第26話 フラワーC後のそれぞれ(桜花ちゃんは名探偵?)

「うわぁ、ハナ差かあ」


 北川牧場では峰尾の叫び声が響き渡った。


 少ない人数で運営している北川牧場では、所有牝馬の出産時期で大忙しだった。その為、ミナミベレディーの重賞レース出走でありながら、今回は誰も競馬場へ行くことが出来なかった。


 そんな北川牧場では、家族全員でテレビ画面に噛り付いていたのだ。


「惜しかったわね。でも、2着ならぜんぜん問題無いわね。でも、こうなると今年はサクラハキレイの仔馬が居ないのが残念ね」


 昨年、サクラハキレイは2度の種付けでどちらも不受胎だった。その為、高齢である事、近年、毎年のように仔馬を産んでいてくれた事もあり、繁殖牝馬としては引退させることになったのだ。


「そうだな、3歳春で既にGⅢを1勝、2着1回だ。この実績だけでも凄いな」


「2着でも生産牧場賞と繁殖牝馬所有者賞は入って来ますし、トッコなら今後も重賞勝利を期待できますよね」


「ですよね! GⅢをうちの馬が走るのって、やっぱり嬉しいですよね」


 レース結果が出た瞬間には、家族全員のみならず、従業員を含めた全員が思わず叫び声を上げていた。その中で一際大きかったのが峰尾という事である。


 もっとも、自家製産馬が負ける事に慣れている北川牧場では、あっという間に気持ちを切り替えて、それぞれがミナミベレディーの頑張りを讃えるのだった。


「最後の一伸びした瞬間に勝ったと思ったんだけどなぁ」


「そうですね。ただトッコもまだ3歳ですし、GⅢ2着なんですから、まだまだ期待できますよ。トッコがもう数年早く生まれていてくれたら、キレイの子供ももっと高く売れたんですけどね」


 恵美子の溜息交じりの言葉に、思わずみんなが静まり返ってしまった。


「昨年不受胎だし、もう21歳になるからなぁ、一応もう肌馬としては引退させるつもりだったがどうするか」


「牝馬が生まれてくれればいいけど、牡馬だったら売れるか微妙な感じですし、今まで頑張ってくれたのですから予定通りで良いわ」


 キレイはこの牧場で功労馬として最後まで面倒を見る事が決まっていた。もっとも、実際の理由は幼少の頃から一緒にいた桜花の為ともいえる。トッコもそうであるように、キレイは非常に大人しく、また人懐っこい為に桜花が非常に懐いていたのだ。


 現実的に考えれば、繁殖牝馬を引退後に処分される馬は多い。北川牧場とてその例外ではない。馬一頭の飼育にかかる費用は馬鹿にならないのだ。


 すでにレース結果は出てしまっており、ある意味そういう事に慣れている面々はとっくに意識を切り替えて、今年生まれてくる幼駒へと会話の主題が変わっていた。


 そんな中で、録画していた今のレースを何度も見直していた桜花は、怪訝そうな表情を浮かべていた。


「う~ん、何か変」


 そんな桜花の様子に気が付いた峰尾が、怪訝な表情で桜花に尋ねる。


「桜花、さっきから何度もレースを見直してどうした?」


「あのね、さっきからレースを見てるんだけど、トッコがゴールする前後の様子がおかしい気がするの」


「え? 怪我か? そんな連絡は来てないが」


 桜花の発言に、慌てて録画した映像を確認する。


「特に怪我がどうこうという事は判らないが、ゴール板直前で失速してないかこれ?」


「そうね、せっかく伸びたのに失速するのが早いわね。桜花が変って言ってたのはこれ?」


 みんなで見ていると、確かにゴール前で一伸びしたトッコが、ゴール板直前から失速というより走るのを終わらせたように見える。


「うん、あのね、トッコは多分ゴールが判ってないんだと思う。それで、このゴール板の前の板の部分に入ったからゴールしたと思い込んだんだと思うんだけど、違うかな?」


「有り得なくはないが、馬によってはレースを自分で作るし、ゴールくらいは覚えるかもしれんな。ましてやトッコだしな」


 峰尾も桜花の指摘に半信半疑ながらも頷く。まったく無いという話ではないと思えるし、もしそうなら急いで対応しないと今後も繰り返す可能性はある。


「一応、馬見調教師に連絡を入れておこう」


「でも、それって何とかなる事なのかしら?」


「トッコなら大丈夫だよ! ほら、ここがゴールだよってちゃんと教えてあげれば?」


「判るものかしら?」


 恵美子と桜花がミナミベレディーの問題を話し合っている。そして、峰尾はレース後には忙しいであろう馬見調教師の事を考え、翌日になってから馬見調教師へと連絡を入れるのだった。


◆◆◆


 馬見調教師はレース後のミナミベレディーの様子を蠣崎調教助手と一緒に確認し、軽いコズミしか発生していない事に安堵の溜息を吐く。


「少しずつ体が出来上がってきているな。これなら4月のレースも問題無いだろうな」


「マイラーなどは年々高速レースになっていますから、そう考えるとマイルの方がベレディーにとっては疲れが大きいのかもしれませんね」


「そう考えると、やっはり距離だよなぁ」


 芝の1800mまでしか走ったことの無いミナミベレディーであるからこそ、芝2000mで試してみたいという思いがある。それ故にフローラSを予定しているのだが、大南辺はまたもや桜花賞への出走を希望していた。


「掲示板までならいけそうなのが質が悪いですね」


「5着でも結構な賞金が入るからな。しかし、順当に考えれば、桜花賞の後はオークスになる」


 3歳牝馬の王道中の王道。ただ、今のベレディーでは芝1600mの距離ではタンポポチャのみならずプロミネンスアローやプリンセスフラウなどの馬にも勝つのは厳しいのではと思われた。


「フローラSからのオークスも厳しいですが、それ以上に天気の運不運もありますから。こればかりは今から予測はつきませんがね」


「雨か、確かにな。オークスはヤバいか?」


「さて、近年のオークスでは小雨はあっても馬場状態は良馬場だった気がしますが」


 過去が良馬場だったからと言って、今年が良馬場になるかどうかの保障になる訳では無い。


 そんな時、馬見調教師の携帯が振動する。基本的に馬見調教師は何処に居ても携帯はマナーモードにしておくのが当たり前になっている。突然の音で馬達が驚くのを防ぐ為であった。


「はい、馬見ですが。おや、北川さんどうされました?」


 昨日、会話したばかりの北川からの電話に、もしかすると幼駒や1歳馬の預け先の話かと、ついつい期待しながら話を進める馬見であったが、その表情は段々と困惑したものになっていく。


「はあ、判りました。鈴村騎手も来ていますし、みんなで見てみます。ええ、いえ、ありがとうございます」


 電話を切った後の馬見調教師の様子に違和感を感じた蠣崎調教助手は、掛かって来た電話の内容を尋ねる。


「ああ、その、なんだ。鈴村騎手に調教が終わったら事務所に来て欲しいと伝えておいてくれ。ああ、蠣崎も一緒にな。私はそれまでに準備をしておく」


 そう告げて厩舎へと戻って行く馬見調教師を見ながら、蠣崎調教助手は首を傾げながらも引き運動を行っている鈴村騎手を呼びに行くのだった。


 そして、引き運動を終わらせた鈴村騎手を手伝って、調教後のベレディーをいつもの様に綺麗に洗い、マッサージを終えて二人連れ立って厩舎へと戻って来た。


「テキ、来ましたがって、何やってるんですか?」


 厩舎の事務所へと入ると、パソコンに噛り付いている馬見の姿があった。


「ん? ああ、ちょっと待ってくれ」


 そう尋ねる蠣崎調教助手だが、パソコンから流れる実況で何を見ているのかは直ぐに理解できた。


「何を見ているんですかって、先日のレースですか」


 蠣崎調教助手の後ろにいる鈴村騎手は、自分がハナ差で負けたレースの為にバツの悪そうな表情を浮かべる。


「先程、北川さんから電話があったんだが、桜花ちゃんがな、ベレディーはゴールラインを勘違いしてるって言うんだ。先日のレースでな、ゴールライン手前でゴールしたと勘違いして力を抜いたと」


「え?」


「は?」


 思ってもいない指摘に、二人そろって驚きの声を上げる。


「先程から何度か見直しているんだが、確かに最後の一伸びをした後にゴールライン手前で失速したように見えなくもない。騎乗していて鈴村騎手はどうだったか覚えているか?」


 馬見調教師の質問に、鈴村騎手は先日のレースの事を思い出していた。


「最後は必死だったので、ただ普段は手綱を引かないと止まらないベレディーがゴールしたら手綱を引かなくても並足になりました。それと、今思い出したんですが、スタートした後に通過したゴール板前でベレディーにここが今日のゴールだよみたいな事を言った記憶があります」


 鈴村騎手の言葉に馬見調教師は眉間に皺を寄せる。


「まさかとは思うが、それでベレディーがゴールを覚えたが、ゴールラインは把握していない可能性があると? ・・・・・・賢いと言っても馬だぞ?」


 その指摘に鈴村騎手は思わず顔を真っ赤にさせる。


 確かに馬にここがゴールだよと言って、それでゴールを覚えるなど有り得ない。基本的に馬は騎手の指示で走るものだし、賢い馬と言えどゴールラインを理解している馬などいないだろう。


「すみません、変な事を言いました」


 咄嗟に頭を下げる鈴村騎手に手を振って慌てて制しながら、馬見調教師は同じように馬鹿な考えが頭に湧いてきてしまう。


「なあ、馬鹿な事かと思うんだが、ベレディーにレースの映像を見せて勉強させてみたらどうだろうな」


「・・・・・・本気ですか?」


「わ、私は良いと思います!」


 こうして、前代未聞の馬に対する馬の為の競馬教室の開催が決まったのだった。

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