第9話

   夢幻の中


 本来は百目鬼は見てはいないはずの黒いフォード車に乗っている五十嵐学長を道端で観ている百目鬼、 行く先々もんぺ姿のご婦人たちが買い物かごを持って歩いている市場前を通り過ぎていく、その向こう、水兵宿舎の練兵場からも、複数の黒煙が上がっている。 

煙の元には残存武器と共に柔道着、剣道、防具、木刀、竹刀、畳など米英軍には不必要な物を燃やされている。

その煙る先よりはるか遠くへ視線をもっていく五十嵐学長、、自分が若いころに乗船し、今は岸壁に停泊したままの戦艦三笠のマストを探す、探す、そのマストの先端にいつもあるはずの海軍旗は見当たらなかったが、、わずかに見えた艦橋が見え、懐かしいと思うが、車の移動する先、横須賀港の岸壁には、幾隻もの日本海軍の艦船が並んでいるその中には米軍の幾度かの艦載機攻撃で浸水し、傾斜したままの艦船もある、そし単独で勝手に動かせないようにすべての艦同士を太い鎖で結ばせている。

これが昭和十六年に戦争を開始した当時、その規模で世界一を誇った帝国海軍の残滓である。軍港の一番良い場所の岸壁、埠頭には、米海軍の艦艇がずらりと並んでいる。その有様を垣間見て、悔しそうな顔をし、唇をかみしめる学長、、思い出したように腕を動かし、ポケットの中に片手を入れようとすると、それに気づいて腕を取り、制止しようとするMPに、学長、大丈夫だ安心しろ、という雰囲気で笑みを見せ、ポケットから手帳の中を見せる、開けてみると今は亡き息子三人の出征時の写真、それを見て元の姿勢にもどるMP。

緩やかな下り坂を走りゆく車、手鏡で自分の顔を見る学長、立派なひげを毎日朝起きて形を整え、自分の指先で触る楽しみは今日で最後か、と思いながら、鏡の隣にある戦死した一人息子の写真を人差し指で触り、目を細めて名残惜しそうに手帳をしまう。そして深呼吸した後、前の席の軍人たちにも聞こえるようにすこし大きな声でしゃべる。

「This is the last present from Imperial Japanese Navy.」

(訳)『私から君たちに、日本帝国海軍から最後のプレゼントをさしあげよう。』

それを聴いて首をかしげる車中の米軍人たち、五十嵐晃、腕組みをするふりをして、自分の軍礼服に付いている二本の飾緒を両手で思い切り引っ張る、、布が破ける音と共に脇の下に仕込んだ二つの改造手りゅう弾の留め金がブツ、ブツっと外れる鈍い金属音、すかさず体を前に倒し、野太い声で爆発までの秒読みを数えだす、 

「いち、」

 前に倒した学長の体を起こそうと肩に手を掛けるMP、手榴弾の安全ピンが飾尾の先に見え、軍服の破れ目からわずかに煙、その匂いに気付く、 

「にいぃ、」 驚愕の顔をして車の両後ろドアから咄嗟に外に飛び出すMPたち、道路に勢いよく飛び出す!

「さぁん、、」

後ろを振り向く助手席の米軍将校、後ろの異常さにバックミラーを右手で下に向けた運転手、その瞬間、バックミラーに閃光、後部座席大爆発!学長と前席二人の首、運転手の上げた右腕が爆風の勢いでちぎれ、粉々になたフロントガラスと混じり合い、前方に吹き飛ぶ、ボンネットを飛び越え地面に落下、車底に潜り込んだ二つの米軍人の頭、髪の毛に火が着き、首から血を拭きだしながら車の後方にゴロゴロと転がる、タイヤに引かれ潰れる右腕から、肉の中に残った血が勢いよく噴き出て道路に血跡をつける、、ボンネットと道路上にも大量の血、二秒後、満タンのガソリンを入れた燃料タンクに火!道路に穴が開いたかと言うくらいの爆発と衝撃波で割れる周囲の建物の窓ガラス! 残存している車体上部を巻き込み、ガソリン特有の黒いキノコ雲の中に赤い炎が燃え上がる、断続的に鳴り続けるクラクション、スピードが弱まり大きな動物が這うように動いているその車体の後ろ、トランクに入っていた海軍資料の紙が爆発の勢いで舞い散る、外れ飛んだ四つのドア、飛び散った部品、道の表面に焼け融けたタイヤの黒いゴム跡を汚らしく残しながら歩道に乗り上げ、大きなビルの表、閉まっている観音開きの大きなドアにめがけるように燃えながら突っ込んでいく車、ドアの向こうは日曜で閉めている銀行、破られたとたんに銀行強盗用の非常ベルが、けたたましく鳴る、停まった車、鳴りやむクラクション、間一髪で脱出できた二人のMPは後方で気を失ったまま道路上に倒れている、。道路上、米軍将校の首のブロンドの髪の毛が屑ぶったままでふたつ、そのうちの一つ、顎が頭部にめり込んで潰れた米軍将校の首の切れ目からは、まだ血が滴り落ち、潰れた運転手の腕、飛び散った内臓、その付近全体に飛び散った大量の資料の紙、紙、紙、、炎上した車の油とタイヤの焼け焦げる匂い、銀行ビルの外壁と看板が煙の煤で黒く汚れていく、、沿道でその光景を見つけ、びっくりして立ちすくんでいる一般市民の数名の日本人、、

