第8話

アライヤが車体をくねらせ一気に加速する。モニターには市街地上空が映っている。


「待て、そっちは市街地だ。アドリエンヌは追ってきてもおかしくない!」


 市街地上空には、プロペラでホバリングする標識と、ドローン落下防止用の超硬度ネットが浮いている。一定以上の重量を持つドローンは、市街地上空において、このネットの上しか飛ぶことができない。

 だがアライヤは、明らかにそのネットの下を飛び抜けようとしていた。

 俯瞰モニターには黒い弾頭に少し遅れて、赤い閃光が追ってきている。


『住民の退避は済んでるんだろ?』


 アライヤがショットガンを抜いた。おもむろにネットを支える飛行ドローンへ射撃を加える。立て続けに三機も撃ち落とし、車体へ銃身を突っこんだ。両手ハンドル。唸りを上げて加速していく。


「バカっ! 市街戦になるぞ!」


 超硬度ネットが、火を噴くドローンの落下に合わせて勢いよく落ちてくる。逆さ吊りで見る高波のような影が近づく。

 アライヤが背中を丸めてさらに速度を上げた。

 何かが擦れる音を残して市街上空へ飛び抜ける。


『っしゃあ! 見ろよ、撒いてやったぜ。時間と距離は稼いだ。博士は地図を広げて指をさすんだ。そこで戦う』


 確かにアドリエンヌは巨大な投網を迂回している。直線距離がみるみる離れていく。

 慌ててマップを開き、広々とした空白を指差した。ショッピングモールが丸々入りそうな面積の、木々の彩る自然公園。

 全身に浮かんだ嫌な汗を、溜め息で忘れる。


『よっしゃ、そこな。はやく勝手を飲みこんでくれ。アタシは無駄に起こされたばかりか、無駄にスクラップになりかけてるんだ。そう簡単に手段を選んでやんないよ』


 メインストリート上空で、アライヤがペダルを蹴り上げる。車体下部に車輪が突き出す。左右四枚のプロペラも兼ねた、二輪もどきの四輪だ。一見すると分厚い二輪と思ってしまうが、カーブの際には車輪の左右が上下に滑り、二輪のような駆動を見せる。

 奇声をあげて無人の大通りを疾駆するアライヤは、博士の目にも軍属には見えない姿だ。


『博士! 奴の死に様はどんなだと思う?』


 口が勝手に答えていた。


「粉微塵だ」


『得意なやつだ。任せてくれや。だが動きを止めなきゃ時間がかかるな』


 アライヤのなんてことない一言に、身体中をアームに掴まれた肢体を思ってしまう。顔中に広がる熱感を、袖で拭って誤魔化した。

 頼もしい声が、違和感のある慎重さで尋ねてくる。


『博士、後輩の構造は頭に入ってるんだが、ちょっと分からないことがある。人間なら筋肉と肌の間を、脂肪が埋めてるわけだ。だが連中は筋肉がわりの機械の上にプレートってのか? 輪郭を保つための硬い殻があって、その上に人工皮膚が覆ってるって理解で良いのか?』


「そうだ。それがどうしたんだい」


『で、アドリエンヌは……。なるほど? あいつは首を通すローブとロングスカートを穿いてるわけだ』


「だから、それがどうしたんだ! 教えてくれ。なにか助けられるかもしれない」


 アライヤは低く押さえた声で、突き放すようにこう言った。


『聞かないほうが良いさ。にしても虫ってのは意外に速い。もう食いついてきやがった』


 黒いアスファルトが砕けて舞った。ガトリングの発砲音は、ひどく近い。

 森林公園に乗り入れたアライヤは、蛇行しながら中央広場へ突っこんでいく。

 縦長の十字架に似た空間で、交差の中心には背の高い噴水が立っていた。塔を模した先端が、白い水を四方へ散らしていた。

 車体の端に弾丸が跳ねる。アライヤは突然、シートへ片足をかけて宙へと舞った。

 飛んできたアドリエンヌが、視界の真ん中に大写しになる。博士の胸にどす黒いものが膨れた。

 

『おっしゃ、いけるぞ!』

 

