第38話 秋華賞枠番決定

 3歳牝馬三冠レースの最終戦。京都競馬場、芝内回り2000mで争われる秋華賞。


 このレースに対する各陣営の意気込みは強く、タンポポチャが所属する磯貝厩舎では、何としてもオークスに続き秋華賞を勝利したいと願っていた。 


 それに対してミナミベレディー陣営は、どちらかと言うと勝てたらラッキーといった様子である。


「秋華賞に向けて、ベレディーの状態はいかがですか?」


 秋華賞を翌週に控え、大南辺は馬見調教師の厩舎を訪れていた。


「アクシデントを言い訳に出来ませんが、紫苑ステークスでは申し訳ありませんでした。幸いベレディーも良い状態をキープ出来ています。なんとか勝ち負けまでは行けるのではと」


「そうですか、それは良かった。馬主になって初めてベレディーがGⅠを勝ってくれて思うのですが、いざGⅠを勝つと次は、次はと欲が出ますね。

 本当に困ったものです。GⅠを勝つかもしれない、そんな期待を持てる馬を所有できたことに感謝しないといけないのですが」


 GⅠ勝利など夢のまた夢、自身の所有馬がGⅠを勝つなど思ってもいなかった。今回も悩みに悩んで、ついに悩みが天元突破して、大南辺は悟りを開いたような状態になっていた。


「そうですね。ミナミベレディーは我が厩舎に初のGⅠ勝利を齎してくれました。感謝してもしきれないです。だからこそ、引退後により良い繁殖生活が送れるようにしてあげたい。その為には、一つでも勝利を増やす事だと思っています」


 未だに、ミナミベレディーがGⅠを勝てる馬かと言われれば、厳しいのではと思う自分がいる。それでも、桜花賞においてミナミベレディーはその評価を覆してくれた。


 ただ、その後の疲労状況などを見ると、ミナミベレディーという馬は限界よりちょっと無理をする事が出来る。限界を超えて走った結果が、今の実績に繋がっている。馬見調教師はそう考えていた。


 それ故に、ミナミベレディーは1レースを走り切った後は疲れ果ててしまうのだろう。


 この事は、厩舎の者達全員で共有しており、ミナミベレディーは故障と隣り合わせで走っている事を理解している。その為、馬見厩舎では少しでも無理をせずレースが出来るように、地力をつけてあげる事しか出来ない。


「はあ、いつかはGⅠを勝てる馬が欲しいと思ってきましたが、いざGⅠが勝てる馬を持てば持つなりに悩みが増えます。よし、ベレディーの様子を見に行ってきます」


「大南辺さん、ご一緒させていただきます」


 馬見調教師も、大南辺と共にミナミベレディーの調教を見に行くのだった。


◆◆◆


「うん、いい感じだね! 良い状態で仕上がっているよ」


 鞍上の鈴村さんが、私の状態を見て褒めてくれます。


 来週には秋華賞へ出走するみたいで、なんか1週前の追切をしたんです。

 私的にもそれなりに手応えは十分であったかな? 過去のレース前を含めても、1番と言っても良い仕上がりになっている気がします。


「ブフフ~ン」(でしょ! 良い感じだよね!)


 あれからダイエットも頑張りました! そのお陰で、スラっとした美人さん体型を復活させましたよ!


 ご飯を減らすのは難しいので、頑張って運動量を増やしました! 自由時間も淡々と一人で走って頑張ったのです。


「よしよし、来週が楽しみだね。桜花ちゃんが来られないのは残念だけど、応援してるから頑張ってねって」


「ブヒヒ~ン」(うん、残念~)


 うん、桜花ちゃんは流石に受験の追い込みで大変そうです。お休み返上で、塾やら模試やら忙しいみたい。先日、鈴村さんの御蔭でパソコン越しに話が出来ましたけど、声にも何となく張りが無くお疲れ気味な感じでした。


 パソコンの画面では顔はピントが合わなくて、声の印象だけですけどね。


 私には、大学受験の記憶はないのです。高校受験はしたと思うんですよ?


 何となく女子高校生だったような記憶はありますから。良いのか悪いのか、受験で苦労した記憶は欠片も思い出せません。お馬さんになれて良かったのかな? また受験とか経験したいとは思いませんよね。


「桜花ちゃんも頑張ってるから、私も頑張らないと!」


 そう言う鈴村さんは、今年は桜花賞効果もあって既に24勝をあげているみたいです。


 乗鞍は昨年の倍近くに増えたそうなので、勝率はそう考えると今ひとつ? それでも、調教師のおじさんが言ってましたけど、人気薄のお馬さんで頑張って掲示板に持っていってるみたいで、騎手としての評価は上がっているそうです。


「そういえば、先日ベレディーの全妹のヒヨリちゃんと同じレースに走ったよ。あの子も馬群が苦手そうだね。他の馬に囲まれたら走る気無くなっちゃったみたいだった」


「ブヒン?」(そうなの?)


 どうやら妹のヒヨリちゃんは、他のお馬さんが怖いみたいです。うん、その気持ちは判らないでもないですよ?


