第36話 紫苑ステークス決着
ミラクルさんにゲートを出て直ぐに体当たりをされて、私は出足が付きませんでした。
うん、先頭と10馬身は離れているのかな?
走りながら前のお馬さん達を確認します。鞍上の鈴村さんも落馬をする事無く、ここからレースに集中するみたいです。
「ベレディー、向こう正面の直線で前に出るよ。流石にここからだと厳しいね」
フンフン
鼻息でお返事して、まず手前のコーナーを回ります。ただ、一頭ポツンとしている御蔭で楽に回れます。
頑張って走りながら、何とか前の団体さんの最後尾に追いつきました。
「本当だったら此処で息を入れたいんだけど」
そう言いながら手綱を扱く鈴村さんの指示に任せて、私はカーブで縦長になったお馬さん達の横を通り抜け前に前にと進みます。
でも、あと4頭前にお馬さんがいる状態で、カーブに差し掛かっちゃいました。
「少しだけど、一旦ここで息を入れよう」
内側に一頭お馬さんがいて、その外を回るようにカーブへと入っていきます。
でも、この段階で結構疲れちゃってるんです。
「後半、どれくらい行けるかだなぁ」
鈴村さんも私の状態が何となく判っているみたいで、少しでもスパートを遅らせたいみたいです。
前を走る4頭の状況をじっと見つめて、直線でのコース取りを考えているのかな。
「出来れば内に行きたいけど、前残りしそうだね。壁になると厳しいかも」
そう言っている間にも、前を走るお馬さん達はカーブを抜けて直線へと向かい、4頭とも壁の様に横に広がりました。後ろから追い抜く気満々の私は、このまま前に進んでも前の4頭が邪魔して先頭に行けそうにないです。
「ごめん! 外に行くよ!」
私が見る限り、最内に少しスペースがありそうですが、横のお馬さんがいるのでそちらへ行くのは無理ですね。私は鈴村さんの指示に従って、加速をして外へと膨らみます。
「こっからはもう根性任せだよ! 私もしっかり補助するから、ベレディーも頑張って!」
鈴村さんに言われるように、前のお馬さん達を必死に追いかけます。
何となくタンポポチャさんに大負けしたレースを彷彿させちゃいますが、前のお馬さん達はタンポポチャさん程勢いは無いですね。ただ、問題は私がこの段階で思いっきり疲れちゃっている事と、私の更に外側を駆け上がってくるお馬さんが見える事です。
う~~~、ここ勝たないとタンポポチャさんに会えないのに~~!
必死に前を追いかけますが、直線でまたもや坂があります。でも、前の4頭は坂で今一つ伸びが無いかな? 私との距離が少し縮まりました。でも。私も疲れてて、勢いよく駆けあがれません。
私が何とか2頭躱した時に、今度は後方から別の2頭のお馬さんがやってきて私を抜き去って前に行っちゃいました。
ググっと体を沈めて更に加速しようかと思ったんですが、残念ながらゴールだったみたいです。
「ベレディー、お疲れ様! 大丈夫、本番は来月だから! そこで頑張ろうね!」
え? でも、ここ勝たないと出られないんじゃないの?
あれ? 勝たなくても良かったの? 状況が判らなかった私ですが、レースでは結局5着になったみたいです。
「ベレディー頑張ったよ! よくあそこから掲示板に載ったね! 凄いよ!」
鈴村さんがそう言って必死に私を褒めてくれますけど、前回は6着だったよね。そう考えれば、一つ前になれたので良いのかな?
もっとも、あのレースはタンポポチャさんとか凄い速いお馬さんが居ました。だから比較にはならないかな? でも、5着で秋華賞に出れるのでしょうか? タンポポチャさんに会えないと悲しいですよ?
