第15話 アルテミスS終了後の鈴村さんと桜花ちゃん
アルテミスSを勝ち、それこそ騎手として2度目の重賞勝利に大喜びしても可笑しくないはずの鈴村であったが、レース後の検査でミナミベレディーに大きな問題が無い事を伝えられるまで喜ぶことが出来なかった。
表彰式前に行われる勝利騎手インタビューの最中も、ベレディーの状態が気になってしまっていた。
「4年ぶり、2度目の重賞勝利を飾りました鈴村騎手です。今の心境はいかがでしょうか」
鈴村にとって、この勝利者インタビューにあまり良い思い出は無い。4年前の中山金杯を勝利した時は舞い上がってしまって、後になってテレビで見た自分の様子に恥ずかしさでいっぱいだったのだ。
「ミナミベレディーが当初から鼻を取りに行って、どうもパドックからタンポポチャ号と競り合っちゃったみたいなんです。それで最後まであんな大逃げのレースになってしまって、良く勝てたなと言うのが正直な印象です。
すべてはミナミベレディーが最後まで諦めずに粘ってくれたおかげで、私はその補助が少しできたくらいです。逆に馬に与えた負担を考えると、馬見先生にも、大南辺さんにも申し訳ない思いが強いですね。これで惨敗してたらと思うとぞっとします」
2歳馬がするようなレースでは無かった。恐らく競馬関係者であれば、皆がそう思う程に厳しいレースだったと思う。最終的にミナミベレディーも、タンポポチャも大きな怪我が無くレースを終われたのは運が良かった。ただそれだけだった。
その事を、騎乗していた自分が一番良く知っている。
「それでも、念願の重賞勝利です。今年は勝鞍もすでに16と前年を超える数字を出されていますし、ファンの皆さんに復活をアピール出来たのではないでしょうか?」
香織の思いとは裏腹に、インタビューは少しでも場を盛り上げようとしてくる。ただ、年間勝利数16勝で復活というのも如何な物かと、香織の顔に思わず苦笑が浮かぶ。
「ミナミベレディーの新馬戦勝利から、今年の私は始まっています。ミナミベレディーにはもう感謝しかありません。幸いミナミベレディーはレース後の検査で異常は見られませんでした。今後も、ファンの皆さんの期待に応えられるようにベレディー共々頑張っていきますので、応援よろしくお願いします!」
「久々の重賞を勝ちました鈴村騎手のインタビューでした」
テレビ側としてはもっと私の感情が爆発したようなインタビューを聞きたかったのだと思う。
ただ、今の香織は早くベレディーの様子を確認したくて、インタビューに時間を割く事すら惜しい。そして、急いで表彰式の壇上へと向かう。
「馬見調教師、ベレディーの様子はどうでした!」
表彰台へと向かうと、馬見調教師が馬主である大南辺と話しているのが見えた。ミナミベレディーはまだこの場に現れていない。
「ああ、鈴村騎手、今日はお疲れさまでした。それとおめでとう、ありがとうと言うにはちょっと複雑なんでね。診断結果は問題なしだよ。まあコズミは出るんじゃないかな。厳しいレースだったからね」
そう言って苦笑を浮かべる馬見調教師は、何とも言えない様子で香織を見返してくる。
「申し訳ありませんでした。ベレディーに負担が大きいレースをしてしまって。まだ2歳馬なのに、無理をさせすぎました。本当に申し訳ありません」
そう言って香織は頭を下げる。
「いや、騎手は何としてでも勝つために出来る事をしないと。見事に勝利した騎手に文句を言う調教師はいないよ。ましてや重賞だったらなおさらにね」
どちらかと言うと騎手が言いそうなセリフで、調教師が言うセリフでは無いような気がする。
「そんな困ったような顔をされてもなぁ。ベレディーも異常なしだったんだ、GⅢの久しぶりの勝利、ゆっくりと噛み締めなさい」
「ええ、これでベレディーは重賞馬になったんです。私に初の重賞勝利を齎してくれました。確かに厳しいレースだったかもしれませんが、勝ってくれて本当にありがとう」
