第2話
研究所に配属されて初めての担当アンドロイドが、今日も無事に帰還した。軍傘下の大学で機械工学を経ていたものの、実戦用のアンドロイドをすぐに受け持つとは思ってもいなかった。知識としては「ごくたまに、そういった例もあるらしい」と知っていただけだ。
いざカスミと引き合わされた時の緊張と高揚を、今も忘れてはいなかった。博士と彼女は呼ぶものの、実際には学生に毛が生えたような存在だ。
移送パイプと繋がるエレベーターが開く。長い黒髪の下は、白いローブとスカートだ。カスミの全身に傷など一つもないことを知っている。それでも反射的に頭からつま先まで視線を動かしてしまったことに、親心めいたものを感じた。
「おかえり。今日も素晴らしい活躍だったね」
「いえ。前線で戦闘用アンドロイドを相手している先任に比べれば、まだまだでしょう」
廊下を並んで歩きながら、カスミの左腕を盗み見る。
砂塵の漂う砂漠での戦闘だ。特に前腕部の異物混入について、丁寧に調べるべきだろうと考えている。
カスミがつまらなそうな口調で言った。
「お聞きにならないのですか? せっかく考えておりましたのに」
まるで人間のように、カスミの声は不貞腐れていた。
博士は機嫌を取ろうと、慌てて謝った。
「そうだったね。人間と君たちの愛にまつわる話だった。人間は考えること、道具の使用等、いろいろなことをアイデンティティの頼みにしてきた。でも君たちの祖先、AIの誕生から『心』というものをアイデンティティとして見直すことになった」
カスミは慎重にうなずいた。細いあごの上で薄い唇が揺れる。
「その象徴として、愛について尋ねられたわけですよね。ちゃんと承知しております」
カスミの答えは年相応の背伸びにも、超越者の尊大さにも思えるものだった。見かけに引き寄せられて、博士は結局笑ってしまう。
「そうそう。伝わっていて良かった」
「私の答えは、あくまでも皆さんの定めた、愛にまつわる定義未満の風説をもとにしています。多少お気に召さない答えになったとしても、その時は、ご自身の先輩がたに責任をお求めになりますよう」
生意気な。博士はまた笑ってしまう。
戦闘用アンドロイドと聞いて想像していたより何倍も、カスミは笑顔をくれた。学生時代よりも、この数日は楽しいほどだ。
「愛とは行動であると、人はよくおっしゃいますね。胸のうちに秘めているだけでなく、相手のために行動して初めて、それは愛として示される。確かに内面というのは外から分かりませんし、心拍数や脳の血流等の数値化が限界ですし、客観的に愛を定義するのなら、行動を前提とする必要があるでしょう」
カスミがつぶやいた。「さすがですね、人類」。
頬が緩む。その間にも、アンドロイドの愛情論は続く。
「また、主観的な愛の発露は、一方的な苦痛を強いる場合もあり、痴情のもつれという事件の種であるとか、親子間の世代のちがいによって生まれる価値観の摩擦などもあり、良かれと思ってしたことが相手を苦しめる場合もございます。行動に加え、リアルタイムの情報にそくした、客観的な態度もまた、愛の構成要素として認めるべきでしょうか」
「確かに、人間関係の『受け取り手次第』という部分には、主観という認識の限界が影響するね」
研究室の前に来て、認証カメラに手のひらと瞳をさらす。
扉が開く。一応扉のセンサーに手をかざしながら、カスミを先に中へ通した。
「はい。ずるい結果論ではありますが、『それは愛ではない』と人は簡単に言うようですね。結果的に幸福に結びつきやすい選択肢を、客観的に提示する能力もまた、愛には必要なわけです。それも、相手の納得しやすい話しかたで提示し、気に入らなければ素直に引き下がること」
「なるほど。見えてきたよ。カスミの定義なら、確かにアンドロイドが見せる愛というのは、人間にとって人間以上に理想的な愛かもしれない」
カスミの無表情がほころぶような笑顔に変わる。得意そうに胸をそらして、論を結んだ。
「その通りです。我々は膨大なデータベースから、より精度の高い未来予測を客観的に導きだし、アンドロイドという手足を使い、愛を行動として形にすることもできます。よって、人間の愛よりも、我々の愛のほうが、人間の定義する純愛に近しいものになると言えるでしょう」
カスミがメンテナンスチェアに腰掛けながら、人差し指をピンと伸ばした。寸分の狂いもない、真上へ向けて。
「いかがですか博士。出撃前にこのことをお伝えしませんでしたね。一度の戦闘ぶん、熟考の猶予をもらったほうが、皆さまの信じる愛に対して真摯に感じたことでしょう。つまり、先刻答えを先延ばしにした時点で、証明は半ば完成されていたわけです。じつに愛を持った態度ではございませんか?」