疑問符をいっぱい頭の上に浮かせながら、検量室へと鈴村さんと向かいます。
その後、一応獣医さんに診察をしてもらう事になって、どこも異常は無いと言って貰えました。でも、やっぱり負けちゃったのは悲しいのでショボンと落ち込んでますよ。
◆◆◆
『第※※回GⅢ紫苑ステークス、芝右回り2000mで行われます秋華賞トライアルレース。牝馬18頭が秋華賞への前哨戦をどう戦うのか、1番人気は何と言っての桜花賞馬のミナミベレディー、オークスは未出走ながら、秋の秋華賞へ向け陣営は万全の態勢で・・・・・・。
今各馬揃ってゲート入りし、スタートしました! スタート巧者の8番ミナミベレディーがスススと前に行こうかと、あ! 接触! 少し遅れてスタートを切った7番ミラクルドラマ、外へと体勢を崩しミナミベレディーと接触! ミナミベレディーが一瞬ふらつき完全に失速、未だ競争中止はしていないが大きく出遅れました』
「な!」
馬主席でレースを観戦していた大南辺は、思わず席を立ちあがりました。
『幸い落馬なども無く、レースはそのまま継続されています。しかし、ミナミベレディーは最後方の17頭目、必死に前を追走しますが、これは厳しいか。思いっきり後方からのレースへと変わりました。』
「貴方、落ち着いて」
隣に座っている妻に手を引かれ、ストンと席へと座り込みます。
ただ、この間もレースは進み、ミナミベレディーは果敢に前へ前へと位置取りを変えていく。
『先頭は4コーナーを回り、後方は次第に慌ただしくなってきました。
依然、先頭は4番カゼノササヤキ。その後ろにユニカローラ、更に半馬身後ろにアオゾラノユメ、ミタワネが続き、更に1馬身ほど離れて1番人気ミナミベレディーが此処にいました居ました! 出遅れを挽回する様に果敢に前へと位置取りを変えて来ましたが、スタミナは持つのか! 残るは最後の直線!
各馬4コーナーを抜けて最後の直線、ミナミベレディー必死に前を追う! アオゾラノユメは一杯か! ユニカローラが先頭だ! 半馬身前に出る! 後方から追い上げて来たのはプリンセスフラウ! 8番手から10番手の位置から一気に上がって来た! ミナミベレディーをかわし、前を捉えるか!
ゴール直前、ここで先頭に立ったのはプリンセスフラウだ! プリンセスフラウだ! プリンセスフラウ、凄い末脚で一気に先頭へと躍り出た! ミナミベレディーは伸びない! これは掲示板までか!
プリンセスフラウ、オークス3着はフロックでは無い事を此処に証明しました! 秋華賞は私が勝つと、その意思をここに示しました! 1番人気のミナミベレディーはようやく5着、やはりスタートの不利が祟ったか!』
レースの実況を聞きながら、シートに深く座ったまま大南辺は大きな溜息を吐く。審議となっているが、接触したミラクルドラマは17着に終わっており着順に変更は無い。
「掲示板にはなんとか載ってくれたか。先行馬であればこの結果も仕方が無いな。そもそも、避けようにも後方で騎手の視界に入っていなかっただろう」
「多少は賞金も出るのでしょ? それなら良かったじゃない。本番は秋華賞なのでしょ? もう、元気を出しなさい」
横に座っている何故かミナミベレディーのレースがある時は付いて来る妻が、大南辺の背中をバシバシと叩きながら言う。
「そうだな、とりあえず鈴村騎手や馬見調教師を労いに行くか。流石に不本意だったろうからな」
そう言って席を立つ大南辺に、一人の中年男性が慌てて駆け寄って来る。
「大南辺さん、うちの馬が申し訳ない!」
ミラクルドラマの所有者である真田氏が、大南辺の所へと来て大きく頭を下げる。
「あ、真田さん、いやぁ、頭を上げてください。レースはこういう事もあります。いつ逆の立場になるか判りませんし、何せ言葉の通じない馬ですから。事故にならなかった事に感謝して、お互い次走頑張りましょう」
幾度も頭を下げてくる真田を宥め、大南辺は急いでベレディー達の所へと向かう。
ただ、表情は真田と会話していた時とは一変し、表情に先程までの朗らかさは欠片も無い。ちょっと不貞腐れた様な、実に不機嫌な表情を浮かべている。
「あら、お互いに次走頑張るんじゃないの?」
