なので、実際にはまだ確定では無いのです。


「台風が発生していないから、悪くて稍重だと思うんだけど」


 結局の所、雨が降るたびに練習は頑張ったんですが、走りはまったく、これっぽっちも改善しませんでした。


 此処に来て、鈴村さんも、おじさん達も諦めましたね!


 別にワザとじゃ無いんですよ? ただ、どうしても恐怖心を拭い去る事が出来なかったんです。せっかく馬肉になる運命から回避出来たっぽいのです。ここで怪我して薬殺処分は嫌なんです!


 晴れた日は気分よく走れるんですよ。多少疲れても頑張りますよ? だから私は晴れの日のみの出走でいいよね?


 そんな思いで鈴村さんの話を聞いています。


「ベレディー、今までの傾向だと先行馬、先行差し馬が有利なんだよ。スタート直後から下りで速度が付きやすいから、良馬場だと特に速くなると思う。そこから・・・・・・」


 う~ん、説明を聞いていると、最後の坂が厄介なのかな? ただ先行馬が有利みたいだけど、牡馬と一緒だとどうなるか判らないです。金鯱賞では周りを囲まれてスパートが思いっきり遅れちゃって、その後の直線では頑張ったけどあっさり抜かれちゃったよね。


 今度は、あんな事が無いように注意しないとだけど、どうすれば良いのでしょう?


 やっぱり先頭に立つくらいが良いのかな? 先日の天皇賞はずっと先頭だったもんね。


 最悪なのは周りを囲まれる事なんだと思います。それでも芝2200mって、多分思っているより距離は長いよね? あれ? どうなんだろう?


 先日の持久走よりは短いから、それなら最後まで持久力は持つかな? 宝塚記念の説明を見ていると、持久力勝負みたいな事が書かれているみたいです。


 持久力、持久力勝負ですか、嫌な響きですね。


 その後もいくつかのレースを見たというか、実況を聞きました。


 ただ、やはり雨の日と晴れの日では全然様子が違うみたいです。


「ブフフン」(晴れると良いなぁ)


 馬房の窓から空を見上げちゃいました。


◆◆◆


 どんよりとした雲が阪神競馬場の空を覆っています。


 土曜日に栗東トレーニングセンターへ移動した私ですが、残念な事にタンポポチャさんは既に放牧に出されていてお会いできませんでした。


 久しぶりに会えるかなと楽しみにしていたんですが、ちょっとしょぼんとしちゃいます。


「今の所は何とか、あと少しで良いから天気が持ってくれないかな」


 私の引綱を持ってパドックを周る厩務員のおじさんと、二人で再度空を見上げます。


「ブフフフン」(今にも雨が降りそう)


 空の天気と同じ様に、何となく私の気分もどんよりとしちゃいます。


 今週はずっとお空と睨めっこしてましたし、最後の最後までお空と睨めっこです。


 パドックをちょっと気落ちしながらトコトコ歩いていると、パドックの周囲に私の応援横断幕があるのに気が付きました。


「ブフン」(あれ?)


 桜花ちゃんは来られないと聞いていたので、私の横断幕があるとは思っていませんでした。


 思わず立ち止まって掲げられた横断幕を注視しちゃいます。


「わぁ、こっち見てくれた! トッコちゃん頑張ってね~! 桜花ちゃんの代わりに応援に来たよ~!」


 心なしか声を抑えた様子で、小さな声で声援を送ってくれる女の人を見ます。


 えっと、誰ですか? 桜花ちゃんの名前が聞こえますし、桜花ちゃんと同じに私の事をトッコって呼んでいますね。


 う~~ん、何か見た事が有る様な、無い様な? どうでしょうか、会った事がある・・・・・・気もする?


 その女性の周りには、テレビの人達もいますね。そうすると、テレビの人かな? そう考えれば天皇賞の時にも見たような気もします? でも、桜花ちゃんと親しいのか、トッコと呼んでくれるのは何か嬉しいですね!


「ブヒヒーン」(桜花ちゃんのお友達?)


