第2話

   瀬戸内 臼石島までの航路 海上

 

 心地良いリズムのエンジン音を奏でながら、ザワッザワッと波を蹴立てて、臼石島へ航海中の文化船「ひまわり」号、操舵室で舵を握っている百目鬼、とその横で双眼鏡を覗いているのは、村上隆史という船専属機関士、その後ろで海図を見ている澤村司書、この三人がこの船の乗務員である。 

百目鬼、「雨がやみましたな」「通り雨のようでしたな。」「後ろの陸のほうで雷が鳴ってますよ。」遠雷が聴こえている。「エンジンの調子はいかがです?」双眼鏡はそのままの村上が口元だけ笑顔で答える。「まったくもって良いです、ええ音出してくれますわ。」「そうですか。」「港の屋台、何か、いい物ありましたか?」「学校への挨拶用のクッキー缶と、いつもの子供への飴、まくわ瓜を買いました、瓜は冷蔵庫で冷やしていますので旅館で切って食べましょう。村上さんのほうは?」 「ええ、線香、ろうそく、バケツ、柄杓です。」「ああ、墓参りで。」「ええ。」 村上機関士の祖先の墓は、これから行く臼石島にあるのだが、そのことは最近になって親戚筋から教えてもらったばかりである。澤村司書、あどけない顔で二人の後ろで書類を読んでいる。「もうそろそろ臼石島の漁船が水先案内に来ることになっています。」「わかりました。」年下の者にも丁寧なあいさつをする百目鬼、やさしい性格がよくあらわれている。

操舵室後ろ、小さなドアの向こうに二畳ほどの船長室がある。

壁に付けられている折り畳み式のベッド、机、椅子、本棚、その上には小さな神棚が祀ってあり、戦時中に勤めていた横須賀工科大学の教え子の記念写真と大学学長から戴いた銀杯一枚が飾ってある。 

濡れて色が変わっていた甲板上の半分、乾いてきてまた元の色になりつつある。

帆布生地の簡易屋根の下には長椅子が三机が二つ、そして笠岡港で積んだ新しい図書が詰まった大きな木箱が六つ置いてあり、甲板に出てきた笑ん馬が火を付けていないタバコを咥えたまま、隙間から本の背表紙の題名を眺めていると、甲板に出た澤村司書が、こくりと頭を下げ注意する。

「申し訳ないのですがこの船では、タバコだけはご勘弁願いします。」

あ、そうか図書のためか、とわかり謝る笑ん馬

「気づきませんでどうも、、ぅお?」

箱の隙間から「江戸落語大全」という題名の本の背表紙があるのを見つけて嬉しい顔をする笑ん馬。タバコの箱を袂に戻し、そこから離れ、相方の女が座っている隣に座ると近くの島の赤土の崖を見つけ、落語「蝦蟇の油」の香具師の口上を稽古がてら、に、小さな声でしゃべりだす

「♪赤いが辰砂、椰子の油、テレメンテイカにマンテイカ、効能は、ようちょう。ヒビ、シモヤケのいっさいタムシがんがさ、ようばいそう出痔いぼ痔だっこうけいかん痔ろうにも効くんだ、おたちあい、」

今の大人でも意味が解らない言葉の羅列だが、この物売りの口上はレコードやラジオ落語でおなじみの三遊亭金馬の十八番で、国民は誰でも聴いたことがある噺である。

笑ん馬の隣に座り、瀬戸内の風景を眺めながら噺のテンポに首を上下にこっくりこっくり動かしている着物姿の若い女、篠山桃花は、久しぶりの帰郷である。目に焼き付いている高校時代の通学路の風景、あの島の岬が観えたら、次の島は銅の精錬工場の煙突、そして島の灯台、全てが懐かしい。

操舵室から左舷前方海上、島々の合間から真っ白い巨大な客船が見えてきた、二本の大きな煙突から薄い黒煙を吐いている。双眼鏡を覗いている百目鬼が村上に訊く、

「大きな船ですなぁ、外国の客船でしょうか?」

村上機関士に双眼鏡を渡す、船首に書かれている船名にピントを合わす村上が読む、

「ぶ、ら、じる丸、、神戸から出港した日本の移民船ですな。」

「続いていますか、、邦人のブラジル移民、、」

「ええ。でも、そろそろ国家事業としては終了するという噂です。昨日の海事新聞に載っていました。」「そうですか。」

「神戸港には、国立移民収容所と呼ばれる施設がありまして、収容所と言っても移民する日本人たちの滞在所で、戦前に一度、仕事で中に入ったことあります。家、土地、家財道具を処分し、遠く田舎から出てきた人たちが百人規模で過ごせる大きな施設で、一週間ほどそこで暮らしながら、ブラジルでの農業の勉強や、予防注射や生活物資を用意するのですよ。」「ほぉ、、」

