第5話

 ――――――


 鴎の鳴き声で目が覚めた百目鬼、

「う、うーん、、朝か、、」、ベッドから足を降ろそうとするが、水の入ったバケツがあり、危なく水をひっくり返そうになる。その時そのベッドの下に置いてある教え子の本が入っている古い鞄に目をやると鞄の口が開いているのに気が付く。戦後十二年経てもまだ本人や遺族に会えず返されていない本があるのだ。そして学長から預かったままの、氷川静話もその中に見えている。 

文化船のすぐ横を通り過ぎる朝一番の連絡船の汽笛が聴こえてきた。 ざぶりざぶりと波が文化船を揺らす。


   朝  旅館 「待帆荘」 二階 部屋


 百目鬼が文化船の中で聴いたのと、同じ汽笛の音で目を覚ました澤村司書、旅館の部屋の中を見回す、使われなかった夏蒲団と上に置かれた浴衣が、ひとそろい、、司書、眼をこすりながら、そこを見る、

「、、あれっ、百目鬼さん、は?」先に目を覚ましていた村上機関士、あくびしながら、「お早うさん。あの後、船に用があるといって、船に氷を持って行って、、こっちに帰ってくると思うとったが、また、船の中で寝たんだろうな。」

澤村司書、またか、と慣れた顔、

「夜に港近くを酔っぱらって歩くと海に落ちるかもしれないから危ないって、百目鬼さん自分でいつも言っていたんだがなあ、、、」

「船の冷蔵庫に入れたままのまくわ瓜を食べるのを忘れていたとかで、、」

「もう、、あの人、人一倍の食いしん坊だから、、」

廊下から仲居のやさしい声、

「おはようございますー、朝ご飯です―、、」


     隣の部屋


 「♪~~♪~~、」 

鼻歌が聴こえ、目を覚ます三遊亭笑ん馬、そっちのほうを見ると阿波鏡台の前で日本髪を結っている桃花。廊下から声が聞こえる

「おはようございます、お客さん。朝ご飯です―、、開けます―、、」

「はーい。」

仲居、朝ご飯一式を持ってきている。

「おはようさんです、、よお眠れましたかねぇ?昨日は夜遅うまで食堂で酒呑んどった人がおって、ちょっとうるそうて、うちの女将さんが、すんません言うとってですわ。」 

「ええ。」

「いいえ、大丈夫でしたよ、。」

「ここ、お櫃、置いておきますけ、済んだら、廊下に出しておいてくれたらええですけ、、」

笑ん馬「先に顔洗ってくるわ。」「うんー。」

、、この島に来て、朝から何もすることが無い笑ん馬である。お膳の上、お櫃に入ったご飯、味噌汁、漬物、島で獲れた焼き魚、貝の佃煮など、一人喜ぶ桃花である。「うあ、久しぶりじゃあ、このふりかけ~ぇ、子供の時によお食べょったわ!」


    旅館 廊下 共同洗面所 


「飲み水は島では貴重です。流しっぱなしにしないでください」と貼り紙がしてある長い流し台には、真鍮製の水道の蛇口が五つ並び、その前に、浴衣姿の男の泊り客がそれぞれ洗顔、歯磨きをしている。水道の音と混ざり、廊下を歩く客、朝ご飯を運んでいる仲居とすれ違いざま、欠伸混じりの声で

「おはようございます」と声かけあっている客の挨拶も聴こえてくる。流し台の前に一緒に居る村上、笑ん馬、野口イサオの顔が見える。廊下を歩いて三人の後ろを通り過ぎようとする旅館の仲居、緒方、野口の顔を見て、

「あ、桜の間のお客さん、洗濯物あったら出しといてつかあさい、三日ぶん溜めとるでしょお?洗っときますけえ。」

振り向く野口、眉毛がちょっと上にあがる、

「ああ、そりゃ悪いねえ、あとで、出しとくよ。ああ、でも、それ、タダじゃないよね?」

「ええ、、そりゃ、まあ、料金いただきますけど、、どうします?」

「、、ううん、考えとくよ。」

「はーい。」二人の会話が終わると同時に、海の方向、かなり遠方のからサイレンが鳴っているのが聴こえてくる、、その音が止み、鈍い爆発音。その衝撃が廊下全体の空気を震わせ、開けられている窓枠に嵌まっているガラスがビリビリと微かに音、髭剃りが済んだ直後の肌で軽い衝撃波を感じた村上、その音の方角に顔を向けた男たちが一斉に声を出す、

