2章 偉大なる血統?

第49話 鈴村騎手とサクラヒヨリ

 鈴村騎手は、今週騎乗する予定の馬に調教をつける為、美浦トレーニングセンターへとやって来た。


 女性騎手でありながら、桜花賞に続き、2つ目のGⅠ、エリザベス女王杯を勝利した為に、ワイドショーではなく一般のニュースでも取り上げられた。それもあり、今や番組への出演依頼が途切れなく届く状態となっている。


「はあ、やっぱり此処に来ると落ち着くなあ」


 ニュースで自分の写真が流れた事も有り、周りからの視線を気にして鈴村騎手は休みの日であろうと美浦トレセンへ来るのが常態化していた。


 実際の所、騎乗服を着た状態なら兎も角、普段の鈴村騎手を見てテレビに出ていたGⅠジョッキーと気が付く人はまずいないだろう。なぜならば、普段着が非常にあれなので、とても有名人だとは思われない可能性が高い。


 そんな鈴村騎手であるが、美浦トレセンに来たなら来たで騎乗予定の馬がいれば調教を手伝うのが日常になっている。特に馬見厩舎には最低でも1回は顔を出す。


 鈴村騎手としても、ミナミベレディーが放牧されている栃木の牧場まで足を延ばすのは大変で、馬見厩舎に来てミナミベレディーの日々の様子を聞く事が日課となっていた。


 そんな鈴村騎手がいつもの様に馬見厩舎へと訪れると、珍しい人達が馬見調教師と面談している所に出くわしたのだった。


「お、鈴村騎手ちょっと来てもらえるか? そろそろ来てくれると話していた所だったんだ」


 鈴村騎手の姿を見つけた馬見調教師に手招きされ、事務所の中へと招き入れられる。


「おはようございます。あと、武藤調教師、桜川さん、ご無沙汰しております」


 この集まりの理由が良く判らず、内心首を傾げながら鈴村騎手は挨拶をする。もっとも、武藤調教師との接点はほぼ無く、桜川の持ち馬にも騎乗した事が無い。あくまで面識があるだけで、二人と特に親しい訳では無いのだ。


「いや実はな、桜川さんの持ち馬のサクラヒヨリが先日満を持して京都2歳ステークスを走ったそうなんだ。結果は11頭立てで10着だったそうだが、知ってましたか?」


「え? あ、いえ。すいません知りませんでした。ただ、11月頭の百日草を勝ったと聞いていますが、もうレースに出たのですか?」


 勿論、サクラヒヨリの事はベレディーの全妹という事で知っている。ただ、そこまでレースを気にしているかというと、お手馬という訳でもない為に出走レースや、結果のチェックまではしていなかった。


「うん、まあ状態は悪くなかったんでね。疲れもすぐ取れたし、出来れば早々に3勝して放牧したかったんだが。まあミナミベレディーの活躍でちょっと焦ったというのも無くはない」


 そう言って苦笑する武藤調教師と桜川を見ながら、恐らくは春のGⅠ戦線を意識したのだろうと予想は出来た。何せベレディーは桜花賞馬だ。勝てないにしろ出走させてみたいと思っても可笑しくはない。


「まぁ結果は惨敗だったんですがね。6番だから先行するにも悪い枠順でもないし、勝てないにしろ掲示板は期待していたんだが」


 武藤調教師の話を聞きながら、そういえば先日の週末は雨だったなぁと思い当たった。


 ベレディーは幸い晴女だと馬見厩舎で言われる。それくらい雨でのレースが無い。唯一あった2歳牝馬優駿も、小雨くらいであった。


 それに対し先週末は稍重どころか思いっきり重で、あれではベレディーも惨敗しただろうなと鈴村騎手は思ったが、敢えてベレディーの弱点を教える事も無いと黙っている。


「一応、鷹騎手にお願いしていたんだが、鷹騎手が騎乗する2歳牝馬カゼノモウシゴがオープン馬になった。その為に、今後は騎乗が難しくなるって言われたんだよ。謝っていたけど彼は栗東所属の騎手だし、あっちを優先するのは仕方が無い。百日草を勝ってくれた事で満足するしかないね」


 そう言って溜息を吐く桜川を見て、香織は何か話の流れがおかしな方向に進んでいるのを感じた。


「まあ、サクラヒヨリはまだ幼いがGⅢなら勝てると思っている。全姉のミナミベレディーに良く似ているからね。上手くすればそれ以上と夢を見たんだが、思った以上に難しい馬でね」


 武藤調教師の愚痴のような説明を聞きながら、何となく話の展開が読めてきた鈴村騎手だった。


「あの、という事は私に騎乗依頼という事で宜しいのですか?」


「うん、お願いできるかな? まだ次走は決めて無いからミナミベレディーと日程が被ったら、当たり前だがミナミベレディーを優先して貰って構わない。こちらも出来るだけ日程は調整する。ああ、あとサクラヒヨリは今はミナミベレディーと同じ牧場に放牧に出した」


「え? ベレディーと同じ牧場にですか?」


「うん、少しでも良い影響を受けてくれないか、少しでも運を分けて貰えないかとね。武藤さんと話してて、まあゲン担ぎみたいなもんだね」


 桜川の表情を見て、まあ嘘では無いんだなと思っている。それに、桜川は北川牧場の常連とも聞いているし、ミナミベレディーの母馬のサクラハキレイも桜川の所有馬だった。


「判りました。今週は無理ですが、来週なら牧場に顔を出せると思いますし、その際にちょっと騎乗してみようと思います。あ、あともしもですが、ベレディーが嫉妬したらお断りするかもしれません。あの子は大らかですから無いとは思いますが」


 馬は意外と嫉妬したりする事がある。特に自分のお気に入りの人間が他の馬に構っていると機嫌を損ね言う事を聞いてくれなくなったりする。


 割と冗談ではなくベレディーが嫌がるなら断ろうと思うが、ベレディーが他の馬に嫉妬する様子が思い・・・・・・浮かばなくもないかな?


