第43話 エリザベス女王杯 前日

 私は、又もや夜中に出発して、朝になってから栗東トレーニングセンターに到着しました。


 なんでも明後日に開催されるエリザベス女王杯に出走するそうで、近くにあるこの栗東トレーニングセンターで一休みして、ここから競馬場へと向かうみたい。


 それでも、前日ではなく前々日に此方へとお邪魔した理由は、調教師のおじさんがお世話する別のお馬さんとご一緒したからです。


 そのお馬さんは、私と違って前の日の土曜日に出走するそうで、ついでだからと私も一緒に馬運車に乗せられました。


「ブルルルン」(のんびり寝てれば着くよ)


「ブヒヒヒン」


 一緒の馬運車に乗ったのは良いのですが、お馬さんはちょっと神経質になっているかな? 確かに、馬運車って狭くて圧迫感がありますよね? 仕方が無いので少しお話をしてあげます。


「ブフフフフン」(お腹が空きましたね)


「ブルルルルン」


 でも、今一つ効果がありませんね。きっと、お腹が空いているのかもしれません。レース前はご飯が減らされちゃいますからね。


「ブルルルン」(リンゴが食べたいですね)


「ブヒュヒュン」


 うん、話をしている間に、何となく落ち着いて来たみたいです。


 他のお馬さんと一緒に運ばれるのは初めてなので、自分の様子は兎も角、ご一緒しているお馬さんが気が立っていると、中々に眠り辛いのです。寝ちゃえばあっという間に移動出来ているので、寝てしまえば問題ないんですが、ここに来て漸くピリピリした気配が穏やかになってきました。


「ブフフン」(では、おやすみなさい)


 一応、お休みのご挨拶をして目を閉じました。起きていてもお腹が空くだけですし、特に何かできる訳でもないので私は素直に眠りますよ。

 そして、目が覚めたらあら不思議。栗東トレーニングセンターに到着していました。


 栗東へと到着すると、それぞれ健康診断を受けて異常が無いかの確認をされます。耳をピコピコさせて聞いていると、輸送中に怪我をしたり、体調不良になるお馬さんも一定数以上いるみたいです。


「ブルルルン」(やっと着いた~)


 馬運車を降りながら、早くご飯にならないかと思いますよね。


◆◆◆


 馬運車から降りて来たミナミベレディーとストラスデビルの様子を、馬見調教師達と蠣崎調教助手は真剣な表情で確認する。


 ミナミベレディーも、ストラスデビルも当初心配していたような移動の疲れは感じられず、元気そうな様子を見せてくれる。


「ベレディーは移動を苦にしないし、おっとりしているから心配していなかったが、ちょっと神経質なストラスデビルも良い影響を受けたようで何時もより落ち着いているな」


「これならレースにはなりそうですね。今後の事を考えると、このまま移動に慣れてくれると助かるんですが。今回の移動も、ベレディーがエリザベス女王杯に出なければ考えなかったですよ」


 今年の2歳馬において、ストラスデビルは馬見厩舎期待の2歳牡馬である。すでに新馬戦を勝ち上がり、9月の芙蓉ステークスで勝利して無事にオープン馬となった。


 そして今回、満を持して京都で行われるデイリー杯2歳ステークスへの出走となる。


「しかし、思いっきり西へ殴り込みに来たみたいだな」


 デイリー杯2歳ステークスに出走する馬は全部で13頭、その内、美浦に所属するのは馬見厩舎のストラスデビル1頭のみだ。


「東京スポーツ杯と言う選択肢もありましたから」


「デビルも先行馬だからスタート次第ではあるんだが、やはり1800mはなぁ」


 馬見厩舎としては、ストラスデビルの適正距離は1600m前後と見ている。東京スポーツ杯でも悪くはないが、今後マイルで戦うとなると、まずはデイリー杯2歳ステークスで試してみたい。その結果次第で芝1800mを走らせ適正距離を見極めたいと考えていた。


「場合によっては短距離路線もありと思っているからな。どうせなら芝1400とかでも良かったくらいだ」


「距離が延びるよりは短い方が良さそうですからねまあ、1800mも行けそうではありますが」


 明らかに体形が短距離向けと思われた為に、3歳になってからはスプリングSを経てNHKマイルを目標としている。もっとも、そこまでの力があるかは今後の走り次第なのだが。


「ベレディーはどんな感じだ?」


「相変わらずと言えば良いでしょうか? 明後日がレースとは思えないくらいのんびりしています。どんな馬もレースが近づくと、自然とカリカリしてくるものなんですがね」


 蠣崎調教助手は苦笑を浮かべるが、ある意味あの図太さが安定した結果を出し続けている要素なのかもしれない。


「今回も人気は6番前後っぽいですね。アルテミスステークス1着、そして桜花賞1着。更に秋華賞2着なんですけど、中々オッズには反映されませんね」


「その方が鈴村騎手も緊張しすぎなくて良いだろう。1番人気にでもなろうものなら、ガッチガチになりかねん」


 鈴村騎手は、阪神ジュベナイルフィリーズでの騎乗ミスによるトラウマからまだ完全に脱却出来ているとは言えない。ただ、秋華賞でのレースを見る限りにおいては、ミナミベレディーとの信頼関係がはっきりと見え安定していると思える。


