第75話 オークス後の桜花ちゃんとレース後のヒヨリ

「おおおお! どうしちゃったの! 雨だよ、雨!」


 桜花は大学に入学してから仲良くなった友人と、札幌市の場外馬券売り場へと足を運んでいた。


 桜花はまだ1年生、それも入学して2か月未満の期間しか経過していない中で早くも友人を作っていた。そして、その友人の多くが実家は農業、畜産業などを経営している人が多く、自ずとそういった仲間であつまってしまった。


 そして、得てしてそういう人達の中には競馬に関係しないまでも、興味のある人も多く、そういった競馬サークルのような物が大学には存在していたのだ。


「凄いね! 3着に入ったよ!」


 桜花の横では、同じ1年生の能島未来が競馬新聞を手にモニターを見つめている。


 ただ、勿論20歳未満の二人には馬券を購入する事は出来ない。ただ、サークルの先輩達に連れられて、ただただ先輩が購入する馬券を羨ましくも妬ましい眼差しで眺めているのみである。


「危なかったね。北川さんから雨の日にはサクラヒヨリは厳しいって聞いてなかったら軸をサクラヒヨリにしていたかも! でも、危うく2着には入りそうでドキドキした」


「ごめん、能島さん。うちの馬が勝てなくて喜ばれても複雑だわ」


「あ! ごめんね! そうだよね。つい予想が当たって嬉しくなっちゃって」 


 能島さんの家は、岐阜県で和牛の生産を行っている牧場らしい。それなら何で態々北海道何てと思ったのだが、一度家を出てみたかった事と、北海道への憧れがあったそうだ。


 もっとも、競馬自体はぜんぜん詳しくは無く、サークルの先輩達が桜花の為にサクラヒヨリの応援馬券購入をすると言う事で、興味本位で一緒について来たのだった。


「惜しかったよな。まあ、桜花ちゃんから話を聞いていたから単勝は買えなかったけどな」


「だね。私も結局軸はスプリングヒナノにしちゃった」


 レース後にそう言って盛り上がる先輩達に、桜花は思わず白い眼を向ける。


「ぜんぜん応援馬券になってませんでしたよね?」


 桜花のその眼差しに、一斉に視線を逸らす先輩達だった。


「でも、馬かぁ、うちの大学って乗馬クラブもあるんだよね。ダイエットにもなるって言ってたし、乗馬クラブにも入ろうかなぁ。桜花ちゃんは乗馬できるんだよね?」


「うん、でも乗馬ライセンスは持ってないよ? あくまで家にいた高齢馬のお馬さん達に教えて貰っただけだから」


 小学生の頃から肌馬も引退した自分の家の馬で乗馬の練習をしていた。


 一通り騎乗出来るようになると、その後は流石に現役競走馬には騎乗の許可は貰えないが、自牧場の産駒で引退した馬を、乗馬になれるように調教する過程などでも騎乗出来るように躾けられていた。


 ただ、それはあくまで非公式と言ってしまえば非公式だ。ただ、態々乗馬ライセンスを所得する意味が見いだせない為に、桜花は未だに乗馬ライセンスは未取得だった。


「馬の世話はそれこそ一年中しているし、引退したお馬さんも運動させないと病気になっちゃうからね。だから、乗馬は出来るけど、お仕事っていう感覚が強いかな? ちなみに、乗馬より引綱持って馬と散歩する方が絶対に痩せる! あと、恐らくだけど馬の世話もすると思うから、結構大変だと思うよ? まあ、それで痩せるかもだけどね」


 大学合格後、受験で体重がモニョモニョした桜花だが、大学デビューもあるので実家へと帰ると率先してお手伝いはしている。もっとも、しないと言っても手伝わされるのだろうが。


「でも凄いよね。競走馬の牧場なんて想像もしたことが無いよ!」


 そう言ってくれる能島さんだが、能島さんの家の方が桜花の家より遥かに裕福なのだ。何と言っても能島家の畜産牧場では、全国的にも有名な高級牛を生産している。


「う~ん、まあ家業だし小さい頃からそれが当たり前だったけどね、子牛の頃から知っている牛が、お肉にされるために運ばれて行くの。牛って頭が良いから運ばれて行く時に泣くんだよ? だから、否定はしないし、そういう物だって納得しているけど、色々と悩んだんだよね」


 桜花はどちらかと言うと、今どきの女の子に見える能島さんからそんな話を聞かされるとは思わなかった。


 もっとも、競走馬も同様に生まれた仔馬の9割はお肉になる運命である。畜産の為に生まれた訳では無い分、業がより深いような気がする桜花ではあるが、そんな不幸自慢をお互いにしても意味が無い為に口にはしなかった。


「それにしても、もし馬券が買えていたら馬連で2.7倍かあ。10000円くらい賭けておけば凄いね」


「レース後に結果が出るとそう思うな。ただ、レース前に10000円を賭けれるかと言うと、学生には無理だね」


「うん、それは良く思うよね。特にレースが終わった後に」


 そんなサークルの人達を見ながらも、桜花はサクラヒヨリがオークスを惨敗せずに済んだことに安堵していた。


「もし、馬券が買えていたらヒヨリの単勝に10000円賭けてたかな? 願掛けみたいなもんだから」


 そういう意味でも、まだ20歳未満で馬券が買えなかった事にホッとする桜花であった。何と言っても、学生にとって10000円は大金なのだ。


※2005年1月の法改正で20歳以上であれば学生でも馬券を購入できるそうです。ただ、勿論ですが20歳未満は買えませんよ!