「おぉーい!危なーい!、、近づくなー!」

黒煙と炎にまみれた車に向かって警笛を勢いよく吹き鳴らしながら走ってくる二人の日本の警官の姿、爆発音を聴き、廻りから現場に遅れて集まってくる米兵たちの人ごみが走る本道から離れた路地に飛んで行った学長の首が下り坂をずるずると転がっていく、こいつらに掴まるくらいなら、なんとか海へ、海中で戦死した息子に逢いに、、その信念だけで、停まりそうになるとまた勢いが付き速度が増し、転がる、転がる、学長の首、、遠くで銀行のベルが鳴っているのが、意識が遠のく学長の耳には俺への贐(はなむけ)のベルの音か、と思いつつ、笑みを浮かべる学長の首、、そして港の岸壁にたどり着き、誰にも見とられず、海面に落ち、海の底へと、、沈んで、いった、、争いの終わった、静かな、静かな、、海の底へと、、。


   工科大学、図書館館長室


 学舎内、数分前から長く鳴っていたサイレンが静かに切れた。 五十嵐学長の壮絶な爆死の知らせを内線電話で知った百目鬼、学長が残して行った日本酒の一升瓶の封を切り、神棚に飾ってあった二つの銀杯になみなみと注ぎ、ため息をついた後、ゆっくりと飲み干す。 そして学長が飲む筈だったもうひとつの杯を持って窓に近づき、酒を外に振り撒き、静かに目をつぶり、手を合わせて祈る。祈るしか他にすることが無かった。久しぶりに、その記憶が頭に蘇って夢の中で泣いている自分の姿がガラス窓に反射している、、

「おいしゅうございました。」

学長から渡された本と銀杯とを丁寧に布に包み、自分の鞄に入れ、封を切ってない一升瓶を一本、カバンの上に横にし、深いため息をつき、七年間務めた図書館長室を後にする百目鬼。


夕方になり海からの風が停まった練兵場では書籍類がまだ燃やされている。職員室の書類、教室の教育資料、学長室の本、写真、月暦、戦争標語の貼り紙の束、学長から返された翻訳本も、次々と放り込まれ、すべてが灰燼と帰し、煙はまっすぐ空へ、敗戦の空へと消えていくのを観ながら校舎の横を歩いている。門が見えてきた、、日本人の門番はもう居ず、替わりに立ってしゃべっている若い米兵二人、鞄を持った百目鬼が近づいてくるのを見つけ、でかい口をギっと閉じ、門番小屋の窓から小銃を握りしめながら睨んでいる、ここの日本人も、自分たちの近くで爆死するのではないか、と、自分の小銃を握りしめ、硬い表情をしたままで窓から見張っているだけである。 

片手に杖、片手には一升瓶を横に置いた大きな鞄を持ち、大学の門を出て、振り返る百目鬼弘一、その後ろから来た大学職員の運転するトラックの荷台に乗せてもらう。 坂をゆっくりと降りていくトラック、荷台の上、運転席に背を向けて座っている他の職員たちも黙ったまま、名残惜しそうに大学を眺める、、その途中、これから大学に駐屯するのだろう、坂を登ってきた英軍将兵の乗っている数台の車の列と、その後から徒歩でやってきた。 英軍のリーエンフィールド小銃を担ぎ、頭にターバンを巻いているシーク教徒のインド兵旅団とすれ違う、、五十人はいたか、行列の一人は、小銃にイギリスの旗をつけている、、このインド兵たちの様に、これからの日本人は英、米国の言いなりになり、海外にまで連れて行かされ、使役されるようになってしまうのでは、と心配する百目鬼、勝者は負けて行き残った敗者を殺さず使用しまた新たなる戦争を始める、、それが古今東西の戦争の歴史である、、すると、トラックに一匹の蝉が飛んできて百目鬼の杖に停まった、ここから去っていく男たちを引き留めようとするのか、それとも蝉もどこかに連れて行ってほしいのか、、しかし、数秒も経たぬ間に、ジ、っと一声鳴き、つぃ、と、飛んでいく蝉の行方を目で追う百目鬼たちだったが、振り返ると、、もう、大学の門は視線から消えていた。駅の構内、ホームから勢いよく鳴り響く発車のベルが聴こえてくる、、列車に座った百目鬼と他の職員たちが窓から外を指さす先、大楠山の麓から立ち昇る煙がうっすらと見えている、、風が無く、上空にまっすぐ伸びた白い煙、それが百目鬼弘一には狼煙に見えた。ゆっくりとホームを離れ、横須賀を離れていく列車の中で、息ついて、腕組みをし、揺れる電車に体を任せ、眠りに入ろうとした百目鬼であったが、しばらくして自分の足元に置いた鞄から、しゃがれた声で

