第6話
修理が終わり、数日経ったころ。
研究所の模擬戦闘用空域で、ならし運転を終えたカスミは、博士の研究室で何をするでもなく椅子に腰掛けていた。メンテナンスチェアですらない、博士が普段使いしている簡素な椅子だ。「壊れませんか」と椅子の背もたれを気づかって、おそるおそる背中を預ける。
戦闘用と私用を兼ねた、ゆったりとしたローブとロングスカートが、白い裾を揺らしている。
こうしてみると、年相応の少女らしさがカスミを包んでいた。
「博士は今日、非番ですか。もしそうでなければ、お昼にでも……」
カスミの要件を博士が聞き終えることはできなかった。
出撃要請のアラートが、鳴り始めたからだ。
アラートは配備されたアンドロイドごとに音色が違う。
「残念。また今度ですね」
「何かしたいことでもあったかな。できる限り応えられるようにする」
カスミはかぶりを振って否定した。
「いえ、特に何があったわけでもありません。また、おしゃべりでもと思っただけです」
カスミの言葉に嘘は無さそうだった。ただ、隠し切るのが上手いアンドロイドだけに、博士はその提案を忘れないよう頭に留めた。むしろ自分のほうが気晴らしを考えるべきかと思ってみれば、一度はぐらかされた日を思い出した。
今度は、違った反応になるかもしれない。
モニタールームの自席へ腰を下ろす。もう身体が慣れている。
目配せ程度で同僚に挨拶を済ませ、イヤホンを耳にさす。
音速で飛ぶカスミはもう、国境を越えている。
飛び出した背中。そこから見下ろしたのは、血の気が引くほど密集した住宅街だった。故障による墜落は、あまり気にならない。カスミなら上手く避けるだろうから。
けれどそれは、敵が生身の人間に近い場所で戦い始めた証左でもあった。
『博士。想像以上に、彼らは本気なようですね』
流れていく街並みを眺めながら、博士は答えた。
「この状況で戦闘まで進むなら、彼らは本気だろうね」
視界が開ける。肩を撫で下ろした。人気(ひとけ)のないこの高地なら、被害は防ぎやすい。
下草の伸びた高地には、見知ったフォルムが動き回っていた。背中に腕を生やした蜘蛛型のアンドロイドだ。
ただその一種類ではない。
高地の真ん中、蜘蛛たちの作るドーナツの中心に、ぽつんと人型の輪郭が立っていた。
カスミが初めて経験する、同世代戦闘用アンドロイドの掃討だった。
「気をつけろ。スペックは同じで、向こうには工業用とはいえ友軍がいる」
カスミは安全な距離を置いてホバリングしながら観察をしている。
敵の戦闘用アンドロイドは、棒立ちで住宅地を見下ろしていた。カスミに顔を向けずとも、搭載されたセンサーの質からいって、カスミの位置は認識しているはずだ。
カスミと同じ第四世代と呼ばれる最新鋭の彼らは、少女らしい身体に同じ可変型の装衣をまとっている。翼などに変形し、陸海空を支配する汎用型戦闘用アンドロイドだ。
ただ、白い装衣を纏うカスミは、東洋圏で採用されるカラーリングで、敵は真っ赤な装衣を纏っている。髪もまぶしい金色だ。
欧州圏の軍部から離反した個体が、連戦の果てに流れついたらしい。
『あれの戦績は、いかがでしょう。聞くまでもなく格上だとは思いますが』
博士はようやく自分の役割を飲み込んでいた。
敵が工業用や、旧式のドローンもどきであれば、そこまで必要ない立場なのだった。
「送信した情報に加えていうのであれば、この個体は第四世代の中でも突出して戦術的な立ち回りが上手い。なぜAI間でそんな差が生まれるのかは不明だけれど、すでに数機の第四世代を撃破している」
アドリエンヌと名づけられた赤い彼女は、そもそも脱走時に僚機を撃墜して軍を離れている。追撃した戦闘用アンドロイドも、撒いてしまい、次に現れたのは東欧の工場だった。
暴動を起こした工業用アンドロイドへ合流し、討ち手を迎え撃つように、別の場所へ陣取るのがアドリエンヌのやりかただ。
脱走した各地の戦闘用アンドロイドは、およそアドリエンヌと同じ方法で掃討部隊に損耗を強いていた。
いつものやり取りに、一回り大きな緊張がともなっている。
今日に限れば、もう一つのイレギュラーが加わった。
『分析が甘いな、人類』