「ベレディーはレースでのプレッシャーは皆無ですからね。騎手や周りの者の緊張が馬にも伝わるものなんですが、そういう意味ではベレディーは強いですね」


 蠣崎調教助手の言葉に、馬見調教師も同意する。


「まあ、馬にはレースの重みは判らないからな」


「そうですね、あ、あとベレディーの全妹サクラヒヨリですが、先週の百日草特別を勝ったみたいですね。驚いたことに鷹騎手が騎乗したとか」


 鷹騎手が騎乗したという事に、馬見調教師は驚きの表情を浮かべる。


「おいおい、サクラヒヨリは悪い馬じゃ無いと思うが、よく鷹騎手が騎乗してくれたな」


 ただ、これでサクラヒヨリも2勝、あと1勝すれば晴れてオープン馬だ。もっとも、チラッと聞いた話ではキレイ産駒の特徴通りに成長は遅めと聞いた。安定性は今ひとつらしく、それ故に2歳で2勝目を上げれたのは大きいだろう。


「馬主が桜川さんだから仕方が無いが、出来ればうちで預かりたかったなぁ」


 思わずそんな言葉が零れるくらいに馬見調教師はベレディーの母馬サクラハキレイの産駒に愛着を持ち始めていた。もっとも、すでに繁殖牝馬を引退している為、今後自分がミナミベレディーの姉妹の世話をする事は絶対にありえないのだが。


◆◆◆


 明日はついにレースという事で、今日は軽めの調教で終わりました。何となく走り足りないのですが、何と言っても明日に備えないといけないとの事で、綺麗に体を洗って貰って、ブラッシングやマッサージもして貰えて私はご満悦です。


「ブフフフ~ン」(綺麗になるのは好き~)


 何と言っても女の子なのです。やっぱり綺麗にしてなんぼの世界ですよね? ただ、その割に私の人気は今ひとつなのは何故なのでしょう? 明日のレースも今の所は6番人気らしいです。


「あ、そう言えば桜花ちゃんが明日のレースは見に来るみたいだよ? 何かこっちの学校の下見を兼ねて今は東京に来てるみたい。明日の新幹線でこっちに来るって」


「キュヒヒ~~ン!」(わ~~い、桜花ちゃんに会える!)


 東京の大学を狙うのかな? 良く判らないけど、そうすると4年くらいは東京なのかな? 花の女子大生ですね、羨ましいですね。


 久しぶりに桜花ちゃんに会えるのは嬉しいです。でも、受験太りしてないかは心配ですね。


 明日になったら桜花ちゃんに会えると思うと一気に気分が高揚してきました。


 桜花ちゃんが来るなら頑張らないとだよね!


 鈴村さんが見せて? 聞かせて? とにかく、繰り返されるエリザベス女王杯映像で、実況やリズムを真剣に聞きます。


「ここ数日晴天だし、芝の状態は良馬場だね。だからレース自体は高速馬場でのハイペースで進みそうね。う~ん、そうなると内側の芝の状態はどうかな、6レースでも騎乗するからその時に様子を見るわ」


 鈴村さんは、明日は私とのレース以外にもう1鞍騎乗するらしいです。


「枠順も7番だし、出来ればラッキーセブンと行きたいよね」


 う~んと、競馬でも7番は縁起がいいのかな? 知らなかったですね。内にも外にも対応できる場所と考えれば良いのでしょうか? てっきり先行馬だともっと内側が良いのだと思っていました。


「明日はフルの18頭が登録されているからね。馬群に嵌まると抜け出せなくなるから、前寄りの位置から先行差しが出来るとベストなんだけど、展開次第だよね」


 先日から鈴村さんは良く私の所に来て、今度のレース展開を相談していきます。もっとも、私は答えれませんけどね。それでも鈴村さんは何となく伝わっているような気になっているのか、延々と話し続けますけど。


「後方からの追い込みは以ての外だし、先行馬のファニーファニーは4番かぁ、ミニマイスマイルが14番なのは助かったのかな」


 恐らく明日のレース表を見ているのでしょうか? ただ、タンポポチャさんの話題があまり出てこないですね。不思議に思っていたのですが、私達より年上のおばさんのお馬さん達が今回は一緒に走るそうなんです。


「ブフフフン?」(おばさんは強いの?)


 お馬さんの1歳違いがどれくらいの差になるのでしょうか? えっと、犬は生まれた年に4を掛けるんでしたっけ? あれ、7でしたっけ? 違ったかな?


 まだ私達が中高生として、4歳から7歳くらい年上のお姉さんを相手に走る事を想像してみます。うん、ちょっと厳しいのかもしれません。


「ただ、タンポポチャが8番なのよね、何かすっごく不気味よね」


「キュヒヒン!」(タンポポチャさんがお隣!)


 なんと、初めてタンポポチャさんと最初から並んで走れるのです! 桜花ちゃんに会える事だけでなく、更に楽しみが増えた気がします。


「タンポポチャは追い込みで来るかな? でも、何かベレディーと並んで先行して来そうな気もするし。鷹騎手だと何をするか読めないのよね」


 結局、鈴村さんはブツブツと悩みながら帰っていきました。


 でも、あんな様子で今日ちゃんと眠れるのでしょうか?

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