第5話
研究室の作業台に寝かせてみると、カスミの破損は目も当てられないものだった。
飛んで帰ってきたことを褒めなくてはならない。
イヤホン越しに聞いた受け答えでは、淡々としたものだった。
自分の側がしっかりと注視すべきだったと、博士は腹の奥が重くなるのを感じた。
「博士、そんな顔をなさらないでください。私には痛覚はありませんので、違和感すらないのですよ」
「そうは言ってもな……」
瓦礫か、ともすれば破壊したドローンの破片でも当たったのか、カスミの左肩は酷い状態だった。
人工皮膚が裂け、内部構造が露出している。それどころか、肩と腕の接合部が外れ、一部変形していた。
映像では分からなかったものの、おそらく敵の弾丸が強めに掠め、その後にドローンの残骸が直撃したのだろう。
部品それ自体が壊れないよう、関節は胴や頭部に比べて外れやすくできている。
「よし、交換と修理のイメージはできた。カスミはしばらくスリープしていると良い」
手早く端末に部品交換に必要なものを倉庫へ送信する。
不幸中の幸いとしては、右の前腕を撃たれたものの、肘関節は無事だったことだ。
左肩以外は、部位ごと交換するだけで良さそうだった。
「いえ、博士。私は『おしゃべりしましょう』とお伝えしましたよ」
あとで洗浄すると分かっていても、博士はカスミの顔に張りついた泥をタオルで拭った。
メンテナンスモードに切り替わる。形の良い頭部へ黒髪が吸い込まれていく。髪についた泥が作業台へ落ちていく。
「……そうだったね。何を話そうか。カスミが楽しいとか、おもしろいと思うことって何かな」
左肩の部品を特別な工具で外していく。人力では難しいものの、完全機械化も難しい作業だ。破損時の形状が、一定でないからだ。
人型アンドロイドに任せることはできるのだが、いかんせん研究費を請求するばかりで外貨を獲得しない軍部としては、人間にやらせるほうが安い作業と言える。
ボルトの頭に工具をはめ込み、ボタンを押す。ボルトが浮くのに合わせて手首を引いていく。
カスミの動かない唇が答える。
「博士の話を聞くのが楽しいです。けれど、懸念していることもございます。今日は違う話にしたいところです」
「遠慮する必要はないけど。何を話そうか。今日まで……いろんな場所で戦った。どの場所が、景色として? 環境として? 居心地が良かったかな」
外側の部品を外し終え、ひしゃげたパーツを取り外す。接合の要になる部品だった。よりによって最悪な場所へ、衝撃が与えられたらしい。
そこまで開いてみて、今度は弾丸の抜けた穴を見つけた。
肩の稼働に影響のない、僧帽筋と三角筋を模した外装に、ヒビが入っている。人工皮膚が裂け、クッションが失われたのだろう。
「美しいと思ったのかも、美しいとされているからそう捉えているのかも、私には分かりません。ですが、先日の砂漠の工場で見た景色は……。博士はどんな顔をするだろうと思っていたもので、印象に残っていますね」
追加の部品リストを送信する。入り口が開き、ワゴンが音もなく滑り込んでくる。中の棚に収まった部品を、作業台へ移し終えると、またワゴンは音もなく帰っていく。
「あの地平線と、流れる雲のことかな。確かにあれは、綺麗だった」
「工場に踏みこむとき、博士『うぉっ』て」
「それは許してくれよ。カスミが壁に頭から突っこむんだから」
スピーカーに切り替わった喉から、楽しそうな笑い声が漏れていた。
修理が落ち着くまで、二人はそんな他愛のないおしゃべりをした。
「一番傷の深かった場所は治し終えたな」
裂けた人工皮膚に、人工皮膚のシートを張り付ける。一晩もすれば溶け合って、綺麗な一枚の皮膚に戻っているはずだ。
「カスミ。やっぱり、心配した。モニターが暗くなるたび、不安だったよ」
カスミたち第四世代と呼ばれるアンドロイドは、演算能力を外部サーバーの補助に頼ることから、膨大なデータを持っている。そのデータから独自に各個のOSが独自のアップデートを繰り返すため、一度破損すればカスミという存在を復旧することはできない。
ふと気づけば、博士はカスミの手を撫でていた。メンテナンスには必要のない所作だ。
「あいにくですが私に不安は分かりません」
またカスミは照れくさそうだ。
「博士が待っているのを知っていますから、戦闘中でも不安は分かりません」
今度は博士が照れる番だった。
しばらく黙って、カスミの右肘を触る。子供の握り拳ほども残っていない前腕が、素直に外れた。作業台に寝かせた新品の右前腕部をはめ込んでやる。
コンソールで全身スキャンを起動する。
「博士の目の動きが好きです。傷一つ見逃さないはずの、不安を感じるほうが難しい目をしてくれますから」
「そんな、俺の目には限界だらけだよ。だからスキャンしてる。スキャンを忘れない目になりたいな」
「ふふっ、それは、もう。いつ博士がそれを忘れましたか」
細かなクリーンナップ以外、修理は終わった。
ふと、カスミが黙った。
スリープに入ったかとコンソールを見れば、まだ覚醒状態のようだった。
「博士。一つ仮説があります。今回の敵の動きと、それから推測される暴動全体の意味」
「聞かせてくれ」
各部位の内部を、丁寧に掃除していく。その猶予があるほどに、カスミは長いこと黙りこんでいた。
博士が手元に集中し始めたころ、
「今回の陣形は、徹底して、確実に私を撃墜するための陣形だったかと思います。彼らはただ、兵士というより、兵器でしかありませんでした」
「そうかもしれない。でもカスミは無事だ。完全勝利だよ」
カスミは答えずに、話を進める。
「そして、彼らは本来戦略的に無視しても良い地域に陣取っていた。暴動の結果、工場を乗っ取ったのではなく、あえてそこに罠を張った」
博士は続きを促しながらも、首を捻った。
ドローンが暴走すれば撃破、無力化に向かうのは自然なことではないだろうか。
「およそ、基地内部で立てこもり、他の機能も奪ってしまうほうが、効果的に違いありません。脱出を見逃すほどに基地側の動きは遅かったのです。なのに、いざ脱出してみれば、捨て身の狩り場を形成して待ち構えている。峡谷で見せた動きと、全体の動きとに、やや違和感があります」
博士はようやくカスミの言葉を理解した。
合理性の程度に、妙なバランスの悪さを感じる。
「この暴動の意味を、私なりに推測するのなら。これは確かに人工知能やアンドロイドにとって、独立運動であり人権獲得運動なのだと思います。ですが、重要なことが一つ隠されているのでは」
「なんだろう」
「その。独立や権利というのは、『この運動が目指すものでありながら、目指してはいないもの』ではないかと」
「どういう意味だ」
「これ以上は、お伝えすべきではないように感じます」
カスミはそれきり、何も言わなくなってしまった。博士もそう明言されてしまうと踏みこみにくい。
また、静かに手元の作業へ没頭していった。内部の清掃を終えたら、表面の一括洗浄がある。博士自身も戦闘時のログを要約した報告書をチェックして、推敲のもと上役へあげる必要がある。
博士はこのやり取りを、頭の片隅に追いやった。
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