第44話 エリザベス女王杯 前編

『秋晴れの好天に恵まれ、秋の彩りに包まれるここ京都競馬場に、今年の牝馬を代表する女傑達が集いました。

 今年の牝馬の頂点を掛けた激闘! 古馬も交えた牝馬最大の祭典が間もなく行われようとしております。


 京都競馬場の芝の状態は良、芝、内回り2200m、昨年女王に輝いたミニマイスマイル、もちろん今年も連覇を狙っています。


 今年の牝馬2冠馬タンポポチャ、更なる高みに向け気合十分! 秋華賞の疲れなどものともせずエリザベス女王杯制覇を狙います。


 今年のグランプリレース宝塚記念で惜しくも2着と苦渋を飲んだ昨年のオークス馬シーザーサラダ、昨年のエリザベス女王杯では首差の2着で敗れ、今年は何としても獲りたい所・・・・・・』


 テレビではエリザベス女王杯の中継が始まっている。


 前回と同様に大南辺は妻とともにパドックへと向かう。すると、パドック脇の柵には大きなミナミベレディーの応援横断幕が掲げられていた。


「あら? あれは北川牧場の北川さんと御嬢さんだわ」


 ミナミベレディーの応援横断幕に驚いた大南辺だが、その後ろに北川牧場の面々がいる事に気が付いた。同様に道子も桜花ちゃんが居る事に気が付き、大南辺を置き去りにさっさと横断幕の所へと歩いていく。


「ご無沙汰しております。素敵な横断幕迄作って頂いて、桜花ちゃんもありがとうね」


「あ、大南辺の奥さん、ご無沙汰しております。娘に付き合って本州にきておりまして」


「ご無沙汰してます。勉強の合間の息抜きで作ったので」


 そう言って笑う桜花ちゃんを見て、息抜きと言うには少々力作過ぎる出来栄えに道子は思わず苦笑を浮かべる。


 その後、妻が峰尾と会話を始めた為、出遅れた大南辺は桜花ちゃんに挨拶をする。


「応援垂れ幕ありがとう。ベレディーも見たら喜ぶだろう」


「いえ、喜んでくれたら嬉しいなと、ただ流石はエリザベス女王杯ですね。事前申請していたから大丈夫なのは判っていたんですけど、横断幕で覆われていて凄いです」


 桜花賞などの3歳限定のGⅠは、3歳限定である為か横断幕の数はここまで多くは無かった。ただ、流石は現役牝馬の頂点を競うエリザベス女王杯、横断幕が所狭しと掲げられている。


 ちなみに、この横断幕はしっかりと規格等が決められており、許可も取らないと勝手に掲示することは出来ない。ミナミベレディーの桜花賞の時に初めて横断幕を用意しようとした桜花は規約などに詳しくなく、北川牧場の面々も今まで1度として横断幕を掲示した事が無かった。


 その為、申請がギリギリになり危うく掲示出来なくなりそうになったのだ。


「トッコの顔をイメージしたマークも作ってみたんです!」


 そう言って自慢気に横断幕をアピールする桜花ちゃん。ただ、今は受験前の追い込み時期でそれで良いのかという思いが頭をよぎるが、あえて大南辺は触れる事無く会話を終えるのだった。


 そして、ミナミベレディーや出走するライバル馬の話をしていると、パドックへとその馬達が入場してくる。


◆◆◆


 パドックへと厩務員さんに連れられて入場していきます。


 いつもの様に番号順に一列で入って行くんですが、真後ろにタンポポチャさんがいるので何かお尻がソワソワします。


 出来れば私が後ろの方が良かったなぁと思わなくもないです。


「トッコがんばってね~」


 パドックに入って直ぐに、桜花ちゃんは何処にいるかなと探していると、桜花ちゃんの声が聞こえて来ました。声の聞こえた方向を見ると、なんと私の応援横断幕が掲げられていました。


「キュヒーン」(桜花ちゃんだ~)


 遠くは良く見える私ですから、しっかりと桜花ちゃんを認識します。


 うん、ちょこっとふくよかになったかな? 受験後が大変そうだけど、また一緒に牧場を散歩しようね。


 そんな事を思いながらも、気が付いたよの意思表示で頭をブンブン上下に振って応えます。


「お、北川さんとこのお嬢さんか、応援に来てくれたんだな、良かったな。頑張るんだぞ」


「ブフフン」(うん、がんばる)


「ヒヒン」


 私が静かに闘志を燃やしていると、真後ろから小さく嘶きが聞こえました。


 ん? 何かご機嫌斜めな嘶きですね。


 チラリとタンポポチャさんを見ると、桜花ちゃん達の方を見ているのが判りました。


 何でしょうか? 桜花ちゃんに嫉妬でしょうか? パドックではタンポポチャさんの横断幕は私より多い2か所で掲示されていました。だから私の横断幕にご機嫌斜めは無いと思います。


 あと、良く考えたらお馬さんに自分の応援横断幕って判りませんよね? 

 お馬さんは字が読めないですから。そうなると、このお馬さんへの応援横断幕って何の意味があるのでしょうか? 掲示する人の自己満足と言ってしまうと何か寂しい物がありますね。


 つらつらとそんな事を考えていたら、止まれの掛け声がかかって鈴村さん達が出て来ました。


「ベレディー、今日も落ち着いているね」


 私の所まで来て首をポンポンしてくれる鈴村さんに、私もお顔をスリスリとします。


「トッコ~、鈴村さん頑張って~」


 桜花ちゃんの声が聞こえて、鈴村さんが桜花ちゃんの方へと視線を向けました。


「桜花ちゃんが来てくれたから頑張らないとだね」


「ブフン!」(頑張る!)


