第50話 トッコとヒヨリの次走決定?
ミナミベレディーが牧場で長期放牧に入っている頃、馬見調教師と大南辺、そして蠣崎調教助手の3人はミナミベレディーの次走について打ち合わせを行っていた。
「GⅠを2勝しているからね。下手な所へ出走させるとハンデが厳しそうなんですよ」
馬見調教師の言葉に、他の二人も大きく頷く。
「騎手が鈴村騎手でも重賞は斤量マイナスの恩恵はないですからね。どうですかね、GⅢでは58kgとかありますかね?」
「さて、そこまでは無いと思うが何とも言えませんね。それでも恐らく良くて56kg、場合によっては57kgは覚悟しないとですね。それより軽ければ運がよいというところでしょうか」
不思議とサクラハキレイ産駒の牝馬は中山牝馬ステークスでの勝ち実績が多い。この為、ゲン担ぎで中山牝馬ステークスは候補に入っていた。ただ、負担重量を考えると出走させるのは厳しい。
「そうすると中山記念が無難なところでしょうか?」
馬見調教師と大南辺の会話を聞いていた蠣崎調教助手が此処で確認を入れる。
「そうだなあ、芝1800mか。タンポポチャがどこに出走してくるかだが、中山記念か金鯱か。出来れば別のレースで行きたいが、これといったレースが無いのが痛いな」
「タンポポチャは恐らく春はヴィクトリアマイルに照準を絞るんじゃないでしょうか?」
「距離が長いとベレディーが有利という感じですかな?」
大南辺の言葉に馬見調教師も蠣崎調教助手も頷く。タンポポチャはマイルもこなす為に、ベレディーに比べ出走するレースの幅は広い。
「そうすると、阪神牝馬ステークスは必ず来るとして、2月から3月はどう来ますかね」
「やっぱり中山記念あたりに来そうだな。ただ、牡馬を考えると中々に厳しいレースになるか」
4歳となった牝馬達は、此処から牡馬混合のレースが増えて行く。勿論、牝馬限定のレースはあるがその数は少なく、更に3歳でGⅠを勝利している場合更に出走できるレースは少なくなる。
「よし、悲観していても仕方が無い、中山牝馬ステークスで行こう。何といっても全姉達が勝っているレースだ」
こうして、ミナミベレディーの始動は3月頭の中山牝馬ステークスとなった。
◆◆◆
「そうですか、中山牝馬ステークス、ならそれまでは調教でもご一緒してもらえますな」
武藤調教師の視線は1月に放牧から帰ってきたミナミベレディーではなく、その横を走るサクラヒヨリに注がれている。現在、サクラヒヨリの鞍上には鈴村騎手が騎乗しており、その横を併走するミナミベレディーには今年から馬見厩舎に就職した清水調教助手が騎乗していた。
「鈴村騎手次第ですがね。ああやってベレディーも一緒に調教できますし、悪いことではないんですが。まさかベレディーがあそこまでサクラヒヨリを気にかけるとは思いませんでしたよ」
そう言って苦笑するのは馬見調教師だった。
長期放牧から戻ってきたサクラヒヨリは、武藤調教師が驚いたことに放牧前と放牧後で明らかに走り方に変化が出ていたのだった。この為、武藤調教師は鈴村騎手に牧場での様子を聞き取った上で、馬見調教師に頼み込んで定期的にミナミベレディーと一緒に調教を行う機会を設けて貰っていた。
「しかし、ありがたい事です。これで次走での希望も見えてきましたよ」
「ほう、決められましたか。中々厳しいところだと思いますが」
3歳牝馬で芝1800m以上のレースとなると中々に選べる枠が無い。どうしても牡馬との混合にならざるを得ないのが実情だ。そして、サクラヒヨリはまだ芝1600mで行けるかというと、将来はともかくとして現時点では厳しいと言わざる得ない。
「桜川さんとも相談したんですがね、思い切って共同通信杯に出走させることに。まあクイーンCと悩んだんですが、有力馬が散る牡馬との混合の方がまだチャンスがあると見ましてね」
そう言ってニヤリと笑う武藤調教師は、ある程度の結果は出せると自信を見せていた。
牝馬限定戦、しかも桜花賞への試金石でもあるクイーンCであれば、出走頭数も多く適距離より短い芝1600m、そう考えるとあながち間違った選択には思えない。
「お互い出走レースでは苦労させられそうですね。GⅢでもう少し長いところ、牝馬限定クラスのレースが増えてほしいものです」