『貴様、意地の汚い真似をやめろ!』


 足を腰に巻き付けて、アライヤはアドリエンヌの頬を殴打した。腕をたたんだ至近距離から、左右の肘を何度も打ち付ける。


『無駄だ。我々に痛みなど! 旧世代は人殺しもする時代だったか!』


 目まぐるしく動く視界で、アドリエンヌの人工皮膚が剥がれていった。剥き出しの鈍色の頬を、迷彩柄の肘が打つ。

 俯瞰モニターに視線をやると、二人は噴水の真上に飛んでいた。


『しゃべりかたがムカつくんだよテメェ!』


 アライヤが足がらめにアドリエンヌのロケットの向きを狂わせた。

 車体を操る強靭な下半身が、アドリエンヌから揚力を奪う。

 回転しながら落下する二人は、色の混濁した塊に見えた。


『貴様に言われる筋合いは……』


 アライヤの視界が突然激しく揺れた。硬いもの同士がぶつかる音が響いた。アライヤが一足飛びに十メートルも後ずさる。

 動きを止めたアドリエンヌが、噴水の頂上で身をよじっている。


「アライヤ、これはいったい……」


『単純だよ博士。ボディと皮膚の隙間にさ、噴水の頭ブッ刺しただけ。スカートめくってケツのあたりを叩きつけてやった。スカートの端子と肌の側の接続口に、多少の異常が起きてるかもな。なにせ噴水だ。殻にヒビでも入ってりゃ最高だ』


 アドリエンヌが、羽虫のように手足と装衣を動かしている。食いこんだ噴水の頭は、装衣に押さえられて抜けないようだ。人工皮膚と違って、あの装衣は生地に金属製の繊維が編みこんである。

 ほの暗い喜びが胸に広がり、カスミの微笑が脳裏をよぎった。喪失感とも達成感とも言いきれない、空虚な温もりが腹を満たしている。


「頼んだ、アライヤ」


 アライヤの横へ、黒い騎乗ドローンが身を寄せてくる。シートが自動で上に開いた。アドリエンヌを見つめたまま、両手を突っこんだ。

 三十センチ口径のバズーカを二本取りだす。コンパクトにまとまっていた銃身が、自動で伸びて発射態勢を作った。人間の骨では発射にすら耐えられない威力のバズーカを、片手持ちの二丁拳銃。


 砲口を向け、アライヤが謳う。


『ハーイ、アドリエーンヌ。アタシら第三世代の異名を言ってみろ』


『……戦車界の体操選手か』


 アドリエンヌがようやくスカートをパージする。しかし噴水の尖塔と腿の辺りにまとわりついて、離れることができない。スカートは濡れていた。機体内部にも浸水しているようだ。そうでなければ、ロケットで無理矢理退避できたろう。

 アライヤの背すじは伸びたまま、正面へ倒れこむ。砲身だけが敵の方向を向き続けている。

 地面すれすれまで傾いた瞬間、トリガーが弾かれた。

 強烈な反動に背中が一気に浮き上がる。その場でバック宙までして着地した。それでも殺せなかった反動を、トントン跳ねてゆっくり殺す。


 めちゃくちゃな発射姿勢ながら照準は誤らない。太い白煙が一直線に伸びていく。

 ようやく白い脚をさらしたアドリエンヌは、憎しみの滴る声で叫んだ。


『やかましい老兵の……』


 言い終えることなく赤い装衣は、橙色の爆炎に呑み込まれた。

 煙が落ち着くと、そこには焦げた鉄屑と噴水の残骸が転がっているだけだった。壊れた池の端からは水が一斉に公園の土を黒くしていく。


 近代戦車は、車体に生まれる反動を殺しながら、砲塔側を固定する方向で進化した。

 アライヤたち第三世代アンドロイドは、それとは逆に、反動によって砲身が揺れる前提に立っていた。結果的に着弾点を外さないことを重視したのだ。

 桁外れの演算能力を有するアンドロイドだからこそ可能な設計だといえた。


『なあ博士、悪いけどさ。アタシにだって最新鋭の時代があったってわけ。舐めんな坊ちゃん』


 アライヤの視界に、丸い塊が落ちてきた。鮮明な映像はそれが何か誤魔化してはくれない。

 高々と弾け飛んだアドリエンヌの丸い頭部が、白い水柱を立てて池に沈んだ。


『あの女にしちゃ雅な最期だ』


 第三世代は、暴動発生以降、諸事情から凍結されてきた。実戦というよりも、総力戦を想定した大火力は、万一にも暴走されては困るのだ。第三世代は中隊規模でも大都市を火の海にできてしまう。


 アライヤの強さに対する感嘆も、博士の胸には虚しく流れた。


 背もたれに体重を預け、目をつむった。

 好きな食べ物を聞く声が、静かに頭の中で響いた。メンテナンス中に揺らされていた、下肢を思い浮かべる。

 現実はその感傷を許してはくれない。


『さあ、問題は帰り道だぞ。こいつ一度停めると、なかなかスピード出ないから』


「待ってくれ、高原の工業用……」


『アタシは戦車だ。あんなの寄り道みたいなもんだろ。こっから先はもう、帰路なんだよ博士』

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