第41話 秋華賞その後

 桜花は、塾の模試を終えて早々に帰宅してきた。


 そして、リビングに集まっている家族達へと視線を向け、家族の様子を見て何となく複雑そうな表情を浮かべる。


「私が帰ってきて録画を見終わるまで、絶対に結果は言わないでね! 録画見る楽しみが減るから!」


 模試への出発前にそう言って出かけていった桜花のために、家族も従業員も桜花がレースを見終わるまでは表情にも出さないように注意していたのだが、その家族達のその配慮と表情が思いっきり結果を物語っていた。


 帰宅して早々にテレビ画面に噛り付いた桜花は、録画した秋華賞のレースを見ながらひとりで大騒ぎをする。周りの大人たちは、その様子を生暖かい眼差しで見守るのだ。


「うわ! ちょっと! 馬群に捕まっちゃった!」


ミナミベレディーが馬群に捕まってしまった時には叫び。


「うん! 流石はトッコ! 凄い!」


 前に開いた隙間を抜けて、一気に前に出た時は喜びの叫び声をあげる。


「頑張れ! あと少し! 頑張って!」


 ゴール前では必死にミナミベレディーを応援する。その姿には、既に結果が決まっている事など関係無いと言うが如く、桜花の必死な思いが込められている。


「頑張ったよ! うん、トッコ頑張ったね!」


 タンポポチャに追い付く事が出来ず2着決まった時も、ただただ、ミナミベレディーの頑張りを褒めまくる。その様子に家族達は顔を見合わせて苦笑を浮かべるのだった。


 そして、録画を見終わった桜花は、興奮を引き摺ったまま遅めの夕飯を食べ始める。


「あ~~、トッコは2着かぁ、でも頑張ったね。枠順が12番に決まった時は、掲示板に載れるかどうかって言ってたもんね」


 桜花賞では、まだまだレースというものを覚え切れていない馬も出走する。そんな馬達も秋華賞の頃には、成長著しく精神面でもしっかりしてくる。その為、秋華賞では桜花賞とは違い、実力通りの力を発揮する馬が多い。


「大きな波乱は無かったわね。人によっては、トッコが2着に入ったことが波乱だって言うんでしょうけど」


 そう言って笑う母をジト目で見ながらも、桜花はGⅠ2着となった事で、牧場にまたもや生産牧場賞と繁殖牝馬所有者賞が入ってくる事に安堵していたりする。


「トッコは偉いなぁ、これでまた少し余裕ができるね」


「お前の受験もあるからな、学費だなんだで中々の出費だがトッコのおかげで助かっているな。桜花もトッコが放牧に帰ってきたらお礼を言うんだぞ」


 そう言って笑う峰尾だが、桜花の中では桜花賞で父の醜態を見た為に大幅に威厳だ何だが暴落していたりする。今回の秋華賞も本来は父の峰尾だけは京都競馬場へ行く予定だったのだが、一人で行くプレッシャーに勝てずに辞退していたのだ。


 そして、その事を家族全員が知っていたりする。


「お嬢さん、今日の模試はどうだったんですか?」


 牧場の従業員のトモ君が桜花に尋ねる。


「志望校を変えたし、農学部だもん何とか安全圏に入ったよ。さすがに国立はまだ厳しいけどね」


 当初は獣医を目指していた桜花ではあったが、さすがに夏休みを過ぎ、実際に私学の願書提出期限が迫ってくると現実を見ることになった。


 その為、学校と塾、そして家族と幾度と話し合い、獣医学部は諦めて農学部へと進むことに決めたのだった。


「トッコが繁殖牝馬として帰ってきて、その産駒が活躍するかもしれないし! その為にも牧場を続けなきゃだめでしょ?」


 今もこの小さな牧場を続けていくのに不安はある。ただ、生産馬のトッコが自分の名前の桜花賞を勝ってくれて、今も重賞で活躍している。そんな馬を生産できたという感動は、やはり牧場で育ってきた桜花に大きな影響を与えていた。


 もっとも、獣医になれるなら本当は獣医を目指したかったのだが。その為に立ちはだかった英語という壁を、桜花は乗り越えることが出来なかったのだった。


 牧場の経済状況を考えると、私学の獣医学部は学費と言うハードルが桜花のメンタル的に非常に高かった。それゆえに選んだ国立の獣医学部は、E判定で、結局D判定すら取れなかった。


