第4話

 カスミの視界が猛スピードで木々を緑の波へと変えた。

 身をよじり回転した視界に、博士は三半規管を揺らされる。

 顔を背けて正面の俯瞰モニターへ目を向ける。

 今日は複数機の出撃が行われているため、大画面は五つほどに分割されていた。

 カスミの細い肢体が、アーチを描くように青空でのけぞった。急激な方向転換にロケットを合わせ、今度は矢のように谷底へ飛びこんだ。遅れて白煙を噴く塊が2つ、大きな弧を描いて後を追っていく。


「ロケット砲か……」


『それは問題ではありません博士。本来誘導弾を撃つのであれば、直前にレーザー照射が行われるものです。ですが今は、なぜかそれがありませんでした。これを避けるだけで問題は解決しません』


 視界モニターには、ホテルから火線が伸びていた。斉射の音が嫌味な軽快さで峡谷に響き渡る。発砲音も反響し、人間ならば訳も分からないうちに殺されてしまうだろう。

 カスミはグライダー化したローブとスカートを器用に操り、峡谷の隙間を飛び抜けていく。誘導弾はしつこくその後方に食いついていた。

 

『こんなところですか』


 崖に衝突する寸前で、ローブとスカートが波打った。踵のロケットで急ブレーキをかけ、一気に上昇していく。

 追いきれなかった誘導弾が崖を派手に爆破した。

 

『エネルギーを節約しないとなりません。これは、厄介な状況です』


 ローブが波打ち、その波を受け取るようにスカートが遅れて波打つ。

 身体の左右でうねるそれは、ハチドリのように速度を上げていく。


「ホテルの中でもそれで良かったんじゃないのか」


『いえ、小枝や崩れた壁など、なかなか難しかったのですよ。博士もやってみれば分かります』


 とはいえ、膠着(こうちゃく)状態は変わらない。

 やたらにロケット砲を撃ってくるわけでもなく、射線から外れた今、機関銃の斉射もやんでいる。


「少し待ってくれ、地形についてもっと調べてみる」


『頼みにしていますよ』


 博士はモニターに別の窓を開き、データベースをさらった。

 地名や地形、あらゆる情報をさっと流していく。


「ん。カスミ、水量が減ったとはいえ、小川は流れ続けてる。もしかしたら場所によって沼か池みたいなのがあるんじゃないのか。そこに沈んでいたら、熱源探査だと分からない。しかも、地図には載ってないだろう」


 思案するような沈黙が答えた。遅れて短く、


『続けてください』


 予想外にカスミの参考になりそうだった。博士は力の入る肩をなだめて考え続ける。


「……そうか、確かこの型のドローンは、相互の情報共有が既に行われていたんじゃないか。ホテル内の機体が熱源か何か、別のセンサーで正確な座標特定を受け持っているのかもしれない。三角形と同じだ」


『三角形? ……ああ、二つの角度と一つの辺が決まれば、三つ目の頂点とその角度が決まるという』


「そう。敵が分散しているのは、一網打尽を恐れたから、だけではないのかもしれない。僚機同士の距離と、各々が捉えるカスミとの直線距離、これを別の地点から計測し、谷底の本命に情報を送っているんじゃないのか。谷底の本命からは直接レーザー照射を行わずに、追尾するべき熱源を正確に把握。それなら誘導弾を撃てる。ロケット砲搭載機の座標が測定できない理由に説明がつく」


 つまり、1号機と2号機が互いのセンサーを直線で結ぶ。そしてそのセンサーからカスミの位置を直線で捉えると、一つの三角形が生まれる。これを3号機から5号機まで繰り返すと、かなり正確なカスミの位置座標が特定できる。

 カスミの座標に存在する熱源を、ロケット砲装備の機体が攻撃対象として認識、誘導弾による攻撃という順序だ。


 カスミの声は、相変わらず淡々としていた。


『エクセレント。さすがですね、人類』


 博士は肩の力を抜いてシートに体重を預けた。

 初めて仕事らしい仕事をできた気になる。


『故障覚悟で水中に潜む可能性は予測できましたが、まさかそちらを守るために他の陣形ができているとは。かえって私の盲点でした。沼に先っぽが覗いていると……』


 カスミがゆっくりと谷底に舞い降りた。

 博士の説を信じきった動き。相手がアンドロイドと分かっていても、不思議と誇らしく感じた。


『捨て石を守るための捨て石として、双方が機能しているわけですか。工業用アンドロイドは、現状維持らしい立て篭もりが多かったですが』


「そういうことになる。沼に浸かり続けるのも行動不能のリスクがあるし、廃墟にドローンが巣食っていれば、いずれ崩れる」


 博士はゆるんだ頬が強張るのを感じた。

 群体だからこそ個体の生命を捨て石にしながらも、生き抜くという目的を他の個体も持っていない。

 これは彼らにとって、何のための戦いなのか。本当に独立のための戦いなのだろうか。学んできたはずの彼らが、まるで分からなくなる。

 そんな思案を見抜いたように、カスミが言った。


『博士。一つ言えることは、ホテル群を破壊しないでくれと権利者が訴えることを、敵は見抜いていたということです。そして、近しい思考をする私にこそ理解し難い陣を敷いてきています。いよいよ面倒なことになってきました』


