第55話 金鯱賞 前の諸々?
私は、何故かレースから帰ってきたヒヨリに思いっきり怒られました。
言葉が通じないので、何でヒヨリに怒られているのかが判らないのですが、鈴村さんが言うにはレースで頑張った時にその場に居なくて褒めてくれなかったのが良くないとの事なんです。
「ブフフフフン?」(お馬さんはレースを観戦に行けるの?)
観戦に行けないとなると、なかなか厳しいハードルだと思うのです。
帰ってきたヒヨリを何とか宥めるのがすっごく大変だったんですよ? 私もヒヨリがレースに勝って、お肉街道から脱出できるようにすっごく頑張ったと思うのです。なんか理不尽なのですよ。もっとも、甘えて来るヒヨリが可愛いので、まあ仕方がないかと許しちゃうのが良くないのかもしれませんけど。
「キュヒヒーン」
今日も今日とてヒヨリと一緒に調教を行っているんですが、私は今日の夜に中京競馬場へと移動するそうです。
ただ、この事を恐らくヒヨリは理解していないですよね? 明後日がレースで、帰ってくるのは3日後? そうするとヒヨリに会えるのは最短で4日後だよね? そうなると・・・・・・ご機嫌斜めになるだろうなぁ。
今もそんな事を考えている私に、構って攻撃をしてくるヒヨリをハムハムとグルーミングしています。
それにしても、我が妹は私よりタフですね。私は一度レースを走ったら暫くは寝込むのですが、それも無く一週間もすれば元気に走り回っています。
ヒヨリさん、若しかして私よりスタミナがありそうです?
それにしても、私は明後日にはレースなのですが、レース前の追い切りもしたんですが、こんなにノンビリまったり気分で良いのでしょうか? 今までと違って何となくレースだよ! 頑張らないとだよ! といった気分になれていない自分を感じています。
「ブヒヒーン」(拙いですね)
ヒヨリがいる事で、何となく育成モードと言いますか、違うモードに入っちゃっている気がします。
ヒヨリと別れて馬房へと戻ると、私の気持ちとは裏腹に厩務員の人達は慌ただしく作業をしていました。
そうですよね、今日の夜に出発ですからもう準備で忙しいですよね。
「ベレディー、体調は悪くなさそうだが・・・・・・」
調教師のおじさんが、私の所へ来て様子を確認しています。ただ、日頃から私の事を見ているだけに、何となく私の状態に違和感を感じたみたいです。
「ベレディー、調子はどうだい?」
「ブフフフン」(う~ん、何か調子が出ないの)
調教師のおじさんに素直に答えるのですが、残念ながらおじさんには通じないのですね。
ただ、私の声の調子で、何となく違和感を感じたみたいです。
「ん~~、波多野、悪いが蠣崎を呼んできてくれ」
厩務員のおじさんがその後に呼ばれて、私の様子を色々見ます。
「体調的には悪い所は無さそうなんですが、何となくヤル気というか、陽気さが見られないと言いますか、今までのベレディーっぽくないですね」
「ちょっとばかりレースから離れすぎたか」
調教師のおじさんに言われて、私もそう言えば前にレースを走ってからだいぶん経つなあと今更に思います。えっと、去年の秋だよね? そろそろ春だし、そう考えれば結構経ちますね。
「しまったな、間にもう1レース入れておく方が良かったか」
「この2週間ほどは鈴村騎手も阪神での騎乗でしたから、ベレディーの調教に加われませんでした。今まではこんな事無かったですからね。今週も水曜日に追い切りに来ましたが、いつもの様にベレディーべったりにではありませんし」
「拙いな、ベレディーは今週レースだと理解していない可能性がある」
「ブヒヒン」(レースなのは判ってるよ?)
う~ん、確かに鈴村さんと夜にパソコンでレースの事をあれこれと想定してのお話が今回出来ていませんね。ただ、うん、調子は悪くないんですよ?
何となくそんな中途半端な状態で、私は馬運車に乗って中京競馬場へと向かいました。
◆◆◆
「今回はちょっと厳しいかもしれないですね」
馬見調教師は中京競馬場へと入り、鈴村騎手と蠣崎調教助手を交えて明日のレースについての打ち合わせを行っていた。
その中で話題になったのは、やはりベレディーの様子だった。
「調教では問題無く走ってくれています。ただ、言われてみると確かにちょっと気が入っていない所はあるかもしれませんが、ベレディーにそれが影響するんでしょうか?」
馬見調教師の見解に疑問を呈するのは鈴村騎手で、そもそも前日の体調はともかく馬にやる気とか抽象的すぎる気がするようだ。
「そうですね、人もテンションを上げていく、気持ちを高ぶらせていく、そう言った事がある一方で緊張しすぎて硬くなるという事もありますから」
蠣崎調教助手はどちらとも言えないようだ。
「そうだよなぁ、確かに抽象的過ぎるよな」
何となくの印象でしかない為、馬見調教師も自分の言っている事がどう影響するのか読めていない。
「いえ、全否定している訳ではないのですが。休養明けの馬が思うように走らないと言うのは良く聞きますし、その為の一叩きという意味での大舞台を前にした前哨戦でもありますから」
鈴村騎手の言葉に、馬見調教師も蠣崎も頷く。
「そもそもベレディーは鞭を使わないからな。手鞭でも反応速度が速い為に気にはなっていなかったが、その反応がワンテンポ遅れる可能性があると思っていてくれ」
しばらく考え込んでいた馬見調教師は、自分の中でミナミベレディーのレースを色々と再現して問題点を考えていた。そして、一番有り得そうな問題点を告げる。
「判りました。そうですね。特に明日は牡馬混合ですし、能力的にも古馬の牡馬達は油断できませんから」
