第3話

校長室


周りが本棚に囲まれた部屋のテーブルの上、大きな瀬戸物の灰皿の横に、綺麗に折り畳まれた黒い風呂敷の上に本が三冊、積まれている。 

校長

「この小学校も、図書は、ある程度揃ってはおるのですが、新しいものは、すぐにはなかなか入りませんで、、しかし、船の図書館とは、よく考えつきましたなあ。こういうのは、離島は本当に助かります。」

百目鬼

「ええ。実はこの移動図書の思想は、GHQの置き土産なのです。戦後、日本でも図書館の無い町や村に移動図書館車が走るようになりましたが、広島の県営図書館の司書たちが、瀬戸内の島々の村はどうしよう、と考え、じゃあ船に本を積んで港に停泊する図書館船はどうか?外国では、という事を考え、一昨年から広島の島々を廻り、評判も良かったので、今年の春からは岡山の島々にも巡航することになりました。本の貸し出しと、記録映画、教育映画も学校での上映をやっていく予定ですが、今回は最初なので一般映画を上映する予定でございます。」

「さようですか。あの、話は変わります、百目鬼さん、これを、、ちょっと、見てもらえませんでしょうか?」

校長がテーブルの上の本を指さそうとしたのと同時に本に気付いた百目鬼

「これは、、実は、昨日の朝、学校に届けられた本なのです、」 

「はあ、、、よろしいですか?」

「どうぞ、」百目鬼、本を手に取り、表紙を見る、


 『世界の神話 ギリシャ編』

 『新版 日本の昔話』

 『 河口慧海 チベット探険物語』


百目鬼が背表紙を観ると下部に「文化船ひまわり」のラベルが貼ってある。中を広げて最後の白ページ、糊で貼られてある貸し出しカードもそのまま、そして紙袋の表面に借りるときに司書に押される所には昨日今日の日付印は無い。

「えー、ええ、うちの文化船の本ですなあ、これが船が着く前にどうして先に、この学校に?」

「ええ、実は、この島の若い尼僧が、、持ってきまして、え、、説明もせずに、“これを返しておいてください”とだけ言い残しまして。 そのお、、その尼僧は、この島で、訳ありの女性でして、、」

なにか理由を知っていそうだが、詳しいことは言えない顔の校長を察する百目鬼。 仏門に入る女性は、だいたい訳ありです、と言おうとするが止めておく。校長「本は、お返しておきますが、この件は、ここだけの話にしておいてください。」軽く笑顔で答える百目鬼

「、、わかりました、滞在中に時間を作って、そのお寺に行っています。」「、、私もご一緒しましょうか?」

「いやあ、こういう時には、島の者ではない私だけで行ったほうがよいでしょう。ああ、それから、お聞きしたいことが一つ、この島に“瀬島”という苗字の人は居られますか?」

「瀬島、せじま、、、私が赴任したばかりの時に、たしか、その苗字の子がいました、今は、本土の高校に通っています、ちょっと、調べます、」

卒業名簿と住所録、島の地図を持ってくる校長

「ええと、ありました、この家ですね、地図をお貸ししましょうか、」地図で、家の場所を指さす校長

「いえ、大丈夫です」道も簡単なので、道路と家の場所をさくさくとメモを取る百目鬼。「ありがとうございました。」

「ああ、そうそう、今日の晩は、港の旅館で文化船の歓迎会を開きますから、」「いや、もう、そういうことは困ります、仕事で来ておりますから、どうぞおかまいなく、」


 旅館 待帆荘 


 旅館玄関外の横の壁を錆びた金具にはめられた長い樫の木でできた馬の手綱を留める繋ぎ棒が見えている。 この島でも今は車やトラックが動いているが、まだ離島は馬車が普通に使われているためである。 観光で宿泊した家族の子供たちが学校の校庭にある鉄棒のように逆上がりをして遊んでいる。玄関前に水を撒きに出てきた旅館の仲居が子供に注意する

