第45話 エリザベス女王杯 後編

 タンポポチャさんの末脚を警戒する私は、思い切って前に出ることを覚悟しました。その時、どうやら鈴村さんも同じことを考えていたみたいです。


「ベレディー、勝負に出るよ」


 私だけに聞こえるくらいの声で、鈴村さんが私に指示を出します。


 ある意味、鞭を使わない私達だからこそ出来る方法、首元を軽くトントンと叩かれました。


 今まさに3コーナーの上り坂を終わって4コーナー下り坂へと入る所です。私は、この下り坂を利用して一気に加速しました。


 加速した所で、先頭とは4馬身くらい離されていました。加速した事で、その距離がどんどんと縮まって行きますよ。


「うん、良い感じだよ! 前を一気に捉えるからね!」


 タンポポチャさんの末脚を考えると、同じくらいの距離があっても安心できません。だから思い切って先頭に立つつもりで加速していきます。


「この勢いを使って外へ膨らむからね。内側の芝は荒れてるから、外のほうが力が出るよ」


 今日、スタートしたときにどうやら鈴村さんは芝の状態を見ていたみたいです。


 私はそんな余裕は無かったので、内側の芝がどうなっているかなんて気にもしていませんでした。


 そして、勢いを落とすことなく、膨らみながら直線へと入ります。この時、前のお馬さん達より外側に位置取らないと後でつっかえちゃいます。


 視線の先では2頭のお馬さんが、まるで併せ馬をしているかのように競り合っています。ただ、その勢いはそれほど強くはありません。


 その先頭から1馬身後ろに例の6番さんもいますが、すでにズルズルと後退して来ています。


 もっとも、6番さんは内側を走っているので私の進路に影響はありません。


「ベレディー、ミニマイスマイルは馬体を併せちゃうと粘り強いから、気をつけて」


 そう鈴村さんが言いますが、前の2頭も勢いがあっただけにちょっと膨らんでいます。この為、内側はぽっかりと空いた状態で、逆に私は前を塞がれてはいませんが、ミニマイスマイルさんの横をすり抜けるコース取りになります。


 これ以上膨らんじゃうと、大きなロスになっちゃいますよ?


 私は直線に入ったときに、ここ最近行っているように手前を変えます。そして、タンポポチャさんのリズムを頭の中に響かせて一気に前の2頭へと襲い掛かりました。


 前の2頭にも鞭が入って更に加速する気配を見せますが、私は最初はじわじわと、次第にどんどんと前に近づいていきます。


 不思議と加速し始めると後のほうが速度に乗ってくるんですよね。ただ、その分思いっきり疲れるのですが。


 ただこの時、私より更に内側に馬の姿が見えました。それこそ、荒れていると言われる内側に空いたスペースを使って一気に加速していく馬の姿があります。


 6番さんお仕事してください! 追い込むお馬さんの壁にすらなっていませんよ! そんな気持ちで、駆け上がって来たお馬さんを恐る恐る見ました。


 ふぎゃ~~~! わ、わかってたもん! 馬の影が見えたときから判ってたもん!


 思わず頭の中で叫んじゃいましたよ! だって、横目で確認すると思いっきり内側で加速しているお馬さん、即ちタンポポチャさんでした。


 私が状態の良い芝を選んで加速しているのとまったく、これっぽっちも遜色なく、すっごい勢いで加速しています。


「うそ! いくらなんでも早仕掛けでしょ!」


 鈴村さんが鞍上で叫びますが、あの、その早仕掛けって私達もしていますよ? 驚くってことは大丈夫なのですか?


 思わずそんな心配が頭を過りますが、そんな事より前の馬2頭です。


 まずはこの2頭を抜かないことには話になりませんよね。ただ、それが思ったほど簡単ではないのです。直線はゴールまで平坦な道で、速度が落ちにくいので粘るお馬さんにも有利?


 先頭の2頭は併せ馬状態であるのと多分どっちも負けん気が強いのか必死に加速していて、私が颯爽と追い抜くつもりだったのですが真横に並んだ瞬間から粘り強く加速してくるんです。


 ここにタンポポチャさんが反対側で並ぶ形になって、4頭のお馬さんが思いっきり並んでいます。


「ベレディー、頑張って!」


 うにゅ~~脚がだるくなって来たのです。もっとも、それは隣で先行していたファニーファニーさん達2頭の方が顕著なんでしょう。漸く私は頭ひとつ分くらい前に出ます。


 ただ、今まで隣の2頭が邪魔で見えなかったタンポポチャさんの姿がここで見えました。


「あと200mだよ! 頑張って!」


 私は必死に疲れた脚を動かして、意識して頭を上下に振ります。蹴り足も必死に前に引き付け蹴り込みます。


 それでも、横目で見えるタンポポチャさんとの差が次第に広がって行くように思えました。


「ん、んん~~、トッコ頑張れ~~~!」


 突然、私を応援する桜花ちゃんの声が聞こえました。まるで頭の上から聞こえるくらいの大きさで。


 トッコは頑張るよ!


