第6話

      港  


 若い尼僧が埠頭を歩いて文化船にやってくる。

静かに甲板にあがってきtので甲板のベンチで本を読んでいる島民は、本に夢中で気付かない。 

尼僧 図書室の入り口で挨拶。

「ごめんください。」

「はい。」百目鬼、村上、澤村が、声のするほうを振り返るとそこに、尼僧が小さな風呂敷を持って立っている。

「はじめまして、私、この島の寺におります、海霧(かいむ)という尼でございます、、あの、、本を返却に参りました。」

渡された本、背表紙の題名と文化船の貼り印を見る百目鬼、

「あっ、『ひろった、らっぱ』、」

海霧尼

「申し訳ございませんでした、、では、、」

という声の後、急いで図書室から出ていこうとする尼僧を呼び止める百目鬼、「あ、あの、この本、、昨日借りたのでしたら、まだ大丈夫です、返却期間は二ヶ月先ですから、こちらのカードにお名前を書いていただきましたら、よろしいですから、、、」

「そうですか、では、お言葉に甘えまして、、」

申し訳ない、という顔をする海霧尼、ペンをとる。

『笠岡市 臼石島 一久寺 尼 海霧 』

「他には、よろしいですか?、おひとり五冊まで借りられますので、ご遠慮なくどうぞ。」「そうですか。ありがとうございます、、」

たくさんの本を観るのは久しぶりであるゆっくりと子供の絵本が棚を眺め、昔話などの本を三冊持ってきて、貸し出しカードと帳面に名前を書く海霧尼

「ありがとうございます、お借りします。」

その時、百目鬼が海霧尼の後ろに、知らぬ間に男が一人立っていることに気が付く、「こんにちは。」

百目鬼と村上、頭を下げて挨拶する、

「こんにちは。」軽く笑顔を見せた男、天尾伸彦、中肉中背、五十代前後の、キリッとした顔だちの男、、その右頬には傷跡がある。 

後ろを振り向く海霧尼、天尾と顔を見合わせる、、知った顔どうし、だが言葉は交わさない。 海霧尼、百目鬼に向かい直し、手に握った数珠で拝む姿勢、頭を下げ、本を持って図書室から出ていく。

天尾「入っても、よろしいですか?」

「はい、どうぞ、ごらんください。」

「では遠慮なく。今日も暑いですな。」

上から下まで腰を屈めたり背伸びしたりしながら本の棚を閲覧する天尾。

「なんとも、、たくさんの本ですな。これだけの本をこんな田舎で見られるとは。」

「ありがとうございます。」

「いえ」

軽く頷く天尾。

村上と澤村が百目鬼に言う、

「では、私たちは甲板に。」「うん。」

天尾は横目で出て行った村上を気にしている。

百目鬼と天尾が二人残る。図書室の壁には新しく仕入れた本のリストが書かれた紙、瀬戸内の海図、島で上映する映画のチラシ。そのチラシの監督や俳優の名前を眺めている天尾、に百目鬼が言う。

「島で上映会を開く予定の映画作品です。あとニュース映画を。映画のほうは半年くらい前の作品ですが、ニュース映画は今月の物です。」

天尾 「この二つの映画は同じ監督ですか、本多猪四郎。」

「は、そうですか、偶然ですな、そこまできちんと見ていませんでした、」

「少し、本のほうを見せていただきます。」

「どうぞごゆっくり。」

本棚をしばらく閲覧し、選んだ本を片手で数冊握って持ってきた天尾。


  『江戸落語大全』 

  『南太平洋の島々の歴史』

  『ヨーロッパの食とスパイスの歴史』 

 他、全部で七冊の本を持ってくる。


百目鬼、天尾を小さなテーブルに案内し、貸し出しカードを渡す。名を記す天尾、、住所を書こうとするまえに百目鬼に訊く。

「あの、住所はこの島ではないのですが、」

百目鬼、「は、はあ、、別の島ですか?」

「笠岡諸島の一番端にある、飛島(とびしま)という名の島です。」

「では、その島の名前と島の住所でよろしいですよ。」

カードを渡してもらい、読む百目鬼、

「天尾伸彦さんですね、ええと、島の中の住所もお願いしたいのです、が、、」

「ええ、島には私の家一軒しかないので、島の名前が住所になります、」

「ああ、そうですか。わかりました。」

納得した百目鬼、木箱から小さな日付スタンプを出し、今日の日付を確認し、本の後ろにある貸し出しカードを取り、返却日の日付を押す。カードを入れ、本の後ろ、カードを入れる紙袋のほうに返却日予定の日付をスタンプで押し、天尾の個人カードには借りた本の背表紙に書かれている番号を書き、テーブルの箱のカード整理箱に入れる百目鬼。

