第13話 アルテミスS出走前です
来週、久しぶりにレースがあるみたいです。今までと違って、何となくですが鈴村さんがピリピリしてる?
いつもは坂路を走るんですが、今日はウッドチップコースの上をタッタカ走ります。
ウッドチップコースは、走ってもちょっとクッションみたいで脚に疲れが余りでない気がするので好きです。でも、砂は走り難いので嫌いですけどね!
「うん、今日も良い感じだね。来週は頑張ろうね」
走り終わると、鈴村さんがそう言って私の首を撫でてくれます。そのまま、体を洗って貰いに場所を移動していきますが、どことなく気もそぞろな鈴村さんです。
ベロ~~ン
鈴村さんの顔を舐めると、突然の事に鈴村さんは一瞬唖然とした表情を浮かべました。そして、すぐに私の首へと抱き着いてきます。
「ベレディー、ごめんね。ちょっと集中できてなかったね。心配かけちゃったよね」
そう言うと、手にしたブラシを動かしながら、鈴村さんは今度のレースについて私に話し始めます。
「枠順がね外枠寄りで12番なんだ。それに出走頭数は結局18頭のフル出走になって、ちょっと焦っちゃったの」
「ブルルルン」(18頭も一緒に走るの?)
今までのレースと違って、何かゴチャゴチャして走る事になりそう。お馬さんに周りを囲まれると走り辛そうだよね? う~、どうすれば良いのかな?
18頭で12番となるとお外の方かな? そうすると真ん中で囲まれちゃうかな? 今までのスタートで何とかなるのか判らないんだけど、みんなが真横に並ぶとすっごく変な事になりそう。
「ブヒヒ~~ン」(横にお馬さんがいたら、下がらないとだよね)
2回走ったレースを参考にイメージをしてみるのです。でも、何となく勝てるイメージというか、どうなるのかが思い浮かばないのです。何となく、ゴチャゴチャみんなで団子になってゴールするイメージばかりが浮かんできます。
「なんとか前寄りに着ければレースになると思うんだけど、そのイメージが湧かないの」
私と同じように、鈴村さんも前に行けるイメージが湧かないみたいですね。
「1600mだから、スピード勝負になると思うわ。まだ判らないけど、恐らく差し馬が有利な展開になる。ベレディーは前寄りにいないと、置いていかれて馬群に沈んじゃうかも」
そこで黙り込む鈴村さんですが、差し馬ですか・・・・・・私だって前走は前の馬を追い抜いて勝ったのだから差し馬じゃないのでしょうか?
「ブフン?」(私だと駄目なの?)
鈴村さんに尋ねるのですが、回答は貰えないままブラッシングは終わり馬房へと戻されちゃいました。
むぅ、どうやら今度のレースは私では勝てないっぽいです。調教師のおじさんも、厩務員の人も、みんなが何とか掲示板に載ればと言っているのが聞こえます。
どうやらすっごく強いお馬さんが出走するそうです。おじさん達は、枠順が8番以内だったらとか言ってるんですよ?でも、たった4番しか違わないですよ?
そう思って尋ねるんですが、ぜんぜん会話が成り立ちませんね。
「タンポポチャの追い切りが中々のタイムだったみたいだな。鷹騎手が乗るし、1番人気は確定かな」
私の馬房の傍で知らない厩務員さん達が立ち話をしています。私のお世話をしてくれる人は、厩務員さんって言うんです。
ただ、皆さんの会話の中に、私の名前が一度も聞こえないのです。ちょっとプンスカですよ。こうなったら、私だって頑張るんですからね! 私だって、お肉になんてなりたくないんです!
◆◆◆
アルテミスSを今週末に控え、馬見調教師他関係者たちはミナミベレディーの走りを眺めていた。
「う~ん、悪くはない、それどころか絶好調と言っても良いんじゃないかな?」
大南辺は馬の動きを見て、思わず表情を綻ばせる。
「そうですね、今できる事はすべてやったと言いたくなるくらいには完璧です。どちらかと言うと、ベレディーのヤル気が凄いみたいですね。今まで以上に頑張ってくれています」
馬見調教師も今のベレディーの状態を見て、これで負けたら仕方がない。そう思うくらいには落ち着いてきていた。
「タンポポチャは中段に控えると思いますし、あの馬の末脚の切れを考えるとベレディーもその前か後ろにつけたいですね。可能なら最後の直線で、持ち前の反応の良さで一歩先に出て粘り勝ちを狙いたい所ですが」
「そうだなあ、末脚の切れとなると敵わないからな」
今まで調教してきて、ミナミベレディーは先行逃げ切りが一番合っているように思われる。差しも出来なくはないが、それは相手次第といった所だろう。
「そもそも馬群を嫌います。試してはいないですが、あの子の性格上間違いないですね」
調教助手として常にミナミベレディーと供にいる蠣崎の言葉である。それ故に誰も否定する事は無い。
そんな中、今日は軽めの調教で終えた鈴村が、ミナミベレディーに騎乗して戻ってきた。
「調子は悪くありません。それどころか、絶好調と言っても良いと思います。あとは、本番の展開次第かと」
「ブフフフン」(だよね! 絶好調だよね!)
