第18話 2週間で出来る事

 美浦でプール調教を終え、トレセンで15-15を走るベレディーへと視線を向けながら、馬見調教師は疲労の回復度を計っていた。


「休養明けとしてはマズマズのタイムを出しているな。レース後にガレていた分の回復を考えれば文句を言えるわけではないが、まだまだ馬体に張りが無い」


「体重はほぼ回復してきましたが、筋肉は確実に落ちていますからね」


 横で調教助手の蠣崎とそう会話しながらミナミベレディーを見る。ミナミベレディーはプール調教から解放され、久しぶりに走れることが嬉しいのか見るからにご機嫌なようだ。


「鈴村騎手も本来はGⅠ初挑戦で気合が入る所なんだろうが、探り探り走っているな。致し方ない事なんだが、レースまであと僅か2週間強だ。体重を回復させながら絞っていく、言うほどに簡単じゃないぞ」


 そう言いながらも、ミナミベレディーの状態は心配していた予想を覆し、しっかりと回復して来ているように思う。プールでの調教時もそうだったが、コズミもすっかりと回復したようだ。


 2回ほど15-15で走らせた後、ゆっくりとミナミベレディーは戻って来る。


「調子は悪くは無いです。ただ、レースになるかと言えば厳しいですが」


 戻り一番に、鈴村騎手は今のベレディーの状況を説明する。


 その内容は、やはり何と言っても馬体が回復していないことが大きい。


「ただ、レースが出来ないほど悪いかと言えば、そこまで下がってはいないです。ベレディー自体が、走る事を嫌がっていません。ただ前走に比べても反応は今ひとつです。残りの調教期間を考えると、勝てるかと言われれば九分九厘負けると思います」


「そうだな。そもそも芝1600mはベレディーには短いからな。だからと言って牡馬も入れたホープフルSはもっと厳しいだろう。コスモス賞とは訳が違うからな」


 人間のアスリートと同じように、馬にもそのレースに合わせてピークを作るという作業が当たり前にある。それが上手くいくかどうかが調教師の腕前であり、才能ある競争馬であろうと、このピークをずらせば実力が発揮できずに終わるなど普通にありうる話だ。


「とにかく、無理をさせない。レース回避も視野に入れている。ただ、出走するなら勝ちに行く。それだけの調教は行っていくぞ」


 馬見調教師にとっても、鈴村騎手にとっても、もちろん大南辺にとってもGⅠは勝利した事が無い。それ故に、当たり前であるが勝てるなら勝ちたい。


 そして、出走するからには無様に負けるのではなく、勝ち負けが出来るようにしてやりたい。レースにも勿論負け方と言う物があり、その負け方次第で競走馬の評価は変わるのだ。


 それすら出来ないようでは、出走させるべきではない。馬の負担を考えれば当たり前の事だった。


「ウッドチップを主体に行く。疲労骨折などしたら目も当てられん。蠣崎、飼料も工夫してくれ」


「わかりました。こいつの大好きなニンジンなんかも多めに入れましょうか」


「キュヒヒーーン!」(ニンジン多め! 嬉しい!)


 さっきから人の会話に聞き耳を立て、まるで会話が判っているかのようなミナミベレディー。そのミナミベレディーがニンジンの言葉にすかさず反応したことに、馬見調教師他、皆が大笑いするのだった。


◆◆◆


 そして、阪神ジュベナイルフィリーズを控え、ミナミベレディーは初の栗東トレーニングセンターへと移送された。


 移動に不安を感じさせないミナミベレディーではあるが、それでも疲労は少ないほうが良い。慣れ親しんだ美浦トレセンでギリギリまで調教するか悩みはしたが、結局は早めの移送する事を決断した。


「しかし、馬運車での移動をここまで苦にしないのはありがたいな」


「もともとゲートとか狭い所を怖がる馬が多いですが、ベレディーはゲートも怖がりませんし」


 栗東へと到着し、馬房で寛ぐミナミベレディーを見ながら、馬見調教師と蠣崎調教助手は会話を交わす。


「しかし、夜のうちの長距離移動でしたから、最悪は寝られないんじゃないかと心配しましたよ。思いっきり爆睡していましたが」


 馬柵からひょいっと差し出された頭を撫で、脚の状態、飼葉や水の飲み具合など体調を確認していく。


「一応、明日の追い切りで様子を見るが、この状態で出ないという判断はないだろうな」


「ブフフン」(え? でないの?)


「ん? ああ、良い感じだぞ? 流石はベレディーだな」


「フヒヒーン!」(わ~~い、褒められた!)