「もう日が暮れるよー、はよう中に入らにゃあー、そろそろ晩御飯の時間じゃけ、ね。」 「はーい」「はーい」

子供たちが“丸に根笹”の大きな家紋を染め上げた紺色の暖簾をくぐり、中に入ると、三和土の間があり、正面に勘定場、その横に土産物を置いた棚には島で採れた海産物の干物や瓶詰、花火、釣り道具、銛、海水浴の浮き輪などの貸し道具だ。右を見ると幾つかのテーブルと小上がり式の板の間、一番奥には十数人は坐れる、長く綺麗なカウンターテーブルと椅子、その横の棚には大きな手廻しのかき氷機が見え、その後ろに調理場へ抜ける狭い出入口、小上がり席の近くのブックスタンドには、二、三日分の新聞、雑誌が置かれ、その横に子供用のコリントゲーム台も置いていたりしてテーブルでは早くから漁師たちが酒を飲んでいたりの島民の社交場にもなっている。 小上がりでは、校長、女教師、百目鬼、機関士、司書が座って、文化船歓迎会の音頭をとる校長。

「では、改めまして、文化船の皆さん、臼石島へ、ようこそ、いらしゃいました。」「乾杯!」「乾杯!」「乾杯~!」

島で獲れた魚介の料理が先に小鉢でテーブルに沢山並んでいる。地の貝の時雨煮、、茹でべイカの酢味噌かけ、ガラ海老の煮つけ、刻み穴子とキュウリの三杯酢、素麺と野菜と魚の身の入った煮凝り、、どれもこれも美味しそうである。 料理を持ってきた仲居の緒方、島の料理を説明しながら愛想を振りまく。

「まあまぁ、、こぇげな田舎の島に、よぉお越しくださいましたなあ。じゃけど、お盆は同窓会やなんやかや、で、ちょうど今日から大部屋がいっぱいで空いてのおて、大きな皿で、料理、持ってきますけえ、」

皆、いえいえお構いなくという顔。

校長「いやあ、ここのほうが島の人と一緒に賑やかに食べられて料理もおいしいでしょう。」島の村長と旅館の主人と女将が挨拶にやってきた。校長が紹介する。「ええ、こちらは村長の保利さんです、と旅館の主人と女将です、」 

村長「村長の保利と申します、、よおこそ。」

女将と主人「井上と申します。ここの旅館を任されております。」皆の中に、するっと混ざる女将と村長。旅館の主人が混ざろうとすると、女将に先を越されて坐るところが無く、近くの椅子を持って来ようとするがそれを見ていた女将、声を出さずに、あんたは勘定場に行っておいてよ、と、ツッと横を向く顔をされ、酒が一杯でも飲めるぞと思って来た主人は不満げな顔で一人だけ、奥に下がっていく。

百目鬼弘一の名刺を見ている村長

「ど、う、め、き、と読むのですか。」百目鬼「ええ、自分でいうのもなんですが、自分と同じ苗字の人間には親戚以外で、まだ遭ったことは無いです。東北のどこかに地名ではあるそうですが、、」と言っている間に、百目鬼、持っている大き目の酒杯に、女将から日本酒を注いでもらう、、溢れそうになる酒杯、「おぉーっと、すいません、いただきます。」

百目鬼、持った酒杯に口のほうを近づけて飲む、、、クウゥ、、ウゥ、、ウゥ、、、その喉越しの音に、眼を大きくして嬉しい顔を見せる校長。

「いやあ、たいした飲みっぷりですなあ。」

一同、笑い声。村長「百目鬼さんは島のほうは初めてですかいのぉ?」

酒杯を置く百目鬼

「ええ、笠岡諸島は、、初めてです。」

校長「お生まれは?」

先に出されている料理を箸でつまんでいる百目鬼

「生まれは新見に近い小さな村ですが私が小学校に上がる前に家族が東京に移りましたので、私は、残念ながらこっちのことは記憶に無いのです、、でも、岡山の地酒が、こうやって、私のノド越しにちょうどいいのは、岡山の地の水の、産湯に浸かったから、かもしれません。こちらの方言は、祖父から子供の時分に少し聞いておりましたので、愛着はありますよ、、、なんとかじゃのぅ、しとかんのん、、おえりゃあせんのお、でぇれえ、ぼっけえ、、」

