第7話

 敵討ちをさせてくださいと書いたのがまずかった。

 博士は上役から返ってきた書面に目を通し、目の前が暗くなるのを感じた。端末の画面を落として不愉快な文字列を見えなくする。顔を手のひらで覆ってから、まだ足りずに端末の電源を落とした。

 博士のもとに、第四世代が送られてくることは、もうこの先数年無いだろうと思われた。

 先輩らの担当アンドロイドが撃破され、カスミは慎重に育てられた個体だった。容易な戦場からゆっくり慣らし、アドリエンヌとの対決を迎えた。それが、先日の完敗に終わった。

 何より、博士自身、頭の片隅で自覚している。オペレーターとしても、修理役の研究者としても、感情的になりすぎている。

 人災を起こすのは感情の波だ。博士自身、自覚している。




 担当アンドロイドが撃破された研究者には、数日の休暇が与えられる。博士はそれを、シャワーも浴びずベッドに横になって過ごした。

 カスミの出撃前に、必要な情報をまとめ、破損しうるパーツの予備を倉庫に問い合わせ……そんな繰り返しに自覚のない疲労が溜まっていたようだ。

 そんな博士の部屋に、訪れるはずのない来客が現れた。

 作業台と同じような、大きな運搬台車。それが勝手に開いた扉を避けて、静かに滑りこんできた。


「あ……」


 博士は慌てて連絡端末の電源を入れた。そこには上役からの連絡がいくつか届いていた。

 最新のメッセージには、ちょうど今日この時間に、新しい担当アンドロイドが送られてくると、記されている。手早く謝罪と了承、受領の返信をして、博士は運搬台に振り返った。

 そこには一八〇センチ近い身長の、女性的なフォルムが横になっている。カスミとの違いは、その体型だろうか。

 全体的に細身で小柄だったカスミと異なり、目の前に横たわるアンドロイドは、腰回りや胸元が大人らしく張り出している。下世話な言いかたをすればグラマラスな体型ではあった。

 運搬台の端末に、起動を指示する。

 

「第三世代? 凍結が解除されたのか」


 カスミよりも一つ旧式の、陸戦型戦闘用アンドロイドだ。

 すでに生産を終了している国や地域も多い。何より諸事情から、配備されていた機体に関しても、暴動の頻発以降凍結されていたのだ。

 透明だった長髪が、赤く色づいていく。博士の脳裏にアドリエンヌの赤い装衣が思い浮かんだ。

 顔を顰めて、運搬台の下部から、新担当の戦闘用装衣を取り出し、作業台へ広げた。

 金属繊維の織り込まれた、華のない迷彩柄。ジャケットとパンツは変形機能のない代わりに、丈夫で重いものだった。


「……おい。話が違うぞ」


 剣呑な声を背中に浴びて、博士は振り返った。

 カスミに比べると、かなりロボットらしい駆動音が響いた。肘もつかず垂直に身体を起こした彼女は、黒い瞳の奥に露骨なカメラアイを据えている。瞬きの間にもフォーカスの開閉が覗く。


「話が違うというのは……。初めまして、私は」


「博士だな、あんた。目ぇ覚めたとき近くに立ってる奴ってのは、知ってる限りだいたい博士だ。あー……照合した。いつの間にか管理者になってやがるってことは、あんたがアタシの博士ってことだ。なおかつ知らねぇうちに、必死こいてブチ上げた平和ってやつが吹き飛んでると。じゃなきゃアタシを呼びださねぇもんな」


 第三世代の彼女はゴトンと重い音を立てて床に立ち上がった。踵で運搬台を蹴る。カスミとはまるで違う気質に、博士は戸惑った。

 もちろん博士も事前知識は備えている。第三世代はカスミたちと異なり、超小型のスーパーコンピューターに、必要程度の知識体系を搭載した独立型の人工知能だ。各分野の博士号程度の知識を持ちながら、それと性格に相関はないらしい。気性には第四世代以上の個性があるという。

 もっとも、科学的にいうのなら、AIらしい非人間的な発言を、個性として誤魔化すための変質ということになるのだが。外部サーバーに頼る第四世代の演算に比べ、一見するとコミュニケーションに難がある。


「んっと、大変だったんだからな。錆止め塗って海の底駆けずり回ったこともある。なんだよ、次の紛争戦争は、もう後輩の仕事と思ってた。まあまあ気持ちよく寝たんだぜ」


「それはそれは、申し訳ない。我々が至らなかったせいで、迷惑をかけるね」


 赤髪をかき上げた彼女は、乳房を模した膨らみを開いた。心臓部を守るための分厚い装甲を、人間らしいフォルムにまとめたデザインだ。

 肌を開いて内部構造を目視で覗き、モーター駆動を確かめる。

 三角筋、大腿筋と、全身を開いては自分で確認していった。

 博士は手持ち無沙汰に苦笑する。第三世代は、いろいろな意味でタフなのだ。彼女は一歩、博士のほうへ踏み出し言った。


「アライヤ。第三世代ことAJ73型、アライヤだ」


 立ち上がったアライヤに手を差し出すと、邪険に払われる。迷わず迷彩服を身に纏っていく。機嫌が悪いのか、そういう性格なのか、まだ博士には分からない。


「何を潰すんだ。まさか迷子の子猫探しじゃねぇんだろ。それならアタシ、月面だって探しに行くけどな。お前らよりもよっぽど可愛い」


「それは追って連絡する。おそらく今日は起動の……」


 研究室にアラートが響いた。出撃要請のメロディは、カスミがいなくなったことで変わっていた。管楽器の重厚な音色が印象的な、勇壮そのものという音だ。


「さっそく連絡に追いつかれたぞ。アタシは何をすりゃ良いんだ」


 博士は端末を開いた。そこには、予想外の指示が表示されていた。全身の血が、沸騰するような感覚。

 アライヤの剣呑な揶揄がかけられる。


「おっと、未読データがあるな……はぁん? インストールされたデータも確認した。なあ博士、前の女を忘れられない人間は、肉にも鉄にもモテないもんだぜ」

 