「普通の図書館ですと、貸出期間は二週間くらいですが、他の島を廻ってから同じ島へまた帰ってくるまで二か月かかりますので、それまでお貸しいたします。」

天尾、丁寧に会釈。

「ではお借りします。映画上映、うちの島の子供たちにも伝えておきますよ。」 「はい、お待ちしております。ああ、この袋をお貸ししましょう。」

と、本が多いのを観た百目鬼、昨日、まくわ瓜を入れた布袋に本を入れ天尾に渡す。「どうもありがとうございます。」

甲板で待っていた若い男の部下に本の袋を渡し、船から埠頭に渡る天尾。

一人残った百目鬼、壁に貼ってある海図を見て飛島を探す。

 笠岡諸島の一番端にある小島、大きな入り江が三つある、上から見ると全体がスクリューの形をしている、本州からも四国からも一番遠い離島である。



   港  文化船停泊の埠頭


 天尾を外で待っている若い女の部下が腰をかがめて船の近くに止めてあるリヤカーを繋げた新型の国産原動機付自転車をじろじろ眺めている。天尾が近づいてきて、村上機関士に尋ねる。

「これは国産ですね。」

「ええ、本田技研って会社のです、まだ試作なんですが、どれくらい塩に強いか調べたいってことで私の知り合いの技術者から海の近くで試走してくれと頼まれましてね。来年から大量生産を始めるのだとか、、。」

天尾、目を凝らしてエンジンから伸びる排気管を指しながら二人の部下に言う。「、、ここらへんの繋げ方、うまく拵えてある、それとこのプラスティックの足の風除けも先進性がある、、よく見ておけ。」

若者二人返事、「はい。」「はい。」

天尾の部下、堀野誠、と女の部下、臼井千尋、二人とも白い作業服を着ている。両方とも二十代そこそこだ。戦後の混乱で孤児になったのを天尾が保護してこの島で育てだ子である。 

村上機関士 「五十ccながらも、けっこうな馬力、出ますよ。」天尾、年恰好から判断して、挨拶する。

「村上さんですね。私、天尾と申します。」

「天尾さんですか、あの、昨日は旅館で、ご馳走を私の名前で頂きまして、どうもありがとうございました、あの、どこかでお会いしたことは、?」

「いえ、ありませんが、お名前は海軍内で聴いておりましたので。」

「そ、そうですか?海軍はどちらのほうで、、」

詳しく聴こうとする村上機関士、

そのとき、天尾の船からエンジンの音が聴こえてきた。天尾、ゆっくりと周りを見回し、村上機関士に話しかける、

「村上さん、貴方にちょっと聴きたいことがあります、明後日、また島に来ますので。」

「は?はあ、ええ、、」

「では、また。」

天尾、と部下たち、すこし離れたところに停泊してある大きな自家用船へ向かう。もう一人の部下が船の甲板に立って待っている、乗り込む天尾と部下二人。出港していく天野の大型船、見送る機関士と司書、後から甲板に出てきた百目鬼館長も一緒になって天尾の船を見送っている。

澤村司書「大きな船ですねえ、」

村上機関士、考え事をしている顔、

「あれだけ大きい、と外洋にも出られる、、しかし、変わった形の船だなぁ、あれだけ大きいのに木造ということはもしかしたら、」

百目鬼「村上さんは、海軍では有名でしたか?」

「いや、そんなことはない、何だろうなあ、聴きたいことって、」

小さくなっていく天尾の自家用船、、数日後、天尾の島で文化船を巻き込む騒動が起こることなぞ、まだ誰も予想していない。


   臼石島 漁師の家  玄関表札  『西矢』


 漁から帰った息子、西矢弘、庭先で網を修繕している父親、洋に挨拶。家は少し高台に立っているので、庭からは、海が良く見える。

「帰ったでぇ」

「おお、ごくろぉさん。」

「おやじぃ、」

「なんなら?」

「腰の、ぐえー(具合)、どねえな?」

「おお、膏薬が切れそうなけぇ、今度、笠岡行ったら、薬屋にいってくれんかのぉ、もう四、五枚はあるけえ、今度でええけどのぉ、せえと、、いつものやつをのぉ。ついでにのぉ、」