その様子が可笑しく、笑い出しそうな道子がそう揶揄うと、ブスっとした表情で大南辺は答える。
「建前は建前だ。ただ、悔しい思いはある!」
「鈴村騎手達の前でそんな顔しないでよ」
「判っている!」
そんな子供っぽい夫をクスクス笑いながら、道子は夫と共に馬の様子を見に行くのだった。
◆◆◆
レース後に行ったミナミベレディーの診察で、特に異常は見つからなかった。その事に馬見厩舎の面々はホッとした雰囲気を漂わせる。
「まあ残念ではあるが、今回のレースで先行差しならそこそこ行けそうな手応えはあった。それで良しとしよう」
馬見調教師の言葉に他のメンバーも苦笑いを浮かべる。
「まあ、2000mじゃなければ惨敗も有り得ましたね」
「はい、向こう正面で何とか前寄りにつけられました。ただ、息を入れる余裕があまりありませんでした。若しかすると最後の追い込みに賭けた方が良かったのか未だに悩んでますが」
蠣崎調教助手の言葉に、鈴村騎手も同意しながらもレースの展開があれで良かったのか、その部分を悩んでいた。
「最後の追い込みであれば、恐らくあの特異な走り方をしたかもしれません。ただ、そうなると疲労で秋華賞は絶望的になります。馬自体は悪くなかった、次につながったと考えましょう」
有力なライバル不在のレースだっただけに、馬見厩舎としては出来れば勝っておきたかった。ただ、今更それを言っても仕方が無い。
「大南辺さんも次走で頑張りましょうと言ってました。気持ちを切り替えましょう。ベレディーにとっても不本意な結果ではありますが、それでも5着に入った事で存在感は示せたと思います」
先程、ミラクルドラマの騎手を務めていた小西騎手が謝罪に来ていた。
もっとも、審議後にペナルティーで騎乗停止1日の処分が科され、一応の決着がついていた。その事もあり、馬見調教師達も鷹揚に謝罪を受け入れている。もっとも、これまた内心は別ではあるが。
「芝2000mでのレースを試せなかったのは痛いですが、掲示板に載った事も考えればやはり長い方が良さそうですね」
「鈴村騎手はどう感じたかね?」
「そうですね、最後の直線は実際の所あまり手応えは無かったです。そもそも、道中でスタミナを使い切っていますから。やはり勝つには前残りを狙う方が良いと思います。ただ、タンポポチャの末脚は怖いですね。プリンセスフラウの末脚以上に鋭いと思います」
鈴村騎手の意見にみんなが頷く。
そんな中、漸くベレディーの美浦への運送準備が整ったと連絡が来た。
「本番は来月だ、出来る事を頑張るしかない」
馬見調教師の言葉に、全員が頷くのだった。
◆◆◆
北川牧場では、今日も今日とて桜花ちゃんの叫び声が牧場に響き渡っていた。
「うきゃ~~~~! ありえないって、何でぶつかって来るのよ! 信じらんない!」
レースをテレビで観戦しながら、あわよくば今日もGⅢを勝てるのではないかと期待していただけに、スタート直後の接触は予想外であった。
「う~~ん、これは終わったな」
「そうねぇ、ここまで後ろだとトッコには厳しいわね」
勝てないと判ると、途端に冷静になる峰尾と、いつも冷静な恵美子がレースを見ながら感想を述べる。
その二人に対抗する様に、桜花ちゃんは更に大騒ぎするのだ。
「トッコがんばれ~~! あと少しだよ~~~! がんばって~~~!」
テレビに噛り付くかのように応援する桜花ちゃんを、家族達がほのぼのと眺めている。
桜花ちゃん以外はすでに茶飲みモードへと移行していた。
「ぎゃ~~~~! 勝てなかったよ~~! でも、5着だよ、頑張ったよね! ね!」
「そうね、頑張ったわね」
「う~~~、悔しい! 小西の馬鹿! なんで選りにもよってトッコにぶつかるのよ!」
未だに怒りが収まらない桜花ちゃんであるが、未練がましく画面を見た後、しぶしぶ自分の部屋へと引き上げていく。
9月、自分に残された時間もあと僅かであり、自分の勝負の時も近づいてきているのだ。
「・・・・・・アクシデントが怖いから、試験会場の傍にホテル予約して貰おうかな」
何が起きるか判らない。それをまざまざと見せつけられた桜花ちゃんであった。
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