第3話
カスミがとうとう、戦闘用アンドロイドを相手取ることになったのは、それから間も無くのことだった。
戦闘用とはいえ、最新機種と言えるカスミとは比べ物にならない旧式だ。アンドロイドというよりも、当時は自律型ドローンと呼ばれていた兵器群。それでも、例えるならば不良学生からマフィア相手の戦いに変わるようなものだ。
出撃要請のアラートが響くなか、カスミを呼び止めた。
「俺にできることは、もう終わっているかもしれない。今は、毎度毎度、完全な調整を終えた状態でカスミを送り出すことが、俺の精一杯だ。でも、何かできることがないか、必死で考えておく」
カスミは力強くうなずいた。
「ぜひモニターをよくご覧になっていてください。私の動きには、きっと学びがあるはずですよ」
肩透かしに笑ってしまう。頼もしい。
「ああ、無事に帰ってくるんだぞ。傷ついても、必ず治すから」
「直さなくとも良いように、大勝して参ります。浮いた時間で、おしゃべりしましょう」
カスミがエレベーターに消えていく。博士もモニタールームへ急いだ。
今回の目標はさすがに軍事用らしく、入り組んだ土地に陣取っていた。それはとある廃れた観光地だった。数十年前までは急な峡谷に建ち並ぶ史跡を中心に、賑わっていたようだ。
何が厄介かといえば、建物への損害を最小限に抑えるよう権利者らから求められていることだ。
多脚型のドローンは、撃つ手をためらうことがない。それどころか旅館や史跡を盾にしながら、背中に乗せた機関銃やロケット砲を積極的に撃ち込んでくるだろう。
それに引き換えカスミは、建物ごと谷底へ落として一気に制圧するという効果的な方法が使えない。
自席のモニターには鬱蒼としげる木々を見下ろす空撮映像が流れている。みるみる山を越え、その廃墟を視界に捉えた。
センサーに反応した敵機のアイコンが赤い菱形となって建物の壁に浮き上がる。
『目標視認』
「やはり中に隠れているな。どうするつもりだ」
言い終えてから、自分こそ考えろと博士は腿を叩いた。
その間にカスミは廃墟から距離を取ってホバリングしていた。ゆっくりと廃墟を俯瞰しながら、敵の位置を確認する。戦地と認識しながらも、その光景はサウダージを感じるものだった。
谷の壁面は断崖絶壁で、壁面を蛇行する山道が、ホテルや旅館の間を繋いでいる。そもそもホテルや旅館それ自体が、崖に背中を張り付けるようにして立っていた。
かつては清潔な白亜の輝きを放っていたはずのホテルが、蔦(つた)や泥に覆われ始めている。壁面はヒビができ、そこから膨れるように微かな丸みを帯びていた。
「かつては風光明媚を売りにして、ボート遊びや川釣りなんかで栄えていたらしいな。絶壁に建つホテル群自体も売りだったようだ。名物は山の向こうにある高原の、放牧牛。ある時期から川の水量が減り始め、この有り様だそうだ」
『了解。言われてみれば、谷底のほうは木々が少ないですね。簡単に人が沈めるくらいに水量があったわけですか』
博士は廃墟と化した数棟のホテルを眺めながら、「それにしても」とつぶやいた。
「崩したくてしかたないな。あの工場の要領でやれば一発だろうに」
『博士。人には大切な物が存在します。その思い入れを否定するのは、あまり良くないことです』
「とは言ったって、こっちにはカスミの安全がかかってる」
一拍置いてカスミは答えた。
『だからこそです。朽ちて始めて分かりやすくなるのも皮肉ではありますが、誰かにとってあの廃墟は生き物なんでしょう』
崩れかけた廃墟の、不思議な息づかいに、博士は愚痴を打ち切った。
職分を守りモニターの中を移動する敵のアイコンを目で追った。複数のホテルに点在している。重機型アンドロイドは大きな建物に固まる傾向があったが、戦闘用だけに何らかの意図を持って分かれているらしい。
「小隊ふたつ、四機が二だから8機のドローンが隠れているはずだ」
『ですが、熱源では6までしか確認できません。2機は何か、特殊な迷彩を利用しているとか?』
「いや、そんな報告はなかった。けど、も、確かに6つしかアイコンがないな」
カスミが静かに崖に身を寄せた。射線を取りにくい角度から、ホバリングを維持して近づいていく。
『エネルギー残量の問題もありますね……』
カスミが割れた窓からホテルの中へ潜り込む。敵がいると思しき棟のうち、端のものだ。包囲されるリスクを避けたのだろう。
慎重に床を踏むつま先が大写しになる。
すると床板が悲鳴を上げた。カーペットの端が持ち上がる。
『やはり踏み抜いてしまいますね』
「すまない。これは俺が気づくべきだった」
カスミはアンドロイドだけに、見かけによらず成人男性以上の重量がある。しかし足のサイズは見かけ通りに少女らしい。つまり狭い範囲に重量が集中しやすく、風雨に傷んだ床を踏み抜いてしまうのだ。
「ホバリングで行けるか」
『これ、逆にエネルギー消費するんですよね。ふむ。少し考えましょう』
カスミはそう言うと、外れて床に寝ていた扉を拾い上げた。客室の扉らしく、分厚い木でできている。