カスミよりも少し低い、女性の声が割りこんできた。アンドロイドに言葉の壁はない。
『アドリエンヌですか。博士は私を信頼していますので』
アドリエンヌがローブの裾を掴んだ。身体を巻く一周分の布が裂け、ローブの丈が短くなった。
鞭のように振ったかと思えば、それは突然硬質になり、細い刃先を形成する。手元の布端(ぬのはし)はひっくり返り、アームガードのように拳を覆った。
サーベルを一振り、アドリエンヌが淡々と続ける。
『思考停止と信頼は違うがな。私はもともとフランス方面軍所属だ。丘陵での戦いは自由度が高く、物量に頼れない戦闘用アンドロイドの身では、当然知恵を働かせる必要があるわけだ。遮蔽物に隠れながら奇襲・強襲という立ち回りは、私の担当区域では不可能だった。ナポレオンには可能だったそうだがな』
アドリエンヌの身体が、高原からゆっくりと浮き上がる。
下草がロケットに炙られ、静かに炭化していく。
『だが想定される敵は、数十年前のアンドロイドから、さらに昔の大量生産型ドローンもどきまで多岐に渡る。人間と桁外れの演算能力を持つ我々にとって、イメージトレーニングはイメージにおさまらない。不確定要素を全て処理しながら実戦を行うに等しい……』
カスミが袖を絞りこむ。余った布が前腕に沿ってブレードを形成する。
『貴様らが優秀な戦士だとして、私は騎士団長ということだ。必要なのは勝利ではなく、貴様の首だけ』
赤い輪郭が一直線にカスミへ肉薄してくる。モニターに大写しになったその顔は、無機質な美しさを叩きつけてくる。
サーベルの一閃を前腕で受けた。
鍔迫り合いの最中に、片手をガトリングへ換装する。
ゼロ距離射撃の寸前に、アドリエンヌはバレルロールのように回転しながら距離を取る。
後を追った視点カメラの映像は、すでに博士の眼球と三半規管に耐えられるものではなかった。
俯瞰モニターの中では、紅白の閃光が二重螺旋を描いている。
「カスミ、深追いする必要はない。慎重に、損傷を受けないよう立ち回れば良い」
博士はそう言いながら、手元で文字入力を開始する。
[口頭の指示は全て破棄。音声だけで了解と返事してくれれば良い。正式な指示は文章データで送る]
『博士、了解です』
アドリエンヌの声は、距離の割に鮮明なものだった。回線自体に何らかの干渉を受けているのかもしれない。
念のため指示の出しかたを変更したのだ。
画面にポップアップが表示される。
[文章データの件、了解です]
目まぐるしいドッグファイトを一段落して、二人はまた距離を置いて刃を構えた。
『カスミと呼ばれていたな。身のこなしは良い。演算と戦闘の間にラグが少ない。相当場数を踏んできたのだろう。それは認める』
アドリエンヌはまた裾を掴んで、二本のサーベルを手にした。
ロケットの推進力に任せた敵は、交差した腕を開きながら二刀の袈裟懸けを振り抜いてくる。
[退避でいい。時間稼ぎをしながら下の工業用アンドロイドを破壊すればアドリエンヌは去る]
博士がそれを送信したのと、カスミが刃を両腕で受けようとしたのは同時だった。
側頭部を守るように構えたカスミの目の前で、ベルトかロープのように刃が解けた。両腕に巻きついたそれは、もともと金属製の繊維だった。
カスミは肘もとからローブの袖をパージして、腕だけを抜き取る。地面へ振り落とすように、アドリエンヌは得物を振り抜いていた。
[博士、気の抜けない相手です。とても地表の敵を意識する余裕はありません]
カスミはローブの袖を肩からパージする。腕から抜き取り握りこむ。構えると、袖だったものは分厚い短刀に変化する。逆手に握ったそれを構えて、アドリエンヌと睨み合う。
『最低限の対応力か』
そう言い残し、アドリエンヌは真上に向けてロケットを吹かした。赤い閃光の後を追い、カスミも白い糸になる。
その直後。
『それを待っていた』
カスミの視界が突然真っ赤な壁に包まれた。
『スカートをっ』
ロングスカートを切り離したようだ。自由落下する傘へ、まんまとカスミは頭から突っこんでいた。
身体に絡んだスカートをカスミは慌てて払おうとした。視界を取り戻す。青い空が狭くなっている。
