第20話 阪神ジュベナイルフィリーズ 後編

 大きく出遅れたのを挽回する為に、少しでも前にと速度を上げます。


 さっきから鞍上の鈴村さんは泣いてます? 何か乗ってる感じすらしないくらいに存在感が無くなってますね。


 少しすると漸く前の馬に追い付きましたが、もう目の前にカーブが迫ってきていました。


 う~ん、それより走りにくいですね。


 いつもの様に走ろうとすると芝が軽く滑るような感じがして、思う様に力が伝わらないです。


 その為、いつもよりもしっかりと地面を蹴らないと駄目で、体力の消耗が激しい気がします。


「ご、ごめん、ベレディー、まだレースは終わってないよね。駄目な騎手でごめんね」


 鈴村さんの声が聞こえて来ました。そして、手綱に何となく鈴村さんの意思が伝わって来ます。


 嘶くのが大変なので、フンフンと鼻息でご返事をしておきます。


「ベレディー、直線に入る前の第三コーナーまでに中団にはついていたいから、このコーナーでみんなが減速している間に前に進むよ。速度の分膨らむと思うけど、大変だと思うけど、あとでしっかり謝るからね」


 コーナーに入ると、確かに他のお馬さん達が少しペースを落としてコーナーを回り始めます。


 そこで、私は変わらずに加速をして、前にいるお馬さん達を抜いて行きます。


「うんうん、息を入れる事が出来なかったから、ちょっとだけどここで息を入れようか」


 大体馬群の中団辺りに取りついたときに、鈴村さんがそう言って手綱を緩めました。


 私も周りの速度に合わせる感じで走るのですが、相変わらず芝が濡れていて走り辛いですね。それと、ここまで加速してきてちょっと疲れちゃってます。


 そんな私達の思惑を、現実は思いっきり裏切ってくれました。


 私が、こっからちょっとのんびりしようと思ったら、何か周りの馬が一斉に動き始めます。


「みんな動くのが早い!」


 最近覚えた第四コーナーに入った所で、周りのお馬さん達が一斉に前に加速していくというか、加速しようとする?


 でも、私がある意味邪魔をして、お隣さん以降は動きが取れません。


「早く動け! 前に届かなくなるぞ!」


 お隣のお馬さんに騎乗している騎手さんが、思いっきり鈴村さんへと怒鳴ります。


 先頭を走っているお馬さんは、う~ん、どうでしょう? 6馬身くらい離れていますか? 追い込みというのをした事が無いので、そもそも届くか届かないかは判らないですね。


「今は動けません!」


 鈴村さんが怒鳴り返しているのですが、その時に私は私で2頭前にタンポポチャさんが居るのを見つけちゃいました。


 おおお、マイフレンドではないですか! 


 とりあえずあそこまで行っちゃおうかな? タンポポチャさんとなら頑張れそうな気がします。


 そんな事を思っているうちに、前を走る馬達はどんどんとコーナーを抜けて直線へと向かっていきます。私もそんなお馬さん達に並んで直線に入って行きます。そこで、芝の真ん中あたりに出たので、ここで加速する為にハミを噛み締めました。


 タンポポチャさんと一緒に頑張るよ! そう思ってスピードをあげたのです。


「ベレディー、もう行くの!」


 鈴村さんが驚きの声を上げるのですが、私はただタンポポチャさんに並ぼうと思って前に進みました。


 でも、タンポポチャさんは私の思いなんか知りませんよと、私が近づいた途端に一気に加速しちゃいます。


「ブヒン!」(うそ!)


 思わず疾走中に嘶きが零れるほどの驚きです。


 慌てて私は、更に頑張ってタンポポチャさんを追いかけました。


 まって~~~、いかないで~~~!


 何かレースの事は意識から飛んじゃっていました。


 ただ、タンポポチャさんを追いかけたのに逃げられる。なので慌てて追いかける。まさに野生の本能でしょうか? ただ、今回はそんな簡単な物ではなかったんですけど。


 タ、タンポポチャさんマジで速いです! 前走で競ったのにどういう事ですか!


 どんどんと加速していくタンポポチャさん。必死に追う私との差は広がるばかりで、横に並ぶどころか、後ろに追従する事すら出来ません。


「ベレディー、頑張って! あと400Mだよ!」


 400Mですか、そうですか。でも、私以外のお馬さんも、どんどんとスパートして来るのです。

 私は後方から来るお馬さんに追い抜かれないように気を使います。ただ、先頭との距離は明らかに縮まってきていますが、タンポポチャさんはそろそろ先頭を追い抜きそう。


「200Mを超えた、あとひと踏ん張りだよ!」


 手綱を扱いて私を追い立てる鈴村さんですが、後方から追い抜かれないまでも、タンポポチャさんにはとても追いつけません。タンポポチャさんの凄さを痛感しちゃいました。


 それでも必死に追い付こうと走って、目の前にいたお馬さんを追い抜いたくらいがどうやらゴールだったみたいです。


 また今日もゴールの仕組みが良く判りませんでした。ただ、鈴村さんが手綱を緩めて私の首をトントンとしてくれたので、速度を落としてタンポポチャさんの所へと向かいました。


「キュヒヒヒン」


 私を見たタンポポチャさんは、レース前と違って思いっきり高飛車な表情で私を見下しましたよ!


