第37話 ローズステークスとタンポポチャ
紫苑ステークスでミナミベレディーが負けた翌週、関西ではローズステークスが開催されていた。
「鷹騎手頼むぞ、先週のミナミベレディーみたいなアクシデントはいらないからな」
磯貝調教師は、これからレースに出走する鷹騎手へと激励に来ていた。
またもや1番人気と生半可なプレッシャーでは無いだろう鷹騎手に、それでもタンポポチャの勝利を強く依頼する。鷹騎手もそんなプレッシャーを感じさせることなく、いつも通りに磯貝調教師へと挨拶をする。
「それ、全然笑えませんからね。まあ幸いタンポポチャは追い込み馬ですから、怖いのは囲まれることですけどね。当たり前ですが、思いっきりマークされているとは思いますよ」
奇しくもタンポポチャの枠番は、紫苑ステークスでミナミベレディーが付けた枠番と同じ8番。ただ、これがどう影響するのかは何とも言えない。出走頭数はこちらも18頭、しかも前評判では先行馬が有利と言われている。
そんな中であっても、タンポポチャは不動の1番人気だった。
「ファニーファニーが先行しますから、前回のオークスみたいな展開にはならないと思います。であれば、やりようはあります」
「まあ、俺達は見ている事しか出来ないからな。あと、何と言っても本番は来月だから無理をするなよ」
「頼むと言ったり、無理をするなと言ったり、それって両立しませんって」
笑いながらパドックへと向かう鷹騎手を見送りながら、磯貝調教師も関係者控室へと向かうのだった。
◆◆◆
その後のローズステークスは、人気通りに8番タンポポチャが最後の直線で他馬を振り切り、1馬身差の圧勝でレースを締めくくった。タンポポチャは終始中団の外に付け、追い込みと言うよりも差し馬のようなレースを展開し柔軟性の高さをしめした。
「終わってみれば完勝か、これで秋華賞も見えたな」
「そうですね、他馬も出来は悪くなかったように見えましたが、能力的にもタンポポチャが頭一つ抜けてる感じです。まあ、言われるほど完勝ではありませんでしたが、まあ秋華賞も何とかなるんじゃないですか?」
特に春先と比べると、タンポポチャの精神面での成長が著しい。
以前ほど他馬や周囲の状況に苛立つ事も無くなり、レースにしっかり集中するようになった。それがプラスへと働き、安定したレースを行う事が出来るようになっている。
「やっぱりミナミベレディーの御蔭ですね。今日もミナミベレディーを探すような素振りを見せました。余程気になるんでしょう」
実際の所、馬同士でライバル関係など発生するのかは不明だが、新馬時代から比べ今のタンポポチャは非常に落ち着いている。好き嫌いは未だに根強くあるが、周りからはもう気性が激しいとは言われなくなっていた。
「あちらも前走の疲労は少なく済んだみたいだな。次の秋華賞は3歳最強牝馬の表彰に係わってくる。桜花賞は逃したが、やはり牝馬2冠は欲しい」
昨年、2歳牝馬優駿を勝利し、最優秀2歳牝馬の称号も獲得した。今年の状況を見るに、秋華賞を勝てば間違いなくタンポポチャが3歳最強牝馬の称号を取れるだろう。ただ、ミナミベレディーが秋華賞を勝てばミナミベレディーにその称号は渡る可能性が出て来る。
秋華賞に勝つのがミナミベレディー以外の馬ならば、恐らくタンポポチャに称号は贈られるだろう。
「秋華賞のレース後の状態次第では、11月のエリザベス女王杯に出走させる。そこで勝てばタンポポチャの将来は安泰だな」
GⅠを4勝ともなると、その将来への期待値はとてつもない。生半可な種牡馬は種付けする事も出来なくなるだろう。
それはタンポポチャの未来が明るい事を示している。
「磯貝調教師、取らぬ何とかって言いますよ」
「夢ぐらい見ても良いだろうが! タンポポチャの産駒だって俺は期待してるんだ。うちの厩舎の格付けを上げてくれるってな」
調教師は実績ありきであり、馬主達もやはりGⅠを多く勝った事のある厩舎へと馬を預けたい。幸いなことに近年は、磯貝厩舎で所有する馬房数いっぱいの馬を預かっている。そして、現在もタンポポチャを含め現役GⅠ馬が2頭いる。
「センコウブルーも今年はもう5歳だ。いくらGⅠを2勝しているとはいえ、全盛期は過ぎたし今年は厳しいからな。タンポポチャは恐らく4歳で引退して繁殖に回るだろうし、牡馬で良い馬が欲しいなあ」
磯貝調教師のボヤキに鷹騎手は思わず苦笑を浮かべる。