「ハハハ!」「ウハハ!」

イントネーションがちょっと違うので笑う島の者たち。

「あんまり、かんのん、かんのん、言うのを聴いていると、“観音様なのか?”と思ったりしましたよ、」と酒を飲み干すときに顔を上に向け、上へ下へ、面白いように首の外の咽喉仏が動く百目鬼を観ながら、その飲みっぷりに感心している島民たち。周りの人たちより上手に酔いが先に来ている百目鬼

「こちらの、、文化船の機関士の、村上は、この島に先祖の墓があるということでして、今年のお盆の間は墓参りも兼ねて、、わたしも一緒に、この島でお盆休暇をと思いまして、んんー、こりゃ、新生姜の味ですなぁ、この、サルボの煮つけ。」

一緒に同じ貝の煮つけを食べている澤村司書が隣に座る旅館の女将に訊く、「、、あ、あの、サルボ、って何ですか?」眉を上にそくっとあげて笑みを女将、小鉢を覗きこんで答える

「猿の頬のような赤い貝って意味でサルボウと言う貝ですわ。それを甘辛く煮たものです。」

百目鬼が何冊か持ってきていた文化船の図書を、手に取って見ている村長。「それで、この、船の本は家に持って帰って、ふた月後に船が着くまで借りられるということですな、、。」

「そ、そうです、その本の後ろにあるページの、貸し出しカードに島の名前と、本人の名前を書いてもらいましてこちら図書館側で預かります、その紙袋には、帰す日の日付を判で押します。 ぇぇ、、あの、これは、何の煮物ですか?」

 呉須赤絵(ごすあかえ)の器に盛られた夏野菜の炊き合わせの中に、大人の親指大の、醤油で煮しめた見た目ですぐにはわからない、ふっくらとした料理の一品の正体を訊ねる百目鬼び女将が説明する

「穴子の干瓢巻、言うて、穴子を干瓢で撒き、コトコトとゆっくり優しく煮たものです。うちの板前の得意な料理でして。」

「ほぉ、そうですか、いただきます、、ほぉ、うん、、うん、、ああ、穴子と干瓢は合いますなあ、柔らかくておいしいです。

次は仲居が大皿に盛られた白身の魚のお造りを持ってくる、お造りの下には葉蘭が敷かれ、その下に、かき氷機で作った氷を固め敷いて、お造りを冷たくしている。空いた小鉢を片付け、テーブルの真ん中にその大皿を置く女将。 

「マナガツヲのお造りです、、あの、、この旅館の主、天尾から、これをどうぞと、、。」 天尾、という名を聴いて、驚く顔をする校長と村長。

「天尾さんから?」 「ん?」「ありゃ、」「そりゃあ、珍しいのお、、」「百目鬼さん、ご存じで?」

メモ用紙を見ている女将「いえ、えー、、と、村上隆史、さんのお名前でご用意させてもらいましたが?」

自分の名前が出たので驚く村上機関士

「、、え?、どうして、、私が?」

百目鬼 「天尾さんというのは?」

校長「大きな海運会社の元社長さんですわ、、今は引退して、この先の離れ小島に住んどるのですが、臼石島の小学校や尼寺、潰れかきょうったこの旅館まで綺麗に直してくれた人で、、でもその人の島は、、」

途中で話をさえぎる村長「あ、あっ、校長先生、まあ、その話はまた今度にして、冷てえうちに、はようマナガツヲ食べましょうな、冷たいほうが美味しいですけえ。」

大きな皿の上、刺身の周りにシソの葉、真っ赤な茗荷の酢漬け、半分に切られた沢山の酢橘(すだち)が飾られている。仲居が小皿を皆の前に一枚ずつ置き、刺身醤油を丁寧に注ぎ入れる、

