第64話 春の天皇賞 前のトッコとタンポポチャさん

 私は、今週ついにレースと言うことで、栗東トレーニングセンターへ又お邪魔しています。


 今回はちょっと早めにお邪魔しているんですが、そのお陰かわかりませんがタンポポチャさんとお会いすることができました! そういえば、タンポポチャさんって栗東にお住まいだったんですよね。


 なんでもタンポポチャさんはヴィクトリアなんちゃらという4歳以上の牝馬GⅠに出るそうで、残念ながら私が出走するレースではご一緒できないそうです。


 それで、何でお会いできたのかというと、良くわからないのですがテレビ番組のお陰? ただ、やたらとテレビカメラとか、マイクとかを持った人達がいて、タンポポチャさんがちょっとピリピリしている感じですよ?


「ブフフン」(お久しぶりです?)


「キュフン」


 何となくご機嫌斜めっぽいので、早めにタンポポチャさんに近づいて、お互いに顔をスリスリしてご挨拶します。そして、首の辺りををハムハムしてグルーミングを始めました。


 うん、何か周りが更にザワザワと煩くなりましたね。でも、私達はそんな事は気にせずにハムハムしています。


 私なんかも、牧場にいるときはともかく厩舎にいる時なんかは基本的には他のお馬さんとの交流はないのですよね。タンポポチャさんも同じだと思うので、私に会えて今日は嬉しそうにしてくれてます? 競馬場では無いからか、いつも程にツンツンした感じがないですね。


「うん、お互いに落ち着いたかな? そろそろ、併せ馬に入りたいんだが」


 タンポポチャさんの引綱を手にしたおじさんが、何か話しかけて来ました。でもですね、私にはその決定権はありませんよ?


 おじさんが引綱をツンツンして、タンポポチャさんに睨まれています。そこで漸くグルーミングは終わって、調教コースに移動しました。


「それでは、馬なりで軽く併せ馬を始めましょう」


「先行はべレディーで行きますか?」


「ミナミベレディー号は今週レースだから、後ろからの方がよいのかな?」


「いえ。前を走らせて、その後タンポポチャ号が抜きたければ抜いていただいても構いません。この子はあまりそういうの気にしませんから」


 レース前の併せ馬では、出走する馬の気持ちが重要になって来ますよね。その為、併せ馬の方法もそれぞれ馬に合わせた感じで行われるんですが、私はあんまり気にしませんからね。


 鞍上の鈴村さんとタンポポチャさんの騎手さんが何か打合せをしていますが、タンポポチャさんと一緒にコースを走れるのかな? 勝ち負け関係なく一緒に走れるのはなんか楽しみです。


 そのままコースへと出ると、どうやら私と一緒に走れるのが判ったタンポポチャさんが頭をブンブン上下させています。


 うん、なんかすっごい楽しみにされているようで私も嬉しいのですが、なんか気合が入りすぎてないでしょうか?


「ブフフフン」(のんびりでいいのよ?)


「キュヒーン」


 うん、なんでしょうか? タンポポチャさんの瞳にメラメラと炎が見える気がしちゃいますね。


 ただ、私はそのまま手綱の指示を受けてコースへと軽い速度で走り始めます。そして、1馬身くらい後ろからタンポポチャさんがついてきます。


「よし、そろそろ行こうか」


「判りました!」


 どうやらタンポポチャさんの騎手さんのほうが偉い人? 鈴村さんの声が若干硬いですね。鈴村さんの指示を受けて私は速度を上げました。


 今日のコースはウッドチップというコースで、走った時にちょっとクッションが効いている感じです。何となくですけど、私はこのコースは好きかな。


 私が先行してタッタカ走っていると、後ろから一気にタンポポチャさんが走って来て、一気に追い抜いて行こうとします。鈴村さんの指示で、私は抜かれないように更に加速しました。


 それにですね、あんまり簡単に抜かせちゃうとタンポポチャさんの後が怖いのです。そして、タンポポチャさんと並んだ状態で直線へと入りました。


 チラリと横へと視線を向けると、タンポポチャさんもチラチラと視線を送っているのがわかります。


 そして、前方に仮設のゴール板が見えた所で、二人で更にもう1段加速して勝負をしました。


 うわ~~ん! 負けちゃいましたよ! 思いっきり置いていかれました。よーいドンだとやっぱり加速でタンポポチャさんには勝てませんでした。


「キュフフン」


「ブヒヒーン」(負けちゃった~)


 タンポポチャさん、非常に嬉しそうですね! なんかご満悦って表情をしているのがすっごく悔しいです!


 ほ、本番は違うんだからね! こうなったら今週のレースで鬱憤を晴らしてやる!


