第65話 春の天皇賞 前編

『晴天に恵まれた京都競馬場、春の天皇賞に出走する古馬18頭、今年はどのようなドラマが刻まれるでしょうか? 今年の注目は、昨年の覇者ファイアスピリットが連覇となるか! 昨年の宝塚記念を勝利したシニカルムールがどの様なレースを見せるのか! はたまた昨年の菊花賞馬ダンプレンが世代交代を成し遂げるのか!

 錚々たる牡馬達に対し、エリザベス女王杯を勝利したミナミベレディー、ダイヤモンドステークスを勝ちましたプリンセスフラウが牝馬ながらも参戦! 今年も豪華なメンバーが揃い踏み・・・・・・』


 パドックへ出走する馬達が入場し、競馬番組によって一頭一頭の解説が行われる。


 そして、番組の出演者達がそれぞれの予想を展開していく。


『ミナミベレディーは、2番と先行馬としては申し分のない好位置を引きましたね。スタート巧者でもありますから、恐らく先頭集団を形成し引っ張っていきますよね? ただ、やはり芝3200mという距離に対応できるかが重要になってきますね』


『そうですね。もともとステイヤー向きの馬です。先月は全妹のサクラヒヨリが桜花賞に勝利し、姉妹による桜花賞連覇という偉業を達成しました。今日は是非、ミナミベレディーにも頑張ってもらいたい所ですね』


『懸念としては未だ芝2200m以上のレースを経験していない事ですね。馬見厩舎では長距離向きの馬なのでと自信を漲らせていましたけど、牝馬での人気では2番目、芝3000で実績のあるプリンセスフラウに次ぐ6番人気となっていますね』


 やはり長距離で実績のある馬が人気の上位に位置取る。春の天皇賞で牝馬の勝利記録が1頭のみという事を考えると、牝馬が5番、6番人気と言う結果は、まだ上位人気と言えなくもない。


 ミナミベレディーの解説を聞きながら、馬見調教師は鈴村騎手から言われた今日のレースについて考えていた。


「さてさて、芝3200mでどこまで行けるかだが。作戦的には無理な作戦ではないと思いたいが、他の馬の動き次第か」


 事前に鈴村騎手から提案された作戦は、枠順が2番と好位置に恵まれた事でより理想的な展開を作りやすくなったと思える。阪神ジュベナイルフィリーズでは、初のGⅠレースという事で大失敗した鈴村騎手だが、最近の騎乗は安心して見ていられるようになってきた。もっとも、当たり前だが未だに緊張はしているらしいが。


「まあ成長して来ているのだろう。ただ、先行や逃げは兎も角、混戦はまだまだ未熟だがな」


 第4レースにて3歳未勝利戦に騎乗した鈴村騎手だったが、馬群中団と悪くない位置につけてはいた。しかし、そこから馬を上手く出せずに結局12頭立ての10着と大敗している。もっとも、騎乗した馬自体の能力も見た所厳しい物はあったのだが。


「天皇賞か、まさか自厩舎の馬が出走する事になるとは。ただ宝塚記念が天候を読めないだけに、何とかここを勝っておきたいなあ」


 厩舎としても、競走馬に関わるホースマンとしても、更には日本競馬の歴史と伝統的に見ても、天皇賞はクラシックとは違った思い入れの強いレースだった。それだけでなく、この後に控えるGⅠレースを考えると、ミナミベレディーで比較的獲りやすそうに見えるのがこの天皇賞春だった。


「ベレディーは長距離での折り合い自体は問題無いだろうからな」


 今は調教助手の蠣崎とミナミベレディーの馬房担当の厩務員が二人でミナミベレディーの引綱を手にしている。


 モニターを見ている限りでは、ミナミベレディーは気分よくパドックを回っているように見える。もっとも、終始視線はパドックを取り囲む競馬ファンへと注がれているような気がするのだが。


◆◆◆


 厩務員のおじさん達に連れられてパドックへ来ました。


 もう慣れっこになってきましたけど、今日もいっぱいの人がザワザワとパドックを取り囲んでいます。カメラを向けている人もいっぱいいますし、今日は私の写真を撮る人も多いみたいですね。私がカメラを構えた人の前に来たところで、カシャカシャとシャッターの音が聞こえます。


「ブフフン」(私人気者です?)


 何となくモデルさんにでもなった気がします。


 ちょっと気取った様子で歩いてみますよ。気分はツンツンしているお澄ましタンポポチャさんです。ご本人がいないから出来る事ですね。居たらきっと激怒すると思います。


「ブルルルル」(貴方達は見ないで!)


 何か周りにいる牡馬からの視線も増えました。貴方達は別に要らないのですよ! 私はカメラのモデルさんなのです。思わず周りのお馬さんに睨みを効かせますが、なんでしょう? あまり効果が無い様な?