 後ろから馬群の足音が響いて来ると、見えないだけに怖いですよね。

 今までは周りを囲まれた事が無いですけど、きっと怖いだろうなと思います。ほら、集団で駆けっこしてると前に躓きそうだったり、ぶつかりそうだったりとと色々な怖さだってありますよね?


 その後、綺麗に洗って貰ってマッサージもして貰った私は、ご機嫌で馬房へと戻りました。


 そこでは、何時もの様に鈴村さんがパソコンを使ったお勉強会を始めます。


「ベレディー、秋華賞はね、先行馬が勝ちにくいの。差し馬、追い込み馬有利って言われてるんだよ。その要因は、このスタートしてすぐに始まるカーブなんだ」


「ブヒャン」(見えません)


「そうなの、だからスタートダッシュが出来ないの」


「ブヒヒヒン」(だから見えてませんよ?)


 うん、会話が成り立っていません。私には画面が見えないのですよ。


 説明で何となく想像はしますけど、スタートしてすぐにカーブですか。それで、何で先行馬が不利なのか良く判りません。

 更に説明を聞いていると、最後の直線は平坦だそうです。坂じゃ無いから末脚が鋭いと勢いがつくのかな?


「タンポポチャの末脚が鋭いからそれまでに距離を離しておきたいけど、その為には向こう正面で頑張らないと駄目なの。でも、そうすると息を入れる場所が無いんだよね。前回の紫苑ステークスに近い展開になっちゃうとメンバー的に負けると思うわ」


 私も何度もレースをして来て、段々とレースという物を理解出来て来ました。


 枠次第でレース展開を変えられるほど私は器用ではないですから、出来れば内側でスタートして、先頭でコーナーに入りたい所ですね。

 横一列でコーナーに入るイメージをしてみると、外側からスタートしたら思いっきり後方からのレースになりそうです。


「ブヒヒヒン!」(なんでそんな所からスタートするの!)


 思わずそんな抗議の嘶きが出ちゃいます。


「外枠は嫌だなぁ」


「キュフン」(嫌だよね~)


 鈴村さんの言葉に、私も大きく頷くのでした。


◆◆◆


 そして始まる秋華賞当日、前日に正式な枠番も決定しミナミベレディーは運悪く外枠よりの12番に決まった。


 秋華賞出走馬の頭数が最終的に16頭となった為、完全に外寄りの枠順である。


 土曜日に栗東トレセンへと移送されたミナミベレディーは、相変わらず移動の疲れは見せずにのんびりとした雰囲気を醸し出している。陣営的にはGⅠという事で少なからず緊張に包まれているのだが、ミナミベレディーからはそんな緊張を感じる事無く、移送中も思いっきり爆睡していた。


「12番かあ、厳しいな」


 馬見調教師はレース表を見ながら呟く。


 秋華賞でなければ、京都の内回り、芝2000mで無ければ、色々思う所はあれど決まった事に文句をいう訳にもいかない。


「鈴村騎手も頭を抱えていましたね。御蔭で人気も5番人気ですよ。一応、桜花賞馬なんですがね」


 そんな馬見調教師を見ながら、蠣崎調教助手は一昨日に枠番が決まった時の鈴村騎手を思い出して言う。


 ミナミベレディーが好スタートを切ったとしても、先頭へと立つには距離が足らない。どうしても中団からのレースになってしまうだろう。


「タンポポチャが内枠1番ですから、出来れば交換して欲しいですね」


 差し馬、追い込み馬のタンポポチャは、ミナミベレディーとは逆に最内1番を引き当てている。


「あちらはあちらで、周囲を囲まれないか心配になる所ですかね。外へ出すにも1番では厳しいですから」


「恐らくスタート勝負で前につける。そこから周囲を囲まれないようにしながらの先行差しを狙うだろうな」


 タンポポチャは、新馬時代から比較しても柔軟な騎乗が出来るようになってきている。それ故に、ここで無理な事はしないように思う。


「ただ、先行馬不利と言われる秋華賞ですから、どうですかね」


 馬見調教師も、蠣崎調教助手もレースの展開がイメージできない。


 恐らく5番のファニーファニーがいつもの様に先頭に立つだろう。その後ろにタンポポチャが来る事は無いだろうし、それ故に今年の秋華賞は何となく波乱が待ち受けている気がして来る。


「荒れてくれた方が、ベレディーにチャンスはあると思うか?」


「いえ、ベレディーの今までのレース結果と人気だけを見れば、荒れている様に思えますが、実際の所ベレディーを除けば無難なレースばかりだと思います」


 アクシデントで連対を逃しているミナミベレディーではあるが、その2レースを除けば安定したレースだ。その安定したレースは、言い方は悪いがアクシデントの無い無難なレース運びだった。


「今まで枠順にも恵まれていましたからな」


「ここに来て思い知らされましたね。まあ大外16番で無かった事を喜びましょう」


 何事も前向きに、そう意識を切り替える馬見調教師達であった。

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