「なんですあれは、」「なんだ?」「はっ?」説明する仲居緒方

「近くの海で、戦争中にアメリカが瀬戸内に落とした機雷処理をしているのですわ。」村上「ああ、浮遊危険物の貼り紙を港で見た、あれだな。」笑ん馬「ああ、昨日、夜風にのって、火薬の匂いがしたのは、それか、、」緒方「天尾さん言う人が機雷を見つけて発破処理しとるとかです。ここの島のもんはあの音には慣れとりますけえ。」視線を外に向けたまま、歯磨きの手をそっと止め、会話を聴き入っている詐欺師野口。

村上機関士

「あの、ちょっと御聞きするけど、天尾さんというのはこの島に住んでいる御方で?」

緒方「天尾、、ああ、いえ、この島じゃなくて、ここよりすこし先の、飛島(とびしま)です、笠原港からは一番果ての小さな島で、、でもねえ、その島は、、」と、階下から旅館の女将が呼ぶ声がする。

「緒方さぁん、緒方さぁーん?」「はーい!、今行きますー」

言いながら階段を下りていく仲居。落語家と詐欺師、二人とも発破音がした海上の方向を気にしつつ、廊下を自分の部屋へと歩くが、お互いどこかで会ったような?と立ち止まってそっと振り返ると、目が合ってしまい、すぐさま前を向いて部屋に帰っていく。港の方向から朝一番の連絡船の汽笛が聴こえる。


   女性三人の部屋


 財布が盗まれたことを知らず、紛失したと思っているだけの三人、、このままだと支払う滞在費が二人の所持金では足らなくなって、どうしようと相談している。

「、、そーっと帰っちゃおうか?」

「お金払わずに?」

「ええ?」

「お金が無いの、ばれないように、明るく過ごしといてとか、、」

「逃げるとなると、夜逃げ?一日の最後の連絡船に飛び乗るとかさ、」

「朝一番のほうが良いわよ」「ダメよ、旅館の朝は早いから誰か見てるわ、」「じゃあ昼。」「夜逃げじゃなく昼逃げね。」「でもねー。」「うーん、どうしっようかなー、警察に届ける?」「届けたけど、、。」「え?届けたの?この旅館に知られると、事だわよ、、」「家に電話かけて持ってきてもらう?」「うちは無理じゃわ」「うちも。」「この島で働くところとか、無いわよねー、」「アルバイト?」「もう一回よく探しましょうよ」「桜の模様よねえ、」三枚しかない座布団を何度もひっくり返したり、狭い押し入れや旅行鞄の中を一生懸命探す、

「どうしようかなー、、」


   学校の校庭に入るバイク


 リヤカーバイクの音が聴こえて校舎から出てきた校長。百目鬼、村上、澤村を笑顔で迎える。その手には箒と塵取りを持ったままだ。目が合い、ちょっと照れ気味の百目鬼。

「校長先生、おはようございます。」 

「おはようございます。」

「、、どうも、昨日はごちそうさまで、、えらい飲みすぎました。」

「いえいえ、あれだけ飲んでも、しっかりしてらっしゃる。」

「、、いやもう、おはずかしい。」

澤村司書「では、私は、講堂のほうへ。」

「ああ。あとでそっちに行きます。」

村上、百目鬼に伝える、

「では、墓参りが済んだら、船に帰っておきます。」

「わかりました。」

校舎に上がり、廊下を歩きながら会話を続ける百目鬼と校長。

「旅館のほう、よく眠れましたか?」

「いえ、昨日は船の中で寝てしまいまして、」

きゅっとした顔をする校長、

「あ、あの、お盆の夜には船で寝ないほうがええですよ、ここらの海にはお盆になると、出る、のです。」

「出る?」

「これですよ、これ。」

両手を曲げ、胸の前で手だけ下に卸し、幽霊の手の格好をする校長を見て、何のことか解った百目鬼、笑顔で答える。

「あっ。え、えぇ、昨日、船に来ました。」

「ほお、さっそくにも!」

「でも子供の幽霊だったようですよ、子供の足跡が付いていましたから。」

 「子供の足跡、、あ、あぁ、それは、舟幽霊では、ないですなあ、戦時中に、島の子供たち数人が乗った船が遭難した事件がありましてねえ、その事件はこの島や学校では禁忌なことになっていまし、、」