 桜花ちゃんの声援で、思いっきりアドレナリンが溢れて零れそう? そもそもアドレナリンってなんだっけ? 力が出るんだっけ? ただ、疲れて鉛のようになってきた体に一瞬ですが確かに力が戻ったような気がします。


 その最後の力を振り絞って大地を蹴りつけました。


 頭を思いっきり振り下ろし、振り上げて、全ての動きを前へと進む力に変えます。


 そして、もうタンポポチャさんではなく、前に全てを集中して私はゴール板を駆け抜けました。


 鈴村さんの手綱が緩んだ瞬間、全ての力を出し切ってしまった私は思いっきり脱力します。


「ベレディー、お疲れ様! 最後の一伸びが凄かったよ!」


 鈴村さんの声にも疲れがみえますね。


 最後の直線では、私のリズムに合わせてずっと頭の上げ下げを手伝ってくれていました。おそらく私の体と同じように、鈴村さんの腕も鉛のように重くなっているんじゃないでしょうか?


「ベレディー、大丈夫?」


 疲れて動こうとしない私に、鈴村さんは下馬してくれました。呼吸もそうなんですが、それこそ体中が怠くてこのまま寝転がりたいです。


「キュフン」(疲れたの)


 素直に鈴村さんに甘えます。


 私の脚を見ていた鈴村さんが、今度は私の表情を覗き込みました。その為、私は頭を鈴村さんの胸にスリスリします。すると、鈴村さんが私の頭をゆっくりと撫でてくれました。


「頑張ったね! うん、凄く頑張ったね。桜花ちゃんに言われてた必勝法、まさかの効果に吃驚したわ」


「ブフン?」(何のこと?)


 鈴村さんが何を言っているのかが判らなくて、思わず首を傾げます。すると、鈴村さんがクスクスと笑いながら教えてくれました。


「いざとなったら、私の代わりにトッコを励ましてあげてって言われてたの。それでね、トッコ頑張れって叫んだんだけど気がついてなかった? 桜花ちゃんに言われてはいたけど、最後ちょっと照れ臭くて叫ぶか悩んじゃって」


 が~~ん! あれは鈴村さんの声だったの! 私はてっきり応援席からの桜花ちゃんの声だと思ったんですよ。いやに大きな声だったなと思ったけど、騙されました! 声色もなんか真似ていましたよね!


「ブフフン!」(ちょっとご機嫌斜めよ!)


 私達がそんなやり取りをしていたら、観客席から又もや怒号、歓声、拍手が響き渡ったんです。


 その声に釣られて観客席を見ると、何か紙ふぶきが舞っています? 何事ですか?


 私がそんな観客席を見ていると、鈴村さんが叫びました。


「ベレディー! 1着よ! 離れてて判んなかった。写真判定になってたからもしかするとって思ってたけど、勝ったよ! 1着だよ! ベレディーが、牝馬の頂点だよ! 女王だよ!」


 鈴村さんが私に抱きついて叫び続けています。


 でもそっか、勝てたんだ・・・・・・


 今までと違って、何か勝ち負けの事とかどうでも良くなっているんです。それくらい疲れちゃいました。でも、桜花ちゃんまた喜んでくれるかな。


 何となくそんな事を思っていると、鼻息荒くタンポポチャさんがやって来ました。


 勝利の余韻なんて関係なく思いっきり頭をスリスリして来ますけど、私が勝って自分が負けたことを判っているのかな? 何となくおめでとうって言われている感じです。


 私はお礼返しに首から背中をいつものようにハムハムしてあげます。


「鈴村騎手、おめでとう。まさか負けるとはね。ベレディーから離れて内に行ったのが敗因だったなぁ。あれくらいの芝なら突き抜けれると思ったんだけどね」


「ありがとうございます。高速馬場でのレースですから、タイムもまさかの2分11秒9。あと少しでレコードですよね」


 掲示板に表示されているタイムは2分11秒9です。あと、タンポポチャさんは無事? 2着に入っていて、私との差はまたもやハナと表示されています。


「若干タンポポチャには2200は長かったかもしれないな。それを気にして最内を選んだんだが、最後の最後で手応えがね」


 何か怖い事を言ってますよこの人。私は満身創痍なのにタンポポチャさんは元気そうです。これで距離が長くて手応えがとか言われたら2000mだと絶対に勝てないじゃないですか!


 私が唖然としているそんな間にも、タンポポチャさんはグルーミングでハムハムしてくれます。ただ、そろそろ検量室へと移動する事となりました。 

 体中が思いっきり重いです。だるいです。ただ、幸いな事に前回みたいに太股に痛みとかが無いのが助かります。


「ブフフン」(思いっきり寝転がって寝たいです)


 食欲より睡眠欲が強い現状です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る