先日までと違い、晴れ晴れとした表情の鈴村騎手に、大南辺も馬見調教師も不思議そうな表情を浮かべる。
「鈴村騎手、何か吹っ切れた感じだね。そんなに良い手応えだったのかな?」
大南辺の質問に思わず笑い声を漏らす鈴村騎手は、ミナミベレディーから下馬するとその首を撫でながら大南辺に笑いかける。
「いえ、何かベレディーに騎乗している時に私が悩んでいると、ベレディーが心配するんですよ。それで思い切ってベレディーに相談したら、まるで自分に任せなさいって感じで」
「ブルルルン」(頑張るよ!)
その時の様子を思い出したのか、鈴村はそれこそ吹っ切れた様な穏やかな表情で笑う。
鈴村の後ろでは、ミナミベレディーが鼻息荒くフンフンと自信を漲らせていた。
そんな鈴村とベレディーを見比べていると、自然と他の面々も笑い出す。
「そうだな、ここまで来たらベレディーに委ねるしか無いか」
「頼んだぞ!」
みんなが笑いながらベレディーの首を叩く。
「ブヒヒ~~ン!」(任せて~~~!)
ベレディーの嘶きに、みんなが声を上げて笑い出すのだった。
◆◆◆
あっという間にレース当日になっちゃいました。私は朝から馬運車に乗せられて、えっちらおっちら競馬場へと運ばれました。
ちょっとナーバスになっていた鈴村さんを一生懸命に励まして、昨日はみんなで頑張ろうねと良い感じで纏まったのです。ただ、そもそも本番は今日なのですよ。
馬運車に乗せられて競馬場へと運ばれる中で、今日のレースについて考えます。
「ブルルルン」(私の強みは思考能力ですよね)
他のお馬さんに同じような馬がいるのかは判りませんが、私は考える馬なのです。
どうやら皆さんのお話を聞く限りでは、このままだと私は勝てないっぽい? 何でも有力馬さんの追い込み馬が3頭くらいいるみたいです。中でもタンポポチャというお馬さんの末脚はすごいんだそうです。
でも、私だってお母さんやお姉ちゃんがGⅢというのを勝っているんです。鈴村さんだってチャンスがあるって言ってくれてるのですから頑張らないとです。
競馬場に到着して馬房へと案内された私は、前回以上にやる気に満ち溢れていました。お肉になりたくないのは勿論ですが、鈴村さんの為にも頑張ります。
「ベレディー、行くよ」
調教助手さんに引かれて、ゆっくりとパドックへと向かいます。これも3回目ですし慣れたものですよ。
ただいつも以上に周りに人が居るのでちょっと吃驚ですね。私でもちょっとこの人混みには気を取られるので、他のお馬さん達の中にも首を振っているお馬さんが多いですね。
「ベレディー、あの3番がタンポポチャだぞ」
蠣崎さんに言われて視線を向けると、私と遜色ないくらい馬体の大きなお馬さんがいました。
もっとも、私よりも明らかに短距離向きの馬体です。要は首は太くて短いのです。
「ブヒヒ~~ン」(可愛さでは勝ったわ!)
ずんぐりむっくりなお馬さんなど、この私の優美さと比較すると月とスッポンですね。何となく勝てる気がしてきました。
思わず優越感に浸っていると、タンポポチャさんに思いっきり睨まれます。
え? 馬鹿にしたのバレてます? というか、ブンブンと頭を振って手綱を振り切ろうとしてませんか?
「ブルルルルルン」(いくら強くても、女の子があれではねぇ)
斜め後ろにいたお馬さんに同意を求めたんですが、なぜかそのお馬さんが二、三歩後退りました。
うんうん、判るわぁ、怖いですよねぇ。もうヒステリー女って嫌ですね。
判る判ると私が頷いていると、タンポポチャさんが更に此方を睨んできます。
「ブルルル?」(もしかして言葉判ります?)
もしかしたらお仲間かなと声を掛けてみましたが、どうも違うみたいですね。どうやら本能で私が格下扱いをしたのが判って怒ったみたいです。
馬の世界も女の戦いがあるのですね。怖いですわぁ。
こうなったらもう思いっきり挑発してあげましょう。
私がタンポポチャさんを揶揄っているうちに、何時の間にか鈴村さんが私の横に来ていました。
「ちょっとベレディー、貴方タンポポチャを思いっきり煽ったでしょう。大丈夫なの?」
ちょっと呆れた様子で私を見る鈴村さんですが、だって気に入らなかったんですもん。
鈴村さんに顔を押し付けて、怖かったの~と猫を被って撫でて貰います。その間にもチラッ、チラッっとタンポポチャさんを見ると、それはもうお怒りでしたよ。
「うわ、鷹さんも大変だわ」
騎手の人が騎乗しても、タンポポチャさんは何か思いっきり暴れています。あれ、騎手の人は振り落とされないのでしょうか?
「ブフフフフフン」(女の子はお淑やかじゃないとですよね)
やっぱり、私の目指すのはアイドル路線でしょうか?
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