「所内の部屋は、移民船の長い生活に慣らすため、船の部屋の大きさと同じに作られていました。山の中で育った小さな子たちは、生まれて初めて村を離れ、汽車に乗り、初めて海を見、初めて船に乗ったその時、故郷に二度と帰って来られない旅、と思うと、なんとも感傷的になりましてなあ、」

低音で長い汽笛を鳴らしながら遠ざかっていく移民船を見ながらの二人、ほとんど同時に同じ歌を唄いだす、戦前に巷で流行ったブラジル移民奨励の唄だ、


『♪行けや同胞、海越えて~、南の海やブラジルのぉ、

未開の富を開くべき~、♪これぞ雄々しき開拓者~、、』


文化船、後甲板には救命ボートと新品の原動機付き自転車を荒縄で二本の柱に縛り付けてあり、その燃料口から中を覗きこむ澤村司書。

「ぁ、満タンだ、村上さんが入れといてくれたか。」

そのすぐ脇で篠山さくら、が遠くを指さしながら笑ん馬にしゃべっている、「もうすぐじゃけぇ。あっこの左の島の灯台を過ぎたら見えて来らぁ、私の生まれた島が。」

「え、ええとぉ、、なんてぇ島?」

「ん、もう!なんべん言わすんで!臼石島じゃ言うたがっ。」そんなに喧々怒らなくてもええのに、と思っている笑ん馬。澤村司書が篠山桃花の持っている三味線を見ながら、隣の笑ん馬に尋ねる、

「島へは、演芸のお仕事でございますか?」

「いえね、北九州を廻っての巡業が終わって東京への帰り、ちょうど、うちのコレが何年かぶりに生まれ故郷に帰えってみてえ、ってことで、一座の皆と別れまして私ら二人だけでこっちに、ぃいえ、私はこいつの荷物持ちで付いてきただけでして。」 横で、こくっ、と顔を下に動かして、澤村司書に笑顔で挨拶する篠山桃花。

外に出て長椅子に座ってきた女性観光客三人、たいした揺れでもないのに、船酔いでグタッとしている。 村上機関士が操舵室のラジオのスイッチをひねると外に繋がれたスピーカーからもラジオの音が流れる。高校野球甲子園大会の実況生中継が聴こえてきた、満員の観客の声援に掻き消されないよう、絶叫しているラジオアナウンサーの声。

『、、春の選抜優勝では大活躍でした早稲田実業高校の王貞治投手、。そりゃーもう、なんと申しましょうか、先日の寝屋川高校との試合では、ノーヒットノーランを達成いたしました、無安打むそれも延長十一回でのノーヒットノーランは史上初です、さあ、大きく振りかぶって、第二球っ、投げました、ストライークゥ! 』

“~何と申しましょうか~”、は、戦後のプロ野球の興行再開の立役者の一人、小西得郎が、ラジオで試合の生中継の解説中に使用して名物になった言い方で、他のラジオアナウンサーや解説者も野球中継で存分に使い、当時の寄席の芸人や政治家も街頭演説で使うくらい流行った言葉である。

操舵を村上機関士に代わってもらい、百目鬼も甲板に出てきて乗船した一人一人に挨拶をする。大河内のそばに置かれた木箱の中の一升瓶、「赤酒」と書かれたラベルが気になり眺めながら大河内に質問する酒好きの百目鬼。

「すいません、赤酒と言うのは、こりゃどこの酒ですか?」

「いいえ、これは酒じゃなく、九州で作られている特殊な味醂です。これを煮物に入れると普通の味醂より魚や肉が硬くなりにくいのです。船長さんはえらく酒を知ってますな、相当、いける口で?」