 博士は痛むこめかみを撫でながら、アライヤにうなずいた。


 アライヤが空をすっ飛んでいく。第三世代は単独飛行ができない。しかし、人間には扱えない飛行用のドローンは開発されている。

 真っ黒い機体にまたがりながら、ふてぶてしく背すじを伸ばした姿が映る。俯瞰モニターにもその姿はよく目立った。

 巨大な風防はバイク以上にワンボックスの頭に似た大きさだ。銃火器を扱うスペースを確保するため、ハンドルは長く掲げ持つような高さ。タイヤ兼用のプロペラは、今は車体下部に大人しく収まっている。

 車体後部で青い火を噴くロケットが、不安定とも荒々しいとも言いかねる勢いで、アライヤを空へ放り上げている。


『こいつに乗るのは編隊規模が一番楽しいんだよ。ドローンの速度でゆっくり浮かんで、ロケット吹かして加速していく。侵攻地区に着いたらタイヤを出して一気に地上に飛びこんでいく。あとはもう正面からくる連中に、撃てるだけ撃ちこんでやるわけさ』


 博士はモニターを見ながら、カスミとまるで異なる演算速度に戸惑っていた。もちろん人間離れしてはいる。ただ、画面に流れる文字列が、糸にならず目で追えるのだ。

 アライヤの頼もしい語りに相槌を打ちながらも、自分の責任が重くなったことを自覚していた。


『それが、なんだってあんな小せぇのとドッグファイトしなきゃなんねぇ!』


 アドリエンヌのガトリングが、火線となってアライヤの背後を脅かす。小回りの効かないデカブツを、器用にコントロールして避けている。

 馬の手綱を引くようにハンドルを引く。車体が上向き高度を上げる。今度は体重をかけて機体を傾けた。巨大な鮫が身を捩るように、大転回でアドリエンヌを撒こうとしている。


「アライヤ。アドリエンヌのことは、攻撃を受けない程度に忘れて良い。真下の工業用アンドロイドを無力化すれば、アドリエンヌは別の地域へ合流するはずだ」


 車体脇の機関銃を空へ向けて撃ち鳴らす。了解の合図だろうか。


『んな情けないことするくらいなら、製パン工場の落ちこぼれに転職してやる。あの赤いのは逃さねぇ』


 アライヤの答えに、勝手に胸が軽くなる。カスミの横顔が脳裏をよぎった。

 とはいえ、逃げているのはアライヤのほうだ。

 短く深呼吸して、資料を開いた。

 情報の再確認をと思ったところで、アライヤが大きな声を上げた。


『分かった! ログだ。出る前にログを読んだよ、アタシは。あの金髪女のしょうもない説教! 思い出したよ、あのログだ』


「なにか気づいたのか」


『気づいたどころの話じゃねぇよ。『敵があえて情報を入力してきてる』んだぞ。あんなもん鵜呑みにすんのが間違ってるだろ! だから集合知と善人ってやつはダメなんだ』


 博士は苦笑してから顔が強張るのを感じた。

 アドリエンヌは、高原や丘陵における自身の強さを明言した。気を引き締めて挑まなければと思ったものの、その反応自体が手のひらの上か。

 あの日自分が気づくべきだったことは、まさにアライヤの指摘したことではないのか。


「遮蔽物のある場所で、迎え撃つべきなのか」


『ダメだぜ博士。そんな鈍い頭じゃ連中を相手にできるわけない』


 黒い巨躯を操りながらも、アライヤは淀みなく喋った。


『AIに人類が敗れたのは、知恵の質じゃない。知識の量でもない。わかるか? 地球の人口全てが、論文好きの数学博士なら、フェルマーの最終定理の解を思いつくだけでいい。みんなで一緒にチャットしながら『そうだね、うんうん』それで全員納得できる。だが人類はそうじゃないだろ。知能の多様性からなる、構造的な必然によって生まれた、真理証明の緻密な手続きにこそ、AIとの差が存在するんだ』


 博士は思い出していた。言動に誤魔化されていただけで、アライヤもまた人智を離れた演算処理を可能とする人工知能だった。

 話しながらもアドリエンヌの肉薄をかわし、車体脇のショットガンを抜き牽制している。曲芸の合間に曲芸をしている。


『勘だよ、勘。この場合においちゃ、それが戦術的な賢さになるってこと。あんたは今、アタシに比べて獣だろ。猟犬がわりに勘で指示出せ、アタシが理屈をつけてやる』


「研究者に向かってあんまりじゃないか」

 

 喉を鳴らしてアライヤが笑った。


『Don't Think, Feel.ちょうど良いお言葉。人間の言ったフレーズで、アタシにしても先祖の親の、お得意先の親戚っていうか、考えてみりゃ赤の他人だったけど、良い感じだろ?』


 久しぶりに笑った気がした。イヤホンからも笑い声が返ってくる。


「よほど俺より人間らしい」

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