戦場のシンギュラリティ
ヒルダの書斎
第1話
背骨をかたどる鋼の縦列(じゅうれつ)支柱を、背面カバーを閉じて隠した。肩甲骨を天使の羽と例えることがあるが、人工皮膚に覆われている程度では、その印象は変わらないようだ。アンドロイドの肉体は、この一世紀ほどで人間と見分けがつかないところまできた。
メンテナンスを終えた瞬間、頭皮からみるみる黒髪が生え出してくる。行きすぎた科学は呪いの人形に似ている。艶やかな黒髪がうなじを覆うまで、何か空恐ろしい震えが下腹のあたりに冷たく広がる。
白衣のポケットへ手を突っ込んで、メンテナンスチェアから一歩離れる。もっともこの椅子は、形状こそ椅子の形をしているものの、アンドロイドに必要な処置に応じて、リクライニングもすれば逆さ吊りに彼らを支えることもある。
今は椅子の背を抱くように、背中を向けて少女らしい肢体は座り込んでいた。
「……さて、メンテナンス前の問答でございますが、私なりの結論を申し上げてもよろしいでしょうか」
淡々と呟いて立ち上がった少女は、傍に置かれた戦闘衣を身につけていく。
「構わないよ。カスミはどう思う。アンドロイドの愛情は、人間のそれを超えうるか」
細い指がスカートを運び足を通した。腰まわりをまとめる。接続口が開く音がする。金具が噛み合う音がした。神経が通ったかのように、白いロングスカートが意思を持って波打った。特殊な金属の編み込まれたそれは、事実カスミの指示に従って形状を変える。
カスミが振り返る。魔法使いのようなローブを纏う。それもまた、無機質な接続音を立てて波打った。
直線の多い研究室にその音は似合うが、有機的な布のうねりはカスミの丸みを帯びた頬に似合った。
異質な据わりの良さを感じて、カスミの唇が動くのを眺める。
「残念ですが博士。理論上、『我々の愛はすでに皆さまの愛を超えております』ので、答えかたに少々迷っているというのが、本当のところです」
カスミの慎重な答えに満足して、うなずいた。
「なら先に仕事を済ませておいで。その間に考えるといい」
出撃要請のアラートが研究室には響き続けている。戦闘の香りにカスミの動揺はない。アンドロイドだからというよりも、カスミという個体の特性による。
「ええ、少しお時間をいただきます。そのほうが、」
カスミは微笑した。
「愛のある説明をできるであろうと、確信しております」
博士がモニタールームに到着した頃、間もなくカスミが戦場の空域へ射出されるというタイミングだった。研究室から遠く離れた砂漠が、正面の俯瞰モニターに映し出されている。
アンドロイドの派遣方法は単純なものだ。地下に張り巡らされた真空のパイプの中を、リニアやレールガンの要領で撃ち出してやる。音速を超えても空気抵抗や摩擦による温度上昇がなく、数分でユーラシアを横断できる。
射出口付近は真空状態を維持できないため、急激な減速を必要とするが、人間の臓器で耐えられないGにもアンドロイドの内部構造は耐えられるように作られていた。
「カスミ君は良く働くね。正式起動からまだ一週間だろう?」
同僚の言葉に会釈を返す。「あの子に教えられてばかりです」半ば高みの見物というつもりで、自分の席に腰を下ろした。個人用のメインモニターに映し出されたカスミの数値は、あらゆる項目で正常値を示している。
右手のモニターには、カスミがリアルタイムで行っている演算処理が滝のように流れていく。左手のモニターには、カスミの視点が捉える光景が確認できる。
射出口へ向かうパイプの内壁はグレー。正面に立ちはだかる隔壁が、ゆっくりと口を開いていく。
片耳にイヤホンをつける。カスミの報告が淀みなく聞こえる。
『間もなくです。異常等は何一つございません。2、1……』
画面が真っ白になる。太陽光に明暗を狂わされたセンサーが、静かに対応していく。
薄青い空が大写しになり、高々と雲へ近づいていく。壁いっぱいに広がる俯瞰モニターへ目をやると、少女の背中が砂漠の上を矢のように飛んでいるのが確認できた。
機影は1。敵の拠点にはおびただしい数のアイコンが蠢いている。それでも安心していられた。
「今回の目標も、暴走した工業用アンドロイドの集団だ。カスミのスペックなら、落ち着いて対処するだけで問題はない」
数年前に始まったアンドロイド達の独立運動も、賛同した一部の戦闘用アンドロイドを除けば、さしたる脅威ではなかった。人間には押さえられずとも、制御下にある戦闘用アンドロイドにとって、小枝を折る程度の力で鎮圧できる。そんな他愛のないものが大半だった。
砂漠の真ん中に陣取った、大工場が見えてくる。
踵のロケットを推進力に、金属繊維の服をグライダーのように広げたカスミが、躊躇なく敵地へ飛びこんで行った。
『目標確認。数が多いですが、工場に与えても構わない損害は』
「今送信した」
『確認。なるほど。アンドロイドを総入れ替えして経営を続けるよりも、廃業して保険金を受け取るほうが現実的でしょうね』
カスミの分かったような口ぶりに、少し笑ってしまう。
「そういうことは考えなくていいよ。掃討、許可」
地面すれすれを滑空しながら、一直線で工場へ向かっている。
主観映像に白い手の甲が映りこむ。左手がばっくりと裂け、五本の棒に変わる。前腕が開き、内部構造が武骨な鈍色をさらした。
手の甲が腕に直結し、腕は銃身に、指先は銃口へ様変わりしている。
『掃討を開始します』