 明らかに褒められたことが判り喜ぶベレディーの頭を優しくなでながら、恨めしそうに空を見上げる。


「あとは天気か」


 週末の天気は、土日共に雨模様の予報だった。


◆◆◆


 そして、翌日の追い切りは単走馬なりで行うこととなった。


「ベレディー、任せるからしっかり走るんだよ。今週末はレースだからね」


「ブヒヒ~ン」(は~い、わかった~)


 鈴村さんの指示では、自分なりに頑張って走ってねという事なのでしょう。だから、それなりに走りますよ。


 今週レースなのに、その時にバテててたり、筋肉痛になっちゃったらレースにならないもんね。


タッタカ、タッタカ、タッタカ


 指示されるままに走ります。


 でも、前回のレースの時より今回の調教はゆったりしてましたね。ウッドチップのコースは何となくふんわりしていて好きです。ダートの砂は嫌いです。足を抜く感じが何か嫌いですね。


「よしよし、まあタイムはこんなもんだろう。馬なりで直線12.6、最後の伸びも悪くないな」


 戻って来た私達に、調教師のおじさんは笑顔を浮かべて出迎えてくれます。


「ブフフフフン」(でしょ? 良い感じでしょ?)


 ちょっと自慢気に胸を張ります。だから、氷砂糖とかくれても良いのよ?


フンフンフン


 そんな思いで調教師のおじさんの匂いを嗅ぎます。もっとも、氷砂糖の匂いってしないんだけどね。この動作でくださいアピールが出来るのです。


「ほら、氷砂糖だ」


「ブヒヒーーン!」(わ~い、氷砂糖だ!)


 お強請りしたら氷砂糖が貰えたので、私は大喜びです。


 鈴村さんは下馬してたので、ぴょんぴょんダンスを踊りながら嬉しさをアピールします。


「ベレディー、落ち着きなさい!」


 大喜びする私を見て、調教師のおじさんが慌てて私の首をポンポンしてくれます。


 私は、大人しく氷砂糖をコロコロと口の中で転がして溶かしています。すると、向こうの方から数人の見たことが無い人がやってみました。


「こんにちは、競馬雑誌、競馬ファン所属記者の大橋です。馬見調教師、宜しければインタビューをお願いしたいのですが」


 何か見た事のないお姉さんと、カメラマンさんでした。ついでに、カメラマンさんがパシャパシャと私の事を写真に収めています。


「ああ、そういえば連絡が来ていましたね。申し訳ない、調教で時間を忘れていました」


 ん? どうやら予め連絡は来ていたようです。それなら、事前におめかしさせて欲しかったですね。今の姿は覆面に変なアミアミ付けた怪しいお馬さんですよ? この写真が雑誌に載るとしたら、ショックが大きすぎませんか?


「ブフフン」(覆面外して~)


 横にいた鈴村さんにそう訴えかけようとしたら、鈴村さんも聞いていなかったのか慌てて保護帽とゴーグルを取って手櫛で髪を整えています。自分だけとは、卑怯者です!


「ミナミベレディー号ですね。どうですか? デビューから無傷の3連勝、その割には今一つ人気は出ていませんが。今の段階で8番人気ですが、阪神ジュベナイルフィリーズへの意気込みは如何でしょう? 鈴村騎手はGⅠ初挑戦ですし、来年の牝馬クラッシック街道への試金石でもあると思うのですが。自信の程は」


 お姉さんが調教師のおじさんにマイクを突き出しています。


「そうですねぇ、ベレディーはアルテミスSからの休養明けで復帰して間が無いんですよ。なんとかレースに出して恥ずかしくない所までは仕上げましたので、あとは運次第でしょうか。ただ、レースよりも天気が気になってまして」


「天気ですか?」


「ええ、ベレディーはまだ重馬場などのレースは未経験ですし、ダートは苦手としています。雨が顔に掛るのも嫌いますので、天気次第で結果も変わって来そうです」


「ブフフン?」(え? 雨でもレースするの?)


 調教師のおじさんの言葉に、驚いちゃいますね。


 なんと、雨でもレースは行われるみたいです。芝で足が滑ったりしそうで嫌ですよね。あと、牧場なんかで走った時に思ったんですが、グショグショの所を走るとすっごく走り辛いです。


「そこら辺の事は、主戦騎手でもある鈴村騎手はどの様にお考えですか? 特に厩舎としても、鈴村騎手としてもここで勝てばGⅠ初勝利となると思いますが」


 お姉さんは結構ぐいぐい来ますね。鈴村さんはちょっと顔を引き攣らせていますよ? あ、カメラのせいですか、そうですか。鈴村さんの視線の動きで判っちゃいますよ。


「そうですね。GⅠ自体が私は初出走なので、何とか掲示板に載れればと思います。ただ、馬見調教師も言われた様に、天候次第かなと率直に思います」


 その後も、グイグイと質問をしてくるお姉さん。しかも、いつの間にか鈴村さんの恋愛だの、結婚だのと私には全然関係ない会話がメインになって来ていません?


「色々とお話が聞けてありがとうございました! 記事、楽しみにしていてください」


 そう言って颯爽と帰って行ったお姉さんですが、これってレースまで日時が無いのに記事になるのでしょうか? 勝たないと没?

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