「、、百目鬼君、、」

、、自分の名前が、足元に置いた鞄の中から聴こえてきた、

「また、どこかで一緒に飲もうか、、」

声が聴こえて、もう一度眠ろうとした百目鬼だったが、座っている座席が、だんだんと平たくなり畳になり、布団に変わっていく、、

「これは電車の中じゃないぞ、百目鬼君、君は今、瀬戸内の島の旅館に寝ているのだよ、、」

と、再び五十嵐学長の声が聴こえ、目を覚ました百目鬼の体は布団からはみ出て畳の上で寝ていた。すでに外は明るくなっていた。 

その枕元に置いていた“氷川静話”は、就寝時には、閉じたはずなのに、いつの間にか最後の、五十嵐学長の血判のページが開いていた。


      ――― ――― ――――


     駐在所


 麦茶を飲みながら世間話をしている村上機関士と秋山巡査長。巡査長は新聞のラジオ欄を読んでいる、そのラジオ欄の下はテレビ受像機販売会社の宣伝が掲載されている。

『岡山県の皆様へ、今年の十二月、テレビ本放送いよいよ開始』

『今年の年末は、お茶の間でテレビを囲んで一家団欒 月賦販売でどうぞ 』 

読んでいた秋山、村上に訊く、

「なんでも、テレビは見るのに、お金を払うんだろ?」

「民間放送は観るのはタダですが、NHKには払います。民放ラジオと同様、広告が番組の合間合間に流されます。」

「機械はバカ高いし、持っていてもお金を取られるんだから、まだまだ贅沢品だなあ、」

「今、試験放送はこっちで始まっているので岡山の電器店の前で女や子供が鈴なりになって相撲を見て、そうそう政府は東京のオリンピックの開催に立候補するそうですな、それも考慮に入れての全国でのテレビ放送開始と販売ですわ、、」

「はぁー、“欲しがりません勝つまでは”と言っていた日本の頃が懐かしい。」

「そうですなあ、オリンピックは国家事業でするにも、膨大な資金が要ります、国民から、また資金集めで、債券でも発行するでしょう。」

「紙切れになった戦時公債みたいにならんようになぁ。」

「資金は、世界銀行から借りることが決定したそうです。ほぼ、米英人の幹部の決定だったそうですがね。」

「戦争放棄したことで、諸外国の信用も得られたと言うわけか。」

「ただし、テレビ普及の後押しは、アメリカの差し金です、テレビを買わし、アメリカの映画やドラマでアメリカ文化を日本人に見せ、食器、洗濯機、調理器具、車も売りにやってきています。アメリカの大衆文化に憧れをいだく若い者を、取り込む算段です、」

「先々考えてくれるなあ、アメリカと戦っていた頃を思い出す、あいつらは、、」

村上が視線をそらし、外を眺めていると、お爺さんが漁師に柄杓を渡している、、駐在所の外にも括り付けてあるし、近くでは若い巡査が駐在所の自転車のハンドルに同じ柄杓を針金で巻きつけている。

村上

「あれは、、なんです? 島の家の玄関や、門に柄杓をつけているの観ますけど、、この島のお盆の風習ですか?」

「うん、まあ、、風習、と言えばそうだな。あの爺さん、ここではゲン爺と言われているのだが、お盆前になったら、ああやって島民に底の抜けた柄杓を作って売り歩くのだ。舟幽霊除けだ。あの爺さんはあれの売り上げで一年間食って行けるんだよ。」

「ほぉー」

「話しは変わるが、君は、能楽の謡曲、は知っとるか?」

「、、いいえ、ああ、学校の授業で幾つかは、、」

新聞のラジオ欄を指さす秋山、

「今日の夜に放送される謡曲の『屋島』は四国の屋島の源平合戦で、この海で死んだ侍の話しだ。つまりこの海域の舟幽霊伝説の、言わば元の話しだよ。」

「はあ、そうですか。最近は夜遅くまで民放もラジオ番組をするようになりましたなあ。」

「そうだねえ、」

番組欄の下のほうを指さす村上、、

「ここの、、夜十一時から始まる、“イングリッシュアワー”と言う番組が面白い、と、一緒に来ている、うちの若い奴がしゃべっていましたよ、アメリカで公開された映画の音楽や流行歌をどこよりも早くに放送する、、ええと、深夜番組とか言って、局のアナウンサーじゃない一般の日本人と、アメリカ人が掛け合いで、英語会話も聴かせて、若者に流行っているそうです。」