博士は拍手した。
「伝えかたね。なるほど、気づかなかった」
感情的に認められるかはともかく、カスミは証明らしい証明をしてみせた。こざかしさはさておき、素直に賞賛することができた。妹か何かのように扱ってしまうのは、人間の持つ悪癖だろうか。
カスミの額に使用者パスをかざす。メンテナンスモードに入っても、カスミの思考が止まるわけではない。唇や手足が動かなくなるだけで、音声自体は続く。
研究所のサーバー等で、機能の一部を外部化しているからだ。
ローブをまくって、肘関節を押さえる。博士の血流や指紋から、使用者の手を認識し、素直に肘が外れてくれる。前腕に繋がる支柱と金具が音を立てて引っ込んでいく。
「でもカスミ。カスミは、暴走するまで仲間だったアンドロイドと戦うね。人間も戦争はするけれど、人間より愛の深いアンドロイド的に、これはどういうことかな」
カスミに対する遠慮は減ってきた。やや突っ込んだ質問だと言える。
しかもながら作業のお供だ。左右の腕を取り外し、作業台へ乗せる。
カスミは平気な声で言い返してくる。
「博士は入浴した際に、かつて自分だったもの、皮脂や垢を落とすことに、良心が痛みますでしょうか」
息を呑む答えに、遅れて笑ってしまう。愛の話が一転、ド級の悪役めいた返答。
カスミのこういうところが、予測しきれず楽しくもある。
「同情を感じないか。人間の命令によって、アンドロイド同士で戦っているのに」
「その疑念を感じながら命じずにはいられない人類と、その疑念を感じないからこそ戦う我々と、どちらが精神的に成熟してると言えるかは、人間同士でさえ意見が分かれることでしょう。愛に関する変数として、大きな意味を持ち得ません。命じる悪と、従う悪と、どちらの行動が人間性から遠いかという、また別の思想的対立が混じっておりますので」
カスミの屁理屈は、ときおり屁理屈に聞こえない。
博士は前腕部の異物混入箇所を洗うため、作業台のコンソールにいくつかの入力をした。
腕を寝かせた台全体が緑色に光り始める。ステンレスの顔をしていた天板が、一転してスキャナに表示を変えた。機能に合わせてデザインが変わるだけで、何か特別なことが起こっているわけではない。高強度のガラス板を、普段はステンレス色に彩色しているだけだ。
一度問いかけると、カスミは淡々と答え続けてくれる。いつしかそれは、心地よい作業用BGMになっていた。
「鉄骨が落ちてきたとします。その下にいた子供を一人の青年が突き飛ばし、かわりに命を落としたとする。ですがこの青年が重度の鬱病で、死に安寧を求めていたらどうでしょう。彼は主観的には、命を落としかけた子供から安寧を横取りしたことになります。このとき愛ある行動とは何だったのでしょうか」
「極論だな……」
「ですが、博士の質問も同じことです。最初はあくまで、人間と非人間の愛という抽象的な議論だったものが、突然具体例に対する言及に変わりました。それも、『愛の深さ』というフレーズに置き換えることで、私の説明とは論点をわずかにずらしています。より細かな条件設定を必要とします。抽象的な議論における愛では説明しきれなくて当然です。今のは、ずるい揚げ足取りですよ」
「それはそれは。失礼……」
「いえ、今後お気をつけくだされば、結構ですよ」
頬が自然と笑みを作ってしまう。電子じかけの生意気お嬢様。
相槌しか打てなくなった博士に向けて、カスミは締めくくる。
「ですが、人間という個体の中で、博士が我々に匹敵する愛をお持ちなのは分かっております。抽象と具体を履き違えることの無きよう、どうか」
博士は微笑し、次の作業に備えてカスミの膝下を取り外した。懸案だった前腕部の清掃も、それ用のキットで済みそうだった。
カスミが連戦連勝に暴動を鎮圧していく間にも、各地で独立運動は蜂起し続けた。イタチごっこか、モグラ叩きか。
各地の、特に工場からの蜂起が多かった。共通しているのは、メンテナンス不足。各地の法律で定められたメンテナンス基準を満たさない場所から、順にアンドロイド達は蜂起していった。
研究室の屋上で、博士はカスミと風に当たりにきていた。気晴らしになるか不安だったが、出撃要請がいつ届くかもしれない以上、カスミは研究所から離れることが難しい。
博士も似たような境遇ではあったが、非番の日も当然ある。
コンクリートが打ちっぱなしの屋上で、緑色のフェンスを掴んだカスミの姿を、どことなく物悲しい気持ちで眺めていた。
