第72話 オークス前日のトッコとヒヨリ

「ブフフフン」(雨が止みませんね)


 ヒヨリは紆余曲折ありながらも、オークスへと出走する事になりました。


 紆余曲折ですか? やっぱり雨が気になるみたいです。ただ、聞いている感じでは、来週も天気予報は雨らしいのです。この時期は仕方が無いのかもしれません。


でも、まだ梅雨には早い気がしますよ?


 お空を見上げて、レース前のヒヨリとの調教に意識を向けます。


 昨日からシトシトと雨が降り続いているんですよね。その所為で、気分は思いっきりドヨンとしているのです。


 私はドヨンとしているんですが、一緒に調教を受けているヒヨリはなぜか楽しそうです。雨の中を元気に走っています。


 前は雨だとあんなに嫌がっていたのに、今では何か楽しみにしているみたいに見えますよね。何故でしょうか?


 まあ、理由は判っているんです。雨だと私が全然ヒヨリに勝てないんですよ!


 そもそも、雨の日のレースって脚が滑るのが怖いのです。それでヒヨリを真似して蹄を使って走るのですが、一日の長と言いますか、お馬さんの本能の差と言いますか、ヒヨリの方が私より器用に走るんです。


 そのせいで前を走るヒヨリを全然捉えられないのです!


 すっごい悔しいのですが、そのお陰でヒヨリが雨の日に走るのを嫌がらなくなりました。


 私は、前以上に雨が嫌いになりましたけどね!


「ベレディー、調教に行くよ。ほら、雨だからってそんなに嫌がらないでくれ。サクラヒヨリがまってるぞ」


 時々私に騎乗するおじさんが引綱を手にして馬房にやって来ました。


「ブフフフフン」(雨ですよ? 危ないですよ?)


 引綱を付けられて渋々私はコースへと向かいます。 でもね、諄いようですけど外は雨なんですよ? こんな日に走るなんて危険なんですよ?


「今日はダートコースで軽く流すだけで行くよ。ウッドチップは滑るし、芝も滑るし荒れるからね」


 騎手のおじさんがそんな事を言いますが、それならお休みでもいいよね? 危ないもんね。


「ブヒュン」(雨嫌い~)


 シトシトと降る雨の中を、渋々私は引綱に引かれてコースへとやって来ました。


「キュヒヒン」


「ブルルルン」(ヒヨリは元気ね)


 明日がレースなので元気なのは良い事ですよね。ただ、レース前だからこそ、雨だったら休んでも良くない?


 未だに走りたくないなぁという気持ちをずるずる引き摺っている私です。


 ただ、此処まで来てしまったので、結局は走る事になるのですが、一応ヒヨリに念を押しておきます。


「ブルルルルルン」(レース前だから軽くよ、軽く走るのよ)


「キュフフン」


 何となく通じたような、通じて無い様な? ただ、信用して走るしか無いですね。


「長内騎手、今日はベレディーが先行します。サクラヒヨリは少し遅れて直線で追い抜くように」


「はい、判りました!」


「ブヒン!」(なんですと!)


 いえ、別に抜かれるのは良いのですが、レース前のヒヨリには必要なのかもしれませんが、姉の尊厳といいますか何と言いますか。ここ最近ちょっと雨が続いて色々とピンチな気がするのですよ?


 私の感情そっちのけで、騎手のおじさんが私達にスタートの指示を出します。


 雨で、ただでさえ走り難い砂が更にズズ、ズズと脚に絡みつくような感じですね。脚を引き抜くにも力が要ります。ただ、だからと言ってのんびり走ってあっさり抜かれるのはちょっとですよね。


 タンポポチャさん走りだと少しはマシかな?


 普段のストライド走法では埋まってしまった脚を引き抜く力が弱いのか、どうしてもヨッコイショという感じになっちゃいます。


 明らかに速度が出ないので、タンポポチャさん走法に切り替えるのですが、チャッチャカした感じで少しは早く走れている気はするのですが・・・・・・何か駄目ですね。


 ドスドスドス・・・・・・


 何か私の体重が倍増したような音に聞こえます。乙女的にもちょっとどうなんでしょう?


「いやぁ、まじめに雨だとベレディーは走らないな」


 なんですと! ってまあ明らかに遅いですもんね。でもね、これは砂場のせいもあると思うの。


 芝だともう少し走れると思うのよ?


 そんな私の思いとは裏腹に、背後から砂の上を走る音が聞こえて来ました。


 ザシュザシュザシュ


 ・・・・・・音の感じが違わなくないですか?


 私がそんな事を思っている間にも、ヒヨリが背後から私に並びかけて来ました。


 ぬぅ、あ、姉の威厳が! いくら雨とは言え早々負けられないのです!