ローブの袖がキュッと前腕に張りつく。すぼまった円周のせいで、布の余りが袖に生まれる。カスミの意に従い形を変えるそれは、薄く硬質に形を整えた。
『ほっ』
チョップするように扉を叩くと、袖から生まれた刃が食いこんだ。ナタのようにそれを使って瞬く間に扉を2枚の板にしてしまう。
『機動力は落ちますが、致しかたありませんね。博士が直してくださるそうですし、多少の被弾には目をつむりましょう』
カスミはそういうと、数十センチ四方の板を並べて、その上に着地した。
『氷結用スパイク、オン』
バチンという音が響いた。博士は感嘆に言葉がない。
足の裏という狭い範囲に重量がかかることで床を踏み抜いてしまう。カスミは即席で、足の裏の面積を広げたのだった。
雪山や凍った路面での戦いを想定し、足裏には任意でスパイクを起こすことができる。
カスミは慎重に足踏みしながら、うなずいた。初めてスキーを履いた子供のようだ。
『あとは、敵の装備次第ですが、それは不明でしたか』
「あ、ああ。突然起動し倉庫から逃走した数と、搭載兵器の種類は分かっているんだ。でも、そのうちのどれが、どういった編成でここへ来ているのかは不明だ」
『個体識別番号は』
「AIに電子戦では勝てない。遮断されて分からない」
カスミは悪戯っぽくつぶやいた。
『いっそAIを滅ぼしてしまいましょうか。毎度これでは面倒です』
カスミは右腕をガトリングに、左腕をブレードのまま、廊下をゆっくり歩いていく。壁や床のヒビ割れから突き出した枝や蔓を切りながら、目線と銃口の向きは常に正面へ向けられている。
博士も感覚的に理解してきた。カスミにとって視界に入っている物はすべて、人間でいう目の焦点が合っている状態なのだった。流れ作業で自然を押し返しながら、捜索を続ける。
『このフロアはいませんね。いえ、階下の敵が床を吹き飛ばしてくれれば、その穴から応戦できたのですが』
淡々と言いながら、階段に差し掛かる。埃っぽい赤い絨毯が敷き詰められた螺旋階段。
戸板を素直に滑らせてゴトゴトとスキーを楽しんだ。人間なら足首をおかしくする速度で、踊り場を回り込む。
揺れない視界がまた猛スピードで滑り降りた。モニターの端に、赤いアイコンが表示される。
「この階に1機いるな」
カスミが一瞬固まった。遅れてアラートが鳴る。実戦では初めて聞く音色だ。
「攻撃来るぞ!」
しかし、発砲音もなければ、同じフロアの敵に動きもない。
右手のモニターを見ると、凄まじい速度で演算が進んでいく。
『そういうことですか。博士、罠にハマったようですよ』
そう言い終える直前に、3つの音がイヤホン越しに鼓膜を刺した。スパイクを抜く音と、ホバリングを開始する音。
何より、凄まじい爆発音だった。ロケット砲が階下を襲っている。カスミの視線が揺れないからこそ、壁や床の振動が激しく感じた。
砂と埃が大量に舞っている。
「退避だ!」
『了解』
カスミが前傾して一気に廊下を飛び抜けた。
『うっ、これ酔いますね。建物が滑落を始めています。演算に高負荷。退出経路算出、遅延』
「どうした」
『廊下の空間座標が毎秒変わります。飛行、前進を維持するので処理が手いっぱいです。走れれば良いのですが、床が抜ける以上、それも難しく』
ことの重大さに気づいた博士は、一瞬頭が真っ白になった。
何かを考えなくてはと考えている、無駄な刹那が生まれる。
とうとうカスミの進路が塞がれた。落ちてきた梁が廊下を塞ぐ。天井が明らかに低くなる。ひしゃげた窓が潰れてしまう。
博士の背すじに冷たいものが走った。
「壁を破れ! ガトリング砲で穴を開ければ良い!」
『できません。建造物の損壊は許可が降りておりません』
博士はその場で立ち上がっていた。カスミ視点のモニターが真っ暗になる。イヤホンからはロケット砲の爆発音が聞こえ続けている。
「カスミっ‼︎」
叫んだ声が届いたのかはわからない。
カスミは、淡々とつぶやいた。
『現在座標、更新。当該建造物、土地所有者の権利地を離脱』
「……カスミ?」
『当該建造物をホテル・パライソから、不法投棄物に定義変更』
「カスミ?」
『博士、壁を破壊し離脱します』
「う、うん。それで良いと思う。任せるよ、カスミ。うん」
結果良ければ全て良しと言い聞かせながらも、博士の胸には釈然としない違和感が残った。周囲の同僚に軽く頭を下げてから、腰を下ろした。
猛烈なガトリング砲の発射音が響き、モニターに白い光が差し込み始める。
脆くなった壁に体当たりした瞬間、黒煙に呑まれる。それを抜けると峡谷を俯瞰した映像が広がった。勢いよく空へ舞い上がっていく。
振り返ればホテルだったものが、雪崩のように砕けながら谷底へ滑り落ちていった。
『危ないところでしたね、博士。あれが大地主のホテルであれば、私も巻き込まれていましたよ』
「うん、なんか、うん。良かった。敵に狙われないよう気をつけて……」
『博士。それは無理な相談というものです』
「え?」
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