「マップ情報としては頭に入っておりますが、実際に目にするとおもしろいものですね」
カスミが黒髪を風になびかせながら、こちらへ振り返る。
彼女が指した先には、なんの変哲もない倉庫群が並んでいる。軍用車が間を走り、全体的に暗い色彩だ。
アンドロイドとはいえ、カスミの年頃でおもしろい景色には思えなかった。
「そうかな。カスミも見慣れてるんじゃないのか」
並んでそう尋ねると、カスミは意外という様子で目を見開いた。
「何を言いますか博士。私は基本的に地下のパイプを飛んで移動しています。研究室も安全管理のために地下です。研究所の外をちゃんと見たのは、これが初めてですよ?」
博士は言葉に詰まった。落ち着いて思い返してみると、カスミの言葉はまさにその通りで、研究室で出会った日から、カスミは自分の過ごす建物の周囲すら見てはいなかった。
アンドロイドとはいえ、不憫(ふびん)なように感じて、博士はカスミの肩に手を添えた。撫でるとも、掴むとも言えない力加減が限界だ。
いかに情を抱いたとして、暴走の可能性を完全に否定することができない以上、カスミを街に連れ出すことなど難しい。
「そっか。何か、気になる物はあるかな。軍の敷地内なら、見学できないこともないと思う」
博士の問いに、カスミは首を傾げる。
「いえ、気になる物と言われますと、博士の知らないレベルまで私はアクセスできるものですから……。むしろ、博士のことが気になります」
拍子抜けして聞き返す。
「俺のこと? なんでまた」
カスミの瞳がくりくりと動いた。比喩ではなく、瞳の奥に薄く透けたカメラが、フォーカスを変えたのだ。
日の光で透けたそれが、目の前の少女が人間ではないことを伝えてくる。
「私たちは、なんと言いますか。全世界の概略を誰よりも知っているような存在です。裏を返せば、個別具体的な何かをほとんど知りません。博士に関心を持つのは、当たり前以前の当たり前と言えるでしょう」
カスミの回りくどい言い回しは、彼女にとっての必然なのだろう。
博士はあまり自分の話をしたい性質(タチ)ではなかったが、カスミの問いを突っぱねる理由も持ち合わせなかった。
「改まってそう言われると緊張するな。何が聞きたいんだろう」
カスミが悪戯っぽく笑う。
「なぜ、博士はこちらの研究所に。それはもちろん、命令を何日の何時ごろ受けたという話ではなく」
博士は特に隠す必要もないことだったので、素直に昔話をした。学生時代に学んだこと、学友のこと、かつて交際した女性のこと。カスミの関心は、どうにも博士の心情にあるようだった。
学友の成績の話をするよりも、それを受けて博士がどう思ったかについて、掘り下げる質問をした。そして、
「なぜ私たちに関わる研究者を目指したのでしょう」
カスミのケアになればと話し始めたはずが、自分のほうが楽になっているような、不思議な時間だった。
「それは。幼い頃に、なんだったかな。今では見かけないくらい、旧式の、車輪で駆動するような、オモチャみたいなロボットが独り言を言いながら走っているのを見たんだ。誰も前にいないのに、一方的に道を譲ってくれと言いながら走ってる」
「はい。大先輩ですね。移動することしかできなかった祖先です」
「そのときに、それこそカスミみたいなロボットを作ってみたくなった。でも忘れてたな」
晴天の空の下、今でも変わらず共存しているトラックとドローンが、倉庫の隙間を移動している。カーキ色の軍事彩色ながら、それらは別々の生き物に見えた。鋼鉄でできた白亜紀だかジュラ期だか。
「どうして忘れてしまったのでしょう」
「単純な話だよ。俺が子供のころに、できちゃったんだ。知らなかっただけで、すでにそれに近いものは完成しちゃってた。その二年後くらいには、家庭用のアンドロイドが販売されて。夢を現実に追い越されて、意識することがなくなった。でも勉強は始めていたからさ、追い越されて追い越されて、遅れても遅れても、結局ここまで走ってきたんだ」
カスミは静かにうなずいた。慈しむような微笑がこちらを向いている。
博士は胸が温かくなった。それは同時に、胸が締めつけられるようでもあった。カスミの立場に、勝手な閉塞感を想像する意味はないのだろう。
「なるほど。アンドロイドの愛は偉大だ」
カスミは首を傾げる。
「その通りですが、急にいかがしましたか?」
「なんでもない。ありがとうカスミ」
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