第31話 桜花賞 レース後

『満開の桜に彩られ、第※※回 3歳牝馬限定、芝1600mで競われますクラシック第一戦桜花賞が間もなく阪神競馬場で行われようとしています。ここ数日続く晴天の下、芝は良、絶好のコンディションの下、まさに選りすぐりの乙女達18頭が今まさに熱き戦いを行おうと・・・・・・』


 阪神競馬場では、ターフビジョンに今まさに桜花賞の映像が流れ、その解説が始まっている。


 大南辺はその解説をいつもの様に聞きながら、目の前のターフビジョンでパドックを歩く馬達を見ていた。


「貴方、どうせならパドックに行ってみたかったわ、馬主専用のパドックもあるのでしょ?」


「ああ、ある事はある」


 何となく妻を連れてそこへ行くのが嫌だったとは、とても本人には言えない。その為、大南辺は曖昧な返事を返してしまう。


 前回、ミナミベレディーのレースを見に来ていた妻は、今回も何を思ったのか一緒に付いて来た。前回とは違い、今日はブランドのスーツに身を固めている。そして、目の前のテーブルに設置されているモニターでオッズを確認している。


「あら、12番人気なのね。単勝で58倍ってことは1000円だから58000円? 意外と儲からないわね」


 その言葉からして、ミナミベレディーの単勝馬券を何時の間にか購入しているらしい。


「お前がまた競馬場へ来るとは思わなかったな」


 予想以上に楽しそうにしている妻を見て、大南辺は率直に言って驚いていた。


「あら? せっかくの日曜日よ。非日常の世界でお馬さんを見るのも楽しいわ。前はもっとギャンブル一色みたいな印象を持っていて敬遠してたの」


 そんな妻の言葉に、恐らく妻の中では一昔前の競馬場の印象が強いのだと判った。今では若い人や子連れの人も多く、子供達の遊び場も完備されているために昔のような印象は抱かない。


 もっとも、ギャンブル一色ではないと言い切れない所は未だに変わらない。今も勝ち負けがすべての世界ではある。


「十勝川さんは、今日は来られていないのね」


 周囲を見回してそう話す妻に、十勝川勝子の保有馬は桜花賞に出走していなかったなと思い出す。


「他の親しい方が居たら紹介してね」


 そう言って横から画面を覗き込む妻を、苦笑を浮かべて見る大南辺だった。


◆◆◆


『各馬無事にゲートに納まりまして、今スタート! 各馬揃った綺麗なスタートを見せる中、内側3番ミナミベレディー、スタート巧者の本領発揮で先頭に立つか? 最内のサンダーコーンも悪くないスタート。外からはファニーファニー、鞍上乗り替わりの木内騎手が手綱を扱いて前へと進んでいきます。先頭は・・・・・・。


 先頭ファニーファニーから、最後方のフィッシングロッドまで8馬身程、800m通過タイムは47.4、これはやや遅いタイムか。先頭は依然ファニーファニー、後続を2馬身程引き離し先頭を走ります。


 ここで、3コーナー回りまして早くも各馬が動き始めました!


 後方からプリンセスフラウが上がってくる! それに合わせてヤマギシンフォニーにも鞭が入った。タンポポチャはまだ動かない! 現在6番手、鷹騎手の手はまだ動いていない!


 ファニーファニー、4コーナーから先頭で直線へと向かう。その外にはヤマギシンフォニー、おっと、ここで最内のミナミベレディーが伸びてくる! 内側に空いたスペースを上手く使ってファニーファニーに並ぶ勢いだ!


 各馬、直線の坂へと入り、ファニーファニーは一杯か! 内ミナミベレディー、ファニーファニーを交わす勢い。外、ヤマギシンフォニー、ここで間を抜けてプロミネンスアロー、しかし、大外からタンポポチャが伸びて来た! これはまだまだ判らない。ファニーファニー後退、ここで坂を抜けミナミベレディー先頭に立った!


 大外、タンポポチャ、プロミネンスアロー、共に途轍もない加速で前を走るミナミベレディーを追いかける! 届くのか! ここから差し切れるのか! 凄まじい末脚で一気に前を捉えに行った!


 ファニーファニーをあっさり交わし、タンポポチャは2番手に! プロミネンスアロー3番手! 先頭を走るミナミベレディーとの差は残り半馬身!

 これは前を捉えたか! 坂を抜け、ゴール直前の短い距離で、2頭が揃ってミナミベレディーに追い付いた! そして、3頭並んだ所がゴールだ!