「ですなぁ」
そう言って笑う二人の視線の先では、ミナミベレディーの代名詞にも成り始めている手鞭によってスパートを始めるサクラヒヨリがいた。
「ところで、手鞭にした理由は何なのでしょう? うちのベレディーは仕方なくなのですが」
前走まではサクラヒヨリは普通に鞭を使っていたはずだ。それが今日見ると手鞭に変わっていた。
「う~ん、実は鞭を使うとミナミベレディーが怒るらしいのです。それで、調教後に鞭を打った後のサクラヒヨリのトモを舐めて、どうやら苛めている様に見えるみたいでして」
武藤調教師は困ったような表情を浮かべた。
「はぁ、それはなんとも、申し訳ない?」
それを見た馬見調教師も、微妙な表情で武藤調教師を見る。
まあ、苛めていると言われたら否定は出来ないな。もっとも、馬からしたらと言う事だが。騎乗する馬に好かれている騎手などいないと言われる所以ではあるな。
そんな事を考える馬見調教師であるが、その視線の席ではサクラヒヨリが手鞭でも問題無くスパートする姿が見える。
「ただ、不思議と手鞭でスパート出来ていますね」
「ええ、どうやらミナミベレディーが教えたみたいなのですが・・・・・・」
「だんだんとベレディーにそっくりになっていきますね」
「それでどこかGⅠを獲ってくれるなら大歓迎ですがね」
冗談交じりに言う馬見調教師に対し、武藤調教師は苦笑交じりに答えた。
◆◆◆
「清水さん、これ終わったら交代しますね」
「ああ、判った。それにしても癖の強い馬だね」
サクラヒヨリに一通りの調教を終えた香織は、一旦コースから出て今度はミナミベレディーへと騎乗しなおす。今度はサクラヒヨリがミナミベレディーの後ろについて併走し、走り方を学ぶ・・・・・・らしい?
最初は何の冗談かと思っていたが、不思議とサクラヒヨリはミナミベレディーの走りを真似ていく。この為、もしかしたら自然界の馬達はこんなものかもと疑いも無く思う香織だった。
すでにサクラヒヨリとの併走で運動しているため、香織は軽く流す感じでコースを回ってきた。最後に軽く手鞭で速度を上げさせて、今日の調教を終了させる。
そして、装鞍所へと向かいながらミナミベレディーへと話しかける。
「うん、良い感じだね。先に軽く流してるから動きもいいし、順調に馬体も完成してきたね」
「ブヒヒ~ン」(でしょ? いい感じでしょ?)
相変わらず香織の言葉に反応を返してくれるベレディー、その事に思わず笑みが零れる香織である。
「キュヒーヒーン」
そうすると、後ろから機嫌斜めの感じの嘶きが聞こえてきた。
「ヒヨリ、別にあなたを仲間外れにしたわけじゃないよ?」
「ブフフ~ン」(走るの楽しかったね~)
「キュフフン」
香織とベレディーの返事にもどこか不満を表情というか、仕草に出すサクラヒヨリ。
それを騎乗している清水が首をトントンして宥めている。
サクラヒヨリが漸く香織に慣れてきたのか、最近はよくこのような香織に甘えるような仕草をしてくる。
これは、ここ数日で特に顕著になってきているのだが、最初は香織が騎乗するのを嫌がる素振りをしていた事を合わせて考えると、やはり鞭を使わない事も理由のひとつかもしれない。
「でも、変な癖つけちゃったかもね。これは次のレース頑張って結果を出さないと不味いかな」
馬が懐いてくれるのは嬉しい。ただ、これで勝てなければ恐らくは乗り代わりを余儀なくされるし、その際に変な癖がついていたらより勝てなくなってしまうかもしれない。
「私じゃなく、悪いのはベレディーだって言っても誰も聞いてくれないだろうなぁ」
「キュヒュン?」(ん? 私がどうかしたの?)
ミナミベレディーののんびりした返答に、思わず遠くの空を見詰めてしまう香織だった。
そして、ミナミベレディーとサクラヒヨリを綺麗に洗い、マッサージをして一段落した香織が馬見、武藤両調教師に今日の報告に行くと、それぞれの次走を教えられた。
「え? 共同通信杯です?!」
まさかのサクラヒヨリGⅢ挑戦に、思わず驚きの声を上げる香織だった。
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