「ええ、まあ、、最近の、岡山の酒はどうです?」

「味は灘や伏見の酒よりも、甘くて濃いですが、この地方の味として楽しめば美味しいですよ。」

和食の料理人は、調味料として味醂も使うが日本酒のほうはもっと量を使う。日本酒を理解し、旨い酒をどのように使うかで、その板前の腕が試される。だから下戸な板前はめったにいない。

「そうですか、港で酒を買ってくりゃ良かったなあ、あの、島では売っていますか?」 「お泊まりはどこです?」「ええと、」

ポケットに入れている手帳を開く百目鬼、

「、ま、ち、ほ、そう、、」

「そりゃうちの旅館です、、島じゃ一番大きな旅館です。、、じゃあ一番良い酒をば、用意しておきましょう、お名前は?」

「百目鬼と言います」「わかりました、呑ん兵衛の百目鬼さん。」

「ははは。」「うはは。」

海上遠く、一隻の漁船が汽笛を鳴らしながら近づいてきた、漁船の乗組員が長い竿竹の先に小さな旗を付けたものを振っている、もうひとりの漁師、古風な茶色のメガホンで叫ぶのが聴こえる。 

「ひまわり号さーん、臼石島から迎えに来ましたけー!。」わかったと言わんばかりに文化船の汽笛も勢いよく返事を鳴らす。



  臼石島 港


 港全体を鍬形に囲んでいるの灰色の石を重ねて造られた波避けの突堤が二本、その中に侵入すると三本の埠頭が見えてきた。左の埠頭は連絡船への乗客用のために屋根が先まで伸び、右の埠頭は、沢山の漁船が停泊し、港の倉庫まで魚を運ぶ作業台用のレールが見える、真ん中の埠頭は、小さな貨物船が一隻停泊しているだけで空いている場所、漁船からの指図でそこを目がけて舵を取る文化船、甲板から見えてきたのは

『ひまわり号さん 臼石島にようこそ! 』

と大きな白い布に子供の字で書かれた横断幕であった。 

その場で飛んだり跳ねたりして手を振っているたくさんの島の子供たちと共に、数名の大人たちが横断幕の後ろにずらっと並んで立っている。午前中に来る予定の文化船だったが、到着にあらく遅れていたので、今か今かと待ちかねて、島の子供たちはその喜びの表情に跳ね返っている。 

子供たちの笑顔が文化船に乗っている者たちを一斉に笑顔にさせた。

「接岸しま~す、」エンジンを途中で停める村上機関士、惰性で航行し、舵だけ動かしてゆっくりと接岸する。軽い音と共に接岸の文化船、澤村司書、埠頭に船の甲板からマニラロープの舫(もや)いを投げる。それの先を取ろうとする大人に混じり、丸坊主の男の子、おかっぱ頭の女の子たちのにぎやかな声と拍手と中、船から埠頭に板を渡し降りてくる百目鬼、船長帽をとって脇に挟み、近寄って来た大人たちに、笑みを浮かべて挨拶する、

「はじめまして。 わたくし、瀬戸内文化船ひまわり号、の船長と船内図書館の館長をしております、百目鬼と申します。どうぞよろしく。」

子供たちから拍手が起こり子供たちの後ろからリアカーを持ってきた開襟シャツの初老の男が笑顔で近づいてくる。

「ようこそ臼石島へ。私がこの島の小学校で校長をしております、山崎、と申します。連絡があった通り、リヤカーを用意しておきました。」

「ありがとうございます」と会話している二人の挨拶の間を潜って、先にそっと船に乗ろうとするやんちゃな男の子、スカート姿の若い女教師に後ろから襟をつかまれ、引き戻される、

「こぉーれ、ここへは入っちゃおえん!本は学校のほうに持って行ってからっ。」 まあおだやかに、という笑顔の百目鬼と澤村。 

文化船、船内図書室のすべての書架は波の揺れで落ちないよう一段ごと奥に向かって傾斜して作ってあり、さらに、書架の手前を端から端まで細長い木の板で止めてある。港に接岸し、その板を外している澤村司書。船を降りていく臨時の乗客たちが百目鬼に丁寧にお辞儀していく。

「甲板とそこの渡し板が濡れてますから足もとにお気をつけて」百目鬼が言いながら、一人一人に手を差し伸べる村上と澤村。

最初に降りて長い埠頭を小さな旅行鞄と三味線を持って港の旅館目指して歩いていく篠山桃花は九年ぶりの帰郷である。いったん止まり、ぐるっとまわりを眺めながら思いきりの背伸びと深呼吸、