 これは判らない! 大外タンポポチャ差し切ったか? 内ミナミベレディーが粘ったか! 第※※回桜花賞・・・・・・』


 ゴール前の映像では、ほぼ同着でタンポポチャとミナミベレディーがゴールしているように見える。プロミネンスアローは頭差の3着、4着は首差でファニーファニーが入り、5着はヤマギシンフォニー。


 ある意味ミナミベレディーが入らなければ、予想通り、人気通りの馬達が上位を占めたことになる。


「・・・・・・・・・・・・」


 無言で映像を見ているのは馬見調教師だった。


 ただ、その顔からは勝利への期待だなんだは無く、ダラダラと脂汗が流れ出ている。レース終盤からミナミベレディーが先頭に立ち、ゴール板を駆け抜けたその瞬間まで、馬見調教師は息をする事すら忘れていた。


 その為に、今も顔は真っ赤になっている。


「・・・・・・」


 馬見調教師の様子に、周りにいる者達も声を掛ける事すらできない。周りにいる競馬関係者達は、誰もがレースの着順が確定するのを今か今かと待ち望んでいた。ただ、そこで漸くではあるが、馬見調教師は映像に映された出走後のミナミベレディーが、未だにコースの真ん中で佇む異常に気が付いた。


 赤い顔が一転して青く変わり、馬見調教師はベレディーから下馬して脚の様子を見る鈴村の様子を確認する。


「ま、まさか!」


「あ、馬見調教師どこに?」


 周りにいる人達が驚きの目で見る中、馬見調教師は結果を見ることなく慌てて関係者控室から駆け出すのだった。


◆◆◆


「やった~~~! トッコすごい! お父さん、トッコが桜花賞勝っちゃったよ!」


 レース中も桜花は、それこそ大騒ぎをしながら観戦していた。


 中盤から後半に掛けてトッコが先頭に立ち、ゴール板を駆け抜けるその瞬間まで、画面を見ながらキャーキャーと大騒ぎをしていた。


 そして、結果が出るその瞬間まで、父の腕を掴んで「どうかな? 勝ったかな?」と話しかけていたが、その間も視線はずっと電光掲示板へと向けられていた。


 この為、桜花は父の状況には一切気が付いていなかった。


「お父さん、やったね! すごい夢みたい! って・・・・・・お父さん?」


 ここで漸く我に返った桜花は、横にいる父の異常に気が付いたのだった。


「キャーーーお父さん! だ、大丈夫! 生きてる?」


 真っ青な顔で、胃をグッと押さえて脂汗を流している峰尾。レース展開と、結果が出るまでの物凄く長く感じた時間、そして、桜花賞勝利という結果は、思いっきり峰尾の胃に多大なダメージを与えていたのだ。


「う、うぅえぇ」


「マジ! ちょ、ちょっとお父さん、こんな所で吐かないでよ! し、しんじらんない!」


 慌てて何かの袋を探そうにも、普段とは違い余所行きの格好と持ち物の為、普段から持ち歩いている畳んだビニール袋などは持っていない。


 ただ、この場所に嘔吐させるわけにはいかない。そんな思いに駆られた桜花の目に、先程まで父の被っていた帽子が目についた。


「お父さん、吐くならここに吐いて!」


 桜花は咄嗟に父の帽子をひっくり返して渡す。ただ、峰尾は渡されたものが何かは気が付いていなかった。


 その渡された帽子、それは峰尾お気に入りのチェック模様が入ったブランドの帽子だった。


◆◆◆


「勝った、勝っちゃった」


 香織は、ただ茫然と掲示板へと視線を向けていた。


 観客席からの怒号のような声で結果が出た事に気が付き、視線を電光掲示板へと向ける。すると、1着の表示に点灯する3の文字が目に入った。

 一瞬、香織の思考はまさに停止した。その時間は1分なのか、それとも10秒に満たないのか、放っておけば暫くは立ち尽くしているであろう。


 そんな香織をベレディーの嘶きが正気へと戻してくれた。


「あ、え? 本当に?」


 戸惑う香織の横では、珍しくベレディーが頭をブンブンと振っている。


 自分が勝利した事が判っているのか、判っていないのか、ただ興奮している事は判った。


「ベレディーやったね! 桜花賞を勝ったよ! 何かまだ実感わかないけど、ベレディーの御蔭だよ! ありがとう!」


 ミナミベレディーの首を優しく撫でて落ち着かせながら、漸く動く気配を見せてくれた事で検量室まで誘導しようする。そこで、ミナミベレディーがピョコっと変な歩き方をした。