馬見調教師の横にいた大南辺は鈴村騎手にそう言葉を返すと、こちらは満面の笑みで香織に握手を求める。
「いえ、ただ、勝てて良かったです」
香織は香織で複雑な内心を隠しながら、大南辺と握手を交わすのだった。
そう言って馬見調教師は恐らく撤収に時間が掛りそうな為、手続きへと向かっていった。
そこへ明らかに疲れていますといった様子でミナミベレディーが引綱に引かれてやって来る。そして、そのミナミベレディーは馬見調教師や、鈴村騎手、それこそ大南辺など視界に入らないかのように入口傍にいた桜花の下へとやってきた。
「ブヒヒヒン」(桜花ちゃんだ~)
「トッコ、頑張ったね! 凄いよ! 本当に頑張ったね」
桜花の胸元に鼻先を押し付けて甘える仕草をするミナミベレディー。そのミナミベレディーの鼻先を、桜花は労わる様に優しく撫でてあげる。
「ブルルルルルン」(疲れたの、すっごく疲れたの
「うんうん、頑張ったね。でも、無理しちゃ駄目だよ? 怪我しちゃったら駄目なんだからね」
桜花は周りには聞こえないくらい小さな声で、ミナミベレディーに囁きかけるのだった。
その後、表彰式が行われ、それぞれに小さなトロフィーが渡される。それを受け取った後に、記念撮影が行われた。
表彰式を終えたミナミベレディーは、競馬場にある馬房で馬運車の準備が整うまで休む事となる。
「うわあ、ベレディー爆睡してますね。でも良かった。どこも異常が無くて」
競馬場から帰宅の準備が終わった香織は、そこでまだミナミベレディーが馬房に留まっている事を知った。香織が慌てて馬房に駆けつけると、寝藁に横たわって爆睡するミナミベレディーの姿があった。
ゴゴゴー、ピー、ゴゴゴ、ピー
馬房の中では、鼾をかいて寝ているミナミベレディーの姿がある。
「うん、さっき改めて見て貰ったけど、今の所は異常は無さそうだね。ただ、美浦に帰ってから再検査はするつもりだ。もっとも、戻るのは遅れてるんだけどね」
そう言って苦笑を浮かべる馬見調教師、その表情には多分に安堵の様子が含まれている。
香織としても、レースが終わった時にミナミベレディーが歩くのを嫌がった。あの瞬間を思い出すと、背筋が寒くなる。
そのミナミベレディーの爆睡した姿を眺めながら、改めて今日のレースを振り返る。1600mという距離を息抜く事無く走り切ったベレディー、もしかすると、自分達が思っている以上の能力があるのかもと嬉しくなってくる。
ただ、それとは別に自身の拙い騎乗技術に歯痒い思いも沸いて来る。
「次はこんな事が無い様に頑張ります」
「そうだね、ぜひお願いするよ。ただ、年内はもうレースは難しそうだ」
改めて二人はミナミベレディーを見るのだった。
そんな香織は、自宅に戻ると何時もの様に録画していた今日のレースを見る。ミナミベレディーの謎の暴走、それに引き摺られるように走るタンポポチャ、香織としても想定外の展開だった。
その後、自分のインタビューの映像と表彰式の映像を見て、漸く勝利の実感がわいて来る。
「そっか、本当にまたGⅢを勝つことが出来たんだ」
デビューして6年、漸く手にしたGⅢの勝利、既に新人では無くなり騎乗機会が減り始めていた中での勝利は、自分の未来を保証してくれるように感じた。
「もっとも、そんなの幻でしかなかったんだけどね」
確かに騎乗機会は増えはした。ただ、人気下位の馬が殆どで、オープン戦に騎乗する事すら殆ど無かった。そんな中で、改めて訪れたチャンスだ。
馬主や調教師の思惑あっての騎乗依頼であっても、この新たな機会と出会いを何とか物にしないと。
「ふふふ、貴方は私の王子様かもしれないわね。もっとも、牝馬だけどね」
鈴村は、先程壁に貼ったアルテミスステークスでの記念写真を、その中心で佇むミナミベレディーを見て呟く。
