第14話 アルテミスS

『東京競馬場で行われます、サラ系2歳牝馬限定、アルテミスステークス、 芝1600m、GⅢ、2歳とまだまだ若き牝馬達によって阪神2歳牝馬優駿へ向けての前哨戦、ここ数日の好天に恵まれ、馬場の状態は良、18頭の若き牝馬達・・・・・・』


 パドックにどこからか聞こえてくるテレビの実況、そっか今日は1600mなんだと、又もや違う出走距離にちょっと私は首を傾げます。


 そして、騎手の人達が来て騎乗して、パドックから本場場へと移動しますが、今日は12番という事でのんびりと移動します。


 先程まで暴れていたタンポポチャさんも、漸く落ち着いたようで騎手の人を鞍上に乗せて先に行っちゃいました。私は、今日は12番という事で結構遅めですね。


 何やら前の方が賑やかでしたが、恐らくお馬さんが本馬場に入ったので静かになりました。ゲート前のたまり場に移動していてちょっと吃驚したのは、なんと回る方向が今日は左回りみたいです。


「ブルルン」(聞いてないです)


 練習で左回りばかりするなあとは思ったのですが、成程、そういう理由だったのですね。今更ですが納得しました。たまり場まで来ると流石にタンポポチャさんも先程に比べれば落ち着いたみたいですが、それでも私を見た途端にまたブンブンと首を振り始めます。


「ブルルルン」(何か嫌われちゃいました)


 ここまで嫌われる理由が良く判らないのですが、やはり先程の発言が問題なのでしょうか? でも、私の言葉がわかるのでしょうか? 私は全然判りませんよ?


 そんな間にも、何かいつもと違うファンファーレが聞こえて来ました。


「ベレディーは落ち着いてるわね。私はさっきから緊張してガチガチなのに。鞭を持ってたら落っことしそう」


 私の首をポンポンしながら話す鈴村さんですが、うん、何か声が硬いです。


「プヒン?」(大丈夫?)


 鈴村さんを見ようと頭を上げますが、流石の私の視界でも鞍上は真後ろな為によく見えないですね。


「ベレディー、ごめん、心配させちゃったね」


 ポンポンと私の首を叩く感じに、少し柔らかさが出ました。大丈夫とは言えなさそうだけど、あとは私が頑張るよ!


 ゲートに順番にお馬さん達が納まっていきます。いつもはゲートの中で他のお馬さんが納まるのを待つ感じだったので、なんとなく不思議な気持ちで自分の順番を待ちます。


「行くよ」


 鈴村さんに促されて、私は素直に自分の枠に収まります。


 でも、相変わらず横の方ではガンガンと音がしていますね。大丈夫なのでしょうか?


「そろそろだよ」


 私はいつもの様に横目で係員さんの動きを見ながら、スタートの態勢をとりました。


ガシャン!


 ゲートが音を立てて開きます。そして、私はいつもの様に前へと飛び出します。


「よし! 最高のスタートだよ!」


 鈴村さんが私を褒めてくれますが、今日の私はいつもと違うのです。


 私は長く続く直線を見ながら、どんどんと加速していきました。


「ちょ、ちょっと、ベレディー、どうしたの!」


 普段とは違う私の加速に、鈴村さんが慌てて手綱を引きます。


 あのね、よく考えたんだけど、最初から最後まで一番前で走れば勝ちだよね? 追い込みとか、差しとか関係なくぶっちぎっちゃえば良いのじゃない?


「うわぁ、掛かってる感じじゃ無いんだけど、これって持つの? ベレディーは同じ2歳ならスタミナがある方だと思うけど」


 最初、手綱を引き絞った鈴村さんですが、イヤイヤする私の様子に手綱を緩めてくれました。

 普段から私に騎乗しているから、鈴村さんは私がしたい事を判ってくれたのかな? 鈴村さんはそのままゆったりとした騎乗態勢へと変更します。


 うん、このまま先頭に・・・・・・何か内側においでですね。


 予定では他のお馬さんをドンドン引き離して、そのままゴールする予定だったのです。末脚は負けるかもですが、持久力なら多分私が一番強いと思うんです。根拠はまったく無いですけどね。


 そんな風に速度を上げて先頭に立とうとすると、私と競る様に内側に一頭・・・・・・あれ? 


 よく見るとタンポポチャさんですね。なぜそこにいるのですか?