「え? ベレディー? ちょ、ちょっと止まって!」


 香織は慌ててベレディーを止め、脚の状態を確認していく。


 触った感じや、見た感じでは骨折などの様子は見られない。それでも、慎重にベレディーを歩かせると、やはりピョコっと変な歩き方をする。


「う、嘘! ベレディー、まって、止まって」


 香織は再度ベレディーを止め、慎重に脚の様子を見る。ミナミベレディーの様子からして、右後ろ脚を庇うような動きをしたように見えた。


「どうしました? 何かありましたか?」


 香織とミナミベレディーの様子に、係員も慌てて駆け寄って来る。そんな中、ミナミベレディーの後ろ脚の状態を念入りに確認する。


「どこにも目立った異常は見られないんだけど、さっきの歩き方は絶対・・・・・・」


 目で見て、触った感じではどこにも異常は感じられない。ただ、ベレディーの歩き方が明らかに異常であった事から、何らかの問題が発生していることは間違い無い。


 そんな所に、馬見調教師も慌てた様子で駆けつけて来た。そして、説明を受けて念入りに状態を確認していくが、目立った外傷などは確認できない。


「トッコ~」


 香織たちが真剣に状態を見ていると、遠くでベレディーを呼ぶ声が聞こえた。


「キュヒーーン!」


 ベレディーはその声に反応し、嬉しそうに嘶くとトコトコと自分を呼ぶ桜花ちゃんの方へと歩きだした。


「え?」


「あれ?」


 馬見調教師と香織は、揃って驚きの声を上げる。


 桜花ちゃんの方へと歩いていくミナミベレディーの歩調には、特に異常は感じられない。


「え? どういう事? さっきのピョコっていう歩き方は?」


 混乱する香織をよそに、馬見調教師は慌ててベレディーの手綱を手に取った。


 レースが終わったばかりであり、まずは検量室へと行かなければならないのだ。


「ベレディー、まずは検量室だ。その後であれば桜花ちゃんに会えるからな。一緒に記念写真を撮ろうな」


 今一つ状況が掴めない中、まずは検量し、表彰式が控えている。


「鈴村騎手、一応後で精密検査をするようにします。歩いている感じでは大きな問題は無さそうですが、念には念を入れて確認しますので、まずは鈴村騎手も検量室へ」


「はい、ベレディー」


 香織はミナミベレディーの横を一緒に歩きながら、検量室へと向かう。終始ベレディーの様子を注視しながら検量室へとやって来て、自身は騎鞍などを外して手に持ち、後の事を厩務員に任せて検量へと向かった。


「よう、GⅠ初勝利おめでとう!」


「まさかの大どんでん返しだな! GⅠ初勝利おめでとう!」


 騎手控室へと入ると、一斉に周りからの祝福の声がかけられる。勝利確定後に発覚したミナミベレディーの異常で、香織はすっかり自分がGⅠに勝利したことが頭から抜け落ちていた。

 その為、周りから降り注ぐ祝福の声によって、ジワジワではあるが漸く勝利の実感が湧いてきたのだった。


「あ、あ、ありがとうございます!」


 周囲にペコペコと頭を下げ、その間にも帽子とゴーグルを外して濡れたタオルで顔を拭く。


「ほら、表彰式とインタビューもある。急ぎなよ」


 鷹騎手に指摘され、香織は慌てて設置されているウォーターサーバーから紙コップ一杯の水を汲み、ゆっくりと飲み干していった。


「今日は出来過ぎだったな、まさか鼻差で負けるとは計算外だったよ。それで、あの馬は大丈夫なのか? 馬運車を出さなかったから大丈夫っぽいが」


 鷹騎手が香織の横に並び、心配そうに尋ねてくる。ただ、今の段階では実際の所良く判らない。


「見た感じは異常があるように思えないんですが、レース後の疲労も大きいですし、一瞬ですが跛行っぽい動きをしたのが心配で、検査次第ですけど何も無ければいいなと」


「うわ、そうなのか、これでGⅠ馬になったんだから無事でいて欲しいね。うちのタンポポチャとも仲が良いみたいだしね」


 鷹騎手の言葉に頷いていると、表彰式へと入るために係員が香織を呼びに来る。


 検量後もミナミベレディーは特に異常のある様子を見せ無い為、騎乗しての撮影を望まれはしたが、結局は大事をとって騎乗せずの撮影となった。


「桜花ちゃん大喜びだったね」


「ブヒヒ~~ン」


 表彰式での桜花ちゃんの喜び様は凄かった。


 まさに自分の名前が付いた桜花賞での勝利。しかも、北川牧場としてもGⅠ初優勝だ。それも、自家産馬で未来へ繋がる1頭、これで嬉しくない訳が無い。


 そして、表彰式では桜花が喜べばベレディーも喜ぶと言う不思議な状況に、関係者のみならず観客達も思わず歓声を上げていた。


 終いには何故か桜花ちゃんとミナミベレディーのツーショットの写真を、競馬雑誌のカメラマンが何枚も撮影する始末だった。


 私が馬運車へと乗り込むミナミベレディーへとそう声を掛けると、ベレディーも嬉しそうに嘶いたのだった。

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