「ワサビと一緒に卸し生姜もありますんで、お好きなのでどうぞ。そこにある、茗荷の酢漬けも美味しいですわ。」 

お造りを食べている百目鬼、、ふと思い、醤油皿をもって醤油の香りをかぎ、薬指をつけ、舐めてみる

「これは特別な醤油ですか?」他の者も自分の刺身醤油を同じく舐める、

女将「ああ、うちの板さんが九州から特別に仕入れた濃いぃ醤油と普通の醤油に、出し昆布を入れて作っています、昆布味がほんのり、ついとるでしょ?。」

「そうじゃったんか、けえが普通のじゃ思うとったがのぉ?」「わしゃあ、気付(きじ)いとったで。」「ほんまかあ?今知ったんじゃろ?」「前からわかっとたで!」校長と村長が言い合いしている。 

「よおわかりましたなあ、百目鬼さんは。」澤村司書も嬉しそうに白身のお造りを食べながら、マナガツヲの事を女将さんに訊く

「すいません、あの、普通、鰹の身は赤いですけど、こっちの鰹は、、白いでのすか?」

笑いながら女将

「いいえ、普通のカツヲとは全然違う魚ですよ。マナガツヲいうんは、名前だけで、ほれあそこ、」

指さす方向を観るとそこにはカウンターの向こうで、捌く前のマナガツヲの尾を手で持ち、その姿を客人たちに見せている笑顔の板前大河内。 鰹節にする鰹のような流線形ではなく、全体はマンボウに似た菱型で頭の先が丸く背中は銀色、腹が白色の魚である。

澤村司書「ああ、あんな魚ですか、初めて見ました。」

「関西でも食べますが焼き物が普通だが、、骨が極端にやわらかいので捌くのが難しい魚でな、幽庵焼き、味噌漬け焼き、ああ、中華料理だと、丸ごと姿揚げにするのも美味しい、」

と澤村司書に説明する百目鬼

「でもお造りでは私は初めてですなあ。」と周りに言いながら、さらに酔ってきた百目鬼。 

女将、若い澤司書の顔をじっと観ながら

「おいしいでしょう?。お造りでは、七月から、お盆前の今頃にしか食べられないんですよ。はい、若い人、お酒を、どうぞっ」

村長「ほぉら、女将、ええ男に甘い顔するいつもの癖が出た、、。」「ハハハ、、」「ハハハ、、」皆の笑い声。

近くの席に座っている島の漁師たちがそれを聞いている。

「ありゃあ、わしが漁ってきた、マナじゃけぇ、、」

その場の他の漁師たちも、うなずく。地ではマナガツオの事をマナと言う今度は鰆の塩焼きを個々の皿に乗せて持ってくる。

付け合せには小さなお猪口に入った赤芋茎(あかずいき)の胡麻酢和え。笠岡の野菜市場で仕入れてきた野菜だ。こちらにも半分に切った酢橘を添えてある。村上機関士や澤村司書の箸もどんどん進む。アツアツの魚の身に酢橘を絞って、ふうふうと息を掛けながら食べていく村上機関士。

女将「瀬戸内の魚は骨までウマいと言われます、鰆は字のごとく春の魚ですが、夏はお造り、冬は鍋も美味しいですよ。」 

酢橘の香りに気付く百目鬼館長

「酢橘で思い出しました、、細かく砕いた氷を、コップいっぱいに入れたところに熱燗を上からゆっくり注いで、この酢橘を絞って飲むと夏は、いけますよ。ああ、あの、上等な日本酒じゃなくてよろしいです、上等な酒はそのまま飲んだらいいですから。」

女将「やってみましょうか、、かき氷の、氷で、ええですかね?。」

百目鬼「ええ、いいですよ。」調理場に行って今聞いたことを板前に説明し、自分も一緒に用意をする女将。板前大河内、かき氷機で削った氷を、大き目のコップいっぱいに詰め、二級酒を入れた熱燗の徳利と一緒に持ってくる女将。 

百目鬼、氷の入ったコップに熱燗をゆるゆると注き、半分に切った酢橘を指先で絞り入れる。周りの者も同じくそうして、みんなで飲む、

「ほぉー、」「うーん、」「はー、飲みやすい、、こりゃあ夏向きですな!、さっぱりして、うまいうまい。」

百目鬼「夏、汗をかいた後には、塩を舐めながらのも、よろしいかと。イギリスでは、グラスのふちの廻りに、塩をつけて飲むのが船乗りの中で流行ったそうです。」 

カクテルのソルティドッグのことである。

しゃべっているうちにも、次から次に瀬戸内の魚の御馳走が出てくる、煮付けた小さなエビの殻を指で剥こうとする澤村司書に、ガラエビのひげを掴んで二匹一緒に自分の口に放り込む村長。