「え? うそ! タンポポチャ掛かってる?」


 鈴村さんの驚きの声を聴きながら、チラリと横目でタンポポチャさんを見ると騎手の人が思いっきり手綱を引いてました。


 あら? もしかして、私のせいですか?


 私が横目でタンポポチャさんを見たのですが、その時に逆にタンポポチャさんの視線を私も感じました。


 スススと内側へと体を寄せてコーナーのカーブへと備えるのですが。バシバシとタンポポチャさんの熱い眼差しが突き刺さる様に感じますね。


 近寄りたくないです。でも、カーブなので近寄らないといけないのですよね。


 結局、タンポポチャさんに比べて半馬身程後ろへとつけて、並ぶようにしてコーナーを回り始めます。


 この時、普通なら内側を絞るようにして身を寄せ、タンポポチャさんを膨らませないようにするところですが、お互いに中々の速度で突入したので当たり前ですが膨らみます。


「これって、持つの? どこかで息を入れないと」


 鈴村さんがそう言って、クイクイっと手綱を引いて私に合図をします。


「どの道このまま走っても最後の伸びは無いか、ただ息が続かなくて止まっちゃうよ?」


 相変わらず速度を落とさない私に対し鈴村さんはそう言いますが、何かレースよりタンポポチャさんとの一騎打ちみたいな感じになっていたりしちゃいます。

 思いっきりライバル心剥き出しで睨んできますし、ここで速度を緩めるとちょっと? タンポポチャさんと私の女の争いと言いますか・・・・・・。


「チッ駄目だわ、制御できん」


 タンポポチャさんの騎手さんが、どこか諦めた様子です。手綱ももう緩めています。今は出来るだけ馬に負担が掛からないように意識しているみたいですね。


 そして、カーブが終わって最後の直線へと向きました。

 ただ、当たり前ですが、こっから再加速するなんて余裕は欠片も無いです。ただ、嫌らしい事にタンポポチャさんが併せ馬の様に私の方へと寄って来ました。


「こうなったら、このままゴールを目指すよ! あと出来るだけ頭を上げ下げするんだよ!」


 これは鈴村さんと一緒に練習している時に教わった事です。


 首の上げ下げをする事で、体は自然と前に前にと進むそうです。


「タンポポも頑張れ! 負けるな!」


 横でも既に鞭は意味が無いと思っているみたいで、両手でタンポポチャさんの首の上げ下げを補助しているようです。


 そして、最後の直線をどれくらい進んだときでしょうか? 先程までは聞こえなかったドドドドという馬の足音が後方から聞こえ始めました。


「頑張って! もう少しだよ!」


 鈴村さんの声に応えたいのですが、ちょっと無謀だったかも? 段々と頭が上がり始めます。未だ経験したことが無いくらい呼吸が苦しいのです。


 そんな時、視界の隅でズルズルと横にいたタンポポチャさんが後退し始めるのが見えました。


「タンポポ! あと少しだぞ! 頑張れ!」


 隣でも同様にそう励ましています。ただ、それでもこのまま下がっていくかと思った時、タンポポチャさんと再度視線が合わさった気がしました。


「うそ! また伸びて来た!」


 私から半馬身は下がった状態のタンポポチャさんが、じわじわと私に追いつき始めます。


 ただ、その時の私はタンポポチャさんだけではなく、更に後方から近付いてきている足音に恐怖していました。


 うわ~~~ん、負けたくないよ~~!


ドドドドドド


 私の思いとは裏腹に、背後からの足音もどんどんと大きくなってきます。


 再度必死に自分の意思で頭を上下に振ります。そして、後脚に力を入れて前に前にと跳ねるように進みます。ただただゴールを目指して進む私は、追いついてくる馬達への恐怖しかありません。


 そんな時、タンポポチャさんがまたジリジリと下がり始めます。


 それとは逆に、今度は視界の外にいた馬がジリジリと上がって来るのが見えました。


 視界の横に大きくなる馬体は、すでに私と殆ど差が無く広がっている様に見えます。


 負けたくないよ~~~! 馬肉はいやだよ~~~!


 大きく頭を上下に振って、少しでも前へと進もうとしました。


 死にたくないよ~~~! お肉は嫌だよ~~~!