秋山

「そうかい、じゃあ私も一度聴いてみようか。」

駐在所の入り口で男の声が聞こえる、

「秋山さん、、ここのラジオ、今、修理に、、出していますけど、、」

中に入ってきていた若い巡査鈴木、いつもぼやっとした顔だ。答える秋山巡査長。「わかっとるよ。仕事中には聴きゃせんよ。」

鈴木巡査

「あのぉー、」

秋山巡査長

「なんだ?」

「この前、お二人の会話を、外で聴いていたのですが、そうかいてい、って、どんな船、ですか?」

「ああ、掃海艇と言うのはだな、機雷を海で見つけて処理する専用の船だ、磁気機雷はわかるか?」

駐在所の壁、危険浮遊物のポスターを指さす秋山巡査長、

「磁気機雷は、鉄の船がそばを通っただけで磁気の乱れを感知し爆発する仕掛けだから、それを海上で処理する船は、木造船でないとダメなんだ。そして危険な任務だ。」

「はあ、そういうことですか、」

村上機関士も鈴木巡査に語る。

「戦後になっても機雷に接触して、たくさんの船が沈んだし、それを除去するために、多くの名も無き船員が命を落とした、、。」


   学校の講堂


 「百目鬼さん。」

本の整理をしている百目鬼に後ろから声、振り向くと寺田漁労長だ。 

すこし離れて後ろに寺田の部下が一人、もう一人は入り口の外に立っている。

「先日はどうも。本のほう、、借りに参りました。」

「えっ、どうぞ。」

テーブルで本を読んでいる他の島民、寺田漁労長に気付いて挨拶する。

「寺田のお母さんこんにちはー」

「はい。こんにちは。」

島の子供たちからは寺田のお母さんと呼ばれている。 

本を眺め、四冊ほど選び、館長の居るテーブルに持ってくる寺田漁労長。

 『これからの養殖漁業』

 『一九五六年 日本漁業白書 』

 『港構築と湾岸工事』 

 『花言葉を知る』

一冊だけ全く違う種類の本が混ざっているのを観ても顔色変えずに、貸し出し作業を坦々と進める百目鬼。 

「期間は二か月になっておりますので。」

「わかりました。ありがとうございます。」

借りた三冊の本を部下に渡し、もう一冊の花言葉の本を、周りを気にせず、めくって読みながら外に出ていく寺田漁労長と講堂に入ってきた澤村司書とぶつかりそうになる。

「あっ、」

「おっと、」

寺田の持っている花言葉の本だけ床に落ちる、拾う澤村司書。

「ごめんなさいね。」

「いいえ。」

キュっと、くちを噤み、講堂から出て急いで帰る寺田漁労長。 玄関に立っていた部下たちも漁労長の後を追う。それを見ながら百目鬼に話す澤村司書。 

「花言葉とか、占いとか、女の人は好きですよね。」

百目鬼、真面目な顔で澤村司書に諭す。

「図書館司書は、人がどんな本を借りようとする人物の詮索や、借りた本のことを誰かに言ってもいけない。」

「あ、はい、すいません。」

「うん。」


  学校廊下


 教室の前を歩いている百目鬼。夏休みの登校日で生徒が来ていたので立ち止まり、中を見ている。黒板にチョークで「夏休みの自由研究」と書かれている。

『文化船ひまわり』の貼り印がある日本史の本が、数冊、教卓の上に置いてあり、教壇で島の女教師、能楽の写真集を広げて中を見せている。

女教師

「能は日本独自のお芝居です。こういうのを古典芸能というの。能楽は六百年もの間、ほとんどそのままの形で今でも演じられているわ。 源平の合戦が悲惨な戦だった、と後世まで知られているのは、能があったからともいえるの。」

先生の話を、興味があるような、ないような顔で聞いている生徒たち。 女教師「明日の晩に、ラジオで能楽番組がありますので、よかったら家の人に聴かしてもらってね。」

「先生、明日は港で映画があるんじゃ!」

「ああ、そうか、じゃだめか。残念~。それでは、日本の歴史の研究は、ここまでで、次はー、」

その中で一人、居眠りしている生徒に気付き、近づいて頭を、ゲンコツで軽くコツする教師、

「こぉれ!」

寝ぼけている子 

「あっ、、ご飯、出来たん~?」 

ほかの生徒 大笑い。百目鬼、教室の廊下から窓越しに聴いていて、頭をこつかれた子供を見て笑っている、と

「ふふ、ふふっ、」後ろからも軽い笑い声、自分の後ろに天尾と、すぐ後ろに髪を後ろで束ねて男物の作業服の若い女性がいるのに気づく。二十代そこそこのうら若き女性、臼井千尋と言う名前だ。

「あっ、天尾さん。」

天尾、と臼井、軽く挨拶。

「昨日はどうも。今日は、杖は、よろしいですか?。」

「ええ、天気に寄ります、雨が近いときには傷が痛むので使いますが、、普段は、大丈夫です、少々なら走ることもできます。そうえいば天尾さん、あなたのところにもたくさんの本があると、お聞きましたが?」

片方の眉をピクリと動かす天尾

「ええ、、まあ、すこしは。 百目鬼さんは戦時中、どちらにいらっしゃいましたか?」

「私は横須賀の海軍工科大学で、内外の戦史を教えながら学内の図書館の館長をしておりました。その関係で今の仕事をやっております。」

考えている顔の天尾、

「あの、一度、私の島のほうにお越しくださいませんか? あなたにちょっと見ていただきたいものがあります。明日の晩は、旅館に泊まっている東京の芸人さんを一人招待しておりますので、明日の夜、ご一緒にどうです?よろしければ村上機関士さんや若い乗組員さんも、、」

