第27話 秘密の特訓?
馬見厩舎では、秘密の勉強会が始まっていた。
何が秘密かというと、他の厩舎の者や、競馬関係者に知られると馬鹿にされるくらいならまだしも、正気を疑われかねない為に、皆が内緒で行う事に決定したのだった。
「ブフフン?」(何が始まるのかな?)
私の目の前には、何故か台の上にノートパソコンが置かれています。
そして、そのノートパソコンを調教師のおじさんがせっせと操作しているのですが、本来は今日の調教も済んで、ご飯も食べ終わって、私はお休みなさいの時間です。ただ、久しぶりに見るノートパソコンなので私は興味津々ですね。
「ブヒン?」(何を見るのかな?)
出来れば映画とかが良いなぁ、ただどんな映画が良いかと言うと、何も思いつかないんですけどね。前世で見た映画も記憶に何にも残ってないです。
ただ、映画と言う物があった事は覚えていますけど。若しかするとあんまり映画とか見ない子だったのかな?
そもそも、映画が良いなと思いながらも馬としての本能なのでしょうか? 実際にはあまり興味を惹かれなかったりします。
ただ、このお馬さんの本能というか、意識が無かったら逆に退屈だったりして意識が狂いそうな気もしないでもないので助かってはいますけどね。
「ベレディー、ちょっと待ってね」
「ブルルン」(待ってるよ~)
鈴村さんが手にしたリンゴを差し出してくれるので、私はご馳走のリンゴをむしゃむしゃしながら何が始まるのかを楽しみに見ています。
うん、どのみち夜って寝るくらいしか私はすることが無いし、暇なのですよね。
「よし、こんな所か。ベレディー見えるか?」
そう言って突き出されるノートパソコンの画面。でも、この画面に素直に反応する馬ってどうなんでしょう? 普通のお馬さんってパソコンが何か判らないし、興味を示さないと思うのです。
「ブフフン?」(画面は見えるよ?)
ただ、視力の問題なんだと思うのですが、近くまで顔を寄せないと映像はボケて見えます。あと、映像自体が白黒だったりするんですよね。
そう思って画面を見ていたら、映像と音声が流れ始めました。
『さあ、直線に向かって先頭はファニーファニー、合わせるように2番手にはヒノミコローラ、果敢に2頭が競り合っています。しかし、その後方、内側から突き抜けて来たのはミナミベレディー、大外インスタグラマーも脚色が良い! ヒノミコローラ一杯になったか、ズルズルと後退していきます!・・・・・・』
う~んと、私の名前が聞こえて来ました。という事は先日のレースかな?
画面と言うより実況を聞いて、耳をピコピコさせます。
『ファニーファニーまた伸びてくる。ミナミベレディーは少し遅れたか! 大外からインスタグラマーが突っ込んできた! ここでインスタグラマー先頭! ヒノミコローラ、ファニーファニーをかわして先頭!
先頭はインスタグラマー! ただ最内からウインドセイバーが上がって来る! ミナミベレディー再度伸びて来た! ここで3頭揃ってゴール!
これは判らない! 勝ったのはインスタグラマーか、ミナミベレディーか、それともウインドセイバーか!』
「キュフン」(負けちゃったの~)
改めてあの時の事を思い出しますけど、結構頑張ったんだよ? でも最後はお鼻の大きさ負けしたのですよね?
そんな事を思いながらションボリして、横の鈴村さんを見ると、何やら真剣な表情で私を見ています。
「何となく、前のレースの事だとは判っているみたいですよね?」
「そうだな、ただ、映像を見ているというよりは声を聴いているのかな? 自分の名前が聞こえると耳をピクピクさせているな」
改めて顔を上げて見れば、鈴村さんだけでなく調教師のおじさんも、厩務員のお兄さんも、みんなが私の事を見ていました。
「映像を見ていないからな。どうなのか判らないが、ここのゴールライン後の判定写真を拡大してみるか」
調教師のおじさんがノートパソコンを操作して、何かの画面を大きく拡大しました。
「フヒン」(何かな?)
「ベレディー、判るか? ここがゴールラインで、これがゴールの瞬間の写真なんだぞ。ゴールは此処なんだぞ?」
指で画面を指してくれますが、う~んと、見辛いですね。
お馬さんの目って焦点があう距離が結構微妙なのです。その為、指を差されてもパソコンの画面が小さすぎて見えないんですよね。でも、何となくみんなが言いたいことは判った気がします。
「ブヒヒン」(ゴール間違えたの?)
もしかすると、ゴールはもう少し先だったのかもしれません。
何となくぼやけているんですが、真ん中に実際には無かった線が引かれているので、ここがゴールなのかな? それの元を辿っていくとゴールのドンとした飾りの真ん中から線が伸びています。
「どう思う、判ったのかな?」
「さて、何とも言えませんね。そもそも、この画面見えているんでしょうか?」
調教師のおじさんと、厩務員のお兄さんが顔を見合わせています。
鈴村さんは相変わらずジッと私を見ています。
「ベレディーは最後に此処がゴールと思っちゃったのかな? ほら、ゴールラインに大きな板が付いていたもんね。でもね、此処じゃなくてもう少し先のこのポールみたいなのがゴールなんだよ」
「ブフフン」(うん、わかった~)
鈴村さんがコースの横にあるゴールの目印を大きく拡大して見せてくれました。
うん、ここに入ればゴールだと思ってた。
「判っているような気もしますが、どうなのでしょうね」
「でも、これ、第三者が見たら私達きっと精神科を紹介されちゃいますよね」
調教師のおじさんと鈴村さんが顔を見合わせてそんな事を言っています。
うん、確かにお馬さんに映像を見せてゴールを教えるのって変だと思いますよ。あれ? でも犬とかが録画された自分の事を理解してたりするって聞いた事あるから、そんな事ないのかな?