実際の所、調教師の中でも磯貝調教師は活躍している方である。そんな磯貝調教師ではあるが、あと2年で還暦を迎えようとしている。定年の70歳まで続けるかは磯貝調教師の考え次第ではあるが、厩舎を引き継いでいくはずの長男は調教師になる事を嫌い一般企業でサラリーマンとして働いていた。
「鷹騎手、どうよ? 俺の後を継がんか?」
いつもの様に冗談交じり、本気交じりの言葉が飛び出すが、鷹騎手はそれを笑って誤魔化す。
「生涯現役で60過ぎても騎手を辞めない先輩もいますし、まだ必要と言って貰える間は騎手をしますよ」
毎年リーディングジョッキーとして上位には付けているが、近年は1位をロンメル騎手が占め、また若手の台頭も始まってきている。それでもまだ3着内率は4割弱を維持している。鷹騎手としても、まだまだ頑張れると思っているし、負ける気でレースに出たことなどない。
「2歳牝馬で、サクラヒヨリの騎乗を打診されているんですよね」
唐突に鷹騎手が話題を変えた。一瞬、磯貝調教師は鷹騎手が何を言っているのか判らなかったが、そのサクラヒヨリがミナミベレディーの全妹である事を思い出した。
「で? どうするんだ」
「受けようかと。とりあえず1勝はしてますが、その後が良くなかったみたいで、4番人気の12着だったらしいです」
鷹騎手の表情を見て、磯貝調教師は首を傾げる。
「お前が乗るほどの馬なのか?」
「さぁ? ただ、ぱっと見ミナミベレディーによく似た馬です。ただ、仕上がりが遅そうですから騎乗していた長内騎手には悪いですが貰っちゃおうかと。GⅢなら勝てそうですよ?」
「どうせお前が興味を持っているとか、乗ってもいいとか、そんな事をそれとなく関係者付近で話したんだろう。そうでなきゃ、そんな話はこんわ!」
鷹騎手のいかにも悪戯っ子のような表情に磯貝調教師は溜息を吐いた。
◆◆◆
「うわぁ、タンポポチャ圧勝してる」
鈴村さんが態々私の所へ来て、ノートパソコンで今日あったローズステークスのレースを見せてくれます。もっとも、相変わらず私は画面が良く見えないんですけどね。
「終始中団につけて、そこからの差しかぁ。後方からの追い込みに比べると安定度が違うからね。知ってたけど強敵だね」
うん、タンポポチャさんの走る姿は、2歳の時に後ろから見た映像が思いっきり刻まれてますよ。
あの桜花賞で良くタンポポチャさんに、ハナ差とはいえ勝てたなぁと今でも思います。
「先行して、中団でスタミナの消費を控えて、直線手前で前に出て、そっから粘るしかないよね」
桜花賞の時と同じ展開ですよね。一応、私もあれから成長していると思うんですが、何となくそれ以上にタンポポチャさんが成長している?
ローズステークスの映像を何度も繰り返し見ている鈴村さんの横で、私は耳をそばだててタンポポチャさんの足音とリズムを聞くのですが、前より何かリズムの感覚が長いです?
「あれ? タンポポチャのストロークが強くなってる? 一歩一歩の間隔が長いわ」
直線はともかくとして、そこに至るまでのリズムが明らかに違うのです。これって、私と同じ様に走り方を変えているのかな? あれ? まさかのタンポポチャさんも転生馬説あり?
私がそんな風に混乱していると、鈴村さんも似たような結論に達したみたいです。ただ、映像を見ていた鈴村さんが言うには、タンポポチャさんが直線までの道中を力を抜いて走っていると?
まあ、私は音だけで判断していますからね。
「拙いわこれ、馬見調教師にも話すけど、タンポポチャの馬体が一回り大きくなってる」
映像を見られない私では判らないのですが、タンポポチャさんは更に大きくなったみたいです。それでリズムがゆったりして聞こえるのですか。ただ、直線でのリズムが同じに聞こえるという事は、それだけ前に進む力とか、距離とかは増えているんですよね?
ま、不味いじゃないですか!
あの無敵のようなタンポポチャさんが、更に強くなって戻って来るんですか? どこの最強魔王です?
鈴村さんも慌ててノートパソコンを持って、馬房を出ていっちゃいました。
むぅ、私だって夏に牧場にいた時には、一回りは大きくなったと言われたのですよ!
主にお腹周りでしたが、なんせ繁殖牝馬とまで言われたのです・・・・・・駄目じゃ無いですか。
明日から、もう少しダイエットした方が良いのかな?
今日のご飯は既に完食しちゃっていますからね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます