桜花賞へ向けて

第22話 気が付けば3歳になりました

 12月が過ぎ、1月になって私は3歳になったそうです。


 お馬さんの歳の数え方は不思議ですね。でも、数え年っていうんでしたっけ? 私が生まれたのは5月くらいなのですが、そう言えば誕生日とかはどうなるのでしょうか?


 今更ですが、誕生日会とか、プレゼントとか、そういった物があっても良いと思いますよね。


「トッコ、今日も元気ね!」


 前のレースが終わったあとに、私は予定通りに桜花ちゃんのいる牧場に・・・・・・戻れませんでした!


 良く考えたら12月ですよ? 北海道ですよ? 雪がてんこ盛りで寒さでブルブル震えちゃいますよ?


 という事で、栃木県にある牧場さんにお願いして、しばらく放牧させてもらう事になったそうです。


「ブヒヒーーン」(桜花ちゃんだ~)


 桜花ちゃんのいる所までトコトコと走っていくと、桜花ちゃんがニンジンさんを手にしているのが判りました。


「キュヒヒーン」(わ~い、ニンジンだよ)


 桜花ちゃんのお顔にスリスリして、その後に手にしているニンジンをおねだりします。


「もう、私よりニンジンに目が行ってるじゃない!」


 そう言ってプンスカする桜花ちゃんですが、その後すんなりニンジンを貰えました。


「もう冬休みも終わるからね。私は、明日北海道に帰るから。また春休みには来るけど、頑張るんだよ」


「ブフフン」(帰っちゃうの?)


 確かに言われてみれば、普段は北海道にいるはずの桜花ちゃんが、この栃木の牧場にいること自体が不思議でしたね。そんなものかと思っていましたが、理由を聞けば納得です。


「中々、美浦には来れないけど、ちゃんとテレビで応援しているからね。あ、あと無理して怪我しちゃだめだよ? 判ってる?」


 オカンモードに移行した桜花ちゃんです。


ボリボリボリ


 ニンジンを齧りながら桜花ちゃんのお話をちゃんと聞いているのですが、桜花ちゃんは私の様子に溜息を吐いているのは何故でしょう?


「ブルルルン」(お話は聞いているよ?)


 桜花ちゃんにそう伝えますが、桜花ちゃんは何か考えながらも私の鼻先を撫でてくれます。


「春は何のレースに出るのかなあ。桜花賞は流石に無理だよね」


 柵に凭れ掛かるようにして私を見る桜花ちゃん。ニンジンを食べ終わった私は、鼻先を桜花ちゃんのお鼻に付けます。


 ただ、お馬さんってお鼻で息をするので、結構鼻息が凄いのです。桜花ちゃんの顔がクシャっとなっちゃいました。


 そんな感じでのんびりと桜花ちゃんとお話をしていると、今度は鈴村さんがこっちへとやって来るのが見えました。


 うん、鈴村さんもちょっと元気になって来たみたいです。漸く前向きになれたかな? 前走の後はもう酷い物でした。


 翌週もレースがあったそうですが、桜花ちゃんから漏れ聞いた感じでは、それも何とか熟したというような状態だったそうです。


「桜花ちゃんこんにちは。今日もベレディーを見に来てるの?」


「はい、その為に来てますから。この後、調教ですか?」


「軽く走らせるだけだけどね」


 うん、いつもの運動ですね。私は走る事は好きなので、調教じゃなくても走っていますけど、騎手の人と走るのはまた感覚が違うので、これはこれで好きです。


「見てていいですか?」


「それは問題ないけど、桜花ちゃんは騎手を目指すの?」


 なんと! 確かに桜花ちゃんは騎手向きの体形と言っても良いかもしれません。どこがどうとは言いませんが、身長も多分150cmくらいでしょうか? 

 鈴村さんより小柄ですし、高校2年生にまもなくなると思うと、こっから一気に背が伸びるというのは無理そうですよね?


「え? 無理ですよ無理! 見てるのと実際は違う事は良く判ってますし、一応は獣医師を目指してるんですが、成績的に厳しそうなんですけど。私立は家では学費などで厳しいですから」


 そう言って笑う桜花ちゃんです。そっかぁ、でもよく考えたら桜花ちゃんがデビューしたとしても、私に騎乗する事は無さそうですよね。その頃は多分ですが私は引退していそうです。


「おお、獣医師って凄いじゃない。私だと目指そうとも思わなかったわ」


「鈴村さんは中学卒業して早々に騎手学校ですから、前に記事で読みました」


 そう言って二人で歓談していますが、私の運動はどうなったのでしょうか?


「ブフフフン」(まだ走らないの?)