◆◆◆


 オークスと呼ばれるレースに出走していたヒヨリが帰って来ました。ただ、しょぼんとしているので、恐らく勝てなかったんだと思います。


 でもね、あんな雨の日にレースをやる方がおかしいのです! 考えても見てください。雨の日に運動会は開かれませんよ? 雨天順延ですよ? だから負けても仕方が無いのです。


 あんまり落ち込んでいるヒヨリが可哀そうなので、何時もより念入りにグルーミングをしてあげました。私だったら翌日にはもう負けたレースとか気にもしないのですが、ヒヨリは真面目ですよね。すっごく良い子だと思います!


「キュフフン」


「ブルルルルルン」(レース後はしっかり休まないといけませんよ)


 1レース毎に筋肉痛になる私とは違ってヒヨリは丈夫なのかな? レースの翌日なのにもう歩き回っています。


 見ている限りでは痛みがある様に見えませんね。やっぱり私より丈夫なのかな? ただ、レース直後なので、私と引綱でお散歩するだけでコースを走る事はしません。それでも嬉しそうにしてくれます。


「ブルルルン」(ご飯は食べれてますか?)


「キュフン」


 うん、判らないですが食べれているとしましょう。食べれてないなら此処まで元気ではないでしょう。


 そんな私達の引綱をもった人達が、今後のことを話しているのでつい聞き耳が立っちゃいますね。


「サクラヒヨリは次走は秋になりますから、今週末にも北川牧場へ放牧に出発します。ミナミベレディーとは暫くお別れですね」


「オークスも終わりましたからね。ベレディーは宝塚記念を出走してからになりますから、北川牧場へ向かうのは7月に入ってからになると思います」


「ところで、うちの武藤がですね、サクラヒヨリが出発した後で構わないのでサクラフィナーレとミナミベレディーを会わせたいと。可能であれば少し一緒に走らせたり出来ないか伺って欲しいとの事で」


「はぁ、まあ、それはなんとも。うちの馬見には一応伝えておきますが。ちなみにサクラフィナーレの新馬戦は?」


「まだ明確には決まっていなんですよ。すぐ上の姉が2頭ともGⅠ馬になってますから、プレッシャーが凄いのなんの。せめてGⅢはと思うのですが、GⅢどころかデビューすら目途が立たなくて。うちのテキの頭髪が後退しても不思議じゃないですね」


 苦笑をうかべているおじさん達ですが、サクラフィナーレですか? 聞いたことの無いお名前ですね。


 サクラ繋がりだとオーナーさんはヒヨリと一緒なのかな? もしかするとまた妹ですか? あ、もしかしたら牧場にいたヒカリお姉さんの子供でしょうか? 今一つ記憶に薄いです。


「キュフフン!」


 あの小さな仔馬がどんな姿になっているか、気になると言えば気になりますね。そんな事を思っていたら、隣を歩いているヒヨリが不満そうな声を上げます。余所事を考えていたのがバレました?


「ブヒヒヒン」(お散歩楽しいね~)


 ヒヨリの意識を他に向けないと、このままだと又もやカプッっとされちゃいますよね。


 あれ、地味に痛いのです。甘える甘噛みとはちょっと強さが違うのです。私はカプッを回避する為、ヒヨリの事を気にしているよ、お散歩楽しいねと語りかけ続けました。


「キュヒヒン」


「ブヒヒヒン」(ご機嫌は直りました?)


 何となくですが、ヒヨリと妹を会わせても大丈夫か心配になりますね。


 ヒヨリは甘えん坊ですから、もし妹をヒヨリの目の前で可愛がると嫉妬したり、拗ねたりしそうで怖いです。心配しすぎかもしれませんが、せっかくの姉妹なんですから仲良くしたいよね。


 その後、お散歩が終わって、綺麗に洗って貰って、マッサージもして貰ったら自分の馬房へ戻ります。


 ただ、何故か自分の馬房に戻ったら目の前に鈴村さんが待ち構えていました。


「ブフフフン」(あれ? 鈴村さんいたの?)


 普段なら率先して調教に来るはずの鈴村さんが、調教に来ずに私の馬房で待ち構えているのは初めてです。何かあったのかと鈴村さんの表情を見ると、ちょっと悩んでいるような? 落ち込んでいるような? 何となくそんな表情でした。

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