第62話 桜花賞 その後2

「ただいま帰りました~」


 サクラヒヨリの桜花賞を終え、その日の夜の便で札幌へと戻った恵美子は、札幌の桜花のアパートで一泊し翌日の朝に北川牧場へと戻った。


 桜花が大学へ行くのと同じタイミングでアパートを出た為に、昼近い時間になってしまった。その為、急いで事務所にへ入ると、事務所の電話は受話器を外されたまま放置されているのが判った。


「何かしら?」


 恵美子が首を傾げ受話器を電話に戻そうとした時、牧場の方から午前中の作業を終えた峰尾が戻ってきた。


「おお、お帰りって、あ、受話器は戻さないでくれ!」


「え?」


 峰尾の言葉に首を傾げる恵美子だったが、話を聞くと昨日の桜花賞でサクラヒヨリが勝って以降電話が鳴りっぱなしで仕事にならないとの事だった。


「知り合いからの祝福の電話とかなら良いが、知りもしない人から今年生まれたキレイの産駒が欲しいだの、テレビ局の誰々だの、終いには投資会社だなんだと変な電話ばかりでな。もう受話器を外しておこうと、どのみち親しい人達は携帯に掛けて来るだろうからな」


 最初は丁寧に応対していた峰尾達だそうだが、サクラハキレイは既に繁殖牝馬を引退している。その説明をするのだが、それなら今年またカミカゼムテキの種付けをして来年の産駒が欲しいなど身勝手な事を言い出すらしい。


「それは困ったわね。いくら携帯電話があるから良いとしても、中には必要な電話もあるかもしれませんし」


「ああ、一応通販で録音機能付きの電話を頼んでおいた。それで少しは変な電話が減ってくれると良いのだが」


 競走馬の生産牧場を経営している北川牧場であるが、やはり顧客は多い方が産駒の売れ残りリスクは回避出来る。しかし、その産駒数がそもそも多くはない北川牧場としては、今いる常連さんで事足りているのが実情だった。


 ただ、副業で行っている乳牛の飼育によるチーズなど乳製品の販売などで電話が掛かって来る事もある。その為、事務所の電話が使えなくなることは困るのは困る。


「変に活躍してくれるのも困った物なのね」


「しかし、キレイの産駒牝馬が今いたら幾らになったんだろうな?」


「もう少し早く活躍して欲しかったわねぇ」


 そう言いながら笑う恵美子であるが、峰尾は峰尾で少し困った様な表情を浮かべる。


「それでも、もし此処に所有者の決まっていないキレイ産駒の牝馬がいたら揉めていただろう。居なくて良かったのかもしれないな。所有できなかった人に変に恨まれるのもなぁ」


「そうね、そういう可能性もあったわね。平等にセリに掛けると言ってもよね」


 良かったのか悪かったのか、思わず溜息が洩れる二人だった。


◆◆◆


 ミナミベレディーとタンポポチャのドキュメンタリー番組を制作した某テレビ局のADは、北川牧場へと幾度となく電話を掛けてはいる。しかし、ずっと話し中で繋がらない事に焦りを浮かべていた。


「おい! 岩田! どうだ連絡は付いたか!」


 ドキュメンタリー番組を制作したプロデューサーである都築が、番組制作室へと入って来た早々に岩田へと確認を入れる。


「それが、朝から幾度となく連絡しているんですがずっと話し中で」


 岩田の言葉に、都築は顔を顰めた。


「まあ色んな所からの祝いの電話とかあるだろうからな。ただ、朝からずっとか、北川氏の携帯番号は判らないのか?」


「私は知りません。馬のオーナーである桜川氏や大南辺氏は知っているでしょうが、どうします? まずは其方へ連絡を入れましょうか?」


 昨日の姉妹による2年連続の桜花賞勝利。その馬が昨年制作したドキュメンタリー番組で使用した一頭であった。


 その際の未使用の映像や、関係者へのインタビューも使えるだろう。番組のMCには今騒がれ始めているアイドルの細川を使えば良い。幸いにして北川牧場と懇意にしているのか、サクラヒヨリの勝った共同通信杯では牧場の代表代理を務めたほどだ。


「上手くすれば、秋には姉妹対決も有り得る。更に視聴率がとれるぞ!」


「競馬の競走馬で、そんなに視聴率がとれますかね? 先日放送したこの馬のドキュメンタリーも、視聴率は今ひとつだったじゃないですか」


 都築の意見に懐疑的な岩田だが、肝心の都築は確信を持っているようだった。


「馬鹿野郎! 初だぞ初! かつての名牝達にも成し遂げられなかった奇跡だ! しかも牝馬というのが良い。


 騎手も女性、競馬はどうしても男の色が強いが、これだけ女性に受けやすい要素があるんだ。そうだ、確か北川牧場の御嬢さんは名前が桜花だったな。桜花賞を連覇した馬の生産牧場、そこの御嬢さんが桜花だぞ!