「若い人、そのエビはのぉ、ガラエビ言うてのぉ、殻ごと食べりゃあええんじゃ、こうやって、」

小さいながらも初めて殻がついたままの海老を食べ、顔をしかめつつ、口の中がモゴモゴしている澤村司書。次は油ものが運ばれてきた、、海老と穴子の天麩羅、メバルの姿揚げ、夏野菜の天麩羅も一揃い。

夏の天出しは薄目の味つけである。 瀬戸内の島に渡って魚料理を食べられることを期待していた百目鬼と村上、箸が動く動く、食べる食べる。活きの良い穴子の天麩羅はそのかたちが反り上がっている。

「うぁ、穴子の天麩羅、ウマいですなあ!」

「ウハハ!」「ウハハ。」

食堂の外まで酔っ払いどものしょうがない笑い声が響いている。


駐在所の近く


街灯から外れた場所に一人の男が立っている、、服装は真面目な役人風の開襟シャツとズボンとパナマ帽姿、、正体は指名手配犯の詐欺師、野口イサオである。

辺りには誰も居ない。外壁に釣り竿が立てかけてある駐在所の中を前を通りすがりに目だけで窺うと若い警察官が長椅子で寝ている足と脱いでいる靴がみえている。そのまま歩いて外の掲示板に近づく野口、すると自分自身の指名手配犯のモノクロ写真がある。じろり、と横目で見る、今の自分と全然顔つきが違う写真だ。そのほうが都合がいいのにもかかわらず、いつも同じ文句を呟く。

「あぁあ、いつもつまんねえ顔してやがる。」廻りに誰も居ないのを見計らい、自分の顔写真にマジックインキで、瞬時に×印を入れた。

これで逮捕されたように見える。他所の場所で詐欺を働く場合も同じように×印で消すことを何度もやってきた。廻りを再度見回し、二日前から泊まっている旅館に向かって歩く詐欺師。


 旅館 調理場


暖簾の向こうから客の笑い声が出たり入ったり、働いているお婆さんの皿洗いの音が聞こえている調理場、仲居の緒方が使用人の島の御婆さんと洗った食器を片付けている最中である。

お婆さん「、、朝の支度、しとこうかのぉ?」

緒方「あ、もう遅うなったから、後、私がやっとくわ。ええよ。」

「へえ、ほんなら、先にあがらしてもらわぁ。」「はい、今日もご苦労さま。おかずとご飯、いつものところに置いてあるけえ。」

「ああ、もろうて帰るけえ、大河内の板長さんに、よろしゅう言うといてちょうでえよぉ。いつも、もろうて、すんません言うといてつかあさい、、」

「わかった。せえで、おじいさんの具合どねえな?」

「めえにち、めえにち、あちいあちい(毎日暑い)ゆうて、水ばあ飲みよぉる、わしゃあ、もう死ぬ、もう死ぬ、ばあいうてのぉ、」

「もう死ぬ言うて死んだ人はおらんよ。なんか精のつくもん食べさしたらええんじゃねえかなあ。」「ほなら。」「うん、ご苦労さーん、おやすみー。」

「おやすみー、、ああ最近、裏に、ちいせえ猫がきょうるでぇ、中にへえらせんようにしとかんと、、。」「あ、しっとる。」

調理場の中、後片付けをしている大男の板前大河内、残り炭を始末し、自分の仕事を済ませた板前大河内が柴田に言う

「包丁なおしとけ。」「はい、わかりました。」

包丁をなおす、と言うのは、明日の仕事のために研いでおけと言う板場符丁であるが今日の仕事を終わらせる意味である。普通、包丁は、すべての調理仕事を済ませてから研ぐ。研いですぐ使うと食材に金属臭がつくからである。