「あの子は結構、何って言うか幼い所があって、他の馬をパドックで挑発してみたりと読めない所があるんです。ですから、一応そこは了承をいただきたいです」


「そうだな、ベレディーは変な所に拘りそうだしな」


 馬見調教師もミナミベレディーの稚気と言うか、不可思議な行動を良く知っている。その為、鈴村騎手の意見に賛同を示す。


「勿論それで構いません。北川さんに聞いたところ、ミナミベレディーは面倒見が良い馬だそうですし、牧場でもよく仔馬の世話をしていたそうですから。大丈夫だとは思いますが、もしそうなったら諦めますよ」


 桜川はそう言ってサクラヒヨリの騎乗を香織へと依頼するのだった。



 翌週、香織はミナミベレディーが放牧されている栃木県の牧場までやって来た。


 そして、ミナミベレディーとサクラヒヨリが仲良く連れ立って牧場を駆けまわっているのを見て驚きの声を上げたのだった。


「え? ベレディーと一緒の馬ってサクラヒヨリ? 何か走り方がベレディーに似てきてる」


 サクラヒヨリに騎乗する事となり、香織は前走5回分の映像を確認していた。


 最初の新馬戦では、先行しながらも最後は差し切られての4着。次走では同様に先行してそのまま逃げ切り勝ちを収める。この時の出走メンバーと比較して、サクラヒヨリが頭一つ能力的に抜け出ている感じがした。


 ただ、3戦目は先行できず馬群に包まれたままの良い所無しで惨敗。一転、4戦目は先行しての粘り勝ち。


 そして問題の5戦目は、雨の日で最初から集中力に欠け、これも先行はしたものの直線で伸びず馬群に沈んでの惨敗だった。


 鈴村騎手は、サクラヒヨリの騎乗について頭を悩ませながら牧場に訪れた。すると、事前の知識など欠片も役に立たないサクラヒヨリの変化に驚いた。そんな鈴村騎手に気が付いたミナミベレディーが、サクラヒヨリを連れてやって来る。


「えっと、ベレディー、こっちはサクラヒヨリよね? ベレディーに似てるね」


 ミナミベレディーにそんな事を話しかけながらも、サクラヒヨリの様子を確認する。サクラヒヨリは特に鈴村騎手を警戒する様子もなく、明らかにミナミベレディーに甘えているのが判る。


 ミナミベレディーもこの全妹を気にかけている様子を見せている為、一応は大丈夫そうだなと思いながらもサクラヒヨリに乗る旨を説明した。


「知らない人がいたら馬鹿な事をしているなって見られるんだろうな」


 そんな事を思いながら、まずはサクラヒヨリに騎乗して様子を見てみない事にはと、馬装をする為にサクラヒヨリを装鞍場へ連れて行くのだった。


 そして、軽く並足で牧場を走ってみるが、反応は悪くはない。なだらかな丘を上がる時には先程見た小さなステップを刻む事で速度を維持しようとする。


「映像では明らかにストライド走法だし、昔のベレディーを見ている感じだったんだけど、坂を登る感じはストライド走法からのピッチ走法に近いわね」


 ミナミベレディーと仲良く駆けていた様子は、どちらかというとレースを想定したような走りに思える。もっとも、ミナミベレディーが明らかにそういった走りをしながら、サクラヒヨリにレースを教えていたのかもしれない。


「・・・・・・うん、深く考えるのは止めよう」


 答えの出るものでは無いし、手応えは想定していた以上に良い。これであれば天候さえ味方に付ければ勝負になる。


「最大の問題は天候なんだよね。雨だとなんともならないからなぁ」


 実際の調教は美浦へ戻ってからになるが、サクラヒヨリ自体はひいき目に見ても悪くはない。それこそ、GⅢは問題なく行けるんじゃないかと思わせてくれる。もっとも、まだ碌にコースすら走っていないので、思いっきりベレディー馬鹿視点であるのだが。


「うん、これから宜しくね。次のレースは私が乗るからね」


 軽く牧場内を駈けた後、馬体を洗ってあげながら鈴村騎手はサクラヒヨリに優しく声を掛けるのだった。


「キュヒヒーン」


 そして、その後に遠くでミナミベレディーの嘶きが聞こえてきた香織は、慌てて氷砂糖を持ってミナミベレディーの下へと向かうのだった。流石に放置したまんまではご機嫌を損ねかねない。


「まあ、あの子は氷砂糖をあげれば大体許してくれるから」


 付き合いが長い故の本音が、思わず口に出る香織だった。

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