説明しようとすると、その後ろから女教師が底の抜けた竹の柄杓を持ってやってきた。校長、止まって、女教師を待ち、その柄杓を指さす、

「館長さん、これ、なにかわかります?」

「なんですか?なにかのまじないですか?」

説明する女教師、

「ええ、お盆になると、ここいらの海には舟幽霊というのが出ましてね、通りかかる船に海の中から手を出して、“柄杓をくれー、柄杓をくれー” と叫ぶのです。そこで言われたままに普通の柄杓を渡すと、その柄杓を持つ手が何十本にも増えて、海の水を船にどんどん汲み入れて、船を沈めようとするので、舟幽霊に渡す時の柄杓はこのように底を抜いておきます。これだと、水を汲めないので舟幽霊は退散するそうで、、」

校長がしゃべる。

「お盆になる前に、これを作って配って歩く、ゲン爺と言う爺様がこの島にいましてね、これを島民はそのじいさんから買ってあげて、舟幽霊が入ってこないように、船や海近くの家の玄関先や窓に吊るしておくのです。ほかの島の漁師たちも、そのお爺さんの作った柄杓を買いに来たりしますよ。」

百目鬼、神妙な顔で聴いている。

「で、舟はどうなるのです?沈むのですか?」

女教師、笑いながら、

「伝説では、船ごと乗っ取られて地獄に連れて行かれるとか、、。」

目だけ動かしての薄笑いで百目鬼を驚かそうとする校長、目を大きく見開き、

「行き先は海の底にある修羅道、だそうですよ。」

「修羅、、道、、」

女教師

「仏教でいうところの六道の一つですわ。畜生道、餓鬼道、ええと他、なんでしたか、」うまく二人で示し合わせ、よそ者に冗談を言っている、と思い、眉をひそめてわざと怖そうな顔をする百目鬼、

「うあ、怖いですなあ、じゃ私の船にも、、」

校長、

「後で誰かに貰いに行かせましょう。もうすぐ子供たちが本を読みにやってきます、廊下で長話もなんですから、どうぞ中へ。ああ、お土産のお菓子、ありがとうございました。あとで子供たちにも配りますよ。」

「ええ、どうぞどうぞ。」応接室の中に入る三人。昨日、百目鬼が買って学校への土産に渡したクッキー缶がガラス棚の中に見えている。校長が応接室の壁に貼ってある笠岡諸島の地図と島の地図を指さして、臼石島の歴史を、そそと語りだす。

「この島は古くからええ石が採れる島でその石を運ぶために良い港を作りました。その良港は瀬戸内海を行き交う船の、潮待ち、風よけ、の場となり栄えたのです。九州大名の参勤交代の船団も帰港していた話もありますし、明治以降は外国船もやってきたことがあったそうです。」

校長室壁に臼石島の歴史がわかる写真が幾つか飾ってある。帆船と侍が映っているのが一番古い幕末の写真、明治期、活気に満ちた港の写真、小学校前での生徒と先生の記念写真、、出征兵士の名前を書いた祝いの幟の中、港で見送る人たちが映っている写真、、旅館の改築が済んで、大きな菰樽を取り巻き、振る舞い酒で祝っている人たちの写真、小さな島の山上に数人の人間が写っている写真を指さす百目鬼「これは何をしているのですか?」

「それは発掘作業です。この島ではなく、この先にある飛島という無人島なのですが、近年、その山の上で、古代人の祭祀の跡が見つかりました。何かを燃やしていた跡と、沢山の貝殻や魚の骨が出てきましたが最近の研究結果では、そこはもしかしたら昔の灯台だったかもしれないという話です。つまり灯台守がいて、その生活で貝を食べていたと、、」

「古代の灯台ですか、ほぉ、地中海のストロンボリ火山を思い出しますな」「ああ、火山の噴火が地中海を航行する目印になっていたという話ですな。日本でも今の灯台が出来る前は、漁村は石塔に夜中じゅう魚の油で火を燈して、沖の漁船に位置を教えていましたからねえ。」