この島の生まれである板前見習いの青年柴田に、明日の朝食の用意を指図したあと、勘定場にやってくる大河内「仕入れ帳、ここに置いときます。」

旅館主人 「はぁーいょっ。板さん、お疲れ様。」

 「いいえ。」

「来年になったら、えぇと、プロパンガス言うのんが島にも来るけえ、ちょっとは仕事が楽になると思うけえ、板さん、こげえな田舎でもガスコンロで料理できるようになるわ。」「へい、どうもです、、」

当時の和食の調理は田舎はまだ薪と炭だけである。板前、そばにあった宿帳をめくり、今日、文化船に乗って一緒に来た落語家の名前と住所を見つけ、つぶやく板前「桔梗の間、 東京、、葛飾区、、」 

こっちにやってきて、宿帳を見る女将

「ぁあ、日本髪の女の人と若い男ね。」 奥に座っている主人が言う、

「女のほうは、三味線持っとったから曲師じゃねえんかのぉ?」

「曲師、じゃとしたら、男のほうは浪曲師?」

「天尾さん、講談や落語が好きなけえ、呼んだんじゃろうかのぉ? あの文化船の村上言う名前の人は、天尾さんから連絡があったけど、芸人さんが来るたぁ聴いてねえけどなぁ?」

「浪曲じゃったら、わしも聴いてみてえけどのぉ、」

「これ、見た?」

一枚の紙を主人に見せる女将

「なんなら?」「食堂の屑籠に入っとったけど警察が配った手配書らしいわ、」

笠原港で配っていた、男女二人組の銀行強盗の手配書だ。田舎の旅館は泥棒、指名手配犯、博徒、駆け落ち夫婦、が逃走中に隠れ家に使用し、ほとぼりが冷めるまで居続けることもよくあるので経営者は変な様子の客は宿賃の踏み倒しや自殺などせんように見張るのが普通である。

「あの着物の二人、もしかしたら、、」

「おうおう、めったなこというたらおえんで、」

「駐在に言うてみゅうか?」

「きちんと金庫に鍵かけといてぇよぉ。」

「おお、ぅ、わかった。」二人の会話を耳に入れ、宿帳を返して調理場に帰っていこうとする板前大河内に「板さん。いつものこれ、、」と呼び止める声の方向、仲居の緒方が何か手に持って帳場の前にやってきている、、緒方が持っているのは昨日の客が置いて行った新聞、雑誌の類。受け取る板前大河内、週刊誌を読みながら廊下を歩いて帰る。いつもの光景である。

活字中毒の板前と言うのは珍しい。

 週刊誌表紙 見出し、

『 奄美諸島 本土復帰への道 』

『 冷戦 米ソ 核兵器増産 』

『 小河内ダム、十九年の歳月を経て、都民の水瓶、完成へ 』

昭和三十二年はそのような時代である。


  若い女性、三人の泊まっている部屋


 派手な水着を服の上からつけたりしてわいわい喋っている。

「明日は思いっきり遊っぶでー!」 「よっしゃー!」 「ええ男おるかなー!」 「水着どんなん持ってきたん?」「これー。」「えー!そんなん着るん?」「わざわざ岡山の百貨店に行って買おてきたんよぉ」

「お風呂行こ!」「行こ行こー!」

どたどたと、勢いよく廊下に出て、大きな足音を立て風呂に向かう三人。風呂上り、浴衣の詐欺師野口、と隣の部屋から出てきた女性客三人とが廊下ですれ違う、、詐欺師野口イサオ、三人が降りていく階段の音が小さくなっていくのを聴き、女性客の部屋に入る。物色して財布を拾い、中を見ようとしたが、一人が上がってくる階段の音に気付き、見つけた財布を口に咥えて窓に飛び出し、山猿のように手を伸ばし隣の自分の窓の手すりに飛び、うまく自分の部屋に帰った。十秒ほどの出来事である。