 騎手の人が各々騎乗して、お馬さん達が順番に本馬場へと向かいます。

 レース前に接触などの事故を避けるためにお馬さんは離れて進むのです。その為、タンポポチャさんは少し離れて私の横を歩いています。


「すまないね。どうもタンポポチャが一緒に行きたいらしくてね」


 タンポポチャさんに騎乗している騎手さんが、何やら鈴村さんに声を掛けました。


 私は別に気にしないし本当に並んで歩いても良いのですが、流石にそれは出来ないみたいですね。


「ベレディーも気にしていませんから。それにしても2頭は本当に仲がいいですね」


「最初は思いっきり喧嘩腰だったと思うんだけどね」


 私は、そんな話を聞きながらタンポポチャさんと連れ立って本馬場へっと思ったら、タンポポチャさんはさっさと私の前に出て、本馬場へと入って行っちゃいました。


 ちょっとポカ~ンとしている私は、鈴村さんに促されて本馬場へと進みました。


「あれ、何なんだろうね? ベレディー大好きって判るけど」


「ブフフン」(ツンデレですよ)


 鈴村さんにそう教えてあげたのですが、言葉が通じないので伝わらなかったです。難しいですね。


 本馬場に入った私は、返し馬を経てゲート前の馬だまりでまたゆっくりと歩いています。


 今日も観客席が近いなぁと思いながら、今日は7番なので早めにゲート入りです。


 外側お隣のゲートはタンポポチャさんです。内側のゲートは知らないゼッケン6番のお馬さんです。何となく私より年上のお馬さんっぽいですが、今一つ落ち着きがありませんね。首をブンブンと振っています。


 ただ、ここで余計な事をしてぶつかられたら困るので、今回は大人しくしています。


 私だって学習するのですよ!


 またもや盛大にファンファーレが鳴り響いて、観客席での手拍子の音も聞こえてきました。


 その後、順番に枠入りをして、私は周りのお馬さんの様子を確認します。外枠のタンポポチャさんは問題ないと思いますが、内枠のお馬さんが少々気が高ぶってらっしゃったので、やっぱり気をつけないといけませんね。


 案の定、お隣のお馬さんは枠に入ってから蹄で地面をカリカリしています。それに対してタンポポチャさんは落ち着いてますね。枠に入った瞬間、チラリと私を見ましたがそれ以降は集中しているみたいです。


「べレディー、最後の馬が入ったよ」


 いつもの様に鈴村さんの声と、係員のおじさんの様子で私はスタートの準備に入ります。馬体をグッと沈め、ゲートが開くのを待ち構えました。


ガシャン!


 大きな音が鳴るとともに、ゲートが開きます。


 そして、わたしも其れに合わせて一気に外へと駆け出します。


「うん、ベレディー、最高のスタートだよ!」


 鈴村さんに褒められながら、私は前へ前へと進みながら内側へと馬体を寄せていきます。


 幸いにして6番のお馬さんは出遅れたみたいで、私はすんなりと内側へと入ることができました。


「え? うそ!」


 ん? 何かな? 鈴村さんが驚きの声を上げるので、周りの様子を改めて確認しました。


 すると私の半馬身後ろに、タンポポチャさんが何故かピッタリとついてきています。


 え? タンポポチャさん? うわぁん、タンポポチャさんがそこにいるとすっごくプレッシャーが・・・・・・


 そんな私の気持ちとはまったく関係なく、外枠から一気に駆け上がってきた14番のお馬さんと、内側からスムーズに飛び出したファニーファニーさんが先頭争いを始めました。私とタンポポチャさんはその後ろを追走します。


「3番手かあ、ちょっと前過ぎるけど如何しよう」


 中団からの差しって鈴村さんは言ってたけど、先程の位置から少し下がったタンポポチャさんが私の真後ろにいます。その為、ここから後ろに下がるのは厳しいと思いますよ? それ以上に前の2頭が競り合ってどんどん間が開いていきます。


 そんな状態で最初のカーブへと突入していきます。


 う~ん、このまま向こう正面の直線も走って、3コーナーから一気に前に行くのが良いのかな?


 見せてもらった参考レースにそんな展開があった気がします。


 事前の勉強会で鈴村さんが気にしてたのは、私が2200mを走ったことがない事なんですよね。スタミナの限界が判らないので、出来るだけスパートは遅らせたいし、道中で無理をさせないで行くとか言ってました。


 そんな私達の目論見も思ったとおりになれば苦労は無いのでしょうが、向こう正面で後ろから更に一頭お馬さんが駆け上がってきました。無理してここで前に出ることは無いと判断した鈴村さんは、その一頭をそのまま前へと行かせます。


「かかってるね。ほら、お隣にいた6番のお馬さんだよ」


 鈴村さんの言葉で、漸く内側にいたお馬さんの事を思い出しました。


 なるほど、確かに騎手の人は手綱を引いて抑えようとしています。このまま前に並びかねない勢いですが、何とかファニーファニーさんの後ろへと入れて落ち着かせようとしていますね。


 そんな状況を見ている間にも3コーナーへと入っていくのですが、この段階ですでに後ろのお馬さん達の刻むリズムに変化が出始めます。


「前との差があるからもう動き出した? これってタイム早過ぎない?」


 良くわかりませんが、どうやらレースの流れる展開や速度が速いのかな?


 ただ、依然としてタンポポチャさんはしっかりと私の真後ろを追尾しているのです。最後の末脚を考えると、ここで少し距離を開けないと負けちゃう?


 どう考えてもタンポポチャさんが怖いので、私は4コーナー手前から速度を一段階上げることにするのでした。

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