と、後ろから女教師の声

「お茶が入りました、どうぞ。」

麦茶が用意された席に着く三人。一服して、移動図書事業の説明と、次の航海から行う読書会の説明をする百目鬼。

「読書会は、アメリカの開拓時代から始まったそうです。地方の町には教会や学校が出来ても、本がまだ少なく、読み聞かせることが出来なかった時代には、皆、生徒の親が持っている本を持ち寄って集まり、一人が朗読し、その本の感想や意見を言いあい楽しんだそうです。で、小冊子の本を生徒の人数分持ってきて、それを教室で生徒が同じ時間に一緒に読み、すぐに子供たちで感想を言い合うという授業が出来るようにする予定です。」

「ほお、、良い話ですなあ」

「それだと生徒に分け隔てない教育が出来ますねえ。」

感心する校長と女教師。


    旅館から曲師の実家への道


 白い小さな日傘をさして、旅館から出ていく曲師、篠山桃花。小さな風呂敷包みを持っている。生まれ故郷なので知った道筋。狭い路地を歩くのが早い。するすると着物で歩いていく。

自分の家の前にやってきた桃花、庭を覗くと奥の方に犬小屋が見えるが、かなり前に犬は居なくなったようだ、朽ち果てている小屋の状態を見てわかる。玄関先、底の抜けた竹の柄杓が付けてあるのが見える。この島の盆の風習である。その玄関を開け、中を覗くと、奥からじーっと観ている自分の母と目があう。

桃花、玄関の戸を半分だけ開け、声を出す、

「あのー、私ですー、教子です、あー、、帰って、きましっ、」

挨拶中に母、冷めた顔で玄関に近づいてくるのが見える

「ったー、、お母さん、、」 

いきなり娘を叱りつける母の声、

「どこのどなたか知りませんけど、帰るところ間違えとるんじゃねーですかなー、わたしゃぁ、あんたみたいなもんを産んだ憶えはないですけ、ここは堅気の家ですわ、芸人が来る家じゃねーですからっ。うちの子は、東京に行って、経理師学校に通わせて、今は東京の大きな会社で経理の仕事しているはずですけえ!」

 言い終わる前に玄関を閉めた怖い顔の母、ビシッ、という音が、さくら、の耳には厳しい音に聴こえる、母に黙って経理の仕事を勝手に辞めて芸人になったこと、を大反対していた母だけに、こうなると思って覚悟して帰ってきていたのだが、、玄関の音と一緒に続く母の声、

「お帰りください。」

桃花「、、ん、、お母さん、、寂しぃんじゃったら、また犬でも飼うたらえぇんよ、しご、仕事で寄った山口のお土産、ここに置いとくから。お盆の間、待帆荘に泊まっとるから、また、、また来るけぇ。」

母の気性を知っているので、こうなるだろうと想像はついていた、、ため息ひとつついて、土産の菓子とある程度のお金が入っている風呂敷を置いて出る桃花であった。風呂敷の結び目から母に渡そうとした仕送りの現金が入っている白い封筒が見えている。 


    島の坂道


 残念そうに来た道をとぼとぼと旅館に帰っていく篠山桃花、その後ろから、、バイクのクラクション、が軽く追いかけてくる、さくら振り返りざま、澤村司書が運転するリヤカーバイクが追い越す、リヤカーに後ろを向いて座っている村上機関士が声をかける、

「おはようございますー。」

篠山桃花、手を振って笑顔で挨拶。

「おはようございます、あっ、昨日は、どうも、ありが、、」

挨拶の終わらない間に、曲がり角に入って観えなくなった。

リヤカーバイク、先を進んで、文化船へ向かう前、途中で止めてもらい澤村司書と別れる村上機関士。笠岡の港で買っておいた柄杓と水桶、線香、花、を持って細い土道から分かれた石段をあがっていく。石段を数人が降りてくる、村上機関士と目が合う島の人たち、頭を下げ挨拶。墓地に着く。お参りしている家族と年老いた尼がお経をあげている。周りを見て、小さなころの記憶がよみがえる村上、