 私は必死に脚を動かします。この時には、もうタンポポチャさんも、お隣のお馬さんも気にしていませんでした。


「勝った~~~~~! 勝った~~~~~! 勝ったよ~~~!」


 突然、騎乗している鈴村さんの声が響き渡りました。


 今まで必死に頭の上げ下げを手伝ってくれていた手は離れ、手綱は止まるように引かれています。


 でもそれ以上に鈴村さんの叫び声が、私にレースが終わったことを知らせてくれました。


「プヒ~~ン」(疲れたよ~~)


 終わったと思った途端にどっと疲れが襲ってきました。


「ベレディー! 凄い! 頑張ったよ!」


 そう言って、鈴村さんは首をトントンしてくれます。でもですね、歩くのを止めて立ち止まった私は、疲れてもう動く気力が無くなっちゃったんです。


「ブルルルン」(動きたくないの~)


 鈴村さんが手綱を使って私を誘導しようとします。でも、私の脚は鉛みたいに重いのです。


「ちょっと、ベレディー? 大丈夫?」


 首をトントン叩きいて鞍上から私の様子を窺っていた鈴村騎手が、慌てて私から下馬して私の足元の様子を確認します。


「痛いところはない? 大丈夫?」


 鈴村さんが脚を順番に見て、大きな異常がない事を確認しています。でもですね、痛くは無いのですが、すっごく怠いんです。


 この時、遠目の観客席から何かすっごい叫び声が上がっていました。私は、その叫び声に何だろうと視線を向けます。すると、私同様にタンポポチャさんから騎手が下馬してタンポポチャさんの様子を見ているのが見えました。


「ベレディー大丈夫? 痛いところはない?」


「ブヒヒヒヒン」(あっちに行くね)


 疲れて重い脚を頑張って動かして、トットコと歩く私を横で見ながら、異常は無さそうだと鈴村さんは手綱を持って歩き出します。


 そして私はタンポポチャさんの横に来て、タンポポチャさんの首をハムハムしました。


「ヒヒン」


 うん、疲れたね。


 何となくタンポポチャさんの言葉が判った気がします。


「うわ! これどうすれば良いんだ? 無理に手綱引っ張れないよな」


「怪我も心配ですから、どうしましょう」


 鈴村さんとタンポポチャさんの騎手の人が何か言っています。


 タンポポチャさんも、ちょっとしてから私の首をハムハムしてくれました。うんうん、これで仲直りできたかな?


「ブフフフン」(疲れたよね)


「キュフン」


 その後、私達がハムハムしてたら馬運車がやって来て検量室の傍まで運んでくれました。


 私達の様子に、どうやら馬運車を呼んでくれたみたいです。


「鈴村、おめでとう!」


「鈴村騎手、おめでとう!」


「GⅢ勝利おめでとう! しかし、キツイレースしたなあ」


「大逃げ勝利おめでとう! やったな!」


 馬運車を降りると、鈴村さんが色んな人から祝福を受けています。羨ましいですね!


「ブヒヒ~~ン!」(私も褒めて!)


 フンフンと私がちょっと嫉妬していると、周りにいた人達が一斉に私を見て、その後に笑い声をあげます。そして、祝福と共に私の首をトントンしてくれました。


 その後、ブラシで綺麗にしてもらって、何かを背中に被せて貰ってから表彰台へと向かうと、馬主のおじさんだけでなく、制服姿の桜花ちゃんがいました。


「ヒン?」(なぜ制服?)


 桜花ちゃんに会えた嬉しさより、わざわざ制服でいる事の方に違和感を感じちゃって会えた嬉しさがどっかいっちゃいましたよ?


「う~~~、こういう所に着てくる服なんか持ってないの! 制服がある意味ベストなの!」


 私の問いかけの意味を何故か完全に理解して、桜花ちゃんは思いっきり頬を膨らませます。


 でも、それも一瞬で満面の笑顔になりました。


「トッコ、アルテミスステークス優勝おめでとう! すごいよ! 頑張ったね! GⅢを勝てるなんて、ありがとう!」


 首に抱き着いて祝福してくれる桜花ちゃんに鼻をスリスリさせます。


「ちょ、ちょっと! 汚さないで! 鼻水ついてるから!」


 何とも薄情な桜花ちゃんです。ただ、そう言えばこの後にはいつも記念撮影がありましたね。うん、桜花ちゃんごめんね。


 そして、みんなで記念撮影をしてて思ったのですけど、もうこんなにキツイレースは嫌だなぁ。

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