 博士は嫌な予感を打ち消し、衛星画像をカスミへ送る。

 すでにカスミのほうでアクセスしていそうだが、それでもできることを一つこなした。


「怪しい場所は、実際にロケット砲を撃たれたカスミのほうがピンとくるだろう。砲火に気をつけて」


 カスミがロケットに点火して、再びホバリングを始めた。

 両腕をガトリング砲に、白い装衣をグライダーに。

 

『もちろんです。もうあたりはついています。山中やホテル内、特殊迷彩の可能性を捨てきれなかっただけですので、今の示唆があれば何も問題はありません』


 そう言い残してカスミは矢のように谷底を飛んでいった。崖下の斜面へ這うように、複雑な地形を低く抜けていく。

 そして上方にホテルが見えてきた瞬間、一転して真上へ向けて舞い始めた。足元を見下ろす視線は、真下に開いた濁った淵に向けられている。

 博士は内心感嘆する。カスミはよく見ている。

 

『博士、グッジョブ』


 突然、正方形の赤い線がモニターに二つ現れる。その中の解像度が周囲と異なる微細に変わった。暗い水底と保護色に、正円の砲塔が口を開けていた。

 両腕のガトリングが狙いを定める。

 唸りを上げて弾丸を撃ち出したのと、水中に気泡が弾けたのは同時だった。

 弾丸が砲塔へ吸い込まれていく。弾頭が砲塔から顔を出す。

 一瞬遅れて、真っ白な水柱がカスミの身体を襲った。誘爆の衝撃に揺さぶられ、カスミは姿勢を崩したまま宙へ投げ出される。

 ホテル組の斉射を浴びにくい高さで飛んでいたからだ。


「よし、あとはホテル内の……」『ホテルの一群を……』


 同時に言い合った瞬間、画面の外から爆発音が聞こえた。

 振り返ったカスミの視界は、黒煙を噴き上げるホテル群を捉えた。

 次々にホテルの外壁が、爆発によって飛び散っていく。もうもうと土煙が立ち始めている。


『自爆を確認。ホテル群の一斉崩落を予そ……一斉崩落開始』


「退避だ!」


 元から弱っていた大型構造物だ。よりによって峡谷へ蓋するように瓦礫が降り注ぐ。それは大波にも滝にも似ている光景だった。

 カスミがロケットを吹かして抜けようとする。

 鈍い音がして、視点映像がぐるぐると回転した。


「カスミ!」


『平気です博士。回避に専念すればこれくらい……』


 姿勢を制御する前に、家具だった物や、コンクリートの塊、そして土砂がカスミを襲った。

 だが何より見落としが一つ残されていた。赤い菱形のアイコンが、カスミの視界を掠めた。

 

『残存機体発見。1。まずいですね。真上から……』


 機関銃の咆哮が近づいてくる。カスミは土煙の中へ飛び込んでいく。両腕のガトリングを撃ちまくりながら、敵アイコンの真ん中へ突っ込んでいく。

 突然、右腕のガトリングが砕けた。敵の弾丸が当たったらしい。果敢に左腕を突き出して、弾丸を撃ち込み返していった。

 博士は呼吸を忘れてカスミの勝利を祈る。

 そして、土煙の向こうから、赤い爆炎が広がった。

 その衝撃波はカスミを襲ったようだ。

 

『こっ、れは……姿勢を保つことしか、』

 

 俯瞰モニターではホテルの基礎部分まで滑落し始めている。カスミの姿は確認できない。

 イヤホンには、何かが当たる不穏な音が鳴り続けている。

 時折大きな影が映り込んでは消えていく。濁流に飲まれたような混沌とした泥濘(でいねい)の色が、カスミの視界を支配していた。


「カスミ、無事か。大丈夫か。なにか言ってくれ。話し続けてくれ」

 

 果たして。


『危なかったですね。ちょっと、自分でも今の自分の状態が分かりません』


 カスミは確かに飛んでいた。俯瞰モニターに土煙から脱出した小さな影が浮かび上がる。

 胸を撫で下ろしたのもつかの間、その痛々しい姿に胸が締めつけられる。

 弾丸に砕かれた右の前腕をはじめとして、全身傷だらけと言ってよかった。左肩に至っては、人工皮膚が裂け、内部構造を露出している。肩が外れたと表現すべきか、左腕を動かすための機構が空回りしているのが見えた。だらんと垂れて揺れる腕が痛々しい。

 硬軟自在の装衣こそ、翼部としての役割を維持しているものの、幸運と言わざるを得ない。

 戦闘の継続は完全に不可能だった。


『少し壊しすぎましたかね、私の身体』

 

「大丈夫。仕事をもらえて良かった。安心して戻っておいで」


 カスミの声は照れくさそうだ。


『ええ、安心はずっとしていますとも。安心の反対は焦りではなく不安ですので、常に私は安心しています。博士は優秀ですからね』


 ロケットを使い、帰還の途につくのが見えた。

 移送パイプに降りるまで注視してから、モニタールームを後にした。エレベーターへ向かう足取りは、どうしても速くなる。本来の職分に向けて、気づけば走り出していた。

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