部屋に戻ってきた女、座布団をひっくり返して財布を探す

「あれっ、、財布、どこにおいたかなー?」見渡しても見つからず、首を捻って出ていく女。


  詐欺師の部屋 


 手拭いで隠しながら、盗んできた桜花模様の財布を太く短い指で物色する野口、その手の甲にはいくつもの傷が見える。若い頃からの悪党たちとの付き合いや喧嘩のせいであろう、そして部屋の中でも用心している。旅行の資金を入れている財布なので結構な金額が入っているが、詐欺師には大したことのない金額なので、しけた顔の野口、「まぁ、いい。良い出来の革細工の財布だ。」と、中のお金を取り出して別のきんちゃく袋にしまい込み、自分の鞄の中の、太い輪ゴムで巻いていたドル紙幣の束を解して平らにし、中に入れてカバンに入れた。普通の掏摸なら財布は犯罪の証拠にならないように必ず捨てるのだが、戦後の混乱の自分の経験から、使えそうな物は取って置き、何かの役に立たそうとする性格に変わっていた野口であった。 

その後、手帳に何か書き込んでいる。手書きの笠岡諸島と臼石島の大まかな地図、書き込まれた家々に、〇、△、×と印しをつけている。数日前から島に乗り込んでいて、役人の調査だと嘘を言いながら、島にどんな家があるか金がありそうな家に〇、そうでない家は△×を書き込んでいるのだ。真面目な仕事に見せるため、黒の革カバンに、財布や手帳をしまう野口、他に詐欺だけではない仕事のための色々な道具が入っている。

しばらくして窓の外から聴こえる旅館の食堂から笑い声。

「うるせえなあ、昨日も今日も!酔っ払いの馬鹿どもめぇー、部屋変えてもらおうかなあ、」

酒を飲まない野口、腹が立ってしょうがない。

網戸を勢いよく閉め、扇風機をかける部屋の中、、電灯の明かりが消える。


   旅館の二階、落語家と曲師の部屋


 夜になってもまだまだ暑い。網戸を開けるといつもだと夜風が海から吹いてくるのだが、今日はどうしたわけか、網戸を通り越せないくらい弱い風である。窓の外からは下の食堂の客の軽やかな笑い声がまだすこし漏れ聴こえてくる。 部屋の隅、阿波鏡台の前、日本髪の結いを落とし、長い髪を梳いている篠山桃花。

鏡台は明治の時代から徳島県での生産が多く、そのことで一時代昔は阿波鏡台と呼ばれている。 その光景を薄い布団に横になって扇風機に当たりながら後ろから見ている落語家、三遊亭笑ん馬、落語家が出演する寄席と浪曲師の出演する寄席は別なので、仕事場は違うが、昔に知り合い、四年前から東京の浅草で一緒に暮らす身だ。女の方は籍を入れたいと思い、今回の地方巡業が解散したあと、自分の母に紹介しようと島に連れてきたのだが、母は自分の今の仕事を嫌って、勘当同然の身である。 窓の外に目をやる笑ん馬、 遠く島の灯台の灯が見えている、角刈りの頭の後ろをかきながら桃花に訊く

「どうすんだい、明日、おふくろさんとこ、行くのかい?」 

桃花「うん、」

笑ん馬「、、おれは、、行かなくてもいいよな、、」

「えっ?、、来てよ、、せっかくここまで来たんだから。会わせ、、たいし、、」「、、やっぱりやめとく、」

桃花、残念顔から、この人の性格から、しょうがないか、と言うあきらめの顔に変わり、白い封筒に財布から出した高額紙幣を伸ばして十数枚詰めている。

「あ、そう、、んなら一人で行ってくるわ。」

窓から、そっと夜風が入ってくる

「あ、」 なにかに気付く笑ん馬、身を起す

「どしたん?」「なにか、、火薬の匂い、、」「子供の花火か何かでしょ?」「こんな夜更けに子供が花火なんかするかよ、それと、鉄が焦げた匂いもしたような、、」「港の匂い、って、夜も、こんなもんよ。エンジンの焼ける匂い、油の焦げた匂い、錆びや船のペンキの匂い、、」「普通、夜は山風なんだろう?」「小さな島は海風山風、混ざってるから、、もう寝るわよ。」 「ああ、、。」