「いやあ、明日の夜は港で映画の上映会がありまして、、村上と河村は、映写機を動かす仕事でちょっと無理です、、私だけでしたら、なんとか、。」

「「そうですか、、」 

村上機関士は来られないと聞いて下を向き残念そうな顔をする天尾。

「なにか村上にお伝えしたいことでもありましたら、私から、」

「いえ、大丈夫です。、晩餐の用意もしておきますから、」

「いや、それは悪い、申しわけ、、」

「いえ、うちには専属の良い料理人が居りますから。」

「、そ、そうですか、、わかりました。楽しみにしておきます。」

その返事を終わらせる前に天尾が部下臼井に声をかける、

「臼井。」「はい。」「後で堀野と大河内に伝えておけ。」「わかりました。」 「では、百目鬼さん、明日、港に部下を迎えにやらせます。」「はい。」

、、ふと、百目鬼は、そういえば天尾という名前は、忠臣蔵で赤穂浪士の討ち入りのために武器を集める商人の屋号が天野屋だったのを思い出した、どうして思いだしたのかはわからなかったが、どこか天尾に、きな臭さを感じたのかもしれない、、。


   旅館、午後三時 食堂 


 カウンターの向こうから氷が削られる音がする。手動でかき氷機を廻している夏の音の下に置かれたギヤマンの器があり、かき氷が山盛りになっていく。

和食の世界では夏に使用するガラスの器をギヤマンと呼ぶ。 

外のベンチで母と子が、おいしそうにかき氷を食べている。母親は、レモン味、子供はイチゴ味シロップがかかっている。お互いに舌を出して見せあわせている親子、「あんた、ベロ、まっ赤っか、になっとる!」

「お母さんのベロ、まッ黄ッ黄になっとるが。」

うふふ、あはは、と笑っている親子。

食堂内、粒餡を入れて、濃いグリーンティーをかけた、かき氷を見習いから受け取り、スプーンをつけて関口の座っているテーブルにやってくる板前大河内。人が少ないので、板前の履いている高下駄の音が食堂内にカラコロ、カラコロと響いている。

「ほい、関口さん、出来たで。」

漁師関口、かき氷が来てうれしがっている。

「おお、おいしそうじゃのぉ、」

関口、スプーンで氷をすくいながら板前大河内を呼び止める、

「もうちょっと、あんこ、足してくれんかのぉー、板さん、」

普通、酒飲みは、甘いもん嫌いだろ?と思いながら、奥に引っ込んだ大河内、、この爺さんのいう事はいつもめんどくさいのでその後の呼びかけに出ていかない。 今は外にいる漁労長の息子、寺田敏郎を見張っているほうに忙しいのだ。その寺田、島では見かけない男二人が道の片隅で話をしている。

二人はやくざ風の服装で、一目で堅気ではないことがわかる。実はこの二人、寺田たちが因島の博打場でこしらえてしまった借金の取り立てにやってきているのだ。いつまでの期限の支払いかはわからぬが、相当な金額の借金が残っているような事を喋っている、、頭をかきながら、その男に頭を下げて、茶色の封筒を渡した寺田、、どうやら金利の分だけは渡したらしい。中を確認して、寺田の肩をポンと叩き、嫌らしい笑みを残し、去っていく取り立ての男たち。 

その内容は旅館の中の板前の耳には聞こえない。取り立ての男、連絡船の着く港のほうに歩いて行った、、いったんは島を去るようである。その姿を嫌な顔で見送る寺田敏郎、踵を返し、旅館の食堂に入って酒を注文しようとしたが、ポケットに小銭しか無いので、何も言わず椅子に座り、しかたなく旅館に置かれている日本海事新聞をつまらなそうな顔で読んでいる。

それを調理場の奥から見張っている板前大河内。船舶、海運、港湾関係者のための業界専門新聞である。寺田敏郎が見ているのは、新聞の中の広告、布でできた大きな筒状のビル火災時救命道具が、五階建てのビルの窓から地面に降ろされているモノクロの写真とその説明書きを読んでいる。


『 帆布の三野山商工 新型斜降式救命袋を発売。建物火災の際、ビル五階からでも脱出可能、 良く滑るポリエステル帆布使用 』


写真に目を凝らして見ている寺田敏郎、、その広告でなにか悪巧みが閃いたようだ、、新聞から目を放し、周りを見廻し、その新聞の広告を手で破る音を悟られないため、自分の声でごまかす。

「は~っ、なんかおもしれえことねえかのぉ。」

かき氷の残った汁を飲もうと皿に口をつけ、啜りながら食べている関口に話しかける声で、破った広告をポケットに隠す。

「おじきぃ、、元気にしとるようなのぉー。」漁師関口、目をパチクリさせて、「おおー、わしのこと心配してくれるんか、ありがてーぇのぉ、寺田さんとこの坊ちゃん、、なんじゃったら、いっぱいおごってくれや、今、貧乏しとるんじゃー、」「っ!おっさん!、坊ちゃん言うな、いうとろうが!」

しょうがねえなあ、という顔をする寺田陽子の息子、敏郎、嫌な顔で外に出て離れようとしたが、何か思いついたらしく、なにやら関口につたえている。

「、、後で、話しがあるんじゃ、ここではなんじゃから、舟捨て場のほうで、、ええかのぉ?」

「ああ、ええよ。」

旅館を出る二人。 

板前大河内、今、寺田が座っていたテーブルの上の、残った新聞を取って広げる、、切り取られた広告の穴を見る、これではわからない、としまった顔をする。


   寺田漁労長の家、玄関前

 