「島で一番大きな松の木の、下と、、お、あれだな。」

「村上家」と名前が彫られた墓を見つけた村上機関士、墓石はかなり年月が経っているが、墓の周りは綺麗に掃除されている。

「島の人がしてくれていたか、あー、ありがたや。南無、、」

手を合わせ、持参した柄杓で先祖の墓に水をかける村上。そのすぐ脇では子供が島の年寄りに、墓地で一番大きな墓を指さして訊ねているが聴こえる、、

「じいちゃ、こっちの一番大きい墓、横になんかいっぱい漢字が書いてあるが。これ、なにゅう書いとるん?」

「ああこれはのぉ、昔、日本とロシアが戦争した時にのぉ、大陸に渡って死にさった兵隊さんのお墓でのぉ、こないに大きいんは戦争が終わってから国から、遺族にぎょうさんのお金が出たんじゃ、それでそのころの日本で、おおきい石で墓を作るんが競争みたいに流行ったことがあってのお、その墓の横に、戦争でどげぇな手柄を立てた、どこで戦死した、というのを石に刻んで残したんじゃ、、せえでもな、あんまり流行したんで、国から、墓石に慰霊金を使うな、いう命令も出たんじゃ。」

「へえ~」「そっちもきちんと拝んどかにゃのぉ」「うん。」

そんな事があったと言うのを村上は初めて知る。

すぐ近くで別の子が大きな声を出した、

「お母さん、間違えて底の抜けた柄杓持ってきてしもうたー、」

「そりゃおえんがぁ。こかぁ普通のでええんで。」

子供たち、わいわい言いながらお墓の近くでまだ遊んでいる。誰かの子のお母さんが近づいて叱る、

「こおれ、ここで遊んじゃいけん、あ、こら、なんしょんで!ここゴミ捨てたらおえんが! 拾うときねえ!。」

あの母親と子供の間違えた柄杓、と言う意味は何だろう?と首をかしげながら、墓地を後にする村上であった。


     港


しばらくして文化船に歩いて帰ってきた村上機関士。百目鬼館長の字で貼り紙がしてあるのを見て、帰ってきていることを知る。

『十五日十六日は休みます。 十八日昼に出航いたします。』

船の甲板に上がる村上。後甲板の四分の一には白黄色の帆布で出来た、日よけテントが張られている。そのテントの下、ベンチに島民四人が座って本を読んでいるのを横目で見ながら、船の後甲板に据え付けられている救命ボートの中に、墓参りの柄杓とバケツを静かに置きながら島民に挨拶する村上機関士。

「どうも。」 「こんちには」 「どうもこんにちは」「暑いですね」「暑いですね。」 雑誌「暮らしの手帖」を読んでいる若い妊婦、、柳田国男の「食物と心臓」を読んでいる板前大河内、日本で翻訳出版されたばかりの、ミングウェイの「老人と海」を読みふけっている老漁師、、その漁師の背中にもたれて、孫であろう、大判の映画雑誌を見ている女の子は、母親のコンパクトを持ってきていて、そっと自分の顔と映画女優の顔写真と比べようと、横を向いたり、上を向いたりしているが、笑っても、ぜんぜん映画女優のような美人に見えずに、

「ふぅ~ん、、」ため息をつきながら次をめくっていく、、。


    文化船、図書室


書架と書架の間に六人ほど座って読書ができる小さなテーブルと折り畳みできる背もたれの無い椅子、テーブルの上には図書館で良く見かける貸し出しカードの箱がずらっと固定されて置いてある。まだ開始されたばかりの文化船であるのでカードやカードが入る箱は新品である。

椅子に座り、濡れて乾かせておいた貸し出しカードを眺めている百目鬼。ドアが開き村上機関士がやってきて、昨日の深夜のことを訊く。

「、、で、奴(やっこ)さん、昨日の夜、ここにやって来たのです?」

「ええ。」

「姿、形は見えたのです?」

「いや、見えやしない、小さな濡れた足跡だけが付いていて、たぶん、こりゃあ子供の幽霊の仕業じゃないか、と。」

「ほぉ、その可愛い幽霊さんには、足があるのですなあ。」

「それと、このカードだな、、カードの著者の名前のところが水で滲んで消えていましてねえ、」

村上、本の題名を読む、

「、、『ひろった らっぱ』、、絵本ですかな?」会話を聴きながら図書室に入ってきていた澤村司書、「あ、それは、新見南吉です。」 

題名を聴いただけで、すっと名前を言う澤村司書にさすがだな、と感心する二人。

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