 一緒にレースみたいに走るのは、結局その1回だけでした。


 その後、一緒に綺麗にしてもらった私は、私に勝って満足したタンポポチャさんにハムハムされています。まぁ、勿論私もお返しにハムハムしてあげるんですけどね。


「最後の200mはちょっと焦ったな。あそこまで走らせるつもりは無かったんだが。ミナミベレディーは大丈夫かい?」


「はい、私もビックリしましたけど許容範囲のスピードでしたし。でも、やっぱり2頭ともゴールとか判っているんですね。あの仮設のゴール板を意識して遊んでましたね」


「ああ、あれには驚いたね。しかも、息をぴったり合わせてスパートするとは思わなかったな」


 鈴村さん達の会話が聞こえてきます。ただ、これで今日の調教も終わったみたいですね。


 テレビカメラを持った人が未だに右往左往していますが、あの人たちはまだお仕事中なのでしょうか?


◆◆◆


「お疲れさん、鈴村騎手も鷹騎手もどうだ? 手応えは良さそうだね」


「レース前の馬なりにしては気合が入っていたね」


「磯貝調教師、馬見調教師、あれは私達というより馬達が思いっきり楽しんでの結果ですよ。最後なんて完全に競争を楽しんでましたから。どうですか、あのタンポポチャの満足そうな顔」


「思いっきり勝ち誇っているな」


「まあ輸送での疲れもなさそうだし、べレディーも調子が良さそうなので一安心だね」


「べレディーも、レース前というのは判っていますから。無茶な事はしないと思います。私達も気を付けてはいますけど」


「どっちの馬も無理はしてない遊びの範囲だね」


 それぞれの騎手が、各馬の調教師達に調教の様子、馬の状態などを伝えていく。


 一通りの報告を終えた所で、引き綱をつけて洗い場へと馬を誘導していった。その様子を後ろから着いていきながら両調教師はお互いに会話を交わしている。


 調教師達は、当初テレビ局の要請をどうしようか悩んでいた。ミナミベレディーはレース前の大事な時期だ。それ故に、2頭を調教でとはいえ併せ馬させる事にどうしても慎重になる。

 そこを競馬協会とテレビ局の強い要望でゴリ押しされたタンポポチャとミナミベレディー両馬の併せ馬だったが、やらせて見ると意外にこの感じは悪くないのではと思っていた。


 特に馬同士がリラックス出来ているのが良い。


「うちのタンポポチャが再来週そちらへ行きますので、宜しければ同じようにご一緒に調教できれば」


「ああ、それは構いませんが、その時べレディーが調教をつけられる状態にあるかどうか。あの馬は1レース毎に体調を思いっきり崩すので」


「ああ、そういえばそうでしたな」


「特に芝3200mですから、ベレディーの疲労具合が読めないんですよ」


 最近のミナミベレディーは、以前と比べるとレース後の疲労は其処迄大きくはない。とはいっても、春の天皇賞はそれこそ芝3200mと長距離になる。


 未だ未知の距離であるだけに、その際の疲労がどれ程になるかは判っていない。若しかすると、またいつもの様にコズミで動けなくなるかもしれない。


「それにしても、あの2頭は不思議ですね。あんなに仲が良いとは」


「そうですね、特にうちのタンポポチャは血統から言っても気性が激しいはずなんですが。負けん気が強いのは相変わらずですが、最近では気性が激しいとは言われなくなりました。そのお陰でレースでも掛かることもなく、成績を出せてますな」


 そう言って笑う磯貝調教師だが、それを言ってしまえばレースが被らないからと言ってライバル同士での併せ馬はそれこそ滅多に行われない。まさにテレビによって生まれた奇跡だった。


「当初はどうかと思っていたんですが、この番組の企画を受けて良かったと思いました。タンポポチャは、どうしても遠征するとイライラする所が出るんですが、今後は関東へ遠征してもミナミベレディーに会わせれば落ち着いてくれそうです」


「うちのベレディーも同様ですよ。あまり移動を苦にはしませんが、レースへ向けて気合乗りしてくれそうです」


 馬見調教師と磯貝調教師は、お互いに顔を見合わせて笑顔を浮かべる。


「たしか、先日は北川牧場と十勝川ファームで馬のお見合い会を開いたとか。良い産駒が生まれてくれると良いですなあ」


 磯貝調教師が唐突に話題を変え、馬見調教師へと尋ねて来た。特に隠す事でもなく、そもそも自厩舎の話ではない為、馬見調教師も話を合わせる。


「さすがですね、良くご存知で。実際の所、北川さんの牧場も中々に厳しいみたいですからね。サクラハキレイは引退しました。その後継の繁殖牝馬達で何とか重賞勝ちが欲しい所でしょうが、そこは中々厳しいみたいで」


「GⅠ馬が生まれたからと言って、その姉妹が走るとは限りませんからな。確か、今年のキレイ血統産駒は牝馬が1頭だったとか」


「らしいですね」


 生まれた子馬の情報をさりげなく聞き出そうとする磯貝調教師に、馬見調教師は惚けた様子で情報を渡さない。


 今年のミユキガンバレが産んだ牝馬は、中々に期待できそうだという情報も貰っていた。残念ながらサクラハヒカリとヒダマリガンバレの産駒は牡馬との事だっだ。


 わざわざ有望な馬の獲得競争者を増やしたくは無いが、どうせ調べるんだろうなあ。


 そんな事を思いながら、漸くグルーミングを終えた2頭を引き離し、馬見調教師はべレディーの手綱を引きながら馬房へと戻るのだった。

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