 寺田漁労長、村長、他の漁師五人が深刻な顔をしながら話し込んでいるところに、西矢父、と息子がやってきた、

「おぃ、、アメリカの海軍基地が出来るんじゃてえ?どこにつくるんなら?」

漁師

「天尾さんの島じゃそうな、」

西矢 父

「え、飛島?、、あー、そ、そりゃあ無理じゃ、あそこは、、」

「うん、」

「そうなんじゃ、」

「よりによってあそこはのぉ、、」

「あそこは、おえんでぇ、」

基地が出来て困ると言う話より、島の者は飛島がだめという別の理由を知っている、

「それより、わしらの、わしらの漁場はどうなるんな?軍艦がうろうろするようになったら、漁ができりゃあせんでぇ!」

村長「今日、笠原の役所から連絡があったばかりでのぉ、はっきりとしたことはまだわからんのじゃ、、」神妙な顔をして腕組みをする漁師たち、そして寺田漁労長のほうを窺う顔、顔、しかし、漁労長、黙ったまま。

漁師「なんか怪しい、と思うとったんじゃ。あの米軍の調査船いうのん、海の深さを測って、大きな船が通れるかどうかを調べよおったんじゃ、この辺で底が深こうて大きい船が入れる港、いうたら、うちの島と、後、飛島の、天尾さんとこの入り江くれえしかねえ、」

「天尾さんのところ、誰か知らせにいかにゃあ、、、」

黙っていた漁労長がみんなの後ろに目をやる、知らぬ間にやってきていて、うしろに立って聞いている天尾とすこし後ろに控えている部下、臼井。

寺田漁労長が天尾に近づこうとして前に踏み出る、漁師たちが寺田と天尾の間を開けるが、天尾、沈黙したまま、、。


  文化船内


 図書室で貸し出しカードを整理している澤村司書。

「図書係のお兄さん、こんにちは。」

声をするほうを振り向くと瀬島夏江が船の図書室に入ってきていた。 

澤村司書、にこやかな顔を見せて返事をする。

「ああ、いらっしゃい。」

「あのお、ビスケットありがとうございました。とても美味しかったです。」

「いえいえ、どういたしまして。」

「あの、どう呼べばよろしいのでしょ?図書係で、いいのですか」

「図書館司書という職業ですから、司書さん、、で、いいですよ。」

「、、あのぉ、お名前のほう、、は、、」

「澤村、と申します。」図書室入り口の壁に “広島移動図書館 司書 澤村靖夫”とっ書かれた紙が貼ってあるのを指さす司書。

書架を眺めながら、瀬島夏江、

「あのぉ、、金田一耕介の探偵さんの”八つ墓村“が連載されている月刊誌って、ないでしょうか?、」

「はあ、横溝正史ですね?」

「ええ、と“新青年”という名前の雑誌でした、父の本棚にあったのを読んだのですが、二年前の号で、途中で終わっていて、、」

「ええ、あの雑誌は廃刊になったのですが、連載されていた小説は、幾つかは、その後に“宝石”と言う名前の雑誌に移って続き、、たしか一年くらい前に完結しています。」

「よくご存じですねえ!」

「ええ、私も読んでいましたので。作品は出版されて、こっちに置いてありますよ。」

裏側の棚へ歩く二人。

「司書さん、知っています?横溝正史は、戦時中に岡山県の真備村に疎開していて、そこを舞台にいろいろ書いたんですって。」

「ええ、そうらしいですね。」

「あの、、図書館の司書って仕事で、何か良かったことあります?いろんな本をいつでもたくさん読めるのでしょ?」

「いやあ、その、たくさんは、なかなかです。読めるのは休みの日の時だけですね。それよりも島の子供たちが本を探していて、目当ての本を探してあげたときの、嬉しがる顔を見ていると、ああよかったなー、って、思いますよ。それから返却に来た時の『面白かったです』って声も。」

瀬島、書架に並んだ本を見ながら歩く。

「子供は、みんな、本が大好きですものね。」

澤村司書も瀬島が探している本を探す、

「そうですね、本は、読むことに誰の遠慮も要りません、わからないことは辞書や百科事典で調べられます。古典を読むことで、昔の人たちの考え、日本や外国の知らなかった歴史がつぶさにわかります。有名な小説は人の経験、苦悩、笑い、怒りも悲しみも、時には書いた人の人生の全てを知ることになりますが、それが若い者たちは心の栄養になり、これからの人生の糧にもなります。」

長い説明に笑顔で食いつく瀬島、

「いいお仕事を選ばれたのですね。」

「ええ、でも図書館の仕事は重たい本をたくさん扱いますから腕力が入ります。それから、紙を素手で触る仕事を毎日すると、紙は皮膚の油を吸い取るので女性は手の皮膚が荒れる、のだそうですよ、えっとこの辺のどこかに、、」

書架の端と端から二人別れて月刊誌の載っている号を探している、だんだん真ん中によって来る、腰をかがめて探していると見つかる、二人が一緒に取ろうとする、お互いのおでこを軽くぶつける、