「あーっ、、久しぶりじゃー、港は、ぜーんぜん変わっとら、、ありゃ、あれどしたんで?旅館が、でぇれえ綺麗になっとるが!」その後ろ、重たそうに大きな旅行鞄を持って歩いていく笑ん馬、そして船酔いで、フラフラしながら観光客三人娘がその後に続く、

「旅館、、旅館は?」尋ねられ指さす子供。「あっちじゃー。」

「はい、、はい~~、、」 

この港は、近海では小豆島土庄港に次ぐ大きさで、夏には海水浴の観光客で賑わう海岸もある。

江戸後期から続く、漆喰で留めた瓦屋根の家々と共に、旅館、商店、連絡船の待合所があり、そこから離れた岸壁には島の漁船に混ざり、近隣の島の漁船も停泊し、奥深くに大きな製氷機が見える魚の仕分けの作業場、倉庫とクレーン、三輪トラック、自転車、大八車、埠頭から待合所に歩く途中には港の地図と共に海水浴場への案内の看板、旅館や海の家の宣伝看板がいくつかあり、その合間合間から見える山の中腹には民家に混じって黒塀の小学校校舎が見え、もっと遠くの山の中には寺らしい大きな伽藍の建物、その手前は段々畑、山の頂きには大小の茶色の岩群が見えている。 

沖の方からゆっくりと潮風が吹いてきた、今年の夏の暑さを少し忘れさせてくれる気持ちの良い風だ。 甲板にある図書専用木箱を持ち上げる澤村司書。

「よっこらしょ」と甲板から幅の広くて分厚い一枚板を埠頭に渡し、原付バイクを降ろそうとする村上機関士と百目鬼、その三人を手伝う島の大人たち。

校長が持ってきたリヤカーの持ち手とバイクの荷台の金具を鎖でしっかり繋げ、本の入った木箱を積んでいく。百目鬼は土産のクッキー缶と飴を自分の持ってきた布袋に入れ、そこに一緒に積む。跨いでエンジンをかける澤村司書、軽快な排気音、バイクの後ろにやってきて青白い排気ガスが出てくる先っぽを眺めている子供たち。綺麗に磨かれた排気管に自分たちの顔が綺麗に映っている。

「ピッカピカじゃのぉ。」「サラピン(新品)じゃ。」「ほんまじゃのぉ。」 

手伝う板前に百目鬼が言う、

「その大きな荷物、本の横にどうですか?そこに空きがありますから運びますよ。」「いや港のガタガタ道をリヤカーで走って一升瓶が割れ、本が汚れでもしたら大変ですしね。」 

頭を下げ、リュックを担ぎ両手いっぱい荷物を持って、すいすいと桟橋を下駄で歩いて行った板前を村上と澤村が感心しながら見ている。

「力持ちだなあ。」「、、ですねえ。」

最後に女子高校生が降りようとしてッ澤村が手を差し伸べた。 丁寧に挨拶する女子高生、

「どうも、ありがとうございました。後で本を見せてくださいね。」

「いえいえ、どうも、、ああ、小学校にも沢山運びますから、そちらにもどうぞ、、」美人の女子なので、少し照れる澤村司書。 と埠頭を急いで走っていく後ろ姿を見送る百目鬼、、その前に一瞬見えた、「瀬島」という名札、「瀬島、、瀬島、あ、そうだ!」 

戦時中自分の勤めていた大学の教え子から大事に預かっていた本の中でまだ返却がまだである生徒の一人がこの島の出身の「瀬島」という名前のことを遅れて思い出した、、しまったなぁ、んん、学校で聞いてみればわかるだろう、とその名前をいったん心の中にしまう百目鬼であった。

リヤカーに載せた箱の隙間に入って座る百目鬼が笑顔で周りの子供たちに小学校の行先を訊く、

「学校には、どう行けばいいのかな?」子供がみんなで指さす方向に小学校の焼き板校舎が見えている。

「あそこ!あそこがわしらの学校じゃあー」「すぐそこじゃけえ。」「わしらぁが先に走るけぇ、付いてきたらええよ。」

ゆっくりと走っていくリヤカーバイク、その先を走る子、後から追いかけてくる子たち、「そこの道曲がって、まっすぐじゃー!」 

笑いながら走っていく子供たち。その様子を、港の岸壁に座っている老人が、底の抜けた竹製の柄杓の柄を一本持って器用に指先を使いクルクル回しながら笑顔で眺めている。島一番の古老、ゲン爺である。

