⑥魔女が毒リンゴを持ってやってきた

あれからアタシは醜いマリアに戻ることはなかった。

 あの美しい顔とスタイルは夢に違いない。そう思っていたけど、蜜谷さんとホテルで一夜を過ごしてからもそのままであった。


 海外の女優のようなキレイな顔立ちも青年雑誌に登場するグラビアモデルのような体型も変わっていない。

 嬉しい反面、この体になってからアタシは今までに感じたことのない苦労が増えた。1つは今まで感じることなかった男達の嫌らしい視線が目につくようになった。


 アタシが外出する度、すれ違うサラリーマンや学生達が鼻の下を伸ばしてアタシを見ている。本人達はそんな顔をしていないつもりでもバレバレだ。思春期の男の子なら、可愛いなと笑って許せる。

 でも、中年のおじさんは生理的に無理なことが多い。頭の中でお前を犯してやっているぞという妄想が隠しきれないのか、興奮した表情でこっちを見ている時もあった。


 流石に、あれは気持ち悪いと思った。アタシは今まで性的な対象としても見られた経験がないから、そんな視線にも気づかなかった。


 ほとんどの男の視線が大きく膨らんだ胸やお尻ばかり。

 一瞬、アタシの顔に目線が行くも、すぐに視線が胸元へと移る。

 そこからだんだんと下がっていき、すれ違い様にお尻を見る。


 でも、性欲が落ちているはずのおじいちゃんにまで、すれ違い様に「いい身体をしたねぇちゃんだ」と呟いていたのを聞いたときは思わず笑ってしまいそうになった。


 アタシは成人から老人まで魅了してしまう体を手に入れてしまったようだ。


 だけど、その代償は大きい。今まで肩こりをほとんど感じたことがなかったのに、この体になってから肩こりが酷い。


 原因はこの大きな胸だ。男達を魅了してしまう大きな2つの膨らみがアタシの肩へ負担をかける。


 さらに、その大きな膨らみを支えるための下着もすぐに揃えられない。アタシの胸のサイズに合う下着は近所のお店には売っていない。

 色んなお店に問い合わせても、海外女性のサイズじゃないとアタシには合わないと言われた。最終的には海外からの取り寄せを勧められる。


 前まではデパートにある安物の下着で良かったのに。今は下着代は倍以上掛かってしまうことが悩みの種である。


「本当にアタシなんだよね?」


 鏡に映るスタイル抜群の美女に向かってアタシは問いかけた。

 でも、醜いマリアが夢だったのかと勘違いしてしまう程に変わったアタシの姿しか鏡の中にはいない。


 見た目が変わりすぎたアタシはこれからどう生きようか迷っていた。


 とりあえず今までいた会社は辞めた。

 元々滑り止めのように受かった会社で、辞めても何の未練もない。

 それに以前のアタシと明らかに見た目が違うので、アタシがマリアということを会社の人間が誰も信じてくれないだろう。


 それにアタシは、あそこで居場所を作るために必死だった。

 営業部の社員のために資料作成やサービス残業もした。

 残業代もほとんどもらえなかったし、営業部の社員にも全然感謝されなかった。アタシは会社で無駄な努力と時間を消費しただけだった。


 それだけのことをしても結局、アタシは自分の居場所を手に入れることが出来なかった。


「アタシ、これからどうしょうかな」


 今までの経験を活かして事務職に就こうか。

 いや、この見た目を活かして芸能人になるのも悪くないかもしれない。醜い顔のせいでアタシは仕事を選べなかったが、この顔と見た目なら仕事も選び放題だ。


 そう考えると、これからの人生が楽しくなってきた。アタシが今後の生き方について考えていると、誰かの訪問を知らせるチャイムの音が鳴った。


 誰だろう? アタシの部屋に訪ねてくる人間なんて、ほとんどいない。


「はい」


「こんにちは」


 アタシがゆっくりとドアを開けると、白雪姫に登場する魔女のような醜い顔をしたおばあさんが立っていた。しかも、この真夏なのに黒いローブを身につけている。


 誰だ、このおばあさん。ご近所さんではない。おばあさんは、アタシの顔を見上げてにやにや笑っている。気味が悪い。おばあさんの黒いローブが魔女のような印象をさらに強くしている。

 もしかして何かの宗教の勧誘かな?


「あの、どちら様ですか?」


「私が分かりませんか?」


 初対面のはずなのに、おばあさんはアタシが自分のことを知らないことに違和感があるような言い方をしている。あなたみたいに気味が悪い知り合いなんて、アタシにはいません。


「私ですよ。マリアさん、リンゴですよ」


 リンゴさん!? うそだ。目の前にいるおばあさんは自分のことをリンゴさんだと主張する。


「何、何を言っているんですか。だってリンゴさんは……」


「こんな醜いババアじゃない?」


 目の前のお婆さんはアタシの心を読み取ったように不適な笑みを浮かべて答えた。


「そうよね。こんな私を見てリンゴって思う人はいないわ。だって私はあなたに宿っている天地創造クイーンの力で、あの若さを保っていたのだから」


天地創造クイーン?」


 リンゴさんと名乗るおばあさんは天地創造クイーンという謎の単語を口にした。

 クイーンは女王様という意味の英単語。何かの能力なのかもしれないけど、このおばあさんは何を言っているの?