牡馬と牝馬での差が何処まで表に出るかは判らないが、芝2000mのレースであればまだ勝ち負けは行けるだろう。ただ、ここで問題となるのはミナミベレディーの適正距離だろうか。
「ダービー馬のトカチマジック以外にも、皐月賞馬のブラックスパロウ、宝塚記念を勝ったオーガブラザー、牝馬でもミニマイスマイル、まあGⅠ馬が目白押しですから。それ以外でも有力馬が軒並み勢揃いですね」
「ここで勝ったとして、大阪杯に出ないと言ったらまた文句言われるな。大阪杯への優先出走権が付いて来るからな」
そう言って苦笑を浮かべる馬見調教師だが、実際の所レース間隔的にどう考えてもミナミベレディーが大阪杯までに回復するとはとても思えない。
「1週後の阪神大賞典と比べても、ベレディーの回復時間を考えるとこの1週の違いが大きいですからね」
鈴村騎手も馬見調教師の言葉に同意する。
「どのみち最善を尽くすしかないですね。なんせレースは明日なんですから」
蠣崎の言葉に3人は揃って苦笑を浮かべるのだった。
◆◆◆
「やった~~~! 受かった! これで北海道にいられるよ!」
桜花は国立大学の合格発表で無事に桜が咲いていた。
試験自体の手応えはというと、今一つ合格を確信できる感じでは無かった為にその喜びは一入だった。
「良かったわ、これで東京の大学に何てなっていたら心配で仕方が無いもの」
何と言っても一人娘だ。見に行こうと思えば車で比較的簡単に行ける北海道と、飛行機に乗らなければ行く事が難しい東京とでは親としても安心感が違う。
「東京でも良かったんだけどね。国立も美浦トレーニングセンターに近い茨城大学とちょっと迷ったし、でもトッコが5歳とかで引退したら結局は北海道の方が良いもん」
「おいおい、トッコの引退計画まで勝手に決めるんじゃない」
桜花の言葉に峰尾も苦笑を浮かべるが、そこに妻の恵美子が乱入してくる。
「そうねぇ、でもトッコは4歳で引退も考えても良いかもしれないわね。出来ればGⅠで無くても良いから、4歳でどこか重賞をとってくれれば実績になるわ」
3歳での実績は申し分が無い。ただ、出来れば4歳でも実績を作れればより馬主達に対しPR要素になる。逆に4歳でパッとしなければ、それはそれでマイナス要素になるだろう。
「重賞を勝たないまでも善戦してくれれば評価も上がるさ。今後は混合戦ばかりになるだろうしな」
「え~~~、でもさ、キレイの子はみんな4歳以降で活躍したんだし、4歳で引退は早くない?」
桜花の疑問に恵美子がちょっと思案顔で答える。
「あのね、トッコが活躍してくれて少し楽になったのは嬉しいのよ。ただね、繁殖牝馬を引退したキレイの子供はもう生まれないのに、ここが注目を浴びちゃったでしょ? そこに今度はヒヨリが3歳で重賞勝利したの。これがヒカリとか、他の産駒なら大歓迎なんだけど、こうなると早く次の大黒柱が欲しいの」
実際のところ、北川牧場の生産牝馬が重賞を獲っているとはいえ、その産駒はサクラハキレイに偏っている。その肝心のサクラハキレイは既に22歳で繁殖牝馬を引退しているのだ。いくら注目を集めようと、無い袖は触れない。
「う~~ん、サクラハヒカリとミユキガンバレ、どっちもキレイの血を色濃く継いでいると思うのだが、相性の良い馬がなあ」
サクラハキレイ産駒牝馬での産駒実績は今ひとつ振るわない。その為に峰尾は渋い顔をする。
昨年、一昨年はミナミベレディーのおかげで少しお高めの牡馬で種付けしていた。2頭とも無事に受胎してくれて間もなく出産となる為、みんなの期待はいやが上にも高まっている。
それでも、産駒の結果が出るには早くとも3年近くかかる為に、どうしても収入面での改善は遅くなってしまうのだ。
「キレイの産駒では、早いうちにヒカリが結果を出してくれたから助かったわね」
繁殖入りして僅か2年目の産駒であったサクラハヒカリがGⅢを勝ってくれた。その後、牡馬は今ひとつの結果で終わるものの、その数年後にミユキガンバレが又もやGⅢを勝利。そしてミナミベレディーへと繋がっていく。
「ヒカリももう14歳だしな、産駒でオープンまで行った馬もいるし、重賞を出走した馬もいる。ただそれでもキレイの産駒がそこそこの値段で売れていたから楽ができていたんだよな」
すでに昨年の当歳は全馬完売したものの、サクラハキレイ産駒牝馬が居ない事で収入は半減していたりする。
「今年の種付けは、どうしたものかしら?」
昨年はトッコのお陰で一昨年以上に収入はある。ただ、それを無駄遣い出来ないし、桜花の学費だ何だと北川家の出費も増える。
そんな時、一本の電話が掛かってきた。
「何かしら? ヒヨリのお祝いの電話かしら? でもそれだと今更よね。トッコの激励? 何かしら」
サクラヒヨリが共同通信杯に勝利したお祝いの電話が何本も掛かってきたが、それも大分前の話である。それ故に何だろうと受話器を取った恵美子は、その電話で相手と話をしながらちょっと首をかしげている。
「十勝川さんって言ったよね、なんだろう? お祝いの電話じゃなかったのかな?」
みんなの注目を集めながら、しばらく会話をしていた恵美子がようやく受話器を下ろした。そして、頬に手を当てて途方にくれた様子で口を開く。
「あのね、お見合い会のお誘いのお電話だったわ」
その恵美子の言葉に、峰尾と従業員2名の視線が一斉に桜花に向かい、桜花は口をパッカリと開けて母を見返すのだった。
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