「それでも桜花が北海道での進学を希望してくれてお父さんは嬉しいぞ」


「そうね、それでも何処かで一人暮らしする事になるわね」


 このど田舎の自宅から通える大学なんて一つも無い。それ故に一人暮らしをする事になるのだが、桜花はミナミベレディーのおかげで幾度か東京を見ることができた。


 そして、とても自分が東京で暮らしていける気がしなかったというのも北海道に固執した理由だったりする。


「私の話はもういいの! それよりトッコって次はエリザベス女王杯に行くの?」


「さぁ? そうなのかしら?」


「桜花賞1着、秋華賞2着馬だからな。行けるならエリザベス女王杯へ進むことになるんじゃないか?」


 北川牧場の面々がというより、競馬関係者達がそれを期待する気はする。


「トッコの疲労具合しだいかな? でもトッコって1戦する度に思いっきり疲れちゃうから」


 なんとなく駄目な気がする桜花であった。


◆◆◆


 香織はレースを終え家に帰ってきた。


 レースが終わってミナミべレディーを無事に送り出すまでは、気が張っていたのか然程疲労は感じなかった。しかし、自宅へと帰ってくると両腕は鉛のように重く感じられ、鍵を出すのにも四苦八苦する。


「疲れたぁ、このまま寝たい」


 そう言いながらも何時ものように帰って早々テレビを付け、録画した今日のレースを見る。


 一人で行う反省会、このお陰で未だに騎手としてやっていられる。そう思い込む事で少しでも自信を積み重ねる。それが香織流のメンタルコントロール方法だった。


「ああ、ここで鷹騎手は後ろから外に回したのかあ。やっぱり上手いし判断が早いなぁ」


 最内にいたタンポポチャを、巧みに外へと持ち出す手綱裁きに思わず感嘆の声が零れる。自分は内に入った瞬間に外を塞がれてしまい、前に出るのを諦めたのだ。


 鷹騎手はその前の段階で、周辺の馬達の動きを観察し一瞬の判断を幾つもこなして外に持ち出している。


「あそこで諦めずに、前に出る為にコーナーを膨らみながら入るべきだったのかなぁ」


 第3コーナーへの入り方を変えていれば、4コーナーから直線に向かう辺りでもう少し前につけていられたかもしれない。そうなっていたらタンポポチャともっと競り合う事が出来たかもしれない。


 すべてはタラレバ、かもしれないの仮定の話。実際そうなっていたら、掲示板に載る事さえ難しかったのかもしれない。考えても意味の無い事ではあるが、それでも映像を見ながら幾通りのレース展開を想像する。


「ここで良く前に隙間が出来たなって思ったけど、タンポポチャの動きにつられて加速しすぎたのか」


 4コーナー出口から前へと加速を始めたタンポポチャに対し、前よりにいたサンダーコーンが釣られたかのように加速しているのがわかった。そして、この加速のお陰で外に膨らんで隙間が出来ることになった。


「相変わらずべレディーはこういう運はあるよね」


 ここで隙間が出来ていなければ、更に順位を落としていたと思う。


 ただ、この時の自分はそれを冷静に判断し、べレディーの反応速度のお陰もあるが突くことができた。


「私も少しは成長していると思っても良いかな? ただ、前半は反省点しかないけど。馬見先生や、大南辺さんには2着に持ってきたことを褒められたし、記者の人達も評価してくれたけど、やっぱりもっと良い騎乗があったんじゃないかな~」


 良いのか悪いのか、ミナミべレディーは今までのレース後と比較すると、今回は疲労が少なく見えた。


 あの独特の走り方が直線で出たにも関わらず、それでも疲れて動けなくなるような様子も無かった。これはべレディーの馬体が完成して来ているのも勿論ある。でもそれ以上に、秋華賞ではそこまで限界のレースをしていないんだと思う。


「限界のレースって、先行からの粘り勝ちの時なのよね」


 最後に抜かれまいとする時に、べレディーは限界以上に頑張っている。ただ、そう考えるとべレディーは先行馬じゃ無い方が良いのだろうか?


「今日のレースでも中団からの追い込みであれば、そこそこのレースは出来るようになってきたのよね」


 今まで以上の末脚をべレディーは見せたと思う。


 そう考えれば、今後は中団からの差し、前よりの差しでも戦えるのではないだろうか? もっとも、タンポポチャ以外にも、牡馬牝馬混合レースであれば、それでは勝てないと思える。


「限界以上のレース、あれも怖いのよね。もしあれでべレディーに何かあったら、立ち直れなくなる自信があるわ」


 香織はついついそんな事を思ってしまう。それくらいにミナミベレディーという馬に感情移入をしていた。もっとも、GⅠを初めて勝たせてくれた馬だ、どんな一流騎手であっても同じような思いはあるだろう。


「明日、馬見調教師に相談してみようかな」


 漸く考えを纏める事が出来た香織は、もぞもぞと服を脱ぎ散らかしながらベッドへと潜り込むのだった。

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