「あなた、蜜谷とやったでしょ?」


 おばあさんは白雪姫に登場する魔女のように不気味な笑みを浮かべながら、アタシを見上げた。どうして、このおばあさんがアタシと蜜谷さんの関係を知っているの?


「ど、どうして知っているの?って顔しているわね」


 おばあさんは再びアタシの思考を読んで話しかけてきた。

 このおばあさんは一体何者なの?


「決まっているじゃない。だって……蜜谷は私がけしかけたから!」


 蜜谷さんをけしかけた? 何を言っているの。

 アタシはおばあさんが言っていることを何も理解できない。


「な、なんで?」


「なんでか? 理由は簡単よ。私が天地創造クイーンを捨てたかったから」


 天地創造クイーンを捨てる?

 おばあさんは、また意味がわからないことをアタシに訴えてきた。


天地創造クイーンは全ての異能力アビリティの始まりの力。

 この力を手にした者は永遠の若さと美しさを手に入れることが出来る。

 でも、禁止事項タブーがある。それが異能力アビリティを産み続けること。これを破れば死ぬ。だから、私は若さと美しさと引き換えに50年間も異能力アビリティを産み続けた。」


 50年間! リンゴさんはそんな昔から生きていたの。アタシのおばあちゃんと同い年ぐらいの人間が、まさか社内ナンバーワンの美人社員の正体だったなんて。アタシは思わず言葉を失ってしまう。


「だけど、私はその苦痛に耐えられなくなった。

 この連鎖から抜けるためには新しい天地創造クイーンの存在が必要。新たな天地創造クイーンを産み出すためには子孫繁栄ドローン異能力者サーヴァントと、そいつと性行為する女が必要だった」


 おばあさんは天地創造クイーンという力についての説明をアパート中に響く声で叫び続ける。


 子孫繁栄ドローン? おばあさんは、また意味不明な単語を口にした。


子孫繁栄ドローンと性行為をした女は新たな天地創造クイーンになる。だから、子孫繁栄ドローン異能力者サーヴァントが必要だった。

それが蜜谷よ。あいつに子孫繁栄ドローンを与えて新しい天地創造クイーンを生み出そうとした。あいつ、女にモテるからすぐに色んな女と関係を持てたわ」


 蜜谷さんがその子孫繁栄ドローンを持っていた。

 まさか、アタシが蜜谷さんと行為をしたから、この姿に。


 そうなると、アタシがその新しい天地創造クイーンになったということなの?


「で、でも、どうしてアタシを選んだの?」


「簡単よ。あなたが処女だからよ。別に処女じゃなくても天地創造クイーンにはなれる。

 でも、ケガレを知らない女の方が天地創造クイーンになりやすい。ただそれだけ」


「どうしてアタシが処女だって……」


「初めて会ったときから気づいていたわ。あんたみたいなブスが男と行為が出来るわけないじゃない」


 リンゴさんはアタシを処女と見抜いて蜜谷さんを差し向けた。

 やっぱり、彼がアタシを好きだということもウソだった。


「蜜谷は私とやりたかったから、条件として子孫繁栄ドローンを使ってあんたとやってと頼んだわ。そうしたら、あいつはすぐに引き受けてくれた」


 そんな。蜜谷さんがそんな最低な男だった。

 リンゴさんとの関係を持つために仕方なく、アタシと行為をしたなんて。アタシは悔しくて涙が流れた。男性と食事が出来て体を交わることが出来た喜びを噛みしめていた自分が情けない。


「でも、蜜谷はもう死んだから約束のご褒美はお預けになっちゃったけど」


「え?」


子孫繁栄ドローンは新しい天地創造クイーンを産み出すためだけの異能力アビリティ。役目を終えたんだから、存在意義はないでしょ」


 蜜谷さんもこの女に利用されていただけ。最低な男だと思ったけど、蜜谷さんも哀れな被害者の一人だった。


「あんたも良かったじゃない。こんなキレイでスタイル抜群の女になれたんだから。これであんたは女としての幸せを掴めるわ。そして、私は自由に……」


 リンゴさんは胸を押さえながら、玄関から逃げるように飛び出した。そのままアパートの螺旋階段に体をもたれるとリンゴさんは転げ落ちていった。


 アタシは慌てて螺旋階段を下りて、地面に転がっているリンゴさんに駆け寄る。


「リンゴさん! しっかりしてください!」


 アタシはリンゴさんに必死に声をかけた。

 頭をぶつけたせいか、意識がはっきりしていない。

 しかも打ち所が悪かったのか、頭から出血している。

 どうしよう。落ち着いて。まずは救急車を呼ばないと。


「誰か救急車を呼んでください!」


 アタシは大声で助けを求めるも周りには誰もいない。

 とりあえず部屋に戻って救急に電話しなくちゃ。慌てて部屋に戻ろうとするアタシの服の袖を誰かが掴んだ。


 振り返ると、リンゴさんだった。


「やめてよ。やっと私は自由になれるんだから……異能力アビリティを産み出す人生から。あんたはこれから異能力を産み出す地獄が始まる。私はそれを地獄から見ているから……」


「リンゴさん!」


 リンゴさんはアタシにとっての地獄が始まることを想像しながら、不気味な笑い続けた。

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