 そう思って必死に足の回転を速めます。


 それなのに、ヒヨリはあっさりと私を抜いていきました。


 勢いが違います! なんですか! いつの間に雨と砂場に適応したのですか! 


 うみゅ~~~!


 必死に走る私をヒヨリはあっさりと交わしてゴールしちゃいました。


「キュヒヒーン」


「ブルルルルルン」(真面目に勝てなかったよ~~~)


 ヒヨリは思いっきり勝ち誇っています! すっごい悔しいです! ヒヨリのあの走り方を絶対にマスターしてやりますよ! そうしたら地力の差がきっと出るんですからね!


「サクラヒヨリは雨が苦手って聞いていたけど悪くないな」


「前は雨の日はぜんぜん走る気を無くしてレースにならなかったんですよ。ここ最近ですかね、慣れて来たのかな?」


 うちの厩舎の新人騎手さんと、ヒヨリに騎乗している騎手の人が何か言っています。でもね、私の特訓の御蔭だと思うのです。


 でも、雨の日だからなぁ。う~ん、ヒヨリは絶対に雨の日は私に勝てるから気に入ったんだと断言します! だから、やっぱり私の御蔭だと言い切ります! ヒヨリは私が育てた!


「キュヒヒーン」


「ブフフフン」(はいはい、ヒヨリは頑張ってますよ)


 相変わらず調教終了すると褒めて褒めてとスリスリしてくるのです。負けて悔しいのはありますけど、やっぱり可愛い妹なのでハムハムしてあげますよ。


「本当に仲の良い姉妹ですね。馬で此処まで仲が良いってあまり聞かないですよね」


「競走馬時代に姉妹や兄弟で一緒に調教って無いからな。競走馬はどちらかと言うと気性が激しい方が強いと言われているし。そうなると、自然と事故を警戒するよな」


 私に乗っているおじさんがそんな事を言っていました。確かに見ただけでぶつかって来たお馬さんとかもいましたよね。でも、強いお馬さんは気性が激しいの? タンポポチャさんはツンデレよ?


カプッ


「キュフン」(痛いよ!)


 私が首を傾げていると、ヒヨリがグルーミングしてるから動かないでとカプリと噛まれちゃいました。


 まったく、甘えん坊さんには困ったものです。まだ洗って貰っていないからグルーミングの意味はないような気がしますが、ヒヨリの首から背中へかけてハムハムしてあげました。


◆◆◆


 武藤調教師はレース前に行うサクラヒヨリの最後の調教を見に来ていた。そして、思わず目を見張る事になった。


 今日の午前中にミナミベレディーと行った併せ馬での様子を聞いてはいた。ここ最近は雨になれたのか、少しずつ走りが変わって来ているのに気が付いてはいた。


 そして今、目の前でミナミベレディーをあっさりと交わし、思いっきり雨で重くなった砂をものともせずに駆け抜けるサクラヒヨリが目の前にいた。


「何が起きたんだ!」


 思わずそう口に出すほどにサクラヒヨリの走りが変化していた。


 もっとも、タイムを計っていた訳でもなく、芝を走っている訳でもない為に実際にはどれくらいの走りが出来るかは未知数だ。ただ、明らかに雨を嫌がらなくなっているのは好条件だった。


「しかし、・・・・・・ミナミベレディーが遅すぎて参考にならんな」


 晴れた日の芝では、未だにサクラヒヨリと比較するとミナミベレディーが頭一つは飛び抜けている。同じレースを走らせたとすると、タイプの同じ2頭では最後の最後はミナミベレディーが勝つと思う。


 ミナミベレディーには直線での粘り、最後の一伸び、サクラヒヨリには無い強みがある。それがどうしたことか、雨の中での調教となると状況は一変する。


 走らない、とにかく走らない。


 脚が重いと言うより走り方自体が変わってしまい、まさにドタドタという音が聞こえそうなほどに走り方が変わる。そして、それは当初のサクラヒヨリも似たような感じだった。


「これもミナミベレディー効果だろうか? 馬にも反面教師ってあるのか?」


 恐らく、本当に想像でしかないが、サクラヒヨリはミナミベレディーより速く走る為に走り方を雨用に変化させたのだろう。それこそ、坂の走り方をミナミベレディーに教えられたように。


「拙いなぁ、現実にファンタジーが入り込んできて無いか?」


 まあ自然界の馬が、雨の日は走りませんとか言う事は無い。それ故に、自ずと雨の中を走っていれば身につくものなのかもしれない。


「そう考えると、ミナミベレディーは走らんなぁ」


 明らかに雨を嫌がっているのが解る。


「雨の日なら同じレースでもサクラヒヨリは勝てそうだな」


 そう思うほどに、ミナミベレディーの走りは酷かったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る