「あと何回かレースを熟せば自然と覚えるとは思うが、変な癖が付くと怖いからな。これで治るなら御の字なんだが」
「そうですね。ただ、さっきから見ている感じですと、多分ベレディーには画面ハッキリと見えてないかも」
フンフンとノートパソコンの画面を鼻で突っついていた私は、厩務員のお兄さんの言葉にドキッとします。
「そうなのか? いやまあ馬の視力は0.8くらいあると聞いているが、それなら見えそうな気もするんだが」
「そもそも、大雑把に言うと馬の見ている世界は白黒映像だと思いますから」
「あ~~~、そうか、そうするとこの画面も見辛いな」
「言われてみるとそうですね」
3人が何か納得しています。
うん、確かに見辛いのですが、白黒というより焦点がですねと説明したくなりますが、まあいっかです。
「レースの実況は聞いていましたが、あれも自分の名前に反応しただけでしょうね」
「そうだな。まあ、桜花ちゃんの言葉になんか引き摺られたかな?」
「誰かが聞いたら爆笑しそうですよね」
3人は真面目な顔で今後の勉強方針を相談していますが、私が言うのもなんですが馬の耳に念仏ってことわざを知っていますか? ちょっと心配になります。
「明日は模型か何かを作って来るか。ダンボールでゴールラインや馬を作れば」
「そうですね、レース展開の説明とかに良いかもしれません」
「いや、それこそ正気ですか?」
3人は何かワイワイと言いながら、ノートパソコンを片付けて戻って行っちゃいました。
「ブフフン」(リンゴ貰えたし、まあいいかな)
私はあっさり気持ちを切り替えて、前脚で寝藁を整えてゆったり睡眠モードへと移行します。
でもそっか、走ってあの大きな飾りを抜けるまで油断しちゃダメってことだよね。
それが判っただけでも私にとっては大きな収穫だったのです。
◆◆◆
「インスタグラマーは桜花賞を回避でフローラSへ出走か」
先日のフラワーCを勝利したインスタグラマーは距離適性の関係から桜花賞を回避しフローラSへ出走、その後オークスへと進むことを陣営が表明していた。
また、タンポポチャ陣営はチューリップ賞を快勝し、桜花賞からのオークスと王道路線を表明。その他の有力馬達も次々と次走への意思表明を始めている。
「貴方、また悩んでいるの? その桜花賞でしたわね、出したいなら出せば良いじゃない。何時までも悩んでいるなんて貴方らしくないわよ。仕事だと即決する癖になんで馬の事になるとこんなに悩むのかしら」
競馬雑誌を手に、相変わらずの夫を見ながら道子は大きな溜息を吐いた。
「そうなんだが、勝てるかどうかで馬の将来だってだな」
そう言って競走馬について語り出す夫に対し、道子はこれまたわざとらしくため息を吐く。
「重賞を1個勝ってるんでしょ? それに、あの馬は4歳から5歳が一番期待できるんでしょ? それなら3歳の今はあなたの夢を追いかけて、4歳以降はしっかりと勝てるレースを考えれば良いじゃない」
「え?」
競馬に一切興味のなかった妻の思わぬ発言に、大南辺は驚いて雑誌から顔を上げて妻の顔を見た。
「私だって先日初めて競馬場へ行って、あまりに競馬を知らなくて恥ずかしく思ったのよ。だから一通りは勉強したわよ。十勝川の奥様にも今度ご一緒に御食事しましょうって誘われてますから、興味が無いから全く知りませんっていうのと、興味は無いですが今勉強中ですっていうのだと印象が違うでしょ?」
ある意味社交という分野においては、道子はしっかりと事前に勉強をして一通りの知識は身に着ける。そういった努力は当たり前だと言い切る所が道子らしいと大南辺は思っていた。
「そうか、しかしお前が競馬をなあ」
「一応はあなたの妻ですから」
そう言ってクスクスと笑う妻を見て、この前向きな所に惹かれたんだよなあと改めて妻の良さを再確認する。もっとも、興味のない事にはトコトン興味のない妻の突然の変化に、何かあるのかと探りを入れようと心に決めてはいたが。
「よし、出走後のベレディーの調子も悪くないらしいからな。桜花賞で行こう」
漸く腹が決まった夫を見て、道子は苦笑を浮かべるのだった。
それにしても、十勝川の奥様の人脈は凄いわねぇ。
先日の競馬場で十勝川へと挨拶に来た人たちの中には、道子ではとても交流を結ぶ事の出来ないような人達が含まれていた。道子は、ぜひ十勝川と親しくなってその人脈の一端でも夫の仕事へと繋げられればと野心を燃やしていたのだ。
この人は趣味に仕事を絡めるのが嫌いだから、そこは私が補わないとよね。
仕事あっての趣味、そこを履き違えないようにしっかりと夫を監視しないと。男はいつまでも子供の様な物だ、そんな事を思う道子であった。
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