そのゲン爺に島の若者がふたり近寄って来た、後に騒動を起こす、寺田敏郎と幼馴染の仲原である。

「暑ちいのぉー、ゲン爺~。」「爺さんの好きな、柄杓を配る季節になったでぇ、、子供の頃のように、わしらにぁタダで分けてくれんかのぉ、」

「おお、ええでえ、今年は去年より、ぎょうさん作っとるけえのォ。」

「爺さんょお、舟幽霊が見えるお面、まだもっとんかぁ?」

 「おお、ここにもっとるでぇ、、」 

真っ二つに縦に割れて半分だけの能面を着物の袂から取り出して見せるゲン爺、自分の顔に寄せて、若者二人のほうを面の目から覗く

「ほぉ、おまえらの後ろに、おるでえ、血みどろの顔の落ち武者が八人。」

「うわーぁ、怖えーのぉ。」「うはははっ!」

ゲン爺、歩いてそこを離れる。年寄りの言った事など馬鹿にして全く信用していない若者二人が呟く。

「そがあなもんが、おるわけねかろうが。」「のお。」

そこから、遠目で文化船を観ている仲原、

「敏ぃ、あの本を積んどる船、後から行って見ようかのぉ?」

興味のない顔の寺田敏郎、「わしゃあええわ、、わしゃ真面目なんは、すかん。せえより、おめえ、それどころじゃねかろう?」

「ああ、そじゃった、、」

この若者たち、なにか共通の問題を抱えているようである。


リヤカーバイクが進む、島の路地


瀬戸内に面した県は戦争末期、大規模空襲を受け焼野原になった都市が各地にあり、まだその戦禍からの復興中ではあるが戦禍を免れた小都市や離れ小島の町は、戦前の姿そのままで、人々の暮らしにも明るさがあった。これは日本の復興のために物資、食料が地方から大都市に運ばれ、人も動き、地方の経済のほうにも余裕が出てきたためである。ここ臼石島は普段でも瀬戸内を通る九州や四国からの貨物船の停泊地に使用され、他の港と共に賑わいがある。 お盆は帰省客が行き交うその港の路上をバイクが進んでいく途中に駐在所が見える。小さな島にしては、すこし大きな造りの建物である。駐在所の近くにある役場跡の前に立つラジオ塔スピーカーから高校野球中継のラジオの音声が聴こえている。

ラジオ塔と言うのは、戦前から日本各地にあり、人の集まる広場や公の場所に当時の軍事政権政府がラジオを使って国民統制を啓蒙するために作られた大きな建造物であった。戦後になって国家は使う事が無くなったが、僻地ではまだ重要な情報発信の役目や昼間のNHKラジオニュースを放送するために使用され、その後、テレビが普及し始めても、日本の農村漁村では屋内外での仕事をする人々が聴く有線放送業務に変化し昭和五十年代まで続いていた。


駐在所の中、ギーィシ、ギシ、ギシ、と首を振りながら回っている真新しい扇風機の前で座って若い警官鈴木が一人新聞を読んでいる。地域社会面、『岡山県の島を巡る文化船活動 』の小さな記事に目をやる。

「ふぅーん、、今日来た船、、積まれた本が三千五百冊か。」

警官のいる部屋の一番奥には古い形の留置場鉄格子の近くの壁には鍵束が吊ってある。玄関の鍵、書類棚の鍵、引出しの鍵、そして牢屋の鍵。部屋の中と、入り口そばの掲示板には、全国指名手配犯人の貼り紙。


『 柏原 寛一 二十五歳 東京人形町出身、府中刑務所脱獄、拳銃所持し女連れで逃走中 』


『 関 良次 北海道出身 五十代 大学教授を装い裏口入学詐欺二十数回 』 


『 野口イサオ 四十三歳 住所不定 土地取引詐欺 公文書偽造 金融詐欺、 前科八犯 』 


『淀川 吾一 四十八歳 台湾生まれ日本人 戦前海軍技術将校時、ドイツ公債を偽造印刷し、各国銀行で換金、大量の金塊を奪取、各国警察から指名手配、 戦後 行方不明 』 