そして、香織は録画していた今日のレースを再度見直していた。
「うわ、ギリギリだよ。最後に良くもう一伸びしてくれたわ。明らかに最後の一ハロンはフラフラだったよね」
最後は頭一つでの決着だった。この伸びが無ければ負けていただろうし、恐らくこの伸びを齎してくれたのは、私ではなくタンポポチャとの意地の張り合いだったと思う。そのタンポポチャは結局3着に終わっていた。
「でもGⅢ勝ったんだなぁ。本当に勝てたんだなあ」
少し引き攣った笑顔を浮かべながらインタビューを受けている自分を見ながら、今回は前回ほど変なことを言ってないなと安心する事が出来た。
「年内はもうレースは難しいだろうって言ってたよね」
確かにミナミベレディーの疲労具合から言って、今年のレースはもう難しいとの判断を馬見調教師はしている。ただ、大南辺さんは阪神2歳牝馬優駿に未練を残しているみたいだったけど、恐らくは無いだろう。
「ベレディーにとっては、やっぱり最低1800mは欲しいよね」
録画を見終わって、香織はゴソゴソとベッドの中へと潜り込んだ。今日はもうゆっくりと寝よう。
「お休みベレディー」
壁の写真を再度眺め、香織は部屋の電気を消すのだった。
◆◆◆
「にへへへへ」
桜花は目の前にある一万円札の数を数えて、ただただ悦に入っていた。
今日トッコの出場したアルテミスSで、お母さんに頼みに頼み込んでお小遣いから1万円を応援馬券として単勝で購入していたのだ。18頭中の7番人気、倍率はなんと17倍、今桜花の目の前には普段見る事の無い17万円ものお金が広がっていた。
「う~~~トッコ様様だよね。あ~~、何買おうかなあ」
これでも花の女子高生。買いたい物を言い出したらそれこそ切りがない。もっとも、貧乏牧場の一人娘である桜花は、幸いにしてブランドなどの知識も所有欲もない。
「自分の部屋にテレビが欲しいかも。あと3番組録画のブルーレイとか」
お小遣いは月に5千円、お年玉は年に3万~5万円。それが多いか少ないかは人それぞれだとは思うけど、学生といえども日々の付き合いに必要な出費は馬鹿にならないのだ。もっとも、ほぼ食費に消えるのが桜花らしいといえば桜花らしい。
そんな桜花は、東京のビジネスホテルでお母さんと同部屋である。温泉や大浴場など一切ついていない、まさにザ・ビジネスホテルといったホテルだった。部屋備え付けのお風呂に入っていた恵美子は、いまだにお金を眺めてニヤニヤしている娘を見て、その将来を心配する。
この子もあの人みたいにギャンブル癖がついたりしないでしょうね?
応援馬券とはいえ、娘の代わりに馬券を購入してあげた事にちょっと後悔する恵美子である。
「桜花、いい加減にしてちゃんとお財布にしまっておきなさい。なんならお母さんが預かってあげるわよ?」
「うぇ! だ、駄目! お母さんに預けたらそのまま貯金しちゃうもん」
慌てて財布に仕舞おうとする桜花だったが、基本的に高校生が持つようなお財布に17万円は入らない。
「う・・・入りません」
そんな娘に呆れながら、結局は封筒に入れなおして家まで恵美子が預かる事となった。
「お父さんとお母さんも応援馬券買ってたよね?」
「ええ、お母さんもあなたと同じで1万円の応援馬券を買ったわよ。本当は5千円にしようかと思ってたけど、貴方に合わせておいて良かったわ」
そう言って笑う恵美子に、ジリジリとすり寄って桜花は使い道を尋ねる。
「お母さんは使い道どうするの?」
「もうリンゴ一箱を馬見調教師の所に送るように手配したわよ。何と言っても今回の功労者はトッコですからね。残りはトッコの為に貯金かしら?」
「ううう・・・・・・」
母親の思わぬ正統派攻撃に、桜花は黙り込むのだった。
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