 こっちは前走みたいにお疲れ様~ってしたかったのに、何ですかあの態度は!


「ブフフフフン!」(つ、次は負けないんだからね!)


 精一杯の負け惜しみを言いますが、タンポポチャさんはフンって顔してスタンド前に行っちゃいます。


 無茶苦茶悔しいです!


「鷹さんのタンポポチャが勝ったんだね」


 鈴村さんがそう言って見ている方向を、私も見ますが馬ってあんまり視力が良くないので何を見ているか判りません。


「キュイン?」(何かあるの?)


「あ、検量行こう、今日はごめんね。私のせいでレースにならなかったね」


「ブフフン」(走れて楽しかったよ?)


 そうです。雨とか泥とか気にする暇も無く走ってました。唯一は足が滑りそうなのが嫌だったくらいです。出来たらもう雨の日は走りたくないなぁ。


 そんな事を思いながら、検量する為にゆっくりと移動を始めました。


◆◆◆


『各馬ゲートへ納まりました。そしてスタート、稍ばらけたスタートだ! スタート巧者のミナミベレディー、躓いたのか出た瞬間の加速がつかない。

 鞍上の鈴村騎手、何とか落馬は免れましたが最後方!


 その間に先頭に立ったのはプロミネンスアロー、今日は果敢に先頭に立ちます。2番手はヤマギシンフォニー・・・・・・ミナミベレディーは懸命に前を追いかけます!


 先頭は3コーナーカーブへと入りますが、時計は平均よりやや遅いか。稍重の馬場が影響しているのか。


 おっと、ここで最後方のミナミベレディー果敢に前へと進む。前を走る馬を1頭1頭かわして現在馬群中団11番手くらいか。

 先頭から最後方までは、約10馬身といった所。これは追い込み馬は届くのか! ここでタンポポチャ、じわじわと前との差を詰めていく。各馬4コーナーを抜け直線へと向かいます。


 直線に入り各馬鞭が入りました!


 先頭は依然プロミネンスアロー、2番手にはヤマギシンフォニー、しかし後続の勢いが凄い! 直線に入って一気に上がって来るのはタンポポチャ!


 タンポポチャ、自慢の末脚で先頭に襲い掛かる! プロミネンスアローはいっぱいか、ヤマギシンフォニー必死に前を追う!


 プロミネンスアロー粘る、粘る! 依然先頭はプロミネンスアロー! 残り200m タンポポチャ最後の鞭が入ってもう一伸び!


 タンポポチャが迫る、タンポポチャが迫る! ヤマギシンフォニーを抜いて現在2番手! プロミネンスアロー粘る、ゴール目前で遂にタンポポチャが前に出た!


 タンポポチャだ! タンポポチャだ! タンポポチャがアルテミスSの雪辱を果たし、2歳牝馬の頂点に立ちました! 勝ったのはタンポポチャ! 鞍上の鷹騎手が高々と腕を突き上げた!』


 大南辺は食い入るようにターフビジョンを、そしてゴール間際の攻防を見詰めていた。そして、先頭でタンポポチャがゴールを駆け抜ける姿を見る。

 

「ベレディーは掲示板も厳しいか」


 GⅠという大舞台で、もしかしたらという思いもゲートを出た所で砕け散ってしまった。あとは、故障をしていないか、何か問題は無いか、ただそれだけの思いでミナミベレディーだけを目で追い続けた。


「どうやら怪我では無かったようだ。よかったな」


 馬主席に設置された小さなモニターには、先程の阪神ジュベナイルフィリーズの順位が映し出されている。


 6着:ミナミベレディー 最後に順位を上げてくれたが、それでも残念ながら掲示板に載る事も出来なかった。元々天候が雨、馬場状態が重に近い稍重。ベレディーにとっては悪い条件しか揃っていなかった。出遅れもきっとそこら辺に要因があったのかもしれない。


「大南辺さん、ミナミベレディーは残念でしたね。私も期待していたのですが」


 そう言って声を掛けて来たのは桜川重吉。大手建設会社を経営し、多数の競走馬を保有する馬主仲間だった。


「そういえば桜川さんも出走させていたんでしたな」


「ええ、14番人気で13着、人気通りとは言え、ちょっと悲しいですね。せめて一桁順位をと言っていたのですが。

 今年、ミナミベレディーの全妹を購入しましたので、それもあってミナミベレディーの事は注目していたのです。しかし、出遅れが厳しかったですな。ただ、来年がまだあります。お互いに頑張りましょう」


 桜川の本当に残念そうな表情に、大南辺もやっと心にゆとりが持てた。


「桜川さん、そう言っていただけてやっと心が楽になりました。そうですね、まだ来年がありますよね」


「ええ、まだまだ2歳ですし、ミナミベレディーは成長の遅い血統で母馬のサクラハキレイも現役時代はヤキモキしました。ミナミベレディーはそれこそ2歳でGⅢを勝っていますから期待しましょう。私も全妹のサクラヒヨリには期待してるんですよ。母も姉もGⅢ勝利馬ですからね」


 今まであまり交流の無かった桜川と大南辺は、このあと揃って馬と騎手を労いに行く。


「どうです、この後に残念会をご一緒にしませんか」


「いいですなぁ」


 馬主同士の交流会。これもまた競馬の世界である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る