 昨年は牧場代表だったし、今年も関係者で来ている。テレビに出ても問題ない容姿だ、よし、そちらとも交渉を」


 毎度の様に、プロデューサーである都築は自分の頭の中で出来上がっていく構想を次々と口にしていく。それを岩田は慣れた様子で要素要素を書き留めて行った。


「はぁ、とにかくまずは馬主さん達に連絡を入れる事にします。こちらは連絡が取りやすいですから。あと、アイドルの細川はプロデューサーからお願いします。私じゃインパクトが弱いですし、どうも大手芸能事務所って苦手で」


「ああ、判った。そうだな、確かミナミベレディーの次走は春の天皇賞だったな。どうせならそこら辺の絵も撮っておいても良いな」


「まあ、今後も番組を作る可能性があるなら撮っておいて損は無いでしょうし、恐らく妹のサクラヒヨリはオークスへ出走するんでしょう? 姉の走れなかったオークスをなんてのも出来そうですね」


「おおお! 岩田、お前も出来るじゃ無いか! よし、早急に取材班を作らんと」


 勢いよく番組制作室を飛び出していく岩田を見ながら、都築は思った。


「まあまだ番組予算すら決まってないんですがね。前回があまり視聴率取れなかったから、今回はどうなのかなぁ」


 ただ、この時ADの岩田は知らなかった。前回何故あの番組作成の許可が出たのかを。


 競馬協会は年々下がる競馬人気を上げる為に、それはそれは必死であったのだ。それが故に今回の企画を持ち込まれた段階で、簡単に競馬協会はスポンサーに名乗り出るのだった。


◆◆◆


「ブヒヒヒーン」(ヒヨリ、凄いね、頑張ったね)


 私は阪神競馬場から帰ってきたサクラヒヨリに、必死に良い子良い子してあげています。


 ヒヨリもちゃんと判っていて、褒められると何処か満足気な様子です。


 勝てれば良いなくらいに思ってたんだけど、見事に桜花賞を勝ってくれたのです。ちゃんと褒めてあげないと駄目ですよね? さっきからずっとハムハムしてあげてて、ちょっと疲れて来たんですけどね。


 ヒヨリが桜花賞を勝った事は、わざわざ調教師のおじさんが教えに来てくれました。


 うん、これで来年は私が桜花賞に出れるね!


 昨年、私と激闘を繰り広げた様な記憶があるタンポポチャさん。てっきり今年も出走して、リベンジするのかと思っていたのです。でも、どうやらその前の週に開催された大阪杯というレースに出ていたみたいですね。


 牡馬混合戦との事ですから、私が金鯱賞に出た時みたいに牡馬の視線を集めたのでしょうか?


 タンポポチャさんは、どっちかというと優美さで私に負けますからね。でも私がいないからワンチャンありかな?


 もっとも、そこで見初められてもどうするの? なのですが。


 その大阪杯では、タンポポチャさんも残念ながら3着に終わってしまったようです。中々、牡馬がいると走り難いですからね。もしかして、タンポポチャさんの事ですから、逆に牡馬を意識してお淑やかを装いすぎたのかもしれません。


「ブフフフフン」(私達、女子校育ちみたいなものですから)


 共学の方がメンタル的に余裕が持てそうですし、女としてのあざとさも身につけていそうです。


 その点、女子校育ちは・・・・・・げ、幻想は大事ですよ?


 ともかく、私はもうじき春の天皇賞というのに出るそうです。芝で3200mもの長さで、今までのレースの簡単に言うと倍くらいの距離だそうなのですが、今一つピンと来ません。


「キュヒヒーン!」 カプッ!


「キュヒン!」(痛いです!)


 い、一応は甘噛みの範囲なのでしょうか? 余所事を考えていた為にグルーミングがおざなりになっていたのです。そのせいでサクラヒヨリに思いっきり拗ねられてカプッっと噛まれました!


「ブフフフン?」(ヒヨリさん、そろそろ30分近くグルーミングしてますよ?)


「キュヒヒヒーン」


 う~ん、何と言っているのか判らないのですが、もしかすると私の嘶き録音のせい? 良く考えたらあれってリピート再生すれば時間お構いなしですよね? 失敗したような気がします。

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