窓を半分閉め、灯りを消す。

部屋の中は扇風機の首を振る音だけ、外からは、港の街灯近くにいるのだろう、蝉の鳴き声が、♪ジジジ、ジジジ、と聞こえている。


旅館の調理場、勝手口 外


暖簾下から地面に斜めに漏れている調理場の灯り。 近くで子猫の泣き声がする、その灯りの中へ、板前大河内が魚のアラを混ぜた出汁入りご飯の皿を地べたに置いた。

匂いに気付いた白と茶色の二匹の子猫、待ってました、とばかりにやってきて食べるが、なにかを避けて食べている様子を観て、座って顔を近づける板前大河内。

「おいしいぞ、そこんとこ食えよなあ、魚。普通、猫は魚好きなんだろ?」指でちょちょいと猫の頭を触っていると中からそれを注意する仲居緒方の声がする、

「板さん~、子猫に餌やっちゃダメだって言ったでしょ、旅館に居ついちゃうと調理場に入ってきたら面倒だから。昨日、板さんが留守だった時にそこまで来て、ニャアニャアいうてたんよ。」

大河内、仲居の声の方向に振り向かす、子猫にしゃべる。

「かわいそうじゃねえか、なあ、、。お前らのお母ちゃん、どこいったんだぁ?」「じゃあね。今日は忙しかったわね、、ご苦労様。お先にあがるわよ!おやすみ。」「うん、、おやすみっ。」

調理場から出ていく仲居、緒方。そうしているうちに港方向から足音が聴こえてきたのに気づく大河内、、食べ終わった子猫たちも気づいて足音がした方向を見ると、暗がりから一人の男がやってくる、、子猫たち、反対側の暗闇に、つぃ、と逃げていく。やってきた男が立ち止まる。板前大河内と同じくらいの大きな男だ。男が大河内に小さな鞄を渡す。 中を見る大河内、鞄の中を確かめる。何が入っているのかは見えない。 それと引き換えに客の残した新聞と雑誌の束、リュックで持って帰ったかなりの量の缶詰、瓶詰、外国製のスパイス、食用油、を入れた風呂敷を男に渡している。半月に一度の間隔で、いつも行われていることだ。 大河内に渡した鞄の中身と別に、幾らかのお金が入っている封筒を渡す大男が大河内に訊く、

「牛乳あるか?。練乳缶を頼むの忘れてなぁ。料理に使うだけだから、一本でいいが。」

「ああ。持ってこようか。」 

しばらくして、大河内、大きな瓶に入った、冷えた二本の牛乳を持ってきた。

「何に使う?」

「魚の身を牛乳に漬けた後、ムニエルにする。あとの残りは冷たいスープにでも。」

「そうか。明日、アイスクリームを作る、、そっちの分も作っとくよ。、、今、何人だ?」

「あと八人。」

「そうか。三分の一くらいになったなあ、、」

「今は、あの船を操縦できる者だけだ。他は、移動したのでな。」

「、、で、、全部の移動は、、いつだ?」

「早ければ九月中だ。かなり片付いている。」

「そうか。寂しくなるな。」

「しばらくは留守にするが、また帰ってくるかもしれん。造船所の管理保全もあるからな、この辺の者は、あそこには誰も近づかんだろうけども。」

何の話をしているのか第三者が聴いてもわからない内容である。

「ああ、これ持っていけ、」

 “玉露園 グリーンティー”と書いてある業務用の大袋を渡す大河内。

「かき氷に使っとる。」

「そうか、もらっとく。」

「それから、今、港に移動図書館の、ええと、文化船というのが来ている、洋食の料理本を置いているかもしれん、借りておこうか?」

「いや、いい。 こっちにも結構ある。」

「ああ、そうだったな、、じゃあ。」

「ああ。」

頷いて、荷物を持って港の埠頭に去っていく大男。大河内、見送りもせず、黙って調理場に戻る。 男が消えていった方向も明るくないので見えないが、しばらくして船の灯りが二つ三つ点き、大型船の低いエンジン音、そして動く波音で、沖に出ていくのがわかる。調理場の勝手口の戸がギイと音を立てて閉まる旅館裏、岸壁に大型船が作った波が当たり、岸壁に♪ザブリザブリと音をさせた後、静かになる夜の港、、遠くで子猫の鳴き声。

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