「桜花ちゃんの為にも頑張って~~~」


 うん、何か応援を聞いていると少しやる気が出て来ました。


 そうですね、桜花ちゃんの為にも頑張らないとです!


 ブンブンと頭を振って気合を入れ直します。


 雨の日や、雨が降りそうだと気分がドヨンとしてましたけど、天気に気持ちが引き摺られたら駄目ですよね。


◆◆◆


 パドックへと来ると、ベレディーが珍しく首をブンブンと振っていました。


 普段は大人しいベレディーからすると珍しい挙動に、私はちょっと目を見張りました。それでも、近づくといつもと左程変わらない様子にホッとします。


「ベレディー、今日も頑張ろうね」


「ブフフン」(うん、頑張る)


 いつもの様にベレディーが返事を返してくれて、私はそんなベレディーの鼻先を撫でてから騎乗しました。


「うん、ベレディーいい感じだね」


「ブフフン」(うん、たぶん?)


 何となく嘶きが今一つな感じがします。ちょっと不安な気持ちになりますが、空をちょこちょこ見上げるので恐らく雨が降るのが嫌なのでしょう。


「鈴村騎手、頼むぞ」


「はい、全力を尽くします」


 本場場へと入る手前で掛けられた蠣崎調教師の言葉に、私は返事をして本馬場に入場する。


 返し馬を行いゲート前の馬溜まりへ来ると、ベレディーはヒヨリとは違い、他の馬を見る余裕があるのか立ち止まって周りにいる馬達を見回しました。


 う~ん、何となく牡馬がいる事が気になる様子かな?


「ベレディー、大丈夫だよ。牡馬の方がベレディーの視線にソワソワしているからね」


 そう告げてベレディーを落ち着かせる為に首をトントンと叩く。


「ブヒヒン」(牡馬はごついね)


 ミナミベレディーの返事には、特に気負った様子は感じられないかな。


 ただ、何時もはベレディーが私の心配をして、私が大丈夫だよと答える。それが今日は逆転しているようなのが、何となく面白くて咄嗟に零れそうになった笑いを堪えた。


「ブヒヒヒン」(鈴村さん大丈夫?)


「うん、大丈夫だよ。頑張ろうね」


 私の様子がいつもと違うので、ベレディーが確認して来たように感じた。そんな中で、GⅠのファンファーレが鳴り響きました。それと共に、スタンドからは一斉に手拍子が始まります。


 観客席に近い位置でのスタートの為、手拍子や歓声がより大きく感じました。ゲート前にいる馬の中には、突然の手拍子に落ち着かなくなった馬も見かけます。


 でも、ベレディーはまるで手拍子を楽しんでいるかの様、本当に頼もしいよね。


「さあ、ゲート入りだよ」


「ブヒン」(うん)


 すんなりとゲートに入ると、他の馬が順調に枠に入っていくのかを確認する。ゲートの中でも相変わらずベレディーは落ち着いた様子を見せていた。


「最後の馬が入ったよ」


 何時もの様にベレディーへ合図をすると、ベレディーがスタートの態勢に入ったのが解った。


ガシャン!


 大きな音と共にゲートが開く。そして、ベレディーは勢い良くゲートから飛び出した。


「ナイススタートだよ!」


 ベレディーへとそう声を掛ける。


 スタート直後は緩やかな下りの直線で、ここでまず先行争いが始まる。


 好スタートを切ったミナミベレディーは、枠順も有りまずは先頭に立つ。しかし、外枠の先行馬達も次第に前へと進み出て、先頭争いが始まる。


「この先は上りになるから注意だよ」


 私はベレディーに判るかはともかく、自分の頭で状況を整理する為にも、注意点を口にするのがレースでは癖になっていた。


 そんな状況の中、外から一気に先頭に躍り出る勢いで駆け上がって来る馬がいた。私は、その馬を先に行かせるかどうか、他の馬の動きはどうなのか、必死に状況を読み取ろうとする。


 宝塚記念は今始まったばかりだった。

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