スカートをつかんだアドリエンヌが額の触れ合う距離で笑っていた。
サーベルを前歯に挟み、音声だけで宣言する。
『終わりだ』
アドリエンヌがロングスカートを翻し、カスミの身体を包んでしまう。指示に従い伸縮自在の繊維が硬くなる。カスミは完全にアドリエンヌに囚われていた。
「カスミ、ガトリングを!」
俯瞰モニターに視線を移すと、カスミは逆さにされていた。とにかく距離を取ろうとロケットを吹かした瞬間、赤い一閃がカスミの片足を切り飛ばした。
[下肢ロケット一門破損。主翼展開不可。落下します]
遅れて指示に従い、カスミはガトリングを撃った。鋼の硬さを持つロングスカートに、弾痕が浮かび上がる。
『無駄だ。間に合わん』
カスミは高原の真ん中に墜落した。土煙の上がったそこへ、周囲の蜘蛛たちが一斉に這い寄ってくる。アドリエンヌが悠々と降下していく。
「カスミ! 退避、帰還してくれ……」
博士の背すじに冷たいものが広がる。懇願じみた指示をしながら、言い終えた唇に自分自身が傷ついている。
カスミ視点のモニターが、ようやくスカートから解放される。眉間に突きつけられた刃先を見上げ、アドリエンヌの薄笑いを見返した。
周囲から、無機質なアームが伸びてくる。太い三本指がカスミの手足を掴んでしまう。
イヤホンに、金属の擦れる音が響いた。生理的な不快感が、鼓膜を掻いている。
頭を掴まれたのか、首がゆっくりと傾いていく。
モニターには、切り落とされた片脚と、アームに掴まれた手足が映った。ゆっくりと、関節が外されていく。
ボディの損耗を減らすために、関節は外れやすくなっている。
カスミの手足はもう、修理を挟まなくては動かない。
博士は濁り掠れた声を絞り出すのが精一杯だった。
「ガトリングでも、なんでもいい。武器を、なんとか、カスミ、そこから逃げ出せ」
カスミに残された選択肢は自爆をおいて他になかった。
とうとう、細い肘がむしり取られる。捩じ切られた支柱を、ちぎれた導線が巻いている。肩を掴まれ、またアームが動き始める。
カスミの声が聞こえた。反射的にイヤホンを押さえてしまう。
『博士の好きな食べ物は、なんでしょう』
その声はいつもと変わらない穏やかさで、明瞭で淡々としたものだった。
「なんの話」
『お昼に聞こうと思ってたんです』
カスミの右脚が、腿の半ばでへし折れる。胴へ伸びたアームが、頑丈なボディを握りしめる。強度的にまだ猶予があると知りながら、華奢なウェストを見つめてしまう。
カスミは取るに足らない話を続けていた。
『調理用アンドロイドを経由して、味覚信号のデータ自体は知っています。でも、食事って、どういう感じなんでしょう』
博士は答えるべき言葉が分からなかった。
その問いは、あまりにもカスミという存在だった。
頭部を捻られ、真っ青な空に雲が流れているのがモニターに映る。それが白黒とカラーを行き来しながら、虹色の縦すじを浮かべ始める。
『博士の好きな食べ物は、なんですか?』
答えればカスミが終わってしまう気がして、博士の唇は空回りした。とても料理のメニューなど言えたものではない。
カスミの視点モニターは、答える間もなく暗転した。
俯瞰モニターには、小さな黒煙が細く立ち昇っているのが見える。
倒壊する工場やホテルの土煙が脳裏をよぎる。
モニターには、今にも途切れそうな黒煙が立ち昇っている。
博士は椅子から滑り落ち、床に膝をついてデスクにしがみついた。
イヤホンからは木霊のように、好きな食べ物を聞くカスミの声がリフレインしている。それが頭の中の幻だと知りながら、博士はその声に必死で耳をそばだてる。
「ツナマヨネーズの、サンドイッチ、」
言い終えた瞬間、顔中が膨れるような熱感に襲われる。瞼のふちに集まるそれを、押さえることができなかった。無数の後悔と無力感に、口の動きがあまりにも不釣り合いだった。
カスミに答えたところで意味のないことだった。その事実になぜか抉られたような痛みが胸を貫いている。
答えたとしても、答えられなくとも、そのとき自分がカスミに与えられたものなど、何もなかったのだ。
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