「わかっとる、これじゃろ? (コップで酒を呑むまねをする)飲みすぎたらあかんでえ。」

「せえで今日の漁は、どねえじゃった、潮見役さんよ?」

「、、潮見役は、、まだ見習いじゃけえ。今日は、おえなんだ、」

「きちんと鴎さんに教えてもらといてのお。」

「ああ。これ見てくれえ。」

「なんなら」腕時計を親に見せる息子、智。

「どないしたんならそりゃあ?」

「寺田さんが、もっとけえ言うて。 中古(ちゅうぶる)じゃいうとったけどのぉ。」「だいじにせにゃあ、おえんど。」

「おお。」 

潮見役というのは、魚を取るときの海の潮流の流れを知っておく役の事を言う。「鴎さん」と言うのは鳥のそれではなく、寺田漁労長の部下のあだ名である。西矢の息子は、寺田漁労長の部下の鴎に今、潮見役を教えられている。

腕時計の竜頭を廻して調整しながら、しゃべる息子、

「おお。ああ、せえで、村長がいうとったんじゃけど、二、三日めぇに米軍の、ちょう、調査船ゆうのが沖に来とって、音響機器で水の深さかなんかを調べとるらしいんじゃ、たまに海の底から、ドーンっと、重たそうな音がしょうる、船に乗っとったら、海の底から振動が来るんじゃ、、せえつぅ(そいつ)のおかげで魚が逃げっしもうてのぉ、おえりゃあせんわ、村長や寺田さんにも伝えといたんじゃけど、、」 

西矢父

「そがあなことしょおったら、飛島の舟幽霊が怒って出てくるで。そろそろ、お盆じゃあけえ、ゲン爺から柄杓をもろうて、船に付けとかんとのお。」

西矢息子

「またその話かぁ、子供の頃から、耳にタコができるほど聞いとるけ、言われんでも、もお付けとるけど、ほんまにおるわけねえじゃろ?、わしゃあまだ見たことねえしのぉ。」「いつもはのぉ、、悪いこたすりゃあせんのじゃけど、盆は、わや、するかもしれんけぇ、飛島の周りぃ、行ったらおえんでぇ、気ぃつけぇ、舟幽霊見たいんじゃったら、、ゲン爺さんの持っとる能面を貸してもろうて覗いたら見えるのじゃけえどの。」

「まあ、どおせ、盆は、漁は、せんけえ、行きゃあせんけど、、」「お盆の夜は、瀬戸内の全部の潮がのお、飛島の入り江へ流れる日ぃが、昔の人らは、それを、亡者の、亡者の潮(しお)、いうてのぉ、、」


    駐在所



外の掲示板の指名手配犯の貼り紙を横目で見ながら、村上機関士が歩いていると、ちょうど入り口から一人の警察官が島の回覧板を読みながら出てきた。挨拶しようとして、白髪が混ざった初老の駐在の顔を観て、驚く村上機関士、

「おっ、おっ、、これは!、秋、、秋山中佐ではありませんか?」

回覧板を読んでいた顔を横にずらし、村上機関士の顔を見る、秋山巡査長、

「ん?、、その声、その顔、、うーん、たしか、ドイツで、あのキャベツの漬物が嫌いな、むら、かみ君だったな。」

海軍式の挨拶で気を付けと敬礼をする村上機関士。「村上隆史です!」「やっぱりな、、たしか、あの時は技術中尉、、」

「ドイツでお会いして、あれから、十六年、、私がザワクラフトが嫌いなことまで、よく記憶されてますなあ!」

「お互い様だ、君のほうだって、こんな年寄りの顔で、よくオレだとわかったな。」「あ、あの、失礼ですが、秋山中佐は、ベルリン陥落時、現地でソ連軍と一戦交え、死んだと、人伝いに聞いて、いたのですが、、」