「痛っ。」「あっ、ごめんなさい。」

見つめ合い、ニコっとする両者。若い二人の頬が照れてすこし赤くなる。

「うふふ。」「あはは。」本好きの二人の気の合う会話の中、ふと澤村司書が別の書架から一冊の本が突きだして、落ちそうになっているのを見つける、、

「あ、これ、二冊あるのか、、、」

「なんですか?」

「絵本です、、新見南吉の、、お寺の尼さんが、借りていった本、もう一冊あったのか、注文間違ってたんだ、、」

「どんな本なのですか?」

「田舎の村に住んでいる一人の若い男が、戦争に行こうとするんです、戦争で兵隊になって出世しようと、戦地に向かって歩いていくと、道でラッパを拾うのです。そのラッパで兵士たちを戦場で鼓舞しようとするのですが、途中、村を通ると、そこでは戦争のために、みんなしんどい思いをして、元気がなくなっていたのです、そこで、ラッパを吹いて皆を元気にしよう、村を明るく、そして、種をまいて、という話なのです。楽器は戦争のために使うのではなく平和のために使うのだ、という話を、新見南吉はアメリカと戦争する前に書いているのです。」

「ふぅーん、、いい話ですね。その新見南吉さんと言う人は、まだお元気なのですか?」

「いいえ、、ええと、たしか、戦時中に二九歳で、、病気で亡くなっています、、」「えっ?、、そんなに若く、に、、」

「ええ。」


  臼石島の裏側、街から離れた舟捨て場


 港から離れた場所に、帆柱が折れ、フナクイムシでたくさんの穴が開き、朽ちて使われなくなった昔の木造漁船が、まるで墓場のように並んでいる磯場がある。その中で、まだここに運ばれて新しいように見える漁船の船室、寺田敏郎が一人で居る。ここは子供の頃から遊び場であり隠れ場にもしているのだ。寺田敏郎が船内に点けてあったオイルランプの火を使ってタバコの火を点け、じっとして煙をふかしているところに、幼馴染の仲原が逢いに来た。 

仲原

「すまんのお、遅うなって。」

寺田、「おお、入えれ。」 

窓のない暗い狭い船内、ドアを閉めるとランプが明るい。

二人になり、少しばかり沈黙の後、中原が訊く、

「、、せえで、借金取り、もう帰ったんか?」

「帰った。」

「そ、そりゃあ悪りかったのぉ、わしの借金の金利分を肩代わりしてもろうて、、」ほっ、として申し訳ないと言う顔をした仲原に寺田が言う、

「うん、まあ博打場に誘ったなあ、わしじゃけえ、わしのほうが悪りいと思うとる。せえでのぉ、おめえの借金、払えるめどが付きそうなんじゃ、、」

「ほお、そうかあ、なんか手伝おうか?なんでもするで、」

「あしたの夜、空いとるか?」

「おっ、おお、明日は港で映画する言よぉったけどのぉ、、どしたんなら、ありゃ、お前の目、、悪さじょおと思う前の目になってきたで、、、」

寺田、幼馴染なので気付かれた、と思う顔、

「あののお、今、広島で、やくざが縄張り争いで大喧嘩しょおろうが、で、福山の、わいの知り合いのやくざに電話で聴いてみたら、ピストルや軍の鉄砲があったら、大きいんでもチイせえのでも、きちんと弾が出りゃあ、ええ値で買うで金だしたるで、言よぉるんじゃ、せえでのぉ、鉄砲を手に入れる、ええ方法考えたんじゃ、耳貸せえ、、」

破ってきた新聞のビル火災用救急脱出袋の広告をポケットから出して見せる寺田。「あんのお、おめえの家に、大きい鯉のぼりがあったろうが、、ワシらが小せえ頃、おめえのお父さんが、えろお自慢しょおったのをよお憶えとる、、、島一番大きいんじゃ言うてた鯉のぼり、、かける前に地面に置いとって、おめえが中に入えってお母さんに怒られた言うとったろう?」

「そねえな昔の事、よお憶えとるのお。最近は、もう、あげてねえけど、まだあるとおもうで。」

「せえをのぉ、その、鯉のぼりで、これを作ってのぉ、。」

新聞広告の非常脱出用布袋の写真を見せる寺田、と、漁船の近くで海に何かが落ちたような音がしたのに気づく寺田、、外に出て、海面を覗く、何も変わったところは無い、、寺田が答える、

「魚が跳ねた音じゃろ?」

、、直前に、赤い目が光って、、海に静かに、、沈んでいった、舟幽霊の目だ、、。


    旅館 大広間 昼過ぎ


 島民、二十人ほど座っている。村長、寺田漁労長、大きな漁船の船長、島の中で商店を経営している人達だ。先に配られているガリ版刷りのチラシを読んでいる島民たち、、その前でニコニコしている詐欺師野口イサオが、集まった島民たちに愛想よく挨拶をし、するすると、しゃべりだす。テーブルには女性化粧品の試供品の小瓶と二枚刃の使い捨て髭剃りの空き箱があり、すでに中身は島民に配られている。化粧品の香りを嗅いでいる女性たち、髭剃りを手元に置いている男性たちの前で野口がしゃべりだす。