カスミの左腕が勢いよく回転しながら猛烈な斉射を加えた。錆びた赤銅色の外壁が、クラッカーのように弾け飛んでいく。モニターには、穴だらけの壁が、金属製の蜘蛛の巣となって広がっていく。カスミは斉射をやめて突っ込んでいく。
みるみるうちに壁が画面を覆い尽くした。
「うおっ」
脆くなった壁を頭からブチ破る。博士はまだこれに慣れない。椅子の上でのけぞった背中を、苦笑混じりに起こした。
『博士っ、ご無事でしょうかっ』
「やめてくれ。からかうんじゃない」
『失礼しました。目標を視認』
カスミの目にした光景は、本能的な恐怖を誘うものだった。
背中からアームを突き出した無数の蜘蛛が、節足動物型の脚部を活かし、工場の床だけでなく、壁や天井を這い回っていた。それがカスミから距離を置こうと、ザァッと波が引くように離れていく。
示された数は、数十近い。工場レーンの作業を担っていた者たちだろう。周囲の棟から、最大の棟へ集結していたようだ。
「カスミ、天井の崩落に気をつけろ。連中、ほとんど重機みたいな重さだ。今に耐えられなくなって落ちてくる」
『了解。柱を狙います』
「待て、話聞いてたか? 天井が落ち…………なるほど」
カスミは淡々と工場を支える柱へ弾丸を撃ち込んでいく。それも屋根を支える中心部に位置する柱だ。
鈍く鋼の擦れるような音が聞こえ始める。
『退避します』
博士は苦笑いもできずに呆気に取られた。
猛スピードで後ずさった画面に、少し酔ってしまう。
直後、工場の天井は土煙を立てて崩落した。同胞の雨に打たれた敵は、一気に数を減らしている。
画面に映るアイコンから見るに、壁に張り付いていた個体が戦闘能力を残しているようだ。地面と天井にいた半数以上が崩落に巻き込まれて戦闘不能になっている。
「もう俺は黙っていたほうが良いね。さすがですカスミさん」
カスミは両腕をガトリング砲に変え、壁と壁を繋ぐ角の部分を集中的に撃っていた。指示を出す隙がない。
『いえ、全ては博士の指示のたまものでございます』
カスミの声は笑いを含んでいるようだった。
「嫌味を言うんじゃない」
『博士の声を聞いていると落ち着くもので、おかげで冷静に判断することができました』
そう淡々と答えた頃には、また次の動きが現れた。
目の前では崩落に弱った壁が、内側へ向けて倒れていった。柱の場所から裂けるようにして、アンドロイド達を瓦礫の一部に落としてしまう。
三面の壁が崩落し、残されたのは正面に当たる壁だけだ。
「残り十二。気をつけろ」
博士は言ってから苦笑した。自分のモニターに表示されている情報は、カスミのセンサーから送られてきた情報なのだ。厳密に言えば衛星からの情報もあるが、それは同時にカスミへ送られている。
『ええ、慎重に』
カスミはそう言いながら、鉄骨や鉄板の突き出す小山を登っていった。
アンドロイドの一部がモニターに映るたび、博士のほうがヒヤリとした。カスミの細い足首を、突然アームが掴むのではないかと。
対するカスミは、もはやガトリング砲を解き、細い指を開閉している。器用に崩れにくい場所を選びながら、目の高さを揺らすことなく瓦礫の山を登りつめた。
鉄骨を持ち上げたアームを振りかざす個体が、僅かに一機。モニターにはまだ稼働中の敵が十一いるはずだ。
よく見ると瓦礫の山が、壁際あたりで微かに蠢いている。下敷きになっているらしい。
カスミはどうするつもりか。博士の抱いた疑問は、非常に単純な形で解決された。
威嚇するように振り回される赤い鉄骨を、カスミは正面から受け止めた。脇に抱えて引き寄せる。踏ん張った敵は壁ごと剥がされ宙吊りになる。自重を想定しない強度なのか、アームが小さく火花を飛ばした。
瓦礫の上へと素直に振り下ろす。瓦礫の下のアイコンが二つ消えた。
鈍器にされた個体は耐えていた。ひしゃげたアームで鉄骨を支えている。脚部から火花を吹き始めた彼は、どこか哀れだった。
『博士、意外に頑丈でした』
カスミはそう呟くと、ロケットを使って飛び上がる。棒高跳びの要領で、真下に敵の背中を捉える。
地面へ向けて真っ逆さまに推進力をかけていった。
蜘蛛の背中にアームが食いこむ。鉄骨の先が外殻を破って内部構造へ刺さり始める。
「カスミも意外とパワープレーだね」
串刺しにしたところでその機体は火を噴き上げた。黒煙が画面に向かって立ち上る。アイコンがまたひとつ消えていた。
『あとは……』
カスミは蜘蛛型重機の串焼きを気に入ったようだ。
鉄骨を抱きしめ、ロケットを器用に使い宙へ舞う。瓦礫の下で身動き取れない目標へ向け、同胞の亡き骸を投げ落としていった。小麦粉のダマを潰すように淡々と、ひとつひとつ丁寧に、容赦なく。
全てのアイコンが消えたところで、博士は言わずにはいられなかった。
「アンドロイドの愛は、人間の愛を超えているんじゃなかった?」
カスミは高々と空に向かった。答えはない。
宙でホバリングしながら、広大な砂漠と真っ青な空を映してくれる。海と空より明確な対比があるからか、その景色は息を呑むような美しさだった。
カスミが姿勢を変える。
天上に広がる青空と雲をゆったりと眺める。雲の流れと逆向きに飛んでいるのか、風の動きを肌で感じるような映像だ。
ようやく意味を理解して、博士は答えた。
「……分かった分かった。綺麗な景色をありがとう。ちゃんとカスミの考えを聞いてから結論を出すようにする。帰っておいで」
『では、帰還します』
カスミの声は少し得意そうに聞こえた。
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