「何を、、戦っちゃおらんよ。ソ連軍のドイツ領内侵入後、キール港から中立国のアルゼンチン船籍の貨物船で、他の日本駐在員たちと脱出したのだが、途中でイギリス海軍の巡洋艦に捕まってなぁ、、スエズ運河を通り、インドで上陸、ボンベイ捕虜収容所で過し、赤十字船で昭和二十一年の春に日本に帰還したんだが、それを知っているのは当時の収容所で暮らした日本人と、元上司と、この島の家族だけだ。誰にも言わんといてくれ。」

「ハッ、わかりました、私は何も聞いておりません。」小さく敬礼する。

「もう、敬礼もいいよ。」「はっ、もうしわけありません。」「ん~ぅ、、だからもう普通の言葉で話そう。いや、懐かしいよ、この島に居ると、昔の仲間にはまず逢わないからな、、まあ、そこに座って。そっちは、どうしていた?」椅子に座る村上。

「日米開戦直前にドイツから帰国した後、潜水艦の設計を長崎で担当していて、佐世保で終戦を迎えました。」 

「長崎か、、、原子爆弾は、大丈夫だったか?」

「ちょうど、自分の設計した新型潜水艦の試運転中で海に潜っていまして、帰港しようと無線で連絡しても本部と繋がらず、落とされた後でした、、湾外から潜望鏡で観察しましたが、もう長崎の町は、、跡形もなく、、浮上せずにそのまま佐世保に廻り、そこで終戦をむかえまして、、」

「、、そうか。」

「中佐こそ、どうしてこんな辺鄙なところに?海軍きっての語学力の持ち主ですから、東京でいくらでも仕事があったのではないですか?」

「ああ、そうかもしれんかったがな、、ここに居ることを話せば長くなる。」 「、、大丈夫です、まだこの島には一週間居ますから。」

「ふふっ、、そうか、うん、ここは実は、オレの弟の家内の、実家の島でな。 つまり今のここの、オレの家族は、ほんとうは死んだ弟の家族だ。警察官をしていた弟は台湾で死んだのだが、弟と俺は顔つきがそっくりなので、戦後のどさくさにすり替わっている、弟の上司が、オレの中学の時の同級生だったので、うまくやってくれてな、、だが海軍出身者は漁師町に住むとなると嫌われるので、黙って暮らしている。」

「そうですか、あのちょっと、お聞きしたいことがあるんですが、」

「ああ、、うん、、港に停泊していた、天尾さんの船のことだろ?」

「え?、えぇ、よくおわかりで。いまどき、あれだけ大きい木造船というのは、、」

「、、そうだ、旧海軍の掃海艇だ。」

「やっぱり。」


島の岬

  

夕方、遠くに灯台が見えている道を、昨日と同じく、澤村司書が運転するリアカー付きのバイクが走っている。 島の岬の突端には瀬戸内海では大き目の灯台があり、灯りの点滅を今の今、始めたばかりで、まだ外が明るいせいで仄かなオレンジ色の光りである。その灯りのそばでは窓を拭いている燈台守の影が見える。燈台守の仕事は逓信省(ていしんしょう、今の郵政省)の管轄で、夜間の船の安全を保つための国家の仕事である。この年の十月に松竹映画、木下恵介監督作「喜びも悲しみも幾年月」が公開され、国民にはその家族たちの僻地での生活の辛さが認知されることになる。