 首を傾げて二人を見ると、二人は私を見て、慌てて厩舎の方へと私を連れて行くのでした。


 だって、放牧中に馬具なんて着けてないですからね。


◆◆◆


 その頃、馬見厩舎ではミナミベレディーの次走について関係者が頭を悩ませていた。


 阪神ジュベナイルフィリーズは残念な結果にはなったが、ミナミベレディー自体は出遅れたがゆえに無理なレースにはならず、馬体にかかる負担はある意味常識の範囲で済んだという事もある。


 それ故に、昨年末からの放牧で順調に疲労は回復し、そろそろ美浦トレセンへと戻しても良い程の状態であった。


「私は出来れば3月のフラワーC(GⅢ)、4月のフローラS(GⅡ)と芝1800m、2000mとベレディーの適正距離で勝負をしたいと思っています。その後は結果次第かと」


 ここで馬見調教師の意見に難色を示すのが、やはり大南辺であった。


 出来れば桜花賞への出走を視野に入れて欲しいとの事。ただ、フラワー杯から桜花賞となると、ミナミベレディーの一戦での疲れ具合を考えると厳しいものがある。


「2月のクイーンC(GⅢ)か思い切ってチューリップ賞(GⅡ)ではやはりダメかね? その後桜花賞へ、牝馬クラシックの王道ではある。ベレディーであれば、出走も可能だと思うが」


 獲得賞金自体は問題なく、勝利数も3勝をあげGⅢも1勝している。阪神2歳牝馬優駿が掲示板にも載らなかったとはいえ6着だ。前哨戦さえ無難にこなせば、問題なく桜花賞へは出走できるだろう。


「芝1600mは、やはりベレディーにとっては適正距離ではありません。あの子はマイラーではありませんし、勝つためには前残りで体力限界まで粘るしかありません。

 それで勝てるかと言うと厳しいですし、その際の疲労はアルテミスSでお分かりだと思いますが」


「本命で出すとしたらオークスでしょう。その為にも4月に無理はさせたくありません。オークスに出すならフローラSを回避しても良いくらいですが、その場合はフラワーCでせめて3位以内に入る事が条件でしょう」


 馬見調教師と蠣崎調教助手は、想定するレースを大南辺へと説明する。


「むぅ、やはりGⅠを勝つだけの力は無いか」


「残念ながら。先日のレースでも思いましたが、最後の末脚は悪くはありませんが平凡です。あの子の強みはスタート力と最後の粘りです。持久力、末脚、勝負根性などはGⅢ、良くてGⅡですかね。道悪巧者等であれば重馬場などでの一発逆転もありますが、ベレディーはそれも厳しいです」


 馬見調教師の説明に、がっくりと肩を落とす大南辺である。


「もちろん馬主である大南辺さんの意向を第一に調整しますが、賞金を狙っていくか、ロマンをとるか。もっとも、賞金狙いでフラワーC,フローラSに出たからと言って勝てるとは限りませんが」


 そう言って苦笑を浮かべる馬見調教師。


 目論見通りにすべて上手くいけば苦労しない、何かと上手くいかないのが競馬の世界だ。


「そうですな、数日考えさせていただいても良いかな?」


「勿論です。それと、漸く鈴村騎手も吹っ切れたようです。あの落ち込みは酷かった。

 もっとも、あの後の騎手の売り込みの数も酷かったですが。引き続き鈴村騎手を起用する決定をしていただきましたが本当に良かったのですか? 売り込みに来た中には安東騎手など一流騎手もいましたが」


 馬見調教師は、大南辺の真意を尋ねる。本来であれば、先日の騎乗で屋根を変えられても何ら可笑しくはない。それでも、大南辺は鈴村騎手を変えることなく続投する事をえらんだのだ。


「まあ判官贔屓は日本人の常ですからな。それに、突然GⅠ出場を決めた私にも責任はあります。すべてが鈴村騎手のせいではありませんからな」


 そう言って大南辺は笑う。


 実際の所、大南辺の所にも騎手の営業は来ていた。ただ、大南辺もまたロマンを求める馬主であり、形振り構わず勝つことへの執着より、勝利に何となく物語を求めるタイプだった。もっとも、それ故に中々勝ち馬に恵まれないのかもしれないのだが。


「まあそれ以上に今後勝てなかった時に、GⅢならともかく、GⅡやGⅠとなると騎乗して貰えないでしょう。勿論GⅠに勝つ夢を捨てたわけではありませんよ。大化けするかもしれませんし」


 そう言って笑う大南辺ではあったが、実際の所はこれまたいつもの様に悩みに悩んでいた。そして、最後には次のレースを見て決めようと決断を先送りしただけだったりする。


「昨日から、ベレディーの牧場での馴致に鈴村騎手が参加しているはずです。まあ、この寒いのによくやりますよ」


 そう言って外を見ると、今日も空からチラチラと雪が舞い始めている。


「栃木で雪が積もっていなければ良いのですがね。今年は雪が多いと聞いてはいましたが、関東でも結構降りますね」


「朝の天気予報では、そこまでの大雪になるとは言ってませんでした。積もる事は無いと思いますし、大丈夫でしょう」


 雪が積もろうと、関係なく競馬は行われる。冬の雨と雪、どちらが良いかと言われると、積もらなければ雪と言うべきであろうか?


「では、また後日ご連絡させていただきます」


 そう言って馬見厩舎を後にする大南辺の後ろ姿を見ながら、馬見調教師は思わず溜息を吐いた。


「蠣崎、一応だが桜花賞を目標に考えておいてくれ。大南辺さんの感じでは、恐らく桜花賞になる気がする」


「そうですね、やはり何と言っても桜花賞ですから」


 馬見調教師の言葉に、蠣崎調教助手も苦笑を浮かべるのだった。

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