①オレの心は曇り切っている

「檜山」


 下校しようとするとオレに担任の教師が声をかけた。

 振り返ると、相変わらず暑苦しい笑みを浮かべている。

 体育教師全員がそういうわけではないけど、オレの担任はいつも暑苦しい。自分では爽やかな笑みを浮かべているつもりだけど、オレにとって暑苦しさと鬱陶しさの塊以外の何ものでもない。


 そんなことを口にする勇気もないオレは気持ちが1ミリもこもっていない愛想笑いで返した。


「先生、何でしょうか?」


「ちょっといいか?」


 担任はオレを引き留めると、目線が生徒指導室を指していた。

 あそこで二人きりで話をしたいことがあるんだ。

 そう言いたそうな目を見て、これは逃げることは難しいとオレは悟った。

 オレは担任と話したいことは何もないのに。

 だけど、少しの時間稼ぎにはなるか。家に帰りたくないからな。

 それに担任の命令を無視して両親に報告される方がオレにとって都合が悪い。それなら担任に従う方が賢い選択だろう。


「はい、大丈夫です」


 オレは担任に言われるまま生徒指導室へと連れられた。

 別に指導されないといけない程に何か悪いことをした記憶はない。


「お前、いつも一人だな」


「そうですね」


「何か悩みでもあるのか?」


「いえ、ないです」


「そうか。何かあったら、遠慮無く言えよ」


「はい」


 担任との尋問を切り上げたオレは生徒指導室を後にした。

 校舎の時計を見ると、10分もかからない間に話は終わってしまったようだ。なんだ。時間稼ぎにもならなかった。いつもみたいに内容が全くまとまってなくて、タメにもならない実体験でも、べらべらしゃべってくれたら良かったのに。

 今日に限って内容がまとまっていて短く終わってしまうなんて。

 担任はオレのことを気遣ってくれていたけど、余計なお世話だ。

 話を聞くだけなら、誰でも出来る。そこから先は何も出来ない。


 オレの家庭事情を知ったとしても、あの人には何も出来ない。


 オレは父親に虐待されている。

 でも、体には傷はない。父親が児童相談所に通報されるリスクを避けるために見えない部分に傷を付けている。

 体は服で隠れる部分。特にオレの心を徹底して攻撃する。

 心は他人から見えないから、いくら傷つけてもバレることはない。

 それを良いことに父親はオレに罵詈雑言を浴びせ続ける。


 これから家に帰ったら、オレは社会に溶け込めないダメ人間の父親を相手をしなくちゃいけない。


「はぁ、ついてないな」


 オレは自分の運命を呪いながら、家に向かって歩き始める。

 死刑囚が死刑台へ向かうカウントダウンが始まるのと同じ感覚が芽生え始める。

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