「ベレディーは牡馬に人気だなぁ、美人さんだからな」


「本人は見るからに迷惑そうですね」


 引綱を持っているおじさん達がそう言って笑いますが、そもそもレース前にこのお馬さん達は何を考えているのでしょう? 明らかにレースに集中出来てませんよね。


 チラチラ感じる視線に、女子高育ちの私はだんだんイライラしてくるのです。ただ、そんな視線も止まれの合図と共に漸く無くなりました。


 騎手の人達がやって来て、騎乗した途端に雰囲気が変わります。


「ブフフフン」(やればできるじゃ無いですか)


 騎手が騎乗した途端にお馬さん達の様子が一変しました。見るからに強そうな雰囲気を醸し出していますね。


 ん? あれ? 良く考えたらさっきのままでレースでも良かった気はします?


 何となく一変する前の方が楽だったような気がしますが、残念ながら皆さん思いっきりレースモードになっちゃったっぽいです。


「キュフフフン」(愛想を振り撒くべきでした)


 威嚇するよりも、愛想を振り撒いて集中できなくするのが正解だったかも。ただ、お馬さんのセクシーアピールですか、よく考えたら難しいですよ? 人間みたいに両手で胸を強調することも出来ませんし、グラビアモデルさんみたいなポーズもとれません。


「ベレディー、何か集中できてない? 大丈夫?」


 気が付けば何時の間にか鈴村さんが鞍上にいました。


 不思議ですね、いつの間に移動したのでしょうか? というか、逆に私が集中力を奪われてしまっています。


「ブフフフン」(もしかして、罠にかかってました?!)


 流石はGⅠを勝ってきた牡馬達です。


 女子高育ちの初心な牝馬など手のひらで転がすような物なのでしょうか? これは早急にタンポポチャさんやヒヨリにも注意しておかないとですね。


「はい、行くからね」


 うんうん悩んでいると、調教師のおじさん達に引綱を引かれます。私は素直にトンネルを潜って本場場へと向かいました。


 その間にも、鈴村さんが頻繁に私に声を掛けてくれます。


「ベレディー、今日は3200m走るからね。いつもの倍の距離だから、ペース配分が重要になるからね」


「ブフフン」(判った~)


 一応、鈴村さんに返事はします。でもペース配分と言われても、実際は走った事が無いので良く判ってなかったりします。そもそも、これから3200mを走るよと言われて判って走っているお馬さんってどれだけいるのでしょうか?


 そう考えれば私がやっぱり有利だと思うのですよね。


「スタート直後から上り坂で勢いがつきにくいからね。ゲートから出てすぐに上り坂だからね」


「ブフフン」(判ってるよ~)


 幾度となく繰り返した打ち合わせです。ただ、鈴村さんは、お馬さんに作戦を話して理解できると思っている所がちょっと心配です。何といいますか、現実とファンタジーの区別がちゃんと出来ているんでしょうか?


「ブルルルルン」(白馬の王子様を待ちすぎて、年老いちゃいそうですね)


「え? ベレディー、何か言った?」


 言葉が通じなくて良かったと思うのですが、そもそも私の言葉判りませんよね?


 そんな遣り取りをしている間にも、本場場へと入ります。


 私は引綱を外されて、鈴村さんの合図で返し馬に入ってゲート前の馬溜まりに向かいました。


 すると、そこにはパドックとは様子の変化したお馬さん達がいます。何でしょうかこの変わりようは?


 ただ、良い方向に変わっているお馬さんばかりでは無さそうですけどね。


 明らかに頭をブンブン振って気が立っているお馬さんも数頭います。でも、ここで変な挑発をしてぶつけられるのは嫌なので大人しくしていますよ?


 ファンファーレと手拍子が遠くから聞こえて来ました。そして、奇数番号のお馬さんから順番にゲートへと誘導されます。そして、私も2番なので比較的早めにゲートの中へと誘導されました。


「ベレディー、大丈夫だよ。安心して良いからね」


 うん? 何か鈴村さんが何時も以上に声を掛けて来ますし、首をトントンします。


「ブフフン?」(私は落ち着いてますよ?)


「あ、ベレディー、ごめんね。ヒヨリの時の感覚だった」


 なるほど、ヒヨリはちょっと神経質ですもんね。私が鈴村さんの様子に納得している間にも、枠入りは順調に進んでいるようです。こんな時だってちゃんと周りの様子を見ているんですよ。


「最後の馬が入ったよ」


 いつもの様に鈴村さんが合図をくれます。


 私も馬体をグッと沈めてスタートの準備をしました。


ガシャン!


 大きな音を立ててゲートが開きます。


 私は、いつもの様にスタートを切りながらも、スタート直後にある坂を駆け上がる事を意識して、最初からピッチ走法に近い走り方でスタートしたのでした。

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