この灯台が舞台になり活躍する話はこの小説の続々編第三話の予定なので憶えておいてほしい。


 後ろのリアカーには百目鬼が乗っている。道をあがりきった場所に建つ、一軒の洋館の前で止まる。

澤村「じゃあ私は外でお待ちしておきます。」

百目鬼「いや、一緒に来てくれ。」

ビスケット缶と一冊の本が入っている風呂敷を持って玄関前に立つ百目鬼館長、

「すいません、瀬島さんは居られますか?」

玄関を開ける音、若い娘が出てくる、

「は、はあーい、瀬島ですけど、あっ、図書館の船のお方、、」

百目鬼、

「ああ、この前の、娘さん。」

奥から 男の声

「誰だ? 夏江、」父がやってくる。

百目鬼「あの、わたくし、今、島の港に停泊している移動文化船の館長をしております、百目鬼と申します、こちらは図書館司書の澤村です。」

軽く会釈する澤村司書、、この家の玄関に付けてある、竹でできた柄杓を、ふと見ている。底が抜けている。

「ああ、うちの娘が、なにやら、お世話になりまして、で、今日は何か?」

風呂敷を開け、本を渡そうとする百目鬼、

「ええ、実は、この本をお返しに、やってきました。」

「本?うちの娘、の忘れ物ですか、、」 

「ええ、あの、、洋一さんのほうで、」

「洋一?」「ああ、、お母さん呼んできます。」

奥に母を呼びに行こうとする娘が振り返ると、玄関の様子に気づいた母も奥からやってきていた、、父と母、、本の中を見る、

『瀬島洋一』と書いてある名前、

「あっ、お父さん!、よ、洋一の、、」

動揺して、おもわず口を手で押さえる瀬島、母。


    島の高台

  

 単眼鏡で、飛島の方向を見ている詐欺師、野口イサオ。遠くには大きな船が、島と島の合間に錨をおろしている、、甲板には水兵の姿がちらほら。どうやら米軍の調査船のようだ。単眼鏡を目から外し、レンズの倍率を変え、そこから臼石島の港に視点を移し文化船を見ている。

「あの船か、、」そこから文化船の停泊している埠頭の付け根にある小さな煉瓦造りの建物に目をやると、ゲン爺が竹で作った、底の無い柄杓を沢山、桟橋に並べ、塩を撒いて何やら拝んでいる様子が見える、、

「あの爺ぃ、なにやってんだ?あんなところで、、」

単眼鏡の倍率をあげてみても何をしているのかは野口にはわからない。

これは盆になって悪さをしようとする舟幽霊を家の中や船内に入って来させないために、手造りした柄杓のお祓いを自らの手でしているのである。この柄杓の意味を知らなかった野口は後に酷い目にあうことになる。


  瀬島家 邸内 応接間


 案内された部屋に百目鬼と澤村司書が入る。 ツンとしたタバコの葉の香りがする部屋、タバコを喫わない仕事に就いている百目鬼と澤村には少々臭い。旧いドイツやフランスの葉タバコの缶のラベルが壁の目立たない所にいくつか貼ってある。引出しの付いている外国製の古風なテーブルの上には作業箱の横に専用の鑢(やすり)が数本と、その鑢で作りかけのパイプがあり、棚には出来上がっているパイプのコレクションが飾ってあり、奥には蓄音機が置かれ、ガラス棚にはたくさんの古いレコードと、バイオリンとビオラが立て掛けてある。

瀬島洋一の両親、瀬島譲一、寿子、と、百目鬼、河村司書が古風なソファーに向かい合って座る。その後ろ、小さな椅子に座って控えている娘、瀬島夏子。

父、譲一「すいません、散らかっていまして、」夫

婦二人で、「ゲーテ 詩集」を開けて読む。後ろに自分の息子の名前と「笠岡市、臼石島」までの住所が書いてあるのを確認する父。

「この本は、、どちらで?」百目鬼「戦争がはじまる直前まで、大学で私と学生たちと読書会を開いていた頃がありまして、瀬島君も参加されていました、昭和十六年夏の、最後の会の時に、戦争が終わったら、またここに皆で集まろう、と、皆で持ち寄った本を、終戦で大学の閉鎖後、私が預かっておきました。返すのが遅くなりまして、申し訳ございません。」

父、本を娘に渡す。 母、娘の持っている本を自分の子をなでるように触る、、母、寿子も感激して泣いている。

「、、これを、、十二年間も?」

「はい。」母 「ありがとうございました、、なんだかねえ、まだ私はあの子が外地に居て、生きているんじゃないか、と思ってまして、何かの後遺症で、帰っていくところがわからない、ええと、なんとか喪失、」

百目鬼、「記、憶、喪失、、」

母「えぇ、記憶喪失。日本にも、、居るかもしれない、と、何度も役所にいったり、人に聞いたり復員局やラジオの尋ね人の時間宛に手紙を出したこともあったのですが、」

「まだ続いておりますなあ、あの番組。私も二度、教え子の名前を読んでもらったことがあります。」

「どなたか、見つかり、ましたか?」

「いえ。」

母が本の住所と名前を書き込んでいる最後の白ページに捺されている血判を見つける、

「、うちの子の、、なんでしょうねえ、」

「ええ、そうです。読書会で集まっていた教え子たちは自分の本に皆、押して残しています。戦争終了後の再開を誓いあって、血判を押してから私が預かりました。技術士官候補であっても、当時の日本海軍の誇り高き男たちでしたから、それくらいの気持ちはあったのでしょうね。」