「東京、大阪、名古屋は、えらい勢いで復興しております、経済も製造も流通も、すべて戦前のそれを上回るのは、、、」

「おおい」「それがどした。」「田舎もんや思うてもそんくらいのことは知っとるど。」「去年皆で大阪に旅行に行ったばあじゃ。」「なんもしらんと思うな。」「はよお本題に入れ!」

島民から前に前にと、どかどかっ、とヤジが飛ぶ、が狼狽えない野口。

「しかし、これからは、地方の時代です、まあ~、何と申しましょうか、、これから日本経済は、地方へ地方へ、と流れてゆきまして、地方の町を発展させていくための法案がこの秋にも国会で可決される予定でございます。」

流行語も取り入れ、和やかそうに話す野口。

「そこで私が、経済省から派遣されまして、英語ではモデルケースと言います、その最初の候補地に、臼石島が選ばれたわけです。ああ、これはまだ秘密事項になっておりますから、他の島の人たちには決してしゃべらないで頂きたい。 よろしいでしょうか、お子さんたちにも黙っておいていただきたい、子供は口が軽いですからね。そしてここから、この島から、地方を整備していくことになるわけでございまして、九月にはもう一度、農水省の係官と、正式に挨拶に参ります、その予定で、わたくし、経済省審議官の橋本が先にご挨拶に参りました次第でございます。」

偽名を最後に使い、名刺を配りだす詐欺師野口イサオ、饒舌である。他所で何度も同じような話でだましている島の港の商業地の予想図を描いている大きな紙をこれ見よがしに出し、後ろに貼りだす野口。一晩かけて自分で描いた上手な絵で最初から貼っておくよりは、途中からいきなり観客の前に出して見せるほうが効果的なことを知っている。

「ほぉー」「うあー」「ありゃ、わしの店の名前が、もう載っとるじゃないか、」「うちの店の看板も描いてあるが、、」「そりょー先に見せとったらよかったんじゃ」「きれいじゃなあ、」「こりゃあええわ、」

注目する島民たちの声、声、その予想図を細い棒で指す野口、

「港の商店通りの上を覆う、大きな長い屋根、ですね、アーケードと言います、連絡船が到着する埠頭から商店街まで屋根を造るのです、港からこちらへの誘導路ですね、この絵ではアーケードは木造です、、鉄骨は海風にやられますので、鉄骨で作るより、木造のほうがよろしいか、と思います、、風情があります。」

周りとヒソヒソ話をしていた村長が大きな声を出す。

「お役人さん、橋本さん、そがあな大金、こげぇな田舎の島で、いってえ、どこの誰が出すんなら?」

野口、とうぜんその質問が来るな、と、すましたまま、笑顔で

「はい。いいご質問でございます、、そうですね、誰が出すのか?これからは、漁業だけではなく、観光産業へも国は援助金を出すとのことでございまして、今年から特別に離島補助金というのが出ることになりまして、」

島民 ざわつく。「ええ?」 「ほんまに?」 「そりゃええ話じゃ」 「ほんまか?」

野口、落ち着いた顔で自分の作った偽書類をチラチラ見せながら、

「ですが、その、、まことに申し訳ありませんが、これは、皆さん全部、というわけにはいきませんで、保証金を提出していただける方から、優先権というものが、」書類の表を見せる野口、

「ほんとうです、ここに産業大臣の印を押した書類があります、それから、こちらには、、郵政省の財政投融資の審査書を持ってまいりました、、すでに中田榮角郵政大臣の融資許可の印もございますから、これを読んでいただきましたら、納得されると思います。財政投融資と言うのがありまして、これは一般の皆さまはご存じでないかもわかりませんが、、」

後ろのほうで座っている島の男女が話している、

「どうも、なあ、、」

女「なにが?」

男「ちょっと、ええ話、過ぎる、と思わんか?」

女「ん、じゃけどなあ、どこの島も、若いもんは、どんどん都会に出ていきょうるんよ、それを引き留めるんは、漁だけじゃダメじゃと思うんよなぁ、、ホテルが出来たら土産物屋とか、海に出んでも働くことできよぉ?」

野口、待ってましたと手を叩く。

「そこの美人の方、おっしゃるとおり! そうなんです、そのために観光の島への、ああ、うっかりして、忘れておりました、一週間前の新聞に、私の関係した仕事が載りまして、こちらをどうぞ。」

次から次へ、詐欺へと誘導する小道具を出してくる野口、渡された新聞の切り抜きを覗き込む島民、そこへ後ろから黙ったまま、見に来る寺田漁労長。詐欺師はどこかで見つけた本当の新聞の記事を見せていて、その記事に乗っている人物の名前を騙っているだけなのだ。新聞を見て新聞社の名前と記事の書かれた日時を記憶した漁労長、途中でそっと部屋から出ていき、忘れぬように廊下でメモを取る。

「保証金と言うのは、この計画がとん挫した場合は返却できませんが、計画通り進んだ数年後には、保証金に金利がついて返却することになりまして、、」

ぜんぶ嘘の話を、講釈師のごとく、するすると、語る野口、、。

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