島の狭い路地


回覧板と蚊取り線香の箱を持っているエプロン姿の御婦人が、狭い幅の石段を登って行く。路地の突き当り、家の庭に通じている庭から港が一望できる一軒家、その表郵便受けの札には「西矢」と書かれてある庭に入り、大きな声。

「西矢さぁーん、蚊取り線香と回覧版じゃぁ、こけぇ置いとくけえー。」

「あー、すんませんのぉー」、

遠くなるサンダルの音。しばらくして家の女、奥から玄関に出てくるが誰も見当たらない、ので、庭の見える部屋の縁だなに置かれた回覧板を手に取る。

 回覧板の裏面には、化粧品、携帯用トランジスタラジオ、、漁船の小型エンジンのカラー広告が見えている。達筆な字で書かれた連絡文を読む女。


『 八月十八日まで、移動文化船「ひまわり」が港に停泊いたし、書籍を二ケ月間、借りられます。船の中では雑誌も読めます。暑い最中ですが、文化船と小学校講堂に、どうぞお越しください。(注 雑誌の貸し出しはできません。)

十三日の夜には港で移動映画を開催します。 』


上映映画  (雨天の場合 次の日)

島倉千代子(歌手) 主演 「東京の人さようなら」 

怪獣映画 「ラドン」 (総天然色映画)


もう一枚、連絡用紙が下に挟んである、


『 港市場組合の方々へお知らせ

八月一三日 昼、待帆荘二階広間で商店街アーケード建設説明会が開かれます。皆様お越しください。』


小学校の校庭


遠くから快いエンジン音が聴こえてくる、リヤカー付きバイクが坂を上がってきた。「わーぁい、学校に本屋が来たー。」「本読めるでぇー。」

後ろからやってきた学校の生徒たちの声援。「本屋と違うで!、図書館!」後からやってきた校長先生が注意する。学校の講堂入口にバイクを停める澤村司書。待っていた大人たちと大きな子供たちも混ざって、大きな本は一冊ずつ小さな本は二冊、三冊重ね、リヤカーから降ろして講堂に並べた机の上にバケツリレー風に本を運んでいく。講堂の窓の外からそれを眺める小さな子供たち、外から窓枠を掴んで、ぴょんぴょん飛んでいる低学年たち数人。手伝いに来ているお母さんお父さんたちが背表紙を見ながら、嬉しそうに机に本を並べていく。渡していく本の表紙を観ている島の人たち、

「ふーん、こげぇな本があるんじゃのぉ。」「あとで借りてみようかのぉ。」

「こねえにぎょうさんの本見るん、島じゃ初めてじゃあ。」「さっき持て行ったの、綺麗な写真の料理の本があったでぇ」若いお母さんの声もする。講堂の中、外から見ている生徒たちに手を叩いて呼ぶ女教師、

「はいはい、入ってもいいよー!」生徒、一斉に講堂入口から、本のテーブルまで走っていく。校長が子供たちにまた注意する声、

「きれいに手ぇ洗ろうといたんかあ!本は借り物じゃからのぉ!汚したらおえんで! ハイ、気を~、つけっ!」 

子供たち、「はい!」「はい!」「わっかりましたあー」満面の笑み、講堂の隅に座り込んですぐに読んでいる子供もいる。

「わしが先じゃ」「わしのほうがさきにみつけたんじゃ、」

一冊の本を取り合いする子供らに一喝する校長。「こおりゃあ!」

テーブルの端に座って、貸し出しカードが入る整理箱とノートを置き、てきぱきと貸し出し手続きの用意をする澤村司書はそれでも笑顔である。 すべてを眺めながら、うまくいっているのを確認し、バイクのほうにいったん戻ろうとする百目鬼に校長が近づいてくる。

「百目鬼さん、お疲れですが、お伝えたいことがありますので校長室へお越しくださいますか。」「はい、わかりました。あ、これ、皆さんでどうぞ召し上がってください、」クッキー缶を校長に渡す百目鬼。

「ほぉ、洋菓子ですか、クッキーですな、これは珍しい物を、わざわざありがとうございます、」

喜ぶ校長の近くで、クッキーって何だろう?と、興味を示している子供たち。


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