父「百目鬼さんは、他のご遺族の方々に渡す本を、まだたくさん持っておられるのですか?」

「ええ。あと、十五冊、、です。 私は、終戦後、北海道で別の仕事に赴きながら、復員局や旧軍関係者との交流で、探してはいるのですが、なかなかこちらまで旅をしてまでの時間が取れませんでした、、去年になってこの仕事をしながら西日本出身の生徒の実家を訪ね歩いて本を渡している次第です、、この本を持っていた生徒の中には、まだ戦死とわかっていない者も数人おります、そのことも、きちんと確認させてもらいながら、これから時間ある限り探して、返していこうと思っております。」頷く父。

「わかりました、、よろしければ、息子の部屋の本の棚をみてやってくださいますか。」

「ありがとうございます。」


   息子の部屋 本棚の前


 本棚を端から眺めている百目鬼。瀬島洋一の出征前の私服の写真が一枚、置いてある。「たくさんありますねえ。ああ、今思い出しました、瀬島君は学校の図書館でドイツの音楽の本もよく読んでおられましたよ。」

父 驚いた顔。「、、そうですか、」

母「うちの主人は戦前、関西の楽団でバイオリンを弾いておりまして、息子を自分と同じ音楽学校へと勧めて、は、いたのですが、息子は反発しまして、、時代も時代でしたので、お国のためにと、工科大学のほうへ進学しました、、」

「ええそれも知っております、ええと、大正時代から続いている大阪の市営楽団ですよね。」

「そんなことも言っておりましたか、、あの、つかぬことをお聞きしますが、百目鬼さんは最後にうちの子と会ったのは?」

「昭和十九年の夏です。海軍の軍需工場への電力確保のため、県北の川の上流に、大きなダムを作る調査に行ったそうです、その時、『先生の生まれた町を汽車で通りましたよ』と話をいたしました、、私の出身地、総社の地名を憶えておいてくれていまして。」

父「ダム、ですか、、はぁ、」

「その後、消息はぷっつり、と、途絶えました、、」

「そ、う、ですか、、あの、いまさっき、私たち、夫婦で話し合ったのですが、ここにある息子の所蔵本と今日、あなたが持ってきていただいた本を、文化船に寄付したいのですが、」

「えっ、それは悪いです、船には、たくさん本がありますから、」「いいえ、ここに置いてあっても誰かに読んでもらったほうが、私たちにはうれしいですので。息子もそれが本望だと思いうのです、、」

「はあ、しかし、、」

しばらく、百目鬼と両親、とのやり取りの後、文化船でいったん借りておくということで、話は落ち着いた。


   瀬島邸 外


 話し終えた百目鬼と澤村司書。見送る瀬島家の人たちに向かって会釈。

「では。」

母「ありがとうございました。あの、百目鬼さん、この島へのご寄港はこれからも、、あるのですか?」

「二カ月ごとの寄港予定です、まだ数日はここにおりますので。」

「そうですか、でも、こういう仕事をしながら、あの本の持ち主を見つけるのは、大変でしょうね、、」

「ええ、時間は、かかっていますが、これが、私に残された仕事と思い、責任を持ってやり遂げようと思っております、、よろしければ皆さんも船にいらっしゃってください、河村君、音楽の本はいくつか置いてあったよな?。」

「はい、クラシック関係の本は五冊、ございます。」

すっ、と答える澤村司書。

「では。」「さようなら。」「ありがとうございました。

」百目鬼と澤村司書、丁寧にあいさつしながらバイクに乗り、帰っていく、、坂を下っていくリヤカーバイクが見えなくなるまで手を振る父母と娘。

百目鬼、独り言を呟く、

「十二年もあの鞄に詰めたまま、やっと返せると思って持ってきたが、、そうか、じゃあ元の居場所に戻しておくよ、君の同期生たちと一緒にいたほうが、良いだろう、、なあ、瀬島